第10話現状と打つ手

「…………そう」


 暫しの沈黙の末、想苗は、それだけを言った。


 淡白な反応はケネスにとっては意外だったようだが、想苗にとってはそうでもなかった。

 何しろ、我が身の事。

 完全に把握するまでは至らなくても、それが何に由来するモノかくらいならば感じられる。


『お母さん、大丈夫?』

『想苗、大丈夫かい?』


 ――えぇ、えぇ。大丈夫、ですとも。


「瘴気、即ち外界からの影響ではない、ということは」

 幻覚に苦笑を返しつつ、想苗は頷いた。「全ては――

「ソナエ、それは……」

「良いの、言葉を選ばないで。言えば良いじゃない、『ソナエ、貴女は』と」


 ふ、ふふ、ふふふふふ。

 臓腑はらの底から、笑いの衝動が込み上げてくる。

 友人とはいえあは、他人前だ、大口をあはは開けてうふふ笑うなどあはというもうふふふの。堪えふふふふふようと試みるが、あはははは、どうにあははも上手あはくいかなかったあはははははははっ。


 あはは、はは、ははは……。


 あぁ。


 そうか。


 私は――気が、狂って。


『……想苗殿』

「っ、今のは……」

『無論、幻聴ではありませんよ』

 至極冷静に、想苗の腰から【金宝】が声をかけた。『まあ、花守にしか刀霊の声は聞こえない訳ですから。そういう意味では幻聴と大差ないかも知れませんがね』


 だからこそ、【金宝】は人前で想苗に声をかけることは殆ど無かった。

 敢えて互いに、指摘することこそなかったが、そこに自身への配慮があることを察しないほど、想苗は無理解ではなかった。


 そこを曲げて、【金宝】が声をあげた。


『……一先ず落ち着いてください、想苗殿。御友人がお話の途中です。貴女の耳は一体全体何のためについて居るのです?』

「それ、は……でも」

『それとも人の話を聞かないのが貴女の礼儀というやつですか? 戸上の家で礼儀作法をある程度学んだと思っていましたが、まだまだ足りなかったのですか?』

「そ、そんなことはありませんっ!」


 確かに想苗は元来が町娘、武家の作法振る舞いに関する教育は至難を極めたが。


 顔を真っ赤にすること数秒。

 呼吸を整えるのに更に数秒、それから、余分に一呼吸入れて、想苗は小さく呟いた。


「……有り難う、【金宝】」


 【金宝】からの返事はない。

 用は為したとばかりに沈黙する愛刀の柄を軽く撫で、想苗はケネスに向き合った。

 彼女は癖のある赤毛を軽く弄りながら、ただ黙って想苗のことを待っていた。


「騒がしくしてしまって御免なさい、ケネス」

「良いのよ、落ち着いた?」

「えぇ、多分、話を聞ける体勢にはなった、と思う」

「そう」

 ちらりと想苗の腰を見て、微笑む。「刀霊、というやつでしょう? 良い相棒ね」

「……私の物では、ないけれど」


 預かり物に過ぎない。

 いつか、いつの日か。正しく戸上家を継ぐ誰かに、これを託す日が来れば――。


 そのためには。


「ケネス。貴女はこの国以外の知識を持っているわ、日の国では治せない病も、もしかして……」

「……この国では昔から、正気を失くした者を閉じ込めてきたわね」

「気は肉体とは違う、傷付いたり骨折したりするわけではないでしょう。それなのに正常な働きが出来ないのは、どうしようもない」

「薄情、とは言わないわ。私の生まれた村でも、井戸に落としたり、似たようなことはあったから」


 魂を清める、って火で焼いてみたりねと、ケネスは暗く笑った。


「けど最近、そうではないかもしれないって話が出てきたの」

「気が狂っている、わけではないと?」

「気、というよりは精神だけど。さっきの貴女の話でいうのなら、心が風邪を引くようなもの。精神の病ということ。そして、精神は何処にあるのか……」

 とんとん、とケネスはすらりと長い指で、こめかみを軽く叩いた。「よ、頭の中。脳って、貴方解るかしら」

「えぇ、見たことがあるわ」


 まあ、霊魔と人間の体の仕組みが同じならば、だけど。

 首狙いの一閃が逸れて、うっかり頭蓋を斬ってしまったときに、あの奇妙な、皺だらけの茶碗蒸しを想苗は見たのだ。

 ケネスは嫌そうな顔で、詳しい説明を拒否した。


「……脳は、細かく色々な部分に別れていてね。記憶、感情、運動とか、各々担当している役割が違う、らしいの」

「……らしい?」

「まあ、まだ実験中って感じかしら」

 ケネスは数冊の本の上で、掌を蝶のようにひらひらと揺らして見せた。「何処がなればどうなるか、症例サンプル集めてる段階なのよ」


 どういう手段でそんな症例を集めているのかは、内緒とケネスは笑った。

 想苗には、まあ想像がついた――罪人、貧乏人やその子供、居なくなっても騒がれない人間は案外多いものだ。

 或いは――も混ざっていたか。例えば、想苗のような。


「で、そういう病――幻覚だとか幻聴っていうのは、その脳の活動が正常に行っていないから起きるんじゃないかって」

「……視覚や、聴覚を司る部位の異常、というわけね」

「呑み込みが早いわ、流石!」

「しかし……?」


 そう、だからなんだ。


 原因が脳であれ魂であれ、治療出来ないのは変わらないだろう。いや寧ろ、生きたまま頭蓋を割くわけにもいかない分、魂よりたちの悪い場所が原因となっているだけではないだろうか。

 魂のために祈れても、脳のためには祈れない。


 ケネスは笑いながら、指を二本立てた。


「方法は、二つあるわ」

「二つも?」


 それはすごい。

 八方塞がりかと思ったが、中々希望が見えてきた――等と思うほど、想苗は楽観的にはなれなかった。

 今も視界の端では祐一郎様が座禅を組み、その周りを蛍が騒がしく駆けている。

 気を抜けば、ケネスの言葉を上書きするように、二人の声さえ聞こえてきそうだ。


 現実が、既に染められている。

 色を抜くには、どんな手立てがある?


「お察しの通り。

 ケネスの手にはいつの間にか、細く小さな刃物が握られている。包丁よりも小振りで、刀よりも薄く、鋭く見える。「魂と脳の大きな違いは、脳は触れるということよ」

「悪い部分を、切り離すということ?」

 想苗は首を傾げた。「まだ詳しく、脳の仕組みは解っていないんじゃなかった?」

 ケネスはにこりと笑った。「大丈夫、大体は解ってるわ」

?」


 想苗は顔をひきつらせた。

 そんなあやふやなもので、切り刻まれるのは御免被りたい。


「一応実績もある、わよ。狂暴で手の付けられなかった人殺しが、まるで赤子のように大人しくなったらしいわ」

「赤子は泣き叫ぶでしょう」

「そうなの? ずっと眠っているような印象があったけど」

 想苗は苦笑した。「そうだったら、随分と楽なのだけれどね」


 しかし、だとすると。


「その作業の結果は、狂暴な相手を大人しくさせるというわけ? 叫んだり、喚いたりせず、まるで――」


 ――死んでるみたいに。


 ケネスの笑みは、寸分たりとて動かなかった。「そうね」幻想を、題目『笑顔』の絵画を視ているかのように。「そうなるわ」想苗の瞳を覗き込むように、目を見開いて微笑んでいる。


「少なくとも、大人しくはなるわ。悩みは解決する、悩む、という機能を無くすのだから」

「荒行だわ」

 荒療治では物足りない。「そして打ち首以上の刑罰よ。人の尊厳を、奪い尽くすようなものだわ」

「それが一つ目。根治治療の極致。殺せば病気では死なないというのと似た、発展途上の医療行為よ」

「それを医療と呼ぶのなら、私は仏にすがる方がましだわ」

「そうよね、そう思う人が多いから、今、二つ目が開発されつつある」


 二本目の指は、立つか立たないかという瀬戸際を揺れている。


「これに関しては、発展途上よ。実績も何もない、臨床試験すら始まってない。『こうすれば上手くいくんじゃないかなあ』と誰かが考えただけの、本来は手段として数えるまでもない大博打」

 それでも、とケネスは笑った。「真っ当に戻る可能性があるのは、此方こっち


 此方は脳を切り刻んだりしないからね、という言葉に、想苗は眉を寄せる。


「では、何を切り刻むの?」

「決まってるじゃあない」


 肉体へ働きかける方法ではなく、その反対側の方法といえば、その切り刻む相手など、一つしかない。

 ケネスは細い指を、刃のようにぴんと伸ばし、想苗の胸を軽く突いた。


「貴女の、正気を」

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