第28話 世界で一番長い夜

宿で眠っていたときのことだった。突然、聞いたこともないような爆音に叩き起こされた。条件反射のように窓の外を見ると、砂浜に黒煙が上っているのを認めた。眠気なんて忘れて、大慌てで現場に駆けつけた。

自分の目を疑った。

そこに、学園祭の悪夢が再来していたからだ。

──いや、それ以上の惨劇が。


「なにやってんだよ、みんな!!!」

彼女たちに怒鳴る。寝起きだというのに、声はしっかりと喉を通過した。

三人は、まるで悪戯いたずらがバレた子どものように、大きく開いた目でこちらを見ている。俺のほうがよっぽど驚愕しているというのに。

名状しがたい感情に見舞われる。驚きと、怒りと、ショックと、嘘であってほしいという望みとが、ごちゃごちゃになった感情。胸に重りを付けられたかのように、気持ちが沈んでいくのがわかる。

それでも俺は、声を出さずにはいられなかった。

「どうしてだよみんな!? なんで、こんな残酷なことを繰り返しているんだよ!?」

誰一人として答えない。誰一人として凶器を手放さない。

「どうしてみんな、互いを傷つけずにはいられないんだよ!? こんなの、

悲しいだけじゃないか! 誰も幸せになんかならないだろう!」

俺の声が聞こえていないのか、はたまた全員が石像にでもなってしまったのか。誰一人として、微動だにしない。

「なあ香澄、凶器は捨てたんじゃなかったのかよ? 自分にはもう必要ないからって、処分したんじゃなかったのかよ?」

香澄は、バカみたいにデカいハンマーを肩から下ろす。アイツの家にあったヤツを改造したのか?

「葵ねぇ……反省するっていうのは、嘘だったの? さっき仲直りしたばっかりじゃないか。なのにどうして、こうもあっさりと裏切るんだ? それとも、あの指切りは最初から嘘だったっていうの? 反省なんか、本当は微塵もしてないんじゃないか?」

葵ねぇに目を逸らされる。いつもは性懲しょうこりもなく俺のことを見ているくせに。

「みどりちゃんも、こんな方法は間違ってるって言ってたよね? じゃあなんで、過ちに過ちを重ねるようなことをしてるんだ? 間違っているとわかってて、どうして他人を傷つけるような真似をするんだ?」

みどりちゃんが、物々しい銃に目を落とす。なんだよそれは。れっきとした兵器じゃないか。

一人一人に語りかけても、やはり誰も口を開かない。波の音も、もう頭に入ってこない。残っているのは、裏切られたという孤独感だけだった。

「全部、嘘だったのかよ……。せっかく仲直りできたと思ったのに」

故意か無意識か、そんな言葉を口に出していた。

「みんなが変わらないっていうなら、俺はもう、縁を切るしかない」

誰かが息を吐く音が聞こえた。

「大嫌いだ、三人とも」

俺はそう言い捨てて、彼女たちから目を背けた。


それからどれだけの無音が続いただろうか。

「嘘だ……」

そこでようやく、葵ねぇが口を開いた。

「嘘だよね俊ちゃん、縁を切るだなんて。だってお姉ちゃんたち、姉弟きょうだいだもん」

張り詰めた表情で葵ねぇが言う。彼女の身体はわなわなと震えていて、まるで寒がっているかのような様子だった。

「嘘じゃないよ。俺はみんなと違って、嘘吐うそつきじゃないから」

カランカランと金属音を鳴らして、ナイフが砂浜に落下する。

「ボクのことは嫌いになったりしてませんよね? 嫌いになったのはコイツらだけですよね?」

香澄が慌てた調子で尋ねてくる。

「嫌いだ。嫌いだよ。お前だって、そんな物騒なモンで平気で他人を傷つけているじゃないか」

香澄がカッと目を見開く。それがどことなく怒っているようにも見えた。怒りたいのは俺のほうだ。

「大嫌い……俊くんに、言われた。大嫌いって……」

みどりちゃんは、先程から壊れた機械のようにぶつぶつと口を動かしている。

いや、壊れているのは全員か。俺が「大嫌い」と言った瞬間から、彼女たちは空っぽな目をこちらに向けている。顔を歪ませ、まるで地獄でも見ているかのような目で俺を直視している。

やめろ。そんな眼差しを突き付けられたって、俺は絶対に屈しない。

「ぁ…………………………」

刹那、誰かが声を漏らした。かと思えば、次の瞬間、

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

突然、香澄がとんでもない大声で叫び出した。

「ああああああああああ!!! ああああああああああ!!! ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

いや、叫び声とか、そういう領域を超えている。これはもはや発狂だ。香澄は真っ赤な涙を流しながら、狂った声で咆哮ほうこうしている。

「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」

咄嗟に耳を塞ぐ。そうでもしないと鼓膜が引き裂かれてしまいそうだ。

「センパイがボクを嫌いになるわけがない!!!!! センパイがボクに『大嫌い』なんて言葉を吐くわけがない!!!!! 嘘だ夢だ幻だ!!! こんなの全部、現実じゃない!!!!!!!!!!」

香澄は発狂した勢いそのままに、ハンマーで砂浜を殴り続けた。

「粉々にしてやるよ!!! こんな悪夢はよ!!!!!」

まるで、行き場のない怒りと悲しみを、乱暴に吐き出しているかのように。

「ダメだよ、絶縁なんて。お姉ちゃんたち、姉弟なんだから。縁を切るなんて絶対にダメ。冗談でもダメ。言葉にするのもダメ。ダメだよダメ。ダメ。ダメ。ダメ。ア、ア、アッハハハハハ」

乾いた笑い声を上げて、葵ねぇがこちらを凝視する。身体はゆらゆらとバランス感覚を失っていて、顔の水分が一気に吸い取られたようなありさま。まるで数十年も老いたみたいに弱々しい葵ねぇが、そこにいた。

「俊ちゃん、すぐに訂正しなさい。『絶縁なんて嘘でした』って。そうすればお姉ちゃん、許してあげるから。また、ぎゅって抱きしめてあげるから。だから言いなさい、『葵ねぇ大好き』って」

ゆっくりと、本当にゆっくりと、葵ねぇがこちらに歩いてくる。

「お姉ちゃんね、俊ちゃんの望みはなんでも叶えてあげたいから、俊ちゃんを怒ったりなんかしたくないの。でもね、それだけはダメ。『お姉ちゃん大嫌い』なんて、世界で一番罪深いセリフなんだよ。だから言って、『大好き』って。言って。言って。言って」

そんなの、無理に決まっている。俺は葵ねぇに、裏切られたんだから。

「嫌いだ、葵ねぇなんか」

彼女の足が止まる。

「言わないで、お願い……。そんな残酷なこと、言わないでよ、俊ちゃん」

その場に泣き崩れる葵ねぇ。

「たった一人の弟なの……。私を救ってくれた王子様なの……。やめて、お姉ちゃんを拒絶しないで。生きられない、生きられないよ。俊ちゃんとの繋がりがなきゃ、お姉ちゃん。死んじゃうの……」

葵ねぇが、がくがくと震えた腕をこちらに伸ばす。まるで「助けてくれ」と言わんばかりに。

「お願い……。赤い糸を、断ち切らないで……」

消え入るような声で、葵ねぇはそう言った。

それでも俺は、彼女から目を背けた。

葵ねぇが嗚咽おえつを漏らした。

「終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった」

視線の先で、みどりちゃんが地面に座り込んでいた。やはり低い声でなにかをつぶやいている。

「大嫌いって言われた縁を切るって言われたもう友達じゃないって言われたお前は必要ないって言われた俺を見るなって言われた汚い声でしゃべるなって言われた視界に入るなって言われた」

息継ぎを忘れた魚のように、あるいはくたびれた人形のように、彼女は繰り返す。

「見放された見限られた距離を取られた無視された避けられた目を背けられた恨まれた憎まれた殺意を向けられた捨てられた捨てられた捨てられた」

瞬間、みどりちゃんがカッターを取り出す。そして躊躇もせずにそれを左腕に突き立てた。

「死のう。死のう。死ねって言われたから、死のう。俊くんに捨てられた私なんか、存在する価値すらない。俊くんなしでは生きていけない。だったら選択肢はひとつ。死のう」

ギチギチと、耳障みみざわりの悪い音を立てながら、彼女は自身の手首を切っていた。

これが、彼女たちの中身だ。

俺は三人に背を向ける。

「俊ちゃん、どこ行くの……?」

「俺はもう帰る」

「待ってセンパイ!!! 置いていかないで!!!!!!!!!!」

香澄がとがった声を上げる。俺は構わず歩き続ける。

「あぁ……俊くん。私を捨てないで……。せめて、私の最期を見届けて──」






歩き続けて数分。三人の声はとうの昔に聞こえなくなっていた。追いかけてくるかと思ったが、そのような気配もない。

気が付けば、知らない山道をぽつねんとさまよっていた。

そういえば俺は、ここがどこなのかも知らない。自宅までの帰り道など、知るよしもない。どうしようかと思いながらも、無心で坂を下っていると、一台のタクシーが目の前に停車した。ドアが開く。

「帰りましょう」


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


車中では、長いこと沈黙が続いた。なんとなく運転手のほうに目をやる。真夜中にもかかわらず、あくびすらせずに黙々と車を走らせているさまが、今の俺には「憧れるな」と思えた。

「あの三人のこと、フッたの?」

隣に座る幼馴染が、口を開いた。

「それを聞いてどうすんだ。お前には関係ないだろ」

自分の声が思った以上に低くなっていたことに驚く。

生憎あいにく、他人事じゃないのよ」

言葉のわりに、彼女の態度はどこか素っ気ない。

「嫌いになったの?」

紅が、こちらをじっと見ている──ような気がする。俺は窓の外に目を泳がせているから、彼女の表情がわからない。

「……ああ」

なけなしの声を絞り出して答える。

「はっきりしないのね。アンタには、罰とか制裁とか、そういう発想がないの? 彼女たちは、アンタに捨てられて当然のことをしたのよ?」

紅は不満そうだ。声色だけでわかる。

「もう一度訊くわよ。彼女たちのこと、嫌いになったでしょう?」

「嫌いだ」

負の感情を押し付けるように、俺は断言した。紅と目が合う。

「そう。まあ、当然ね」

今度は紅が、窓の外に目線を投げた。口元にてのひらを当てて、頬杖ほおづえを突いている。

車がトンネルに入る。深夜だからだろうか、トンネルの中のほうが、外よりも明るく感じる。オレンジの照明が、一定のリズムで俺の肌を照らし、通過していく。

「それで」

紅が再び開口した。

「これからどうするのよ?」

これからどうするのよ──そのセリフが、とてつもなく壮大なものに聞こえる。たぶん紅は、明日、明後日の予定を訊いているわけではない。向こう数週間、下手したら数ヶ月間を、どうやって俺は過ごすのか。

「ウチに来れば?」

俺が回答に悩んでいると、紅がラフに言葉を挟んできた。

「家に一人でいても退屈だし。両親は仕事にお熱で、アタシのことなんか意識にないだろうから。アンタ一人が居座っていようが、まったく平気よ」

俺は考え込む。ぶっちゃけ、自宅はまったく安全とはいえない。葵ねぇがいるから。それに香澄やみどりちゃんだって、軽々と俺の部屋に侵入してくるだろう。

「……俊がいるほうが、アタシも楽しいんだけど」

迷っている俺の尻を叩くように、紅が念を押す。

「いや、紅の世話にはなれない」

「……っ」

言い切った。言い切ってしまった。

「紅の提案は本当にありがたい。でも、お前まで巻き込むつもりはない」

「巻き込むって、なにを今更」

「もし俺が紅の家にいたら、お前も無事では済まされないかもしれない。そんなの、俺は御免だ。俺のせいで無関係な人が傷つくのだけは、絶対に嫌なんだ」

紅が大きく息を吐く。心なしか、怒っているようにも見える。

「じゃあどうするのよ? あの三人相手じゃ、安全地帯なんてないにも等しいのよ」

「そればっかりはしょうがない。自分の部屋で、なんとか生き延びるよ」

「アンタ、バカじゃないの!? それが無理だから、アタシの家に来いって言ってんの」

「大丈夫だ。たぶん三人とも、すぐには俺に手を出さない」

根拠のない憶測だ。わかっていて、口に出す。

「しばらくは部屋にこもって、様子を見る」

「部屋に侵入されたら?」

「全力で逃げる」

「襲われたら?」

「全力で逃げる」

紅がまたひとつ、大きな息を吐いた。今度は呆れている様子だ。

「わかったわ」

紅が腕を組む。それっきり、彼女はしゃべらなくなってしまった。だから俺も、窓の外を眺める作業を再開する。

タクシーはまだ、トンネルの中を走っていた。ずいぶん長いトンネルのようだ。どこまで続くのか確かめたくなって、前方に視線を移す。出口は見えない。そういえば、トンネルは出口が見えないように設計されているんだっけ。いや、たとえ見えたとしても、この時間では真っ暗闇が待っているだけか。

これからどうするのよ──俺にもわからない。これからなにが起こるのか。そのとき俺は、どう行動するのか。

少しだけ眠ろう。

闇に目が慣れてしまう前に。

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