Addiction

真夜中の砂浜は、夏とは思えないほどの冷たさと、飽きもせずに寄せては返す波の音だけをそこに残していた。

「あら、奇遇ね」

八十崎 葵が、微笑みとも薄ら笑いともとれる表情を浮かべる。

「なにを白々しい」

久我 香澄はさげすむように言葉を吐く。

「深夜の海は危険だから近づかないようにと、申し上げたつもりだったんですが」

水蓮寺 みどりが、好戦的な眼差しで二人を見る。

三人が、示し合わせたように集結した。


「私ね、入院生活でしばらく離れ離れになっている間に、再確認したの。俊ちゃんへの愛を」

葵が首元のペンダントに視線を落とす。

「そうだったんですね。私が今日、俊くんをお誘いしたのだって、俊くんとの愛を育むためですよ」

「お昼のデートで、センパイはボクを愛してくれた。ボクの頭を撫でてくれた」

各々おのおのが、八十崎 俊に対する気持ちを口に出す。

「でも同時に再認識しちゃったの。やっぱり俊ちゃんには、私が相応ふさわしいってね」

「それは私のセリフですよ。せっかく俊くんと夏を謳歌しようと思っていたのに。私と俊くんの世界に、他の女はいらない」

「いやいや、アンタらバカ? センパイが愛するのはボクだけだし、ボクだけで十分だ」

彼女たちの周囲には、殺意というものがこれでもかと漂っていた。いっそ夜風がそれを吹き飛ばしてくれれば、どれだけ幸福だっただろうか。

「この間は邪魔が入ったけど、今日は心置きなくれそうね」

葵が二本のナイフを取り出す。銀色の刃が、月明かりを刺々とげとげしく反射させている。

「この瞬間をどれだけ待ち望んでいたことか。ようやくあなたたちを排除できる」

みどりが、大層威圧的なアサルトライフルをセットした。

「それじゃあ、とっとと始めましょうか」

香澄は巨大なハンマーを構えると、耳が張り裂けるほどの大声でこう言った。

「殺し合いの続きを!!!」


三者が衝突する。

「まずはお前からだよ陰気女!」

香澄が振り下ろしたハンマーを、ジャンプでかわすみどり。

「この前は、よくもセンパイに盗聴器を仕込んでくれたな!」

重いハンマーを、香澄はいとも簡単に連続で振り回す。一方のみどりも、たじろぐことなく軽々とかわしてみせた。そして反撃の発砲を放つ。

「私は俊くんの恋人ですから、彼の行動を把握するのは当然です」

香澄に向かって銃を連射するみどり。

「ボクもヒマじゃないんだ、いちいち否定させるなよ」

至近距離からの発砲にもかかわらず、香澄はそれをハンマーで弾く。

「センパイはボクのものだ!」

香澄が軸足を踏み込もうとした瞬間、彼女の目の前をナイフが横切った。

「チッ」

「俊ちゃんと結婚するのは私」

「テメェ!」

香澄が葵に襲いかかろうとしたそのとき、先程投げたナイフが自我を持ったかのように戻ってきた。糸で手繰たぐられたナイフが香澄の腕をかする。

すかさず葵はみどりに接近を仕掛ける。

「俊ちゃん大好き♪ 俊ちゃん大好き♪ 俊ちゃん大好き♪」

葵はリズミカルに口ずさみながら、みどりに斬撃をヒットさせる。

咄嗟にみどりは、手持ちのスタングレネードを地面に投げつけた。突然の高音と閃光。たまらず葵と香澄がひるむ。みどりはその隙を見逃さずに、彼女たちに集中砲火を浴びせた。

「よくも私の身体に傷を付けてくれたな!」

みどりの顔は、まさに鬼の形相と呼ぶべきものだった。

「お前の手垢なんていらないんだよ!」

みどりが叫んだのと同時に、アサルトライフルの弾が切れた。

「うらぁ!」

その隙を突いて、香澄が二人をハンマーで殴り飛ばした。

「センパイセンパイセンパイ! 大好きですよ! コイツらをつぶして、ボクと一緒に結ばれましょう!」

その場にいない俊に愛の言葉を吐きながら、縦横無尽にハンマーを振り回す香澄。かと思えば、葵がハンマーを受け止めて香澄にナイフを突き出した。

「ボクとセンパイの邪魔をするな!」

香澄が素手で葵に反撃。

刹那、みどりが葵の背中に銃口を突き立てる。

「俊くんの声が聞こえます。『愛してるよ』って」

恍惚的こうこつてきな表情でトリガーを引くみどり。あわや絶体絶命かと思われた葵は、身をひねりながら銃口を滑らかに受け流した。弾丸が彼女の服に穴を空ける。

「チッ、暗殺者もどきが、本当にしつこいんだよ」

みどりが、葵に向かってグレネードを投擲とうてきする。

あろうことか、葵はグレネードの信管をナイフで切り、それを不発に終わらせた。そのままみどりを蹴飛ばした葵は、即座に香澄に標的を移し、二刀流のナイフで攻撃する。

「お前も本当におろかだよな。叶わない夢をいつまでも見ちゃってさ!」

香澄がナイフを弾き飛ばす。徒手空拳の葵。

「これでジ・エンドだ!」

香澄が怒号とともにハンマーを振り下ろす。無防備な葵は、しかし諦観ていかんすることなく口にくわえていた毒針を飛ばした。毒針が肩に刺さり、一瞬苦悶の表情を浮かべる香澄。

「まずはあなたから脱落ね」

空中で舞っていたナイフを手にした葵は、追い打ちをかけるようにそれを香澄に振り下ろした。

「脱落するのはお前ら二人ともだよ!」

そこへ、みどりがアサルトライフルを連射した。何発かが二人にヒットする。

「ついにだ……ついに、お前らをれる」

ひざまずく二人にゆっくりと歩み寄るみどり。砂浜には、いつの間にか赤色がぽつぽつとにじんでいた。

「ここで散れ!!!」

みどりが二人に銃口を向けた瞬間、香澄は彼女の目を狙って砂を投げた。

「負け犬が、図に乗ってんじゃねぇよ!」

ハンマーがみどりの腹にクリーンヒット。

「がはっ!」

「センパイはボクしか眼中にないんだよ! お前らなんて一秒たりとも見てないんだよ! いい加減理解しろよ! そんでとっとと墓に入れよ!!!」

金切り声で叫びながら、葵の顔面をハンマーで往復ビンタする。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

香澄の目は、血管が膨張して真っ赤になっていた。

「死ぬのはテメェだろ」

不意に、香澄の背中にナイフが刺さる。

「お前……小細工ばっかり使いやがって!」

香澄の声には耳も貸さず、葵は手元の糸を引く。すると、ナイフがメリメリと音を上げて香澄の背中をえぐっていく。

間隙かんげきを縫うようにして、みどりが陰から射撃を試みる。しかし、不意にみどりがバランスを崩したために、彼女の弾丸が葵を射止めることはなかった。

「ようやく効いてきたみたいね」

葵の言葉に疑念を抱いたみどりは、そこでやっと、身体の違和感に気が付いた。見れば、彼女の右足には毒針が数本、吸い付くように刺さっていた。下半身に侵入した毒が、みどりの動作を鈍らせる。

「どうせあなたたちも最期だし、教えといてあげる」

葵が口を開く。

「俊ちゃんはね、私しか愛せないの。私としか未来を描けないの。そういう風に、運命の赤い糸の導きによって定められているから」

ナイフ片手に二人に近づく葵。

「あぁ、俊ちゃん、大好きだよ♡ 今すぐ害虫を殺してあげるからね。だから二人で、幸せになろう♡」

彼女の顔は、完全に陶酔しきっていた。

「死ね!!!」

みどりにナイフを振り下ろした瞬間、葵の右腕の肉片が飛び散った。

「はあ?」

葵が、苛立いらだちと疑問の混じった声を出した。

「いろいろと細工を仕掛けていたみたいですが、まさかお忘れですか?」

みどりが立ち上がる。

「ここは、私の所有物ですよ」

彼女の後方で、真っ黒なドローンが飛翔している。

「ソイツが撃ったのか?」

葵が、ドローンを睨みつける。

「どうでもいいでしょう、そんなことは」

みどりが、この場に不釣り合いな笑みを作る。

「やっぱり俊くんは私じゃなきゃダメだ。こんな下劣どもじゃ、彼を不幸にする」

「あぁ!? もう一回言ってみろ!」

背中のナイフを抜き取り、香澄が吠える。

「あなたたち、頭おかしすぎますよ。息をするように虚言・妄言を吐いて……脳に異常でもあるのか?」

リロードするみどり。

「俊くんはもう、私とお付き合いしているというのに……。やっぱり底辺の人間に、俊くんは相応しくない。お前ら狂ってるから」

みどりがアサルトライフルを構える。

「自分のことを棚に上げて……あなたのほうが、よっぽど妄言癖もうげんへきにまみれているじゃない」

右手にナイフを、左手に毒針を持つ葵。

「なんかもう、言い返すのもダルくなってきた。だからお前らのこと消すね。バイバイ」

ハンマーを振り上げる香澄。


潮風が吹いた。一瞬の静寂にして、最後の静寂。

いよいよ勝負が決する──誰もがそう思っていた。

どこかで、鳥の群れが一斉に飛び立った。

それを合図に、三人が走り出す。


「「「死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」




その瞬間、砂浜に巨大な穴が出現した。

三人が吸い込まれるようにして穴に落ちる。

「チッ、なんですかこれは!?」

「これもお前の仕業か!?」

「そんなわけないでしょう。自分まで落としてどうするのよ」

怒号もむなしく、彼女たちは地の底に呑まれた。

学生三人を余裕で収納した穴は、とにかく大きくて深い。彼女たちは一様に苛立ちを露わにしている。

三人がこぞって脱出を試みていると、途方もない爆音が鼓膜を刺した。そして信じ難いことに、海辺の山から巨大な岩石が雪崩なだれのように転がってきたのだ。岩石は重力に従い、驚異的なスピードで進んできたかと思うと、図ったかのように三人のいる穴に落石した。

「くっ……!」

穴が岩石でふさがれる。

「どうしてあなたたちと暗闇に幽閉されなきゃならないのよ」

「それはこちらのセリフです。汚い空気で窒息してしまいそう」

「あーもう、うるさいな。こんなところにいたら耳が絶命する」

香澄は今日何度目かの舌打ちをすると、

「ウザいんだよこの砂利風情じゃりふぜいが!」

ハンマーで岩石を叩き割った。穴に月光が差す。

「ボクはこのまま脱出させてもらいますよっと」

香澄がみどりを踏み台にジャンプする。その刹那、

「……!!!」

あろうことか、火達磨ひだるまと化した木が、穴にふたをするように倒れてきた。たまらず香澄が穴に押し戻される。

「なによこれ」

「熱い……」

葵とみどりも、目の前の異常事態に歯噛みしている。

パチパチと火花が弾ける音。溶けるような熱。燃え盛る木々によって、再び穴が封印されてしまった。

「山火事でも起きてんのかよ」

あまりの爆炎に、さすがの三人もひるむ。よみがえるのは、学園祭の終幕の記憶。

「下劣どもと一夜を共にするなんて最悪だ」

みどりがつぶやく。

「私だって、害虫と一緒に墓に眠るのは御免よ」

「ボクが欲しいのはセンパイとの時間だ」

三人は相当ストレスが溜まっていたのか、それを発散するように木々に怒りをぶつけた。

「はあ!」

さほど苦戦することなく木々をぎ払うと、今度こそ彼女たちは穴から抜け出した。同時に砂浜に着地する。

すると、待っていましたと言わんばかりにそれが姿を現した──地雷である。地雷は三人の体重を感知すると、一秒たりとも待たずに爆発した。声を出す間もなく全員が衝撃に呑まれる。

砂浜に、黒々とした煙が充満する。夜よりも黒いそれは、見ているだけで恐怖心をあおる。

もはやここまでか。そう思われた三人は、しかし、視界が晴れると傷だらけになりながらも生き延びていた。しかも、全員が武器を構えている。

「危うく学園祭の二の舞になるところだったわ」

「こんなところで死んでいては、俊くんを悲しませてしまいます」

「お前らだけ死んでくれればラッキーだったけど、まあいいや。ボクが一思いに殺すから」

三人が睨み合う。

ピリピリと刺すような殺意。

いびつなまでに膨らんだ愛情と憎悪。


砂浜に横たわった木々が火花を散らしたとき、彼女たちは再び激突する──




「みんな、なにやってるんだよ……」


刹那、三人の動きが止まった。

彼女たちが一様に見つめた先には、一人の青年の影があった。


「なにやってんだよ、みんな!!!」

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