シャッタードグラス

雄大な自然

アンコンタクト

「この街に潜む魔の手が人々を脅かそうとしている。どうか君の力を貸して欲しい」


「お断りします」

真っ直ぐに向けられたその言葉に、苅谷秀兎かりやひでとは即答した。

予想した答えだったのだろう。

目の前に座る各務仁かがみじんは動じた様子がなかった。

「君の事情は調べさせてもらった」

その言葉に、秀兎が眉を顰めるのを気にせず、仁は言葉を続ける。

「そのうえで、君の力を人々のために使うことが、君のためになると信じている」

「……勝手だな」

「君は、自分の能力を役立てたいと思ったことはないのか」

「……ないね」

「気持ちはわかるが……」

「あんたに、何がわかる!」

どこまでも真っ直ぐな言葉に、秀兎は苛立った。

「君のお母さんもきっとそれを望んでいるはずだ」

バンッという音を立てて両腕が机を叩く。

我慢しきれなくなって立ち上がった秀兎を前に、仁はその目を正面から見返した。

「あんたに……何がわかる」

「僕もそうだった。能力を上手く使えず、家族を、大切な人を傷つけた」

自分とほとんど歳も変わらない男の言葉に秀兎の苛立ちはどこまでも募る。

「だから、俺にもあんたみたいになれっていうのか」

「能力を恐れてはいけないんだ。この力は人のために使うことが出来る」

秀兎は押された。仁はどこまでも自分の言葉を信じていた。

「君も、ヒーローになれるんだ」

各務仁=クルースニクを名乗るこの街のヒーローは確信を込めて言い放った。


異能力者エクストラ

誰もが望む、あるいは疎むその力は、この世界に厳然として存在する。

かつては認識されなかったもの。そして今はその存在が証明されたもの。

彼らは人と同じでありながら、人とは異なるものだった。

そして、その力を私欲のために使うもの。

誰かのために、正しく使うもの。

力を隠して普通の生活を営むもの。

異能力者エクストラはそれぞれが自分の道を選択することになる。

やがて、その中の一部は、その力を使って世の中に貢献し、そのことを発信し始める。

それは、異能を正しく使うことで自分たちの後に続く異能者の新たな道を開こうとする活動だった。

彼らは漫画やアニメのように異能を使い、人を助け、悪を挫くヒーローとなった。

そして逆に、その力を悪事に用い、大規模犯罪を起こすヴィランとなるものも現れ、彼らは激しく対立するようになる。

その陰で、異能を隠してひっそりと生きていくことを望むものも少なくなかった。


「俺はあんたたちとは違う。力を使って、人に媚びて生きたいわけじゃない」

「なら逃げるのかい?君は、お母さんを殺してしまった事実から目を背け、力を封じて……」

「それの何がいけない?」

秀兎は吐き捨てた。

各務仁がため息を吐く声が、予想以上の大きさで秀兎の耳を打った。


夕暮れの中、バイクを走らせる。

『——で、結局、説得は失敗したと』

「……いや、でも手ごたえはありましたよ。もうちょっと話を続けてみるつもりです」

インカムで耳元に響く話相手からの呆れたような言葉に、各務仁は声にだけは自信を纏わせた。

現実には怒った相手に訪問した家を追い出されたも同然に帰ってきたのだが。

実際、すぐに受け入れられるとは思っていなかった。

自分がそうであったように、彼にも考える時間が必要だ。

『焦る気持ちはわかるが、もっと慎重にだな』

「わかってますって」

バイクでの走行中にヘルメット内でのこもる会話は耳に響く。

『くれぐれも気を付けてくれよ』

念を押す言葉とともに、通話は終わった。

やがて、仁のバイクは一つのビルの駐車場に入った。

その二階に、仁の事務所があった。

表向きは自宅兼個人事務所。

その実態は彼のヒーローとしての活動拠点だ。

地下の駐車場にバイクを停め、いつものように階段を上る。

そして二階のフロアに入ろうとした仁の足が止まった。


部屋の前に誰かが立っている。

仁は部屋に踏み入れることなくその気配に気づいたのだ。

階段から繋がる出入り口から中の様子を探る。

男だ。

見覚えのない姿だった。

長いコートで全身を覆い、フードを目深に被り、顔を隠していた。

しばらくそのまま観察する。

まるで人形のように、男は身動き一つしていなかった。

――何だ?

警戒する仁の耳元で声がした。

「やあ、ヒーロー」

その声は、姿が見えているのとは別の方から聞こえ――。

そのどちらでもない所から襲った衝撃が、仁の脇腹を抉り取った。

反射的に、仁の全身に電流が走った。

仁の異能。全身に電気を纏う攻防一体の力。

その力に触れ、脇腹を貫いていた何かが弾かれる。

空いた穴から鮮血が噴き出した。

その痛みに気を取られた仁の喉を正面から突き出された腕が掴み上げる。

部屋の前に立ち尽くしていた男が、いつの間にか目の前に立っていた。

「き、貴様はっ!」

「相手を探しているのが、自分だけだと思っていたのは思い上がりだな」

声が出ない。いや、息ができないのだ。

抉られた腹の感覚がなかった。

首元を掴む腕の感触にもがく仁の下半身の感覚が消えていく。

フードの奥の素顔は見えない。

だが、その男を仁は知っている。

複数の実体を操る力を持つこの男の存在を知っている。

この街を侵す闇。

彼が探し続けている悪。

「——死装束の男シュラウド!」

「さよなら、ヒーロー」

その声は目の前で自分の首を掴む男からではなく、後ろから聞こえた。


わかっていたことだ。

一人でも仲間を増やすために、勧誘のために、正体を明かした。

誘う相手に、顔と名前を晒してきた。

いつかは、顔も名前も知らない敵が自分の正体を知る日が来るとわかっていた。

備えていたつもりだった。

いつ襲撃を受けても良いように心がけていたつもりだった。

それが甘かったのだと、今になって思い知った。

男の腕をつかみ返したはずの自分の腕の感覚がなかった。

自分の喉を掴む腕の感覚が消えた。

やがて仁の意識は薄れ、そして闇に閉ざされた。

最後に見えたのは空に浮かぶ月の光。


――勝手なことばかり。

仰向けになったまま、わずかに差す月の光と薄暗い天井を見上げながら苅谷秀兎は今日訪れた男の言葉を思い出していた。

誰もがそうだ。

子どもの頃の自分が母を殺した、と聞くとまず同情する。

不幸なことだ、と。

可哀想なことだ、と。

まるで自分が過ちを犯したかのように。

冗談じゃない、と秀兎は思う。

どんな女だったか知りもしないで、知ったようなことを言うな、と。

母親が自分の子どもに何をしたか。

まだ幼い自分が母をどう思っていたかなど知ろうともせずに。

ただ異能を使って親を殺した、という部分だけを取り上げて決めつける。

自分は異能で母を殺してしまった哀れな子だ、と。

――あいつも同じだ。

結局、勝手に「正しいこと」を決めて、自分をそこから外れた例外だと決めつけている。

――それの何がいけないんだ。


薄い暗闇の中で手をかざす。

指先で白い名刺が、窓から差し込む月の光を反射してうっすらと浮かび上がった。

「もし気が変わったら、ここにきて欲しい」

その言葉と共に渡されたものだ。

各務仁かがみじん

あえてヒーローである正体を晒しても、彼は仲間を欲していた

この街を守るために、自分たちと共に戦ってほしい、と。

自信にあふれた男の姿は、秀兎には腹立たしさしかなかった。

いつかこの街に潜む闇が君の家族を脅かすかもしれない、と。

「誰がするかそんなこと」

秀兎は吐き捨て、破いた名刺をゴミ箱へ投げ捨てた。

もう自分には必要のないものだ。


この街を守ってきたヒーローの一人が殺された。

そのニュースが流れるのは夜が明けてまもなくの話であった。

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