第2話 脅す彼女

Side A


 最初は、そう。


 顔が好みだった。



『駅前、18時』



 悪友からのメールに、思わず口角が上がる。


 今日は金曜日。


 悪友と、悪友の同僚との飲み会だ。


 悪友の同僚には会ったことはないが、前情報で気が合いそうだということは知っている。


 期待に、少々胸が躍る。



「楽しそうですね、先生」


「後4時間で自由の身なので」


「なるほど」



 消化器外科の先生の言葉に、当たり障りなく返す。



「私は今日当直ですよ」


「それは、お疲れ様です」



 こちとら火曜に当直をこなした後だ。


 しかも交通事故の急患が運ばれてきて、嫌になるほど忙しかった。



「何もないと良いですね」


「花の金曜日、何もない方が珍しい」



 はは、と笑って、先生は廊下を歩いていく。


 繁華街にも近いこの病院では、よく急性アルコール中毒の患者が運ばれてくる。


 金曜日ともなれば、おのずとその数は増えてくる。


 ご愁傷様、と心の中で呟いて、仕事に戻る。


 時折向けられる視線を黙殺する。


 好きでもない人間。


 しかも男から向けられる好意など、正直気持ち悪い。


 私は根っからの、レズビアンだ。


 幸いにもこの見た目はレズビアンには好まれるらしく、そうそう相手には困らなかった。


 一時何人ものセフレもいたが、最近は面倒で全員切った。


 仕事が充実しているのもあるかもしれない。


 と、いうか。


 医師という職業は、ものすごく忙しい。


 だから、暫く色恋にうつつを抜かしている余裕はなかった。


 ない、はずだった。



「そーなの!あのベース!」



目の前の女性――、深瀬は、可愛らしい女性だった。


好きなバンドの話を活き活きと語る。


少々オタクとも思えるその熱さは、同じバンドが好きな自分としても非常に好ましかった。



「わかる!それを殺さない他のパートも凄いし!」



 ついつられて、こちらも熱くなる。



「歌詞の振れ幅はデカいけど」


「それがいい。気分によって聞き分けるから」



 表情がころころ変わって見ていておもしろい。



「ついでに顔がいい」


「わかる。顔がいい」



 無言で、握手を交わす。


 握った手は、小さかった。



「すっかり打ち解けてる」



 トイレから戻った神崎が、物珍し気に会話に入ってきた。


 確かに、こんなに短時間でここまで打ち解ける相手もそうはいない。



「おー神崎。すっごいよ!こんなに話が合う人初めて」



 深瀬が言った。


 その顔は、酒のせいか少し上気していて、正直色っぽい。



「相田はどうなん」


「すごく楽しい。職場だって、こんなに話せる人いないし」



 嘘偽りのない本心だった。


 ただ、よこしまな気持ちも、生まれている。


 ――顔も好みだし、食べてみようか。



「何よりだな」



 神田が笑った。



「もう一杯行くか」


「んー、じゃあ何飲もうかな」


「そんなに飲んで大丈夫なの?深瀬さん」


「大丈夫!最近飲んでないけど、結構強い方だから」


「そっか。あ、私はハイボールで」


「私はレモンサワーで」


「俺ビール」



 時間はあっという間に過ぎていく。


 目の前の深瀬はだいぶん出来上がっている。



「そろそろお開きにすっか。おれ終電あるし」



 郊外に住んでいる神崎は、終電が早い。



「んー、飲み足りない気も」


「お前が一番酔ってるぞ」


「そう?えへへ」



 深瀬がふにゃりと笑う。


 結構なペースで飲んでいた気がする。



「深瀬さんは終電いつ?」


「あと一時間くらいかな」


「じゃあ、神崎を駅まで見送って、駅の近くでちょっと飲もうか」



 そう、提案してみる。


 ついでに食えればそれもいい。



「相田」



 神崎に名を呼ばれる。


 釘を刺そうという目だ。


 私の性的嗜好を知っている神崎だ。


 考えはお見通しらしい。


 けれど、それで引き下がる私ではない。



「大丈夫。最悪私の家に泊まればいいんだし」


「近いの?」


「タクシーで10分くらいかな」


「えー、ここら辺って家賃高くない?」


「まぁほら、私医者だし」


「なるほど」



 深瀬が納得したように頷いた。


 よし、すでに獲物がかかったようなものだ。



「相田、そいつ人妻だからな」


「知ってるよ」



 彼女の左手の薬指。


 そこにはちゃんと、証が嵌っていた。


 関係ない。


 どうせ、子どもなんて望んだってできやしないのだし。




 神崎を見送って、さぁどう誘おうか、と考えていると彼女のスマホが鳴った。



「旦那、今日は帰らないって」



 その声は。


 彼女は自覚があるだろうか。


 迷子のような、頼りない声だ。


 少々可愛そうにも思う。


 けれど、これで誘いやすくなったのも事実。



「そっか。じゃあ、家に泊まっていきなよ。心配だし。パジャマとかは貸すからさ」


「でも……」



 躊躇する彼女に、もう一押しする。



「私、飲み足りないし。家にいても一人だから、寂しいのよ」



 ね?と彼女の手を握る。



「……ん」


「やった!」


「ありがと」


「なんでそこでありがとなのよ」


「なんとなく」 



 そう言って笑う彼女に、少し変わっているな、と思った。


 それだけだ。


 それから家に連れ込み、ワインを開けた。


 口当たりのいいワイン。


 彼女はまた、2、3杯と飲んだ。


 愚痴も聞く。


 旦那の愚痴、仕事の愚痴。


 私はそれを、どんな顔で聞いていただろう。


 メインまでの我慢と、きっと退屈な顔をしてただろう。


 彼女は気づいていないけれど。



「ね……」



 彼女の頭に手を回す。



「今日は嫌なこと忘れてさ」



 ゆっくりと、ソファに押し倒す。



「イイコト、しよ?」

 



 朝のアラーム。


 彼女のスマホからだった。



「ん……。ん?」



 彼女が戸惑っている様子が、目を閉じていてもわかった。



「おはよ。まだ寝てよ?」



 慌てふためく姿を想像し、心の中で笑いながら言ってやる。


 しばらく、あーとかなんとか言って、ようやく彼女は本題を切り出す。



「私達は、何故裸なんでしょう」



 その顔には、信じたくない、とありありと書いてある。


 そんなはずはない、と。



「覚えてない?すごくかわいかったよ?優江」



 とどめの一発は、彼女に届いた。


 最中に何度も呼んだ名前に、憶えがあるだろうか。


 何度も呼ばせた名前に、憶えがあるだろうか。



「ほら、これ」



 だめ押しで見せつけたスマホの画面。


 そこには彼女が移っている。


 もちろん、普通の写真ではない。



「…………あはは、は」



 彼女の口から、乾いた笑いが漏れる。



「冗談、でしょ」



 いまだに、彼女は現実から目を背けようとする。



「言ってなかったっけ?私、レズだって」



 言ってない。


 それを承知でそう言った。



「……言ってないっけ。私、既婚者」



 彼女が言った。



「略奪愛も乙よね」


「おい」



 私の言葉に、半ば呆れたような声で突っ込む。



「昨日の事は……その」


「それなんだけど、さ」



 逃げようという意志を感じて、言葉をかぶせる。



「また、来てよ」


「え?」


「セフレってやつ?また、しよ」


「……え」


「拒否権が無いのはわかってるよね。拒否したらばら撒く。ばらしてもばら撒く」



 私だって今の地位を捨てたくはない。


 だから、口封じもかねてこうして脅す。



「……相田さん」



 しばらくの沈黙の後、彼女が私の名を呼んだ。



「なーに?」


「なんていうか」



 少し、口ごもる。



「優しい、ですね」


「……え?」



 思わぬ言葉に、目を丸くする。


 優しい?誰が?


 スマホで写真を撮って、セフレになれと強要している、私が?



「……何言ってるの。馬鹿な子ね」



 どういう考えでそんな結論に至ったかなんて知らないが、お人よしな思考回路だ。



「お人よしって、よく言われます」



 けれど。


 思えばなぜか、自分は彼女を手に入れようと画策している。


 無意識のうちに。


 そして、今。


 ただ強く。


 そのお人よしに。


 惹かれてしまった。


 恋愛なんて面倒だ。


 セフレだって切っている。


 面倒だったから。


 そう。


 なのになぜか。




 最初はただ、顔が好みだった。


 だから適当に遊んで、捨ててしまえばいいと思っていた。


 けれど、今。


 私は恋に落ちてしまった。


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脅される彼女と脅す彼女 夜鳥つぐみ @tugutugu

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