自由の国の孤塔から(旧タイトル 神様の不良品)

pipi

1章 1話

小さいころから出来がよく、中学、といわゆる進学校に進み、超有名国立大に入った華々しい人生だった……はずが、気付いたら薄汚れた工場の一角で安い弁当なんぞつついていた。

 気付いたらってのはウソだな。怒り狂う親父を尻目に大学を辞め、画家を目指すとかいう非現実的な夢に人生捧げた挙げ句、計画的に事を進める事無く恥も臆面も無くここに戻って来たのは俺だ。つまり、半自主的にこの場所を選んだといえよう。

 こんな俺に世間はフリーターだの負け組だの結構な称号を与えてくれた。ゴミ同然の俺にとって、この工場はまたおあつらえ向きの場所であった。

『三婆沙メタル株式会社』

 主にスクラップの収集・加工処理を行い、金属リサイクルの新しい技術システムに貢献します。というのが謳い文句の、年季の入った埃だらけの工場である。何やってるかという事を分かりやすく説明すれば、要するに世間で不要とされるゴミくずを潰して、砕いて、溶かして、固めて、もう一度使えるようにして世間様に返してやろうという奇特な会社だ。

 毎日トラックで運ばれて来る金属のゴミを使えるか使えないか選別し、使えると判断されたものは、プレス加工やギロチン加工を施される。普通は、そのあと製鋼工場へ販売され、そこで有用な金属に生まれ変わるのだが、この工場では金属が生まれ変わり、さらに、ガーデニング用品やらキーホルダーやら、肩凝りを直すとかいう(うさんくさい)指輪に華麗に変身を遂げ、再び市場に還って行くまで一気にやっている。ゆえに敷地はバカでかい。でかいだけがとりえのような会社だ。

 そして俺は第二工場の末端の出荷倉庫課という部署で、新たに商品となった元スクラップ達を、検査し、袋に入れ、箱に詰め、トラックに運ぶ仕事をしている。扱われているのは主にキーホルダーのわっかの部分であった。その部署には10人ばかりの人間が居て、主に商品の検査と機械の管理をするのが3人の社員。残りのバイトとパートのおっちゃん3名、そして3人の女達が箱詰めと荷物はこびを担当する。パートのおっちゃんは定年退職後のじいさんばかりで、バイトはやる気のないフリーターの俺、そして、残りの3人の女達は、いずれも軽度の障害者だった。

 一人は森真希子という40代後半のおばちゃんで、ひどく耳が悪い。気の短いおばちゃんだが、怒らせさえしなければ気の良い人で、機嫌の良い時に何故かホラービデオを貸してくれたりする。

 二人目は、重めの知能障害で、三宅有希という20代の女性だ。時計をやっと読める程の知能だが、通称リンゴちゃんと呼ばれる真っ赤な頬で、3才の子供のごとくいつもニコニコ笑っている。

 三人目は相沢美咲という、推定年令38才の女性。通称みーさん。軽い知能障害と難聴で、いつも補聴器を持っている。

 実は、この相沢美咲…みーさんと初めて会った時、俺は物凄いショックを受けた。何故なら、彼女の右頬と、右手には火傷の後のようなケロイドがあり、さらに右頬のケロイドの上にざっくりとした大きな傷跡があったからである。

 人道上大問題なのは承知の上で敢えてその時の心理を告白するのであれば、年寄りと障害者ばかりがうごめく埃だらけのくそ暑い倉庫内はまるで地獄の一丁目のようであった。情けない話だが『こんな所に追いやられたのも親父達を裏切り、好き放題をした罰なのかもしれない』とまで思いつめていた。

 ところが、出荷倉庫課の10名の中で、もっとも面倒見が良いのが、もっとも俺にショックを与えたみーさんであった。トイレ、食堂の場所から、誰と誰が仲よくて、誰と誰が仲が悪いかなどの工場内のゴシップに至るまで、彼女は俺に詳細に説明してくれたものだ。

 ただ、残念な事に彼女とはしばしば会話が噛み合わなかった。それが、知能障害によるものなのか、難聴の為であるかはしばしば判別がつき難いのであった。例えば、こんな具合である。


「あのさ、この荷物についてるカードの番号が間違ってるんだけど」

「うん、うん。今日は暑いね」

「あのさ、番号ミスの件、こないだも課長に注意されてるんだけどさ」

「そうだね、このお茶飲みなよ」


 ってな具合である。彼女いわく、補聴器はノイズが多くて聞き取れない事が多いんだそうな。それで、電話をする時なんかは外していた。


 そんなこんなでいつのまにやら1年が滞りなく過ぎた。そして今日も俺は工場の片隅で無愛想に弁当をかっこむと、スケッチブック片手に表に出る。

 大学を辞めて8年。東京で成功するという計画が頓挫し、こんなところでこんな仕事をしてはいたが、俺は画家への夢をあきらめてはいない。本音を言えば、自分がこうしてここにいる事に今でも納得していないのだ。こことはつまり、故郷である。

 画家になろうがなるまいが、俺は東京で暮らしていたあの街を愛していた。「異土のかたいになるとても」帰るつもりはさらさらなかった。それが、1年程前、勘当した筈の俺におふくろが泣きながら「なんとかしてくれ」と電話をかけて来た。というのも、あの頑固なクソ親父が倒れ、弟が不登校から引きこもりという道をたどり、結果立派なニートとして成長し、そんな家族の状況がもともと気の強い方でないおふくろを軽いノイローゼにし、俺のおばに当たる母の姉の助言もあって、ついに長男の俺に助けを求めて来たというこういうわけだ。

 ちょうどその時、絵の師匠にあたる人物と新事務所の設立の祝杯を上げていた俺的には実に迷惑千万な電話であった。しかも自分達から勘当しておきながら今更助けを求めるとはなんと自分勝手な話かと腹も立ったが、せめて弟の正が社会復帰するまではと切々と訴える母親の言葉と、情にもろい師匠の説得もあって、やむをえず、細々とできかけていた絵のつながりを断ち、まさに身を割かれるような思いで東京を後にしてきたのだ。

 以来1年というもの1日として心が晴れた事はない。ただ、こうして絵を書いている時だけ、常にどんよりと立ちこめている諸々の憂鬱から解き放たれる事ができた。その時の開放感を思うたびに俺は決心を新たにするのだ。自分はやはり絵筆を捨てる事はできないと。

 なに、今少しの辛抱さ。ずっとここにいるわけじゃない。いつかまたあの街に戻れるさ。そうすれば、またあの頃のように自由に羽ばたく事もできるだろう。

 そして、俺は目を細め、灰色の建物を模写していく。初夏。鮮やかな青空を背に萌え出ずる若葉。『故郷は遠きにありて思ふもの』などと昔は気取っていたもんが、こうして見ればナカナカどうしてこの風景は捨てたものじゃない。もっとも俺の画風にはさっぱり合わないけどな。

 なんてモノローグしてた時だ、突然背後から声をかけられた。

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