天空橋#1

 地上から150メートルと少しの位置。

 今もなお健在する300メートルの大樹に、その倒木は寄りかかる。

 古今を繋げる形で架けられた天空の橋の上に、ヴィヴィアンと俺は立っている。

 周囲はようやく薄明かりに満ち始めていた。

 この位置ならば森の様々なものに遮られることなく払暁間近の光を感じられる。

 空に遮るものはなく、視線を降ろせば周囲一面に遥か広大な森は広がる。

 遠く、見ようと思えば寝床と街も見えるのだろうが生憎と角度の関係で見ることは叶わなかった。

 記憶の限り、視線の届く範囲に人間の住まう場所は存在しない。

 圧倒的な現実感スケールで、この星が人類のものでなくなったという事実をこの光景は教えてくれる。


 ともあれ、そうした感慨はこの星に今もしがみついている人間の感傷さみしさだ。

 この星が自分達のものであって欲しいという欲望こわさの裏返しに他ならない。

 隣に立つヴィヴィアンはそんな感情こだわりとは無関係に、辺りを楽しげに見渡している。


「この星に降りてくるときにも見たけれど、こうして実際に肉眼で見ると感慨もひとしおね」


 マスクを取って空気を味わえないのが残念だわ、と今にも被り物を脱ぎ去りそうな様子だ。

 酸素タンクから清浄な空気を吸っているにもかかわらず、彼女はどことなく息苦しそうでさえある。

 実際、この森に入って2日もフル装備の宇宙服に身を包み続けていたというのなら、そういう感情にいたって当然かも知れない。

 着の身着のままどころか、自分の肌身に触れることの出来ない2日間だっただろう。


「そういえば、なんで森に入るのに宇宙服なんだ」


 と、ヴィヴィアンを眺めていて、今更と言えば今更過ぎる疑問に行き当たった。

 彼女は一旦周囲の観察を止めてこちらへ振り向くと、質問の内容が意外だったのか、どことなく首の据わらない様子で返答した。


「だって、この星の森なんて未探索の惑星みたいなものじゃない?」


 人間が呼吸をすることの叶わない大気状況。

 どのような細菌生物が繁殖しているのか、既に予想も出来ない環境状況。

 おまけに気温に関するデータも人類の生存圏以外はめちゃくちゃだ。


「なるほど、確かに言うとおりかも知れないな」


 どうにも、この星は、ソラの人間からすると未知の惑星と変わりない場所らしい。

 自分達の生まれ故郷であっても、暫く離れていれば見覚えのない土地に成り果てるのと同じように。

 長い間、離れて暮らした実家がどこか寒々しい空気で見覚えのない空間に感じられるように。

 人類の多くにとって、ここは記憶の中の星であり、実在する星ではないのだろう。

 それならば、宇宙服を着込むというヴィヴィアンの対策もよく判る。

 元々があらゆる過酷な環境を想定し、人体を守るために考案された衣服である。

 例えどのような大気状況であれ呼吸を可能とする想定つくり

 急激な温度変化が人体に及ばないようにする構造まもり

 紫外線や、有害な宇宙線を遮断する徹底されたその思想きづかい

 果ては、あらゆる苦難に対処するために人体を超えた運動を可能にするパワーアシストなんてものまで組み込まれているのだから。

 自然に寄り添うばかりで、その実、中身を知らないにも等しいカナリアおれなんかよりも、よっぽどこの女の方が自然に対して真摯に接している。


「さて、じゃあ、あとは予定通りこの橋を渡りきるだけね。

 終端はたぶん、150メートル前後のタワーか樹の真上でしょうけれど、降りる方法はたどり着いてから考えましょ」


 ヴィヴィアンの言葉に俺が頷きを返すと、二人揃って歩を進め始めた。

 予想通り、大木は人間二人の重さがかかろうともびくともしない。

 それこそ大地を歩いているのと全く変わらないほどのしっかりとした感触を足裏に返してくる。

 前方を真っ直ぐに見やれば、所々に成長した宿り木なのか、本来の枝なのか。

 もはや、普通の街に生えている街路樹と変わりないか、それ以上の大きさの木々が障害物として立ち塞がっている。

 こと、この森に入って移行は自然に対するスケール感が狂いっぱなしだが、ある意味これは極めつけかも知れない。

 天空150メートルの高所に浮かぶミニチュアサイズの森など、まるでおとぎ話の世界だ。

 ケミカルライトで足下を確認すれば、ここにいる昆虫たちも街で見慣れた普通のサイズ。

 大型に育ちすぎた地上の生き物に対して、この場所は辛うじてかつての常識が残されているのかも知れない。

 何はともあれ、問題無く。

 これから500メートルの旅路を歩いて行けそうだと、俺は胸をなで下ろしていた。

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