蒼月の交響曲

由希

第1章 総ての始まり

第1話 目覚め

 ――目を開けて、初めて見たものは、淡く蒼く輝く大きな月だった。

 何故それを、すぐに月だと思えたかは解らない。

 けれど僕の目は、頭は、心は、疑う事なくそれを月だと認識していた。

 月とは何であるのか、それすらも疑問に思わないまま。


(ああ……綺麗だな)


 代わりにそんな思考が脳裏をよぎって、僕の意識は、また闇の中へと溶けていった。



 ……暖かい、眩しい光が、僕の瞼をくすぐった。

 それに誘われるように、僕はゆっくりと目を開く。

 まず見えたのは、不規則な木目の並ぶ天井。次いで、右の壁にある古木の窓枠。

 そこまで見て、僕は、やっと自分がベッドに寝かされていると気が付いた。


「ここは……」


 身を起こし、もっとよく部屋の様子を確めようとする。こんな場所は、知らない。それがまず、僕が思った事だった。

 けれどその前に、額から何かがずり落ちて僕の視界を一瞬奪った。


「わっ……」


 反射的に、胸の辺りに落ちたそれを拾う。見ると、それは乾きかけの小さなタオルだった。


「タオル? 何で……」

「あっ……!」


 不思議に思う僕の耳に、驚いたような声が響いた。僕は視線を、タオルから声がした方へと移す。

 開いた部屋の入り口に、誰かが立っていた。縛らず下ろしたままの、栗色の長いストレートな髪。僕を真っ直ぐに見つめる、大きく見開かれた緑の瞳。襟元と袖口だけが白い、紺色の長袖のワンピースの胸元には、見た事のない形のペンダントが飾られている。それは、若い少女だった。


「あなた……目を、覚ましたの……?」


 少女が、恐らくは僕に向けてそう問い掛ける。僕はどうしていいか解らずに、ただ小さく頷くしかなかった。

 真っ向から、少女と視線がぶつかる。そして、僕の見ている前で、その表情はみるみる解れ、笑顔に変わっていった。


「良かった! 一時はどうなるかと……。だってあなた、ここに運び込まれた時はそれはもう酷い熱で、私、心配で心配で……あっ、そうだ! 神父様にもあなたが目を覚ましたって伝えなきゃ!」


 少女はそう一気に捲し立てると、踵を返し、僕が呼び止める間もなくあっという間に部屋を飛び出していってしまった。僕はそれを、ただ呆然として見送る。


「……なんだか、忙しい子だなぁ……」


 呟いて、改めて辺りを見回す。部屋は一人部屋のようで、他にベッドはない。後は、ベッドの左隣に小さなランプの置かれた鏡台があるだけの簡素な部屋だ。

 ベッドから足を下ろし、床に着ける。剥き出しの木の床の冷たい感触が足の裏に伝わって、少しだけ僕を冷静にする。……どうして、僕は、こんな所にいるのだろう。

 眠る前、僕は何をしていただろう。どこにいて、何をして、どう眠り……。


「……あれ……?」


 そこで、僕はやっと気が付いた。……何も思い出せない。

 目覚める前何をしていたのか、いやそれよりももっと前の記憶も、自分自身の名前すらも……。


「僕は……誰だ……?」


 そんな呟きが溶けた空気が、何だか急に冷たくなったように感じた。

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