星よ、聴いてくれ

 決まって頼むのは、店で一番不味い薄味のハイボール。俺はプラスチックのカップの淵に口を付け、狭い箱の中へと足を踏み入れた。


 百人そこらの規模であろうこの箱の中に数十人が詰め込まれ、ステージ上で重低音を掻き鳴らす名も知らぬ青少年達に無数の視線が注がれる。吊り下げられたミラーボールが時折ステージライトを反射させ、視界の端でチカチカとはためく微かな光がうざったい。人工的なその光は壁や天井に疎らに散らばって、なんかプラネタリウムみたいだな、と考えてバカバカしくなった。

 薄味のハイボールを喉に流し込み、ステージ付近に群がる観客から少し離れた壁際に凭れ掛かる。スピーカーから爆音で放たれる重低音に五臓六腑ごぞうろっぷがばくばくと震える様は嫌いじゃない。俺はどこか遠くを見るような目で、大して上手くも無いロックバンドのステージを見ていた。


「……へったくそ」


 思わず零れ落ちた呟きも、はらわたを震わす爆音によって掻き消されてしまう。おそらく真横で同じステージを見つめている女にすらも聞こえていないだろう。

 ギターも、ベースも、ボーカルも。まだまだ粗雑で見れたもんじゃない。インディーズとは言え酷いものだと心底呆れた。──しかし何故、そんな彼等がこんなにも眩しく見えるのだろうか。


「大人になんかなれやしない」

「いつまでだって夢を追いかける」


 そう唄う彼等から、俺は目を逸らした。


「……バカバカし、」


 再び呟き、不味いハイボールを一気に呷る。ドリンク代で五百円も徴収する割に、流し込んだそれは水とまごうような透明な味しかしないのが更に苛立つ。

 沸き立つ数十人の観客を後目しりめに、俺はミラーボールの光が散らばる箱の中から出た。氷のみが残されたプラスチックのカップをバーカウンターに置き、重たい扉を開いて小さなライブハウスを後にする。


 外に出てすぐに火を付けた煙草は冷たい風に攫われ、暗い空へと消えて行った。冬の空気の中に溶け行く煙を吐き出しながら、俺は錆びれた階段を気だるげに降りて行く。


 ──なあ、いつまで夢見てんだよ。


 数ヶ月前に告げられたその言葉を思い出してしまい、煙と共に舌打ちが漏れた。不味い煙が喉を通って、体内を巡る。


 大人になんか、なれやしなかった。いつまでだって淡い光を目指して走っていた。

 指先で夢を奏でて、喉を震わせて、周りの期待や信頼をかなぐり捨ててでも、光の先を目指したんだ。


 いつの間にか、二十代を折り返して。

 夢を描く絵の具の色が、少しずつ渇いて変色していた事にすらも──気が付かないくらいに。


「……バカバカしいな」


 本日何度目かの言葉に思わず嘲笑が漏れかけ、俺は素早く煙草で蓋をする。通りを歩く人々の波間をすり抜け、やがて短くなった煙草の火をスニーカーの踵で揉み消した。

 ふと頭上を仰げば、雲一つない冬の空が視界に入る。今朝方ネットのニュースで見たが、何やら今夜は流星群なのだとか。しかし空に散らばって然るべき星々の姿は都会の灯りに掻き消されて、疎らな一等星がほんの僅かにまたたくばかり。プラネタリウムには程遠いな、と俺は目を細めた。


 ──今頃本当は、あの空に無数の星屑が流れているのだろうか。夢破れて薄汚れた、俺の目には見えないだけで。


「……」


 俺はふと足を止め、ポケットに手を突っ込んだ。そこに眠る薄っぺらい夢の残骸が指先に触れて、そっとそれを握り込む。

 ポケットから抜き出した手はそのまま頭上に大きく振りかぶった。人の姿すらも消えた、寂れた細い路地の裏。俺は手の中に握り込んでいたそれを暗い空に向けて投げ放つ。


 大人になんか、なりたくなかった。

 ずっとあの光の中にいたかった。


 だからだろうか。

 まだ夢の中にいる若くて下手くそなロックバンドのステージが、俺にはもう、眩し過ぎて見れないんだ。


(なあ星よ、もしそこに居るなら聴いてくれ)


 ──いつまでも捨てきれない、この過去の夢を。どうか綺麗に忘れさせてくれよ。


 暗い空に投げ放った、使い古して塗装も剥がれた俺の淡い夢ピック。それは見えない星に攫われて、どこか遠くで光る星々の元へと、音もなく消えて行った。



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