1章 8話

 12月24日 土曜日

 俺はミーさんのアパートに向かった。

 三婆沙メタル工場から東に徒歩2分というヒントと住所をたよりにたどりつけば、そこはアパートとは名ばかりの…むしろ長家といった方がふさわしい…トタン屋根の今にも崩れそうな平家一階建てのボロ家であった。

 かろうじて設置された配線むき出しのインタホンを鳴らすと、みーさんがドアを開けて「いらっしゃい」と招き入れてくれる。外見の割に中はこざっぱりと整っており、入ってすぐの台所を通り抜けた奥の和室には、大きな鏡台が置かれていた。

「優ちゃん1番のりね」

 子供相手みたいにみーさんが褒めてくれる。別に嬉しくもなんともないが、とりあえず出された座ぶとんにあぐらをかいて、じっくりと部屋の中を見回せば、壁に金や銀のモールが飾られクリスマスらしい雰囲気になっている。あの枯れ枝のような手で一生懸命部屋を飾り付けるみーさんの姿など思い浮かべていると、当のみーさんがケーキを持って来てこちらにやって来た。

「小さくてごめんね。でも、3人ならこれぐらいで十分よね」

 3人? てことは俺とみーさんと森崎ってことか…。思ったより人数が少なかったが、俺にはそのほうがかえって良かった。

 みーさんはパタパと部屋の中を走り回り皿や料理を並べている。一人でやらせるわけにもいかず、

「俺もやるよ」

 と立ち上がり台所に入る。

「ありがとう。じゃあ、お皿並べてくれる?」

「うん。買い出しとかあったらやるけど?」

「買い出しは昨日手伝ってもらってすませた」

「え? 森崎に?」

「違うよ。キミちゃん今日はやっぱり無理だって」

「え?」

 みーさんを見た。

「だって、今日来るの3人って…」

 森崎以外に、他に誰が来るっていうんだ? 真希さん? 金さん? 色々候補を考えていると、俺の言葉などまるで聞こえていないかのようにみーさんが言った。

「あたし思うの。仲直りするなら、ちゃんと優ちゃんから連絡した方がいいって…優ちゃん、キミちゃんのこと好きなんでしょ?」

「それは…」

 …そう真正面から問いただされると答えに困る。しかし、みーさんときたら俺が森崎を好きだとやみくもに思い込んでいるようで。

「隠さなくてもいいよ。見てれば分かるよ」

 そうだろうか? 確かに森崎の事は好きだ。あんな別れ方したままで終わりたくないとは思う。だが…

「ねえ。いっつもいっつもキミちゃんの方が優ちゃんのことに必死だったけどさ、今度は優ちゃんの方からなんとかしてあげなよ。これじゃあかわいそうだよ。キミちゃんが」

 それも分かっている。こんないい加減な事を続けていたら結局森崎は離れて行ってしまうだろう。しかし…しかしだ。なのに、このすっきりしない気持ちはなんだろう? 

 いや、本当は分かっている。俺が彼女に真剣に向き合えないわけはただ一つ…。

「ねえ、もし仲直りしたいならさ、今、メールしてあげなよ。ここにおいでって…」

 みーさんがそう言った時だ。ガチャッと玄関のドアが開いて誰かが入って来た。

「森崎?」

 などと声をだし振り返り、正直俺はぎょっとした。

 なぜなら、そこに見知らぬ男が、いや、正確には一度だけ会った事のある男が立っていたからである。

「ミノ虫男!」

 俺は思わず指さし叫んだ。

 そう、それは数週間前、職安帰りにドブ川のほとりで見たあの不思議な男であった。奴はあの時と同じく、何重にも着込んだ小汚い服の上にすすけた茶色のどてらをはおり、灰色のマフラーをして、手に汚ねえ買い物袋をさげていた。袋の中からは赤色の髪がみえている。人形でも入れているんだろうか?

 どんな顔か確かめようとそたが、サングラスとマスクのためにさっぱり分かりゃしねえ。こいつ、みーさんの知り合いだったのか? みーさんも随分変な奴と付き合ってるもんだなあ、…と思った時、後ろからパタパタとみーさんの足音がして、そして、意外な…この上なく意外な名を口にした。

「あら。正ちゃん遅かったのね。待ってたのよ」

「はあ?」

 俺はまたもや、思わず声をあげていた。

「誰って?」

 随分聞きなれないような、聞きなれたような名前だぞ?

「何してるの? 早く上がって。お兄さんも待っていたのよ」

 みーさんの声が響く。それはとても無邪気で、この上なく屈託のない物言いではあったけど…

 って、おい。お兄さんて誰の事? まさか俺の事?

 ってことは、つまり、このミノ虫男は、まさか…

「正なのか?」

 俺は言葉の通じぬ人に言うように、ゆっくりと一音ずつ区切って聞いた。

 違う…というようにミノ虫男は首を振ったが、

「そうよー。正ちゃん最近よく遊びに来てくれるのよ。でも随分寒がりだと思わない? あの格好」

 罪のないみーさんの言葉が奴の逃げ道を完璧に奪った。

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