宙の女#5

 メインデッキの中央部出入り口から俺たちは展望台に入り込んだ。

 中は比較的がらんとしていて見通しが良い。

 数百年前の建造物とは思えないほどの頑強さだが、当然のように壁面には植物が張り付いている。

 ただ、かつて、硝子張りだっただろう壁面はそのほとんどが割れてしまっている。

 近づいてみれば、足下、壁に沿う形で地上の森を見下ろす穴が空いている。


「これ、宇宙ステーションでも同じのがあるわ。足下が硝子で星を見下ろすことが出来るって奴。

 高所恐怖症の人はご用心を、って注意があったけれど宇宙空間に出ても怖い人は怖いのかしらね、アレ」


 どうなのだろうか。彼らは落ちるという現象を想像して恐怖を感じているのなら、それほどの高さにあって、はたして落ちるという想像は働くのか。


「無重力なんて、すべての方向へ落ちているようなものなのにね」


 ま、その宇宙ステーションには人工重力が働いていたのだけど、とヴィヴィアンは語りながら、俺の隣で同じように足下を眺めている。


「でも、さすがにここから落ちるのは怖いわね」


 俺たちはその場を後にすると、目的の大木へ登れる場所を目指して2階へ上がった。

 2階は1階部とは違って、カウンターやストアへ通じると思われる入り口の残骸などが点在する雑多な印象だ。

 フロアを分ける薄い内壁などは倒壊しており、仕切りはないに等しい。

 展望台の外壁は1階と同じくそのほとんどが割れてしまっていて、150メートルの空が隔てるものなく覗けている。

 フロアの内側を暫く歩いていると、果たして、目的のものはそこにあった。

 外壁を突き破って内部へ侵食している全長500メートルの倒木だ。

 本来は幹の先端に当たる部分はフロアに、あろうことか根付いている。

 放射線状に広がる根は頑丈にこの人工の世界樹タワーを捕まえており、その様相はまるでこの建造物を捕食しているおもむきがある。

 ともあれ、これだけ頑丈に癒着していれば、人間が二人通った程度でまかり間違っても倒木が滑り落ちるという事はあるまい。

 しかし、全長がかつては650メートルもあっただろう大木の幹ともなるとその先端部でも驚異的な横幅だ。

 フロア一辺の半分ほどの幅がある。

 根元にかけて次第に太くなっていくであろう事を考えると、果たしてたどり着いたときにはどれほどの太さになっているのか。


「あら、これなにかしら」


 寄りかかっている倒木の幹といえど、この大きさだ。

 めり込んだ部分を勘案しなければ、フロアの床から優に3メートルほどの高さがある。

 どのように登ろうかと足場を勘案していたところ、同じように倒木の周囲を巡っていたヴィヴィアンが何かを見つけたようで声を上げた。

 ひとまず向かってみると、ヴィヴィアンの向かいには半ば崩れ落ちたオブジェがある。


「小さな木の板みたいなものが無数に、あまり見たことがない建築様式の小さな建物が一つ。なにかのジオラマかしら?」

「いや、これは――」


 幽かに、見覚えがある構造物だ。

 石で出来た台形の塔。その上に建つ木像の小さな家。屋根は特徴的な、本を開いた状態で伏せたような形をしている。


ほこら、か?」


 たしか、ウィルヘルムの居る宇宙港の近辺にも似たようなものがいくつか残されていたはずだ。

 人が住めるほどの大きな建造物を神社じんじゃと言い、その小さいものをほこらと呼ぶ。

 この地域に住んでいた人間たちの古い宗教形態の名残だと、ウィルヘルムから説明を受けたことがある。


「っていうと、この地域で崇められてた神様の仮宿みたいなものだったっけ。

 なるほど、こういった形をしているのね」


 でも、なんでこんな不思議けったいな場所に? とヴィヴィアンは祠を眺めながら首をかしげている。

 その理由ばっかりは、俺にも全くとんと分からない。

 なにしろ、この巨大建造物の由来すら曖昧なのだから、こんなに小さな宗教建造物の一つ一つの由来は遠い昔に花の養分となってしまった。

 きっと、星を離れた人類が持ち出せなかった記憶たいせつなものの一つがこれなのだろう。

 この星には、そんな名残とりこぼしが幾つも眠ったままでいる。


「ま、でもありがたい物には違いないわ。脱出が成功するようお祈りでもしていきましょうか」

「その意見には賛成だ。ついでに"厄"も落ちてくれると良いんだが」


 ここにたどり着くまでに遭遇した数々の苦難を脳裏に、げんなりとした気分で呟く。

 なにかしら悪いものが憑いているならついでに落として欲しいと切に願う。

 二人で祠の前に並ぶと、作法など分からないながら、適当に手を合わせた。


「ナムアーメン」


 ついでに、ヴィヴィアンはよく判らない気の抜けた呪文を口にしている。

 かつて信仰されていた神様は、今もこの場所に居て願いを聞き届けてくれるのか。

 花のものとなったこの星に、まだ、人のための神様は居るのだろうか。

 崩れかけた祠に視線を向けながら、その向こう側にいる曖昧な存在に思いをはせた


「これでよし。さ、樹を登ってタワーを出ましょうか」


 お祈りをすませると、開口一番、ヴィヴィアンは告げた。

 森に入っての行方不明者捜索もいよいよクライマックス。

 単なる救出劇がこんな壮大スペクタクル大冒険アドベンチャーな展開になるなんて思いもしなかった。


「せめて、樹を渡っている間くらいはなにも起こらないでくれよ」


 ここに至るまでの間に降り積もった疲労感から思わず俺は、ぼやきながら、倒木へ向けて足を進める。

 その途中、


「――そういえば、あなたが口にしていた"厄"ってなにかしら。なにか、体に付着して取れずにいるの?」

「え、知らないのか、"厄"」


 返答に、ヴィヴィアンはこてんと首をかしげて得心のいかない様子。

 宇宙育ちと、この星で生まれ育った人間の間には、どうにも言葉の面で奇妙な隔たりカルチャー・ギャップが生まれているようだった。

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