第4話夜の会敵

 月は上弦、涼しい夜。

 夕食を近所の蕎麦屋で軽く済ませると、想苗は散歩がてら見廻りでもしようと、家を出た。


 戸上家に嫁ぐ前まで住んでいた、想苗の実家である。

 柊橋の戸上邸は見るも無惨な姿となり果てたため、想苗は【霊境崩壊】後、名義上残っていた唯一の財産であるこの家に戻った。

 両親は、やはり居なかった。

 花守の話では、中規模の霊魔が群れを成してこの辺りを襲ったそうだから――要するに、そういうことだろう。


 家があるだけ、ましだった。それに、刀も。


「いえ。そもそも、生きているだけでもまし、というものでしょうね……」

『皆、

「【金宝】……そんな言い方は」

『事実です、想苗殿。その事をもっと確りと、貴女は自覚するべきです』

「…………」


 ため息。

 勿論、そうなのだろう。【金宝】の言う通り、夫も息子も、二組の親も女中たちも、誰も彼も居なくなった。

 こうして外に出れば、建物はあっても灯りの無い家が数多い。そして灯りの点いている家も、中に全員揃っているとは限らないのだ。


 多くの人が、命を落とした。

 そして今も、災いは継続している。


『……想苗殿』

「……距離と規模は?」

『凡そ五軒先、精々二体です』


 深刻な響きに、想苗は気を引き締める。

 そう、災いは続いている――今でも夜毎瘴気が溜まり、帝都夕京のあちらこちらで霊魔が発生しているのだ。

 過去に浸る暇など無い、そう、生者たちに教えるように。


『付近に花守の気配無し。単独での戦闘になりますよ、想苗殿』

「だとしても、無視は出来ません」


 ここは住宅地区にかなり近い。

 霊魔を無視してしまうと、瘴気による被害は瞬く間に人里を呑み込むだろう。


 幸い、ここ桜路町区は対霊魔の最前線。あまり大型の霊魔が現れれば、直ちに多くの花守たちが駆け付けるだろう。


 問題は、逆に小から中規模の霊魔が現れた場合だ。

 些細な霊魔は気付かれにくく、じわじわと周囲を汚染していくものだ。そして一度汚染されてしまえば、花守は兎も角住人たちは一堪りもあるまい。

 肝要なのは、早さ。

 気付いた時点で処理しないと、ヒトの土地がまたしても奪われることになる。


 ――霊魔、それも発生直後ならば、一人でも……!


「ここには、生きている人が居ります。彼等の僅かな安息を、奪わせるわけには参りません」

『……承りました、想苗殿。主人が居られれば、同じように申したでしょう』

「…………そう、ですね」


 ちらりと。

 想苗は道端の暗がりに目を向ける――姿


 幻だ。

 己の気の迷いが呼び起こす、亡者以下の枯れ尾花。錯覚、気のせいだ。


『気も漫ろなまンまで、刀なんざ握るンじゃねェってことだ』


「………………」


 大丈夫。

 解っている、解っておりますとも。

 あれは幻覚だと、今の私は解っている、だから、大丈夫だ。


「急ぎましょう、【金宝】。出鼻を挫くのが兵法の常です」

『承知』


 狂気を振り払うように、想苗は長革靴ブーツを鳴らして、闇夜を駆け出した。









「「あるるぅあぁああぁぁぁあ……」」

「……これは、いったい……?」


 駆けた先、真っ暗な家の軒先に駆け込むと、想苗は眉を寄せた。


 家はどうやら無人らしい。

 崩れ掛けた塀、伸び放題の庭、まだ家の形を保ってはいるが、人が住むにはかなりの手間を要する有り様である。


 これ幸いと遠慮なく、霊魔の気配の方へと分け入った想苗の前に現れたのは、二体霊魔の異様な姿だった。

 所々腐り落ちた床板から染み出ようとしている霊魔。その根本は確かに一体分なのだが――ちょうど、人で言う腰の辺りから、霊魔は二つに別れようとしているのだ。

 腕は四本、頭は二つ。

 目鼻は未だ出来ていないようだが、先程から不快な呻き声を上げる口は、それぞれの頭に一つずつ付いているようだ。


『人型の霊魔では、あるようですが』

「どちらかと言えば茸にも見えますけれど……っと」


 向かって右の霊魔が、腕を振るう。

 指も肘さえ出来ていない右腕は鞭のようにしなり、咄嗟に飛び退いた想苗の眼前を切り裂いた。

 出来損ない、だから、腕の長さも自由自在なのだろう。右側は両手をゆらゆらと揺らし、想苗の出方を窺っている。


 しかし、左側は動こうとしない。


 どこかぼんやりと、腕を伸ばすでもなく佇んでいる――自分の腕を顔の前に持ってきたり、辺りをきょろきょろと見回したりと、落ち着きの無い様子である。


「……どうしたのでしょう?」

『…………さあ、我には判りかねますね』

「もしかして、左右でやりたいことが違うから、その場から動けないのでしょうか?」

 閃いた、とばかりに想苗は捲し立てる。「心と体の意見が食い違うのは良くあること。そうなると最早、どちらの意見を執ることも出来ず立ち尽くすのみになってしまいますからね」

 【金宝】は歯切れ悪く応じた。『……そうかも、しれませんね』

「きっとそうです。となると、今の内に叩くべき、でしょうね?」


 勿論、そうでなくとも。

 霊魔を見逃すなんて真似。真っ当な花守たらんとする想苗には、けして出来ない相談だ。


『想苗殿の、思うままにするが良いでしょう。何しろこの、夜のそぞろ歩きは、想苗殿の判断力を高めるためのものなのですからね』

「……? 何です、反対ならばそう言いなさい【金宝】。貴方の方が感知能力に優れているのですから、良くない、というのなら」

『いえ。いいえ、想苗殿。目の前にいるのは発生したての霊魔に他ならず、花守であろうとするのならば想苗殿が見逃すべき相手でもない。不安にさせたのなら申し訳無い、決めたのならばどうか気にせず、我を振るいたまえ』


 未だ、しこりの残る口振りではあるが。

 確かに現状、彼を握るのは自分だ――なればこそ、己の判断を貫くべきだろう。

 【金宝】も、表立っての反抗と言うよりは何か、神経質なことを気にしている程度のことだ。常に無視するわけにもいかないが、断行せねばならないこともあるだろう。


「参ります。【金宝】、援護を」

『承知』


 抜き放った【金宝】の刀身が、屋根の隙間から射し込む月明かりを受けて黄金に輝く。

 不穏な気配を、感じ取ったか。

 右側が両手を構え、左側は、脅えるように逃げ出そうとしている。


 戦う意思、逃げ出す本能。

 相反する各々が足を引っ張り合うように、霊魔はその場に釘付けだ。振るわれる鞭腕も、身動きのとれない状態では精彩を欠く。


「在るべき場所に還りなさい――覚悟!」


 想苗は落ち着いて鞭をかわしながら接近し、一刀の下、右側の霊魔を断ち切った。

 霊力と【金宝】の神気に浄化され、霧散する霊魔を見送ることなく、返す刀で左側の首を断ち切る。

 霊魔は――抵抗しなかった。

 ただ、煙のように消えた右側の居た場所を、じっと見詰めていただけだった。


「………………」


 その、散り際の様子がどう見ても寂しげで、どうしても不愉快で。

 胸に刺さった棘が、じくりじくりと想苗の心を刺していた。

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