sideA The Reason Why ......

幼い頃の私は、体が弱かった。生来の持病が悪戯いたずらをしては、寝たきりの日々が続いた。満足に学校にも通えなかったから、友達もほとんどいなかった。そんな悲哀ひあいと孤独にまみれた日常で、唯一私の側にいてくれた人──


「けほっ、けほっ……」

「あおいねぇ、だいじょうぶ?」

「うん、だいじょうぶよ。ありがとう、しゅんちゃん……けほっ」


俊ちゃんは、いつも私の側にいてくれた。仕事で忙しい両親に代わって、私の面倒を見てくれた。


「ふぅー、ふぅー……あおいねぇ、おかゆだよ。はい、あーん」

「あーん……っ!」

「ご、ごめんあおいねぇ! あつかった?」

「う、ううん、へいきよしゅんちゃん。ちょっと、びっくりしただけだから」

「そ、そう……? こんどは、もっとふーふーしてから、たべさせてあげるね。ふぅー、ふぅー……」

食事のサポートをしてくれた。


「それじゃああおいねぇ、からだふくね」

「だ、だいじょうぶよしゅんちゃん。それくらい、おねえちゃんできるから……」

「だめだよ! あおいねぇはアンセイにしてなくちゃなんだから」

「からだをふくくらい、びょうにんでもできるとおもうけど……」

「えんりょしないの。はい、せなかからふくね」

「うぅ……はずかしい……」

お風呂に入れない私の体を拭いてくれた。


「あおいねぇ、はみがきするよっ。くちあけて」

「まってしゅんちゃん! さすがにはみがきは、じぶんでできるから」

「ほんとうに? しんぱいだなあ」

「ごしごし……ほら、おねえちゃん、ひとりではみがきできるよ」

「あ! あおいねぇ、ちゃんとスミズミまでみがかないとだめなんだよ! ちょっとかしてっ」

「しゅんちゃん!? まだみがいてるとちゅうだからほぐっ、ほぐっ、ほがぁ……!」

歯磨きまでやろうとしてくれた。


俊ちゃんはいつだって側にいてくれた。暗い人生を支えてくれた、唯一の希望だった。私にとって俊ちゃんは、かけがえのない存在となり、そして“生きる意味”になった。


「きょうね、がっこうでリューセーグンっていうのをならったんだ」

「へぇ、どんなものなの?」

「えっとね、ホシがチキューにおちてきて、バクハツするんだって」

「それは似て非なるもののような……」

「めっちゃキレイだったから、いつかいっしょにみにいこうね!」

「…………」

「どうしたのあおいねぇ?」

「え!? あ、ううん、なんでもないわっ。そうね、いつか……いつか、いっしょに……!」


だから私は──


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「はい俊ちゃん、『葵ねぇの愛情たっぷりらぶらぶハンバーグ』よ♪」

「…………」

「もう俊ちゃんったら、そんなにまじまじと見つめちゃって~。お姉ちゃんの愛情に心を奪われちゃったのね♪」

「まあ感情は失ったよね」


それから数年。徐々に体の調子が良くなり、私はすっかり元気になった。人並みの生活は送れるし、学校にも問題なく通えるようになった。


「じゃじゃーん! 今日の晩ご飯は『俊ちゃん中学校卒業おめでとう! これからもずっと一緒だよ鍋』です!」

「メッセージ風のタイトルやめなさい」

「今日は記念すべき日だからね。お姉ちゃん、たっっっくさん愛情込めちゃいました!」

「だからって具材すべてをハート形にする必要あった?」

「さあ俊ちゃん、お姉ちゃんの愛情、たっぷり胃袋に植え付けて育んでね♪」

「表現がサイコすぎない?」

「はい、あーん♪」

「ちょっ、いいよ自分で食べれるから」

「そんな……お姉ちゃんの料理、嫌いになっちゃったのかな……?」

「いやそうじゃなくて! 食事くらい一人でできるから」

「ならお姉ちゃん一人で食べさせてあげるわ。俊ちゃんはなんにもしなくていいわよ」

「どういう理論!?」

頑張って料理を覚えて、毎日俊ちゃんに食べさせてあげた。俊ちゃんは恥ずかしそうにご飯を食べていて……ふふっ、それがとってもかわいい。文句を言いながらもちゃんと完食してくれて、笑顔で「今日もおいしかったよ」って言ってくれる。お姉ちゃんね、その笑顔のためなら、なんだってできるんだよ……? 




葵:俊ちゃん、一時間目の体育、お疲れ様♪

葵:お姉ちゃんも俊ちゃんのカッコいい姿見たかったなぁ

葵:体育着はお姉ちゃんが洗っておくから、お家に帰ったらちょうだいね

葵:体育の後だからお腹空いたんじゃないかな?

葵:お姉ちゃん、今日も俊ちゃんのためにお弁当にたくさん愛情込めたから、

葵:昼休みにお姉ちゃんが食べさせてあげるね♪

葵:……俊ちゃん、どうして返信してくれないの?

葵:忙しいのかな?

葵:それとも他の人としゃべってるのかな?

葵:お姉ちゃん以外の人と、楽しそうにしゃべってるのかな?

葵:お姉ちゃん嫌だよ

葵;お姉ちゃん、他の人に俊ちゃんを取られたくないよ

葵:ねえ俊ちゃん、お願いだから返事をちょうだい?

葵:じゃないとお姉ちゃん、気が狂ってどうにかなっちゃうよ

葵:お願い俊ちゃん……

葵:俊ちゃん……! 俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん!


俊ちゃんと離れ離れの時は、欠かさずメッセージを送った。俊ちゃんが側にいないのが不安で、怖くて、せめて俊ちゃんの存在だけでも感じられたらって思って。本当は俊ちゃんの声が聞きたい、俊ちゃんの顔が見たい……でも、俊ちゃんが私のために時間を割いてくれていると思うと、どんなメッセージだって愛おしかった。

……だから逆に、俊ちゃんから返信がない時は、どうしようもなくおびえた。俊ちゃんが他の人のところに行っちゃうんじゃないか、俊ちゃんが私を捨てちゃうんじゃないかって。あぁ俊ちゃん、私の愛おしい俊ちゃん……今すぐにでもかごに入れて、赤い糸で縛ってしまいたい……。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「センパイ、今日も一緒にお昼食べましょう!」

「香澄、お前また来襲したのか?」


あの女は誰?


「ボクがいないと、センパイ寂しくて死んじゃうじゃないですか~!」

「あぁ^~心がぴょんぴょんしないんじゃぁ^~」


どうして俊ちゃんと楽しそうに話してるの?


「さあセンパイ、ボクにご飯を食べさせてくださいっ」

「お前はペットか?」


俊ちゃんは私だけの存在。


「センパイ、ボクと愛を育みましょう!」


あの女を排除しなくちゃ──






「さあ、俊ちゃん、一緒に帰りましょう」

「センパイと帰るのはボクだ!」

夜の学園。部活帰りの俊ちゃんを待っていたら、あの女が俊ちゃんと帰ろうとしていた。


許せない──そこは私の特等席。


許せない──俊ちゃんは私だけのもの。


許せない──私以外の女は、


消してしまおう。


「……ずっと不快でたまらなかったのだけれど、あなた、いつまでそうやって俊ちゃんに引っ付いてるつもりなのかしら?」


消えろ。


「ボクたちは永遠に一緒ですよ。朝も昼も夕方も夜も深夜も、なにをしていたって、どこにいたって一緒です」


消えろ消えろ。


「……今すぐ俊ちゃんから離れなさい。これ以上、俊ちゃんが汚らわしい女に毒されるのなんて、絶対に許さない……!」


消えろ消えろ消えろ。


「そっちもどうやらやる気みたいですね……」


消えろ消えろ消えろ消えろ。


「ええ、そろそろ白黒はっきりさせましょうか……」


消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。


「どっちが俊ちゃんにとって必要ない存在か……!!!」

「どっちが俊センパイにとって必要ない存在かっっっ!!!」


消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!!!!






「センパイ、部活に行きましょう!」

今日もあの女は俊ちゃんにへばりついている。本当に目障りな女。あの日は邪魔が入って始末し損ねた。かといって、また刃を交えるような真似をしたら、俊ちゃんが心配してしまうだろう。なら──


「これより、学生会会議を始めます」

「この度、我が学園のさらなる発展のため、学園全体を挙げて部活動のサポートに尽力する運びとなりました」

「つきましては、近年成長が目覚ましいと思われる陸上部について、充実した環境を提供すべく、男女それぞれに専用の更衣室を設けることとしました」


俊ちゃん、大丈夫だからね。害虫駆除は、全部お姉ちゃんがしてあげるから。だから、他の女なんか棄てて、お姉ちゃんだけを見てて?

お姉ちゃんも、俊ちゃんだけを見ているから。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「葵さん! 葵さん!!!」

「あら、どうしたのくーちゃん。そんなに慌てて……俊ちゃんっっっ!!!」

「帰り道の途中で俊を見かけて……そしたらこんなにボロボロで!」

「そんな、どうして……俊ちゃん、聞こえる!?」

「意識もないみたい……」

「……そ…………んな……」

「ひ、ひとまずベッドに寝かせましょうっ。それから傷の手当ても」

「しゅん…………ちゃ、ん……」

「葵さん! 気を確かに持って! このままじゃ俊が辛いだけよ!」

「……! そうね、くーちゃんの言う通りね。俊ちゃんを二階のお部屋まで運ぶわ」

「手伝います」


あの日、俊ちゃんは傷だらけで帰ってきた。……ううん、帰ってきたなんて到底言えないほど、ボロボロだった。くーちゃんが助けてくれなかったら、今頃どうなっていただろう。想像するだけで吐き気が湧く。


「とりあえず、応急処置はこんなものか……」

「ありがとう、くーちゃん」

「私は当たり前のことをしただけですよ」

「それでも、くーちゃんがいなかったら、俊ちゃん危なかったでしょうし。いいえ、俊ちゃんだけじゃなくて、私も……」

「葵さん……」

「今日はもう遅いわ。後は私がやるから、くーちゃんは帰って大丈夫よ」

「そんな、隣の家なんだし気にすることない……! 私も──」

「ごめんねくーちゃん。ちょっと、二人きりにしてほしくて」

「葵さん…………。わかりました、今日は帰ります」

「……くーちゃん、本当にありがとう」


それから先のことはあまり覚えてない。絶望感とか、喪失感とか、無力感とか、そういった感情に頭も心も支配されて、ただ俊ちゃんの顔を見ることしかできなかった。


「俊ちゃん……」

声をかけても返事はない。このまま一生目を覚まさないんじゃないかとすら思う。私が望んでいた永遠は、こんなものじゃない。俊ちゃんが私だけを見て、私だけに笑いかけてくれて、私だけを愛してくれる……私が望んでいたのは、二人だけの幸せな未来だ。


どうしてこうなった?

誰が俊ちゃんを苦しめた?

誰が私から俊ちゃんを奪おうとした?


絶対に許さない。私はお前を許さない。たとえ世界を敵に回したとしても、私はお前を消す。たとえ世界を敵に回したとしても、私が俊ちゃんを守る。たとえ世界が私たちを否定したとしても──


私が俊ちゃんを愛する。


ペンダントを握る。俊ちゃんがくれた大切な宝物。


私が苦しい時は、いつも俊ちゃんが側にいてくれた。

私が不安な時は、いつも俊ちゃんが笑わせてくれた。

私を救ってくれたのは、いつだって俊ちゃんだった。

だから今度は、私の番だ。私が俊ちゃんを守る番だ。


「俊ちゃん…………」

もう一度、俊ちゃんに声をかける。しかし募るのは、無音の絶望感だけ。永遠にも思われるその黒くて鈍い感情に耐え切れず、私は吐物を撒き散らした。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「とにかく、雨が弱まるまではここで──」

「それじゃ、ちょっくらダッシュしてくるね」

「あ! 待ちなさい俊ちゃん! お姉ちゃん本気で怒るわよ」

「お説教なら後で聞くから、そこで待っててよ~!」


雨の中、傘も差さずに俊ちゃんは駆けていった。

「まったくもう……」

こっちの心配などお構いなし。あの日以来、私は俊ちゃんのことが心配で心配でたまらないというのに。

俊ちゃんにまたなにかあったらどうしよう。

俊ちゃんがまたボロボロになって帰ってきたらどうしよう。

俊ちゃんが帰ってこなかったらどうしよう……。

脳裏をよぎるのは、そんな不安ばかりだ。


ペンダントを握る。私にとっておまじないのような行為。

こうしていると、いつでも俊ちゃんを感じられる。冷たい雨の中でも、心はあたたかくなってくる。

俊ちゃんは本当に優しいね。お姉ちゃんが風邪を引いたら大変だからって、自分の身をなげうってくれたんだよね。今日のお買い物だって、お姉ちゃんの負担を減らすために手伝いを申し出てくれたり、重い荷物を代わりに持ってくれたり。そういうのって、特別取り立てるほどのことじゃないのかもしれない。でもね、そういう小さな優しさが、お姉ちゃん本当に嬉しいんだよ。お姉ちゃんのことを思ってくれてるんだって、実感できるから。


優しい俊ちゃん。

勇気ある俊ちゃん。

あたたかい俊ちゃん。


ペンダントを強く握り返す。


お姉ちゃんは、そんな俊ちゃんのことが──


「お待たせ、葵ねぇ」

俊ちゃんが、帰ってきてくれた。

「もう……お姉ちゃんを心配させないで…………」

びしょ濡れになった俊ちゃんを、離さないように抱きしめた。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「はい俊ちゃん、『テストお疲れ様! お姉ちゃんの心も解読して鍋』よ♪」

「タイトルに無理がある」

「俊ちゃんが手伝ってくれたから、とってもおいしくなってるはずよ」

「料理なんて久しぶりだったから、ちょっと不安かな」

「そんなことないわ。それじゃあ、冷めないうちにいただきますしましょうか」

「そうだね。いただきます」

「はい俊ちゃん、あーん」

「葵ねぇは本当に懲りないね……」

「ふふっ、当たり前よ。お姉ちゃんまだ、俊ちゃんに恩返しできてないんだから」

「恩返し? なんの?」

「お姉ちゃんにたっっっくさんの愛情を注いでくれた恩よ♪」

「身に覚えがないんですけど」

「ふふっ、俊ちゃんは本当に優しいのね。ほら、お口開けて。今度はお姉ちゃんが愛情を食べさせてあげるから」

「……一口だけだよ」

「ええ、わかってるわ」

「それじゃあ、あーん……って、このニンジン、いつの間にハート形になってるの!? 俺が切ったはずなのにっ」

「まあ嬉しいわ。俊ちゃんがお姉ちゃんを想ってハート形にしてくれたなんて♪」

「身に覚えがありません!」


文句を言いながらも、やっぱりおいしそうに食べてくれる俊ちゃん。こうやって笑顔で食卓を囲める日が来るなんて、小さい頃の私には想像もつかなかっただろう。“当たり前の日常”を当たり前にしてくれたのは、他でもない、いつも側で支えてくれた俊ちゃんだった。


ペンダントを握る。

俊ちゃんはたくさんのものをくれた。勇気や希望、そして“生きる意味”を。

今度は私の番だ。

私は俊ちゃんに、なにかをあげられているかな? 不器用な私にはわからない。

それでも私は決めた。一生をかけて、俊ちゃんを守り抜くと。


俊ちゃん、大好きだよ。


俊ちゃん、ずっと一緒だよ。


お姉ちゃんが、一生愛情という名の籠に閉じ込めてあげるからね。


だから笑って。


お姉ちゃんだけを見ていて。


お姉ちゃんだけを愛して。




そのためならお姉ちゃん、どんなことだってするから。


たとえ世界を敵に回したとしても。


たとえ他でもない俊ちゃんが、それを否定したとしても。

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