絡繰り糸を伝ふ〈二〉

 慶永けいえい七年一月某日、血塗ちまみれの少女が花霞かすみ邸近くの病院に運び込まれた。羽柴はしば北部で霊魔れいまの襲撃にい、居合わせた深山みやま家の令嬢が重傷、付き従っていた花守はなもりは霊魔化ののち死亡が確認されている。


 この事件の驚くべきところは、花守でもなければ剣の心得もない一般人が、神気しんきを宿す刀を振るい、霊魔を討滅せしめたことにある。それは偶然にも現場へ駆けつけた花守が目にした光景であった。


 いわく。少女の目は金華に、あるいは銀月のごとく輝き、初太刀で霊魔の腹を切り裂き、返す刃で首を落とした、と。


 にわかには信じがたい話だ。神鷹ジンヨウ杏李アンリの背中に走る痛ましい傷痕きずあとを見ながら、おとがいに指をかけ、呟いた。


「やはり、〈無銘ムメイ〉の神気が繋ぎになっている」

「……朝霞様?」


 杏李はおずおずと恥じらいながらも、視線だけで振り返った。病室の寝台の上に座り込み、着物をはだけさせて背中を見せている——好いている男に。それだけでも顔から火が出そうだというのに、そっと傷痕に触れる指の感覚がぞわぞわと妙な感覚を杏李に与えるのである。襟を寄せて胸元を必死に隠しながら、肩をぎゅっと寄せて縮こまる。


 当の本人は杏李の胸中など知りもせず、難しい顔で考え込んでいた。そして、衝撃的な言葉を口にする。


「杏李、君の傷は深い。本来ならば……死んでいる。それを、〈無銘〉の神気が繋ぎになって、君をなんとかこの世にとどめているんだ」


 思いがけぬ内容に、杏李は目を瞬いた。


「わ、私、死んでしまったのですか?」

「生きているとも言えるし、死んでいるとも言える。とても曖昧あいまいな状態だ。……もう着ていいよ。恥ずかしかったよね、ごめん」


 混乱する杏李の頭を撫でてなだめ、神鷹は服を着るようにうながす。杏李はいそいそと着物の前を合わせた。帯がずれてしまったので、神鷹に締め直してもらう。


 致命傷と見立てられた傷は、右肩から背中を斜めに走る。しかしその傷の深さを感じさせないほど治りが早く、杏李も含め皆首を傾げていた。


 しかし、それが神鷹から預かった〈無銘〉の力だとしたら。杏李はどこか暖かい気持ちになって、枕元の脇差に目をやった。


(あなたが助けてくれたのね)


 感謝と敬意を込めてそっと鞘を撫でる。それを、神鷹は硬い表情のまま見つめていた。


かこいの御当主様や、宮中の霊医に診てもらうのがいいかもしれない」

「囲の……」


 体を強張らせた杏李に、神鷹は微笑む。


麗華レイカ様は聡明でお優しい方だよ、安心して」


 囲麗華は、斉一セイイチの祖母にあたる。御歳七十八になる囲家の当主であり、薙刀を振るう花守の長である。

 杏李は名前を知るのみだが、神鷹の話では「まだまだ現役」だという。慶永の前の時代である延寿の、さらに前の、徳川の時代から生きているというだけあって、世を見る目は鋭く、その言葉には深みがある。


 神鷹が麗華に寄せる信頼を感じ取って、杏李は小さく頷いた。斉一は気に食わないが、神鷹に信頼されている相手なら、会ってみてもいいかもしれない。


朝霞アサカ様、よろしいですか。こちらにいらっしゃると伺ったのですが」


 と、部屋の扉が叩かれた。聞いたことのない声だ。反射的に背筋を伸ばした杏李に、神鷹は横になるよう促す。杏李はひとまず布団をかぶり直し、上半身だけ起こして軽く身だしなみを整えた。


「開いている。入りなさい」

「失礼します」


 扉を開けて顔をのぞかせたのは、やはり杏李の知らない人物だった。髪を伸ばし、丸眼鏡をかけたその青年は、仕立ての良い藍の着物を着ている。邸宅内でよく見かける文官と同じ格好だ、と杏李が考えていると、青年は杏李に向かって軽く会釈をした。


「お初にお目にかかります、朝霞杏李様。花守隊参謀の、羽瀬ハゼと申します。どうぞお見知り置きを」


「……杏李です、羽瀬殿」


 杏李は訂正を入れる。神鷹はやはり肩を落とすのだが、こればかりは譲れない。

 朝霞の名を得たのは姉の七香ナノカだ。成り代わろうなどとは思っていないし、神鷹に義妹いもうととして見られるのもつらい。それならば、憎い深山の名を名乗っていた方が幾分いくぶんましである。


 神鷹のものになりたい——なりたくない。そんな複雑な想いを知るよしもなく、羽瀬は表情を動かさず頷く。


「失礼しました。では、特別な事情がなければ以後そのように。深山様」

「ありがとうございます。……それで、朝霞様に御用がおありなのでは?」

「場所を変える必要があるかな」


 気を利かせた神鷹が一歩踏み出すが、羽瀬はそれを押しとどめる。


「いえ、深山様もご一緒ならば丁度良いでしょう。関係のある話です」

「……というと?」


 神鷹は首を傾げつつ、羽瀬に椅子を進め、自身は寝台の脇の洋椅子に腰掛ける。杏李も不思議に思って二人の様子を見守っていると、羽瀬はさらりと驚くべきことを告げた。



 予想外の言葉に、二の句が継げない。それは神鷹も同じだったようで、固まったまま羽瀬を見つめていた。対する羽瀬は、そんな様子を不思議に思っているのか目を瞬いている。


「新手の、冗談だろうか? 羽瀬殿」

「いいえ、至極真面目な話ですが」


 羽瀬が杏李を見やる。杏李はびくりと肩を震わせた。感情のともっていない目が、恐ろしく感じられた。


「朝霞杏李は霊魔を討滅せしめました。戦えるということです」


 羽瀬の言わんとしていることを、杏李は遅れて理解した。刀霊が宿っていないとはいえ、なまくらとは言えるはずもない、神気の宿った刀を振るい、霊魔を滅した。その結果は、杏李が想像している以上に周囲に衝撃を与えたらしい。


「まさか、あの話を信じて……ああ、いや、杏李が嘘をついているとは思っていない。けれど……」


 杏李は常ならぬ様子の神鷹を見た。傍目に見ても動揺している。常日頃から慎重に言葉を選ぶ彼が。羽瀬は、さらに畳み掛ける。

 

「霊魔を神気の宿る刀で斬り捨て滅した。現場に駆けつけた花守が証言者です」

「分かった、君が杏李の実力を高く見積もっているということは……分かった。でもね、杏李はまだ幼い女の子だ」


 話を先へと進める羽瀬を手で制するも、羽瀬は意に介さない。なかなかしたたかである。


「女の花守も当然おります。幼いものも戦っている。霊魔を討滅せしめることができるのは花守のみです」

「彼女は霊力を持たない一般人だ。花守じゃない。それに大怪我をしたばかりだ」


 羽瀬の言葉をはっきりと真っ向から否定しながら、怪我人であると言い含める。ここまで言えば引き下がるだろうと——しかしその考えは甘かった。


「傷は〈無銘〉の神気により既に癒えていると聞き及んでいます。穢れもほとんどない。なにより〈無銘〉の主として刀に認められている」


 羽瀬の主張に、神鷹の纏う空気が変わった。


「……〈無銘〉はもういない」

「刀霊は、確かに。ですが不思議なことに、契約が成立しています。、朝霞様」


 瞬間、羽瀬の声を打ち消すように、ばん、と神鷹の手が壁を打った。


「いい加減にしろ! 君は人の命をなんだと思っている!?」


 神鷹が声を荒げるところを、杏李は見たことがない。彼は杏李の前ではいつも穏やかに微笑んでいて、激昂するようなことはなかった。廊下で斉一に絡まれたあの日くらいであろうか、それでもこのように感情を爆発させるところは初めて見た。


「杏李を朝霞の名代にたてるつもりはない。朝霞の当主はこの僕だ。出て行ってくれ」


 一転して、怒りを押し殺した声で神鷹が告げる。羽瀬は踏み込み過ぎたと判断したのか、素直にそれに従う。失礼しました、という言には、やはり気持ちはほとんどこもっていなかったが。


「朝霞様……」


 羽瀬が出て行った後の沈黙を、震える声で破る。今のですっかり怯えてしまった自分を情けなく思いつつ、手を伸ばして神鷹の羽織の裾をつまんで引く。

 いつものように微笑んで、と願えば、神鷹は杏李を振り返り、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「ごめん、怖がらせたね。でも、君が戦うことなんてない。さあ、もうお休み」

「わ、わたし、もう元気です。朝霞様こそ、お休みになってください」


 それは事実だった。杏李の傷は癒え、神鷹も薬が効いて起き上がれるようにはなったものの、それは一日のごくわずかな時間のみなのだ。心配した通り、神鷹の顔色は悪い。


 しかし神鷹は首を横に振る。それからじっと杏李を見つめ、歩み寄ると、その細い体を抱きしめた。


「杏李、お願いだ。僕はもう……喪いたくないんだよ」


 そんなことを言われてしまっては弱い。温もりに包まれながら、杏李はそっと、震える手を重ねた。


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