第19話 消費

 フランスでは蚤の市、アメリカではバザーやスワップミートと呼ばれる、屋外における個人即売会は、これから先ネット通販やユーズドマーケットがどれほど普及、進化しようと何も変わらないように見えた。

 カブを有料ながら無事駐輪し、ようやくフリーマーケットの会場に入る事が出来た小熊たちは、目の前に広がる風景にやや圧倒されていた。

 地元の山梨でも自治体主催のバザーくらい行ったことはあるが、それらとは規模が違う。二畳ほどのスペースにシートを敷き、思い思いの物を売る人たちが、端が見えぬほど広い敷地を満たしている。

 卒業式を途中で抜けて来たのは失敗だったかなと小熊は思った。もう卒業に必要な単位は取得したんだから、湿っぽい式典など欠席して早朝に山梨を出たほうが、もっとじっくり見て回れただろう。


 バイクを駐めるのに金を取るという、東京の信じがたき暴挙に意気を挫かれそうになった礼子と椎も、途方も無い宝の山を目の当たりにして現金にも機嫌を直した様子。

 とりあえず開催時間の終了まで時間が無く、各々の見たい物も異なるようなので、小熊は三人バラバラの自由行動を提案した。

 礼子は了承を伝えるや否や、綱を切った犬のように中古品の海へと飛び出して行った。最初は周囲の人に圧されて小熊の側を離れなかった椎も、セリエAのグッズを扱っている出店を見つけた途端、ゲームシャツやジャージを漁り始める


 一人になった小熊は、出店の間をぶらぶらと歩いた。引越し先で必要となる物を探すという目的はあったが、生活に必要な最低限の家具は、山梨の集合住宅から持っていくので、切迫して入手しなくてはいけない物があるわけでも無い。

 ただ、春から暮らし始める町田市北部の木造平屋を、自分らしく飾る物が見つかればと思ってフリーマーケットに来た。何かしらの品が安価に入手できれば儲け物。


 何本かある通路のうちの一つを端から端まで歩いた小熊は、ベンチを見つけて腰掛けた。

 前日までの補習と追試に加え、今日は山梨から東京まで一五〇km以上を走ってきた。体が疲労を覚えてもおかしくは無い。小熊には疲れの正体がわかっていた。目の前で流通する膨大な物量に当てられた。

 小熊もバイク便の仕事で、大手通販会社の倉庫や卸売り市場など、もっと多くの消費物が動いている様は見た事がある。ただしそれらは箱詰めされ流通業者へと引き渡されるだけで、実際に物とそれを欲する人を見たわけではない。


 今は小熊の目の前で、何人もの人たちが物を売り、買い、持ち帰っている。小熊は自分がそんな消費の奔流に流される事に、いささかの恐怖を覚えた。

 このまま公園のベンチでゆっくり過ごし、出店の端に並んでいる屋台で何か買って食べながら時間を過ごし、終了時間になったらスマホで連絡を取り合おう。

 ここで何かを買うために万事繰り合わせて準備し、カブに乗ってやってきたが、もうどうでも良かった。ピクニックでも楽しみに来たと思えばいい。 

 

 小熊はカブのドリンクホルダーから外して持って来たペットボトルのキャップを開け、中身のジャスミン茶を口に運ぶ。お茶は冷え切っていた。

 ベンチから立ち上がって少し歩けば、自販機が温かいコーヒーを売っていて、すぐ横にはタコヤキやケバブの屋台がある。そこまで行くのが億劫だったわけでは無いが、些細な消費にすら消極的になっていた。

 買い物をしに来ただけに財布の中には充分な現金がある。でも、お茶でも軽食でも何か買うたびにその金の一部を払わなくてはならない。この金という物のために、小熊は今までどれだけ自分を殺し、磨り減らせたかわからない。

 もしも今、一生かけても使い切れないほどのガソリンとオイル、カブの消耗部品が手に入ったら、金などという下劣で醜悪な物には二度と触れる事の無いまま、いつまでも走り続けていられる。

 

 我ながらナイーブで子供じみた考え事だと思いながら手足を伸ばす。腹が鳴った。無限のスーパーカブを手に入れたとしても、乗る自分が生きていくために食べる物は金を払って買わなくてはいけない。まことにつまらない事この上無い。

 空腹に耐えかねた小熊は、資本主義の社会に迎合すべく、財布を取り出しながら立ち上がろうとした。ここは東京。山梨と違って食べ物でも何でも、目の前に、手の届く範囲にある。しかし、あの屋台の軽食を金を払って買った時、自分はこれから住むべき東京に屈し、腹を出して恭順を示したような気分になるだろう。


「しかたがない」

 そう思いながら立ち上がろうとした時。小熊の視界が暗転した。

「だーれだ?」

 甘ったるい声を聞き、小熊は答えた。

「椎の似てない物真似をしている礼子」

 声を聞くまでもなく、掌でわかる。


 本物の椎は礼子が目隠しを取った途端、目の前に現れた。分厚いベーコンとレタス、トマトを黒パンで挟んだ、アメリカとドイツの折衷のようなサンドイッチを差し出してくる。

「お弁当を作って貰ったのを忘れてました。一緒に食べましょう」

 椎はアラジンの大きな保温ポットから、熱いコーヒーをカップに注ぐ。椎は小熊の座っていたベンチに小さいお尻をねじこんで座り、礼子は東京都民に山梨の米やフルーツを食べて育った長身を自慢するようにベンチの背に座る。

 三人でサンドイッチを食べた。小熊は椎と礼子を見る。荷物らしき物は持っていない。二人とも何も買わなかった様子。

 理由は聞かなかった。どうせ同じような事を考えていたんだろう。三人ともどう背伸びしたところで山梨から出てきてすぐのお上りさん。憧れていた東京の膨大な物量と流通も、目の前で見せられれば胸焼け気味になる。


 結局何の収穫も無かったが、なんだか満ち足りたような気持ちの中でフリーマーケットが終わり、冬の早い夕暮れが始まろうとしている。

 サンドイッチとコーヒー、食後のリンゴを楽しんだ小熊は立ち上がった。

「そろそろ帰ろうか」

 椎が小熊の顔を覗き込んだ。

「何を言ってるんですか?」

 礼子は小熊ではなく、目の前の高層ビル群を見ながら言った。

「もう帰らなくていいのよ」

 

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