紫陽花に遭う

 冗談みたいに冷たいんだ。


 薄い板だけを組み合わせて作ったようなボロボロの東屋、そこにあった備え付けのベンチに腰かけて、あたしはぼんやりとそんなことを考える。


 もう六月なのになぁ。


 不満不平と、ちょっとした希望を込めてそんな風に心の中でぼやくけれど、そんなことで気温が変わるなら苦労はしない。冷えた体にまた少し雨混じりの風が吹き付けてくるせいで、あたしは身震いしてしまう。

 誤魔化すように両足をバタバタと軽く揺らすけど、そのたびに濡れたスカートが足に巻き付いて気持ち悪い。


 本当にもう、これだから雨の日は嫌い。

 濡れるし、汚れるし、洗濯物は干せないし、気圧のせいで頭だって痛くなる。こんな日に出かけようなんて言い出す人の気が知れない。


 ……なんて。

 そんなこと言うくせに、結局あたしもこうして外出しているわけなんだけど。


 はぁ、とため息。

 ほんと、ガラじゃない。今すぐにでも家に引き返してしまいたい。

 けど、できない。あの子のせいで。


 思えばあの子と付き合い始めてから、ずっとペースを乱され続けている気がする。


 起きる時間は、一人の時より30分も早くなったし。

 せっかくの休日なのに、布団干すから、って言って寝床から追い出されたりするし。

 時々、デートって言って外に連れ出されるし。

 他にも、文句を言えばキリがない。付き合い出す前、沈んだ表情でため息をついていたのはあの子の方だったのに、今ではそれはすっかりあたしの仕事だ。


 ため息をつくと幸せが逃げる、なんて言う。

 じゃぁ、あたしの幸せは逃げてしまったんだろうか。


 さっき吐き出した幸せがまだそこに残っていないかと、ぼんやり天井を眺める。その間にまた、ゆっくりと時間が流れていく。


 帰ろう。

 このままここにいてもしょうがないし。


 元が気まぐれなのだ、飽きるのも早い。

 思い立ったあたしはそのまま立ち上がって、折り畳み傘を開く……が、東屋を出る寸前に、雨脚が強まりだす。


 うへぇ、と呟く。あたしのちょっとした決心はそうして実にあっさり挫かれる。

 これじゃ帰ることも、彼女の元に向かうこともできやしない。


 やっぱり家でじっとしてるんだった。

 そう思うのに、なんでかそれほど後悔も絶望も出来ていない自分に気付いてしまう。


 何故だろう。

 やっぱり雨は嫌いだし、気分も沈んでいるし、全部全部本当のことだというのに。


 ……なんて。


 戸惑ったふりをしてみたって無駄。

 なにをどうしたところで、「でも、好き」が後ろに続いてしまうのは経験則で理解している。


 今だって、ほら――アジサイ。

 立ち上がって、そこから見えた小さく白い花弁の集まり。そこに、ふとあの子の姿を思い出してしまって。ああそっか、今朝あの子、白い服着て出てったな……なんて思ってしまう程度には、あの子の存在は私にとってはもうごくごく自然なもので、どうしたって欠かせないものになってしまっている。


 思えば最初から、わかっていたのだ。今までだって散々こんなことがあったのだから。

 あたしの体調がすぐれない、なんていつものことに、あの子はいつも「いいよ」って言ってくれて、だけどたまに我慢できなくなったみたいにちょっと怒って家を飛び出して。

 そしてそういう時いつも、あたしは彼女のことを追いかけてしまうのだ。


 それを、あぁもう、なんて思うことはあるけれど、不幸な役回りだ、なんていうつもりはない。

 だってそれ込みで、でも好き、をやっているのだから。


 だから。


 そっと手を雨の中に差し出す。冷たい雨粒が手の甲で弾けて、残った水滴が地面に垂れるよりも早く次の雨粒が手を打つような、だけどそれでもさっきよりは少し弱まったような気がする、そんな調子。だからきっと、小さな傘でも歩くのに無理はない。

 そしてそういうときあたしがどうするか、なんてこと、あたしが一番よく知っている。


 あたしは濡れたスカートをつまんでその重さにうんざりして、それから傘を再び開いて、最後に大きくため息をついて、それでもやっぱり、できるだけ濡れないようには気をつけながら――ゆっくり、雨の中を歩き始めるのだった。

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紫陽花に想う 九十九 那月 @997

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