第37話 母の真実

 左手でこめかみを支えるようにして瞳を閉じて話す。それは柊悟の母・七菜香が苛ついている時に見せる癖だった。


「もう、テキサスの叔父様には連絡をしてあるから、貴方たちは明日の便に身一つで乗るだけでいいの。空港までは迎えが来てくれる段取りになっているし、学校も向こうで通えるように手配を進めているわ」

 今すべき事だけを説明し、理由は最後。それが母の話し方の特徴だった。


「何故、明日叔父さんたちの所に行かなきゃいけないんだよ」

「これは、親としての命令。とにかく直にここを出る準備をしなさい」

 今回は理由すら説明するつもりが無いらしい。


「イヤだね。四葉や俺にだってコッチでやりたい事くらいある」

 相変わらずの物言いにイラつきを覚え、思わず強い言葉が出る。真横にミヤケンがいたが気にはしなかった。

「サッカーならアメリカの方が質の高いものが出来るわ。FIFAランキングだって日本より上でしょ? 四葉の得意な絵だって、あの子の好きなレイコ・ヤギシタさんが活躍しているアメリカむこうの方が刺激があるはずよ」

「そういう事じゃねーよ。四葉はまだ小学生だ。いきなりの環境の変化が良い影響を及ぼす訳ねーだろ?」

 FIFAランキングや四葉の好きなイラストレーターの情報まで知っているのは意外だったが、その分かったような口ぶりが怒りを呼び、柊悟は母に強い視線をぶつける。


「…… 四葉あの子は、いい意味で図太いし、なにより貴方が傍にいるのであれば問題ないわ」

「だから、そうじゃなくてさっ!」

 四葉が下の子特有のしたたかさやタフさを持っているのは、母に指摘されなくとも長年兄妹をやっているのだから理解はしていた。


「なら柊悟は何が問題だと言うの? 反論するなら理由を示しなさいと教えてきたでしょ? 」

 昔からそうだった。なんにしても理由を求められた。

 猫を飼いたいと言った時も、夏休の宿題をやらなかった時も、家の花瓶を割った時も、四葉の学級参観に行って欲しいと頼んだ時も。


「俺たちを捨てておいて、今更母親ヅラすんなっ!」

 感情に任せ言葉を放った言葉に一瞬、母親の顔に影が差し、それを感じ取ってしまった柊悟の身体の奥にも、苦さにも似たキリキリとした痛みがが走る。


 ――― 沈黙


 夏の夜の黒が湿度の高さと相俟って、首筋に纏わり着きただひたすらに居心地を悪くする。


「生意気だね、このは!」

 聞き覚えのある濁声と共に柊悟の頬に痛み。それが沈黙を破る。つねられている。かなりの力で。それは即座に理解できた。


「ちょいとばかり、男前だからって調子に乗るんじゃないよ! 半人前にもなっていない分際で母親に生意気な口を聞きやがって、ちょいとコッチへおいで!」

 岩楠フネは頬を抓る指に更に力を込め、柊悟を引きずるように廊下を奥へと進んで行く。


「…… っつ!」

 大声を出す訳にも、ましてや力が籠ったままの老婆の手を弾く訳にも行かない柊悟は成す術もない。


「ホラっ! ぼさっとしてないで母親のアンタも来るんだよ」

「えっ⁉」

「 “えっ⁉ ” じゃないよ。早くしな!」

「は、はい」

 生まれて初めて見る他人に押し切られる母を視界の隅に捉えながら、柊悟は岩楠フネに頬を抓られたまま、屋敷奥にある座敷へと進んでいった。



 ************************************


「ったく! 男の分際で人の屋敷の前でギャーギャー喚いて、みっともない!」

 岩楠フネは吐き捨てるように柊悟を叱りつけると、その頭を平手で叩き、どっさりと大きな座椅子に腰を下ろした。


「アンタらも腰を降ろしな」

「…… 」

 人に頭を叩かれるなど、いつ以来だろう。柊悟はそんな事を考えながら、母が腰を降ろす姿を横目で捉えつつ、それに倣う。


「ご挨拶が遅れ申し訳ありません。私は鳥飼…… いえ、藤原七菜香と申します。ご指摘のようにこの子の母でございます。お騒がせをして申し訳ありません」

 母親が自分の事で他人に頭を下げる居心地の悪さ。柊悟の口の中で魚のはらわたを飲み込んだかのような苦みが広がる。


「まったくだよ。で、諍いの原因は何だい。やり取りを見る限りアンタらは親子なんだろ?」

 皺だらけの顔でこちらを覗きこむ様に話すその姿は、妖魔か深い森に棲んでいる魔女のようでかなりの迫力だ。


「私は自分の子を護る為にここに参りました」

 母から飛び出した意外な言葉。


「護る?」

「はい」

 返答の後、瞳を閉じて静かに一呼吸置く母を見て柊悟はイヤな予感が過ぎる。なぜならば、それは覚悟を決めて何かを語る時の母の癖なのを知っているからだ。


「おばあさまも、そしてこの家にいる方たちも、お早めに関東から、出来たら日本から離れる事をお勧めいたします」

 今すべき事だけを説明し、理由は後。

「何故だい?」

 当然、老婆は問う。

 母は再び瞳を閉じ一呼吸置くと、こう言い切った。


「10日以内に富士山が噴火致します」


 *************************************


 ――― 富士山が噴火


 母から飛び出した途方もない言葉。むろん母が冗談を言うような性格で無いのは良く知っていた。おそらくは確証があるのだろう。


「…… その論拠は?」

 意外と言っては何だが、岩楠フネは落ち着いた様子で淡々と聞き返す。


「私は大学で月と地球の関連性について学んでおります。月で起こる振動『月震』とその共鳴とも呼べる富士山周辺の地殻変動が研究テーマです」

 母の専門分野が月である事は知っていたが、その研究テーマがロマンチシズム漂う科学サイエンスなのが意外だった。


 母は続けた。


「ここ最近の電波障害や東海・関東地方に頻発する地震に加え、過去のデータなど全てを分析した結果、あと10日以内に月で大きな月震が起こる事は間違いないと思われます」

「月で地震が起きようが私らの生活は問題ないだろう?」

 そう返した岩楠フネの声は淡々としていたが、その年老いた瞳には悟りにも似た落ち着きが漂っていた。何か思う所がある、そんな目だ。


「いえ、問題はあります。正確に言えば、これから起こってしまいます。『月震』が起こる時、富士山は必ず共鳴現象を起こしています。そして解析を進めていくうちに今回の共鳴現象は江戸時代中期に起きた『宝永大噴火』の時よりも大きなモノになるとの結論に至りました。ですが、私の解析が甘かったのか、数年先と思われた噴火が、ここ数日急に強まった月から出る電磁波の影響で富士山との共鳴率が上がり続けて…… このままで行くと10日以内にそれが起こると昨日分かり…… 」

 珍しく言葉を濁す母の姿がその真実の重さを示していた。


 富士山が噴火するともなれば関東一円、いや日本は大災害に見舞われる事になる。インフラは壊滅状態になり、物資の不足なども起こり生活が激変する事は高校生の柊悟にもすぐに想像できた。


「アメリカに行けって言うのはそれが理由なのは理解できたよ。だけど、そんな事TVでも報道されていない」

 当たり前過ぎる感想なのは分かっている。


「関係省庁には働きかけたわ。だけど、どこも取り合ってすらくれない。それでも柊悟、私はこの結論については絶対の自信があるの。全てを捨ててまで重ねて来た研究だから…… 」

 俯き、そこから先を濁す母が柊悟の目にはなぜか寂しそうに見え、柊悟は母親から視線を逸らした。


 逸らした視線の先にあった古いゼンマイ式の柱時計は午後9時半を示しており、時間をげとばかりにカチカチと音を刻む。



「アンタ、先生のクセに説明が下手だねぇ。いや、言葉が少し足りないってやつかい? 大事な部分を省略し過ぎで、この坊やに一番大事な部分が伝わっていないよ」

 何秒間があったのだろう、ふいに聞き覚えのあるフレーズを交え岩楠フネがため息を漏らす。


「えっ⁉」

 思わず声をあげたのはその言葉をよく指摘される柊悟だった。


「あんたが家を出て旧姓に戻したのは、男どもが幅を利かす社会でのし上がらなきゃいけなかったからだろ? それに富士山が噴火する事を昔からある程度予測出来ていたアンタは、研究結果を発表すれば自分だけでなく、ダンナや子供たちまでもが、世の中から袋叩きに遭う事も分かっていた。だから関係性を少しでも薄める為、籍までも抜いた。違うかい?」

「…… 」

 母・七菜香は沈黙している。柊悟には驚きという以外の言葉が無かった。だが、全てが腑に落ちてしまった。


「黙っているって事は外れてはいないってやつだろうね」

「…… 」

 

「分かったかい? 坊や」

「…… 」

 強烈な皮肉にも、柊悟には返せる言葉が無い。


「やれやれ、今度はふたり揃って照れだしてるよ…… しかし、『藤原』の血を継ぐ者が『天野玉桂流』をたずねる……か、これが『えにし』というヤツなんだろうね」

 岩楠フネは意味ありげにそう呟くと、小さな笑みを作って見せた。


「アンタたちは『竹取物語』って知ってるかい?」

「今はむかし、竹取の…… からはじまる日本最古の物語の事ですか?」

 柊悟は今日図書館で読んだ竹取物語の冒頭部分を静かに繰り返す。


「あの竹取物語は市井しせいの人間から見た言わば三人称の物語さ。真実の竹取物語「かぐや姫」のお話しは、もっと辛く切ない物語なんだ。が言っている富士山の噴火にも繋がる話だからよく聞くんだよ」

 おそらくこの話しの向こうに箱の謎、真咲の出生の秘密がある。それを確信した柊悟は母が頷くのを待ってから自身も静かに首を縦に振ってみせた。


 岩楠フネが今まで見せた事の無いような優しい視線を投げかけて来た。


「じゃあ、話すとするかね。『天野玉桂流』家元が代々口伝で引き継いでいる『真話しんわ赫夜姫伝かぐやひめでん』を…… 」

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