第22話夢はヒトに寄り添いて

 小波さざなみのように、稲穂が揺れる。


 日の国が世界に誇る帝都、夕京。

 先の大災害、【霊境崩壊】によって多くの区画が彼岸に落ち、空からは太陽さえも奪われてしまった。

 それでも人の営みは続いていて、当然ながら食わなければ生きてはいけない。


 そのため、多くの農民たちは避難もそこそこに家へと戻り、自らの唯一の財産である田畑の手入れを行っている。


 危険だし推奨はできないが、彼らの成果は生活には欠かせない。もし瘴気が漂う田畑の全てを放棄したなら、日の国の住人たちはその四分の一が飢えることになるだろう。

 だからこそ、常に牽制し合う陛下と軍部は、その点に関しては珍しく手を取り合っている――『農業地帯の奪還、及び、その維持に戦力を惜しむべからず』、両勢力に徹底された不可侵条約は、民間人に蜜月の幻想を抱かせるほどであった。


「だからこそ」

 身の丈よりも長い大太刀を携えて、花守、戸上想苗は稲穂を眺めながら言う。「人々は気軽に相談して下さいます――田畑の異常を、気後れせずに伝えてくださるのです」


 周囲に、人影はない。

 にもかかわらず、彼女の声は囁きというには些か大き過ぎた――ざわわざわわと揺れる稲穂の波音に掻き消されぬよう、声を張っているようでさえあった。


 


「……えぇ、そうですね」

 あまつさえ、彼女は頷いて見せた。「厄介事の種を、蒔かれやすい土壌とも言えます」


 相変わらず、想苗以外の誰の声も聞こえはしないし、彼女の回りには人影もない。彼女自身の影が、傾く夕日に長く伸びているだけだ。


 彼女はただ独り。

 稲穂を見ながら、帯びた大太刀の鞘を、あやすように撫でている――満面の笑みを、浮かべながら。


「あら……駄目ですよ、【金宝】」

 彼女にしか解らぬ名を呼び、笑う。「面倒などと。厄介の種が、実を結ぶ前に掘り起こせるのだから御の字というものでしょう?」


 答えはない、姿もない。

 ただ一人と稲穂の群れが、夕日に照らされて立ち尽くしているだけの光景だ。両者の想いは同じ――人も稲も、収穫時を待ちわびている。


 涼しさより寒さが増してきた風に少年のような断髪をただ揺らしながら、想苗は静かに、実る時を待っている。


 ――は、夕日が沈むと同時に現れた。


 薄紫色の一際強い輝きを残して夕日は地平の先へと沈み、その瞬間を待ち構えていたかのように、世界は変貌を遂げる。


 秋の夜風は瘴気に、その風に揺られる金色の海は青白い腕に。

 案山子は、枯れ木に磔にされた白骨死体。

 ぼろの切れ端で辛うじて、どうも軍警らしいと判断がつく――参謀様が内密にと告げたのは、軍警からの圧力ゆえだったのか。


「相談に応じて様子を見に来て霊魔と遭遇、為す術もなく、といった具合でしょうか」

 想苗は目を閉じ、両手を合わせる。「……哀れ。善意で動く者ほど、悪意に狙われしまう」


 ――すみません、勇気ある軍警殿。花守とはいえ、私は貴方の魂を導くことは出来ないのです。そこつ者とお笑いください、私は、斬ることしか能が無いのです。


 からら、と髑髏しゃれこうべを鳴らしたのは果たして風か、それとも彼の無念か。

 いずれにしろ。

 目を開けた想苗はもう、己の役目を果たすという決意だけ心に満たしている。


 すぅらりと引き抜きたるは、身の丈を越すほどの大太刀。その鬼灯丁子の波紋が、霊力を受けて黄金色に輝く。

 誘われるように、腕がざざあと伸び上がり、襲い掛かった。その彼岸の津波を見上げながら、想苗は笑いながら名乗りを挙げる。


「戸上家当主代理、想苗。花守として、この地をヒトに取り戻す。さあ――お手拝見と参りましょうか……っ!!」









「……霊魔の討伐、及び行方不明者捜索の任、御苦労でした、想苗殿」


 資料を捲る手は止めず、こちらをちらりとだけ見てそんな、機械的な労いの言葉を掛けてきた花守隊参謀の姿に、想苗は微笑みながらも心配になってきた。


 忙しいのだろう、手と視線を忙しなく動かしながら、ぶつぶつと何事か呟いている。

 大規模な作戦でもあるのだろうか。活動の、そして戸上家の名を売る機会を想苗は期待したが、参謀様の態度を前に、その期待は水に浮かべた泥船のように瞬く間に消え失せていく。

 当代屈指の名参謀殿がこれほど真剣に練る策だ、名も無き花守の奮戦に掛ける銭はびた一文無く、夕京五家の何れかに任せる筈。


 ――まあ、仕方がないですね。


 当主が、妻が代理を務めるような家だ。

 精々が露払い、こうして直接お目通りを許されるだけでも有り難い。こうして顔と名前だけでも覚えてもらえば、お声が掛かりやすくなる。


 そして、機会さえ増えれば。

 給金に期待が持てれば。

 戸上家復興の目処も立つというものだ。


「……未だ何か?」


 いつの間にか参謀様は手を止めて、想苗の方を見ていた。

 いつまで経っても退出しない木っ端花守に業を煮やした、訳ではないことくらいは想苗にも読み取れた。彼の目には苛立ちも好奇心も浮かんでおらず、ただ、こちらを値踏みする鑑定士のような鋭さだけがある。


「え、あ、えぇと……」

 思わずしどろもどろになりながら、想苗はとにかく手を差し出した。「すみません、ご迷惑を……」

「…………?」


 参謀様は、珍しく不思議そうに、想苗の手を見詰めている。

 想苗も、そんな参謀様を不思議そうに見詰めた――


「ほら……

「……けい……?」

「申し訳ありませんでした、参謀様。時期当主ともなるのだからと、花守隊の本拠地を見学させようと思ったのですが……、ご迷惑をお掛け致しました」


 ほら、と。

 誰かに何かを促すような仕草の後、想苗は深々と頭を下げた。


「申し訳ありません、二度とここには……」

「『けい』とは、戸上蛍のことですか?」

「ご存じですか……流石は参謀様、情報網は張ってあるというわけですね。はい、戸上家長男たる我が子、蛍です」

「……彼が、ここに?」

「? えぇ、


 何故だか、参謀様は顔をしかめながら立ち上がると、慎重な足取りで想苗の方に近付いてきた。

 目の前にまで着くと、ちらり、近くに侍る部下の方に視線を投げる。その花守が首を振るのを見て、青年の眉が更に寄る。


「……あの、参謀様?」

「……いえ。そうですか……ここに」

「ご迷惑ですよね、すみません。ですが、その……我が子がここで待っていると思うと、身が引き締まるようでして」

 想苗は神妙に、真剣に、もう一度頭を下げる。そのまま、必死で言葉を続けた。「私、霊魔と向き合うとどうも冷静さを欠いてしまって……ですが、我が子がこうして待っていると思えば。何としてでもここに帰らねばと、そう思えるのです。

 ……ですが、えぇ、問題ですよね。その、二度とここには連れてきません、ですので、どうか……!」


 懸命に、想苗は訴えた。

 よく考えたら、非常に重大な問題だ。花守隊は貴重な戦力で、その参謀本部といえば戦略上どれほどの価値があるか。

 その価値と、狙われる危険性を鑑みれば、花守の息子とはいえ容易に入れるべきではなかった。


 手打ちにされても、文句は言えまい。

 どうにか自分の首だけで済まないか、そんなことを考える想苗の頭上から、静かに、参謀様は口を開いた。


「……頭を撫でても、構いませんか?」









「…………?」


 退出した戸上想苗の背を見送ると、花守隊参謀の青年は、自らの部下にそう水を向ける。

 彼にしては漠然に過ぎる問い掛けは、しかし、配下の花守にとっては当然の困惑といえた。


「……

 ふるふると振られるお下げを煩わしげに払いながら、花守は当然の答えを返す。「そこには、何も居ませんでした」

「何も、というと」

「何も、です」


 自分の目に映らず、花守たる彼女のにも映らぬのならば、それは詰まりそういうこと。

 正気の世界に無く。

 瘴気の世界にも亡い。


「……あの方の傍らには、何の痕跡もありませんでした――霊魔の業の痕跡は勿論ですけれど、他の、善良な魂の気配もありません」

「とするとやはり、戸上想苗は幻覚を視ているようですね」

「やはり、ですか?」

「えぇ、やはり、です」


 全て花守は数の限られた稀少な戦力で、であるならば、後方支援の最重要な課題は個々の維持に他ならない。

 自他ともに認める後方支援の専門家としては、全ての花守の問題を把握しておくのは当然のことである。


「……石上内匠はしくじりましたか……」

「どうするのです、彼女……?」

 配下の花守は、結論から遠ざかろうとするように参謀の青年へ尋ねる。「多分、瘴気が溜まれば花が咲きます。瘴気を減らしても、あれだけ深く根付いていては消えることはありません」

「刀霊の方は、どうです」

「……眠ってます」

 眼鏡をずらし、酷使した目を揉み解しながら、花守は視たままを答えた。「余程強い力を使ったのでしょう、じっとしながら、霊力を補充しようとしているようです」

「なるほど」


 脳内で幾つかの算盤を弾く。

 彼女のもたらす不利益を天秤の片方の更に丁寧に並べて重ねて積み上げて、反対側に、利益を乗せていく。


「……使うのですか?」

「君は反対ですか?」

「賛成はし難いです、彼女は確かに戦力ではありますが、こと作戦で足並み揃えられるとは思えません。彼女は――彼女にしか見えない幻のために、部隊全員を危険に晒すでしょう」

「そうでしょうね」


 だから、使いどころは限定されるだろう。

 主力の進攻に合わせて横合いから突撃させるとか、退却の際に逆に突撃鬼島津の真似をさせるとか、或いは、或いは。


 ……戻る場所を自ら定めているのならば。

 後は、敵陣に放てば良いだけだ。


「何にせよ、先ずは此度の山郷。ここを落とされぬよう、出し惜しみは出来ません」


 物見の報告から、何やら嫌な予感を参謀は感じていた。それこそ、悪手であれ打ち返さなければならないような、そんな予感を。


「……ならば、万が一は無いでしょうが……」

「間も無く作戦開始時間です、ご決断を」


 心中の天秤を、その傾きをしばらく眺め。

 参謀の男は、静かに口を開いた。








 ……この後、参謀が彼女を使ったのかどうかは定かではない。


 花守、戸上想苗の戦歴について書き記そうとした誰もが、彼女の初陣について記した時点でその筆を置いているのだ。

 大規模な作戦参加の痕跡は勿論、細かな民間の依頼などの活動記録さえ残っていないのだ。


 最も彼女について長く記された書には、こう書いてある。


『戸上想苗、断髪、長身。


 大太刀【金宝】を扱う。


 霊境崩壊の夜、二十四にして初陣。その際、霊魔を二体祓う戦果を挙げた。


 その内訳は、


 


 彼女の戦いは、最早歴史の闇に消えた。その人生が如何なるもので、最期に何を思ったか、語る者は誰もいない。

 それで良いと誰かが思い、それが良いと誰かが願ったのだろう。




 完
















 人はいつだって。

 閉じた幕の向こうに、まだ誰かがいてひょっこり顔を出すんじゃないかと期待してる。

 そんな、君みたいな誰かが見つけたものを、どうぞご覧あれ。






【ぐちゃぐちゃにされた紙切れ】


 ……えぇ、えぇ。


 私は理解しております。何もかも、正しいところを全て。

 石上医師は正しいことを為そうとした、【金宝】と同じように。


 二人とも私を助けようとした――私の見る幻を一方は治そうとし、もう一方は消そうとしただけ。


 そう。全ては幻。


 私の子はあの晩、世界からヒトの領域が奪い取られたあの夜に   死にました。

 そして、祐一郎様。あの方も、死    。

 そう、そう。

 私の家族は皆いない。

 もういない。


 でも。


 私は見たのです――あの怪物、私の心に根を張った怪物が、二人を黄泉がえらせるのを。

 作り物ではない


 たましいはきおく、こころもきおく。


 あのおんなはいったのです、


 ワタシのもつものはわたしがもっているものだといったのです


 ふたりのたましいはわたしのなかにいつでもいつまでもあってあとはあのおんなのしたようになにかちからでうつわをつくればきっとふたりはよみがえるのですそのときまでわたしはわすれないようにおぼえていられるようにふたりのすがたをみつづけましょう


 こえをききつづけましょう


 しっています


 しんでいます


 ちからがあればとりもどせるのなら、えぇ、えぇ。


 わたしは二人のために戦いましょう。

 霊魔を祓い、力を養い。瘴気で出来た人形ではない真っ当な二人を。


 それまでは。


 ワタシは消えませんよ?

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散りし花弁よもう一度 レライエ @relajie-grimoire

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