6.帰還後

 ホテル地下駐車場には一箇所だけ他の場所とは違う特殊なガレージがある。

 そこにテスラを入れてからシャッターを閉鎖。続けてナビの下部にあるボタンを押すと新宿モノリス方面へ繋がるシャフトで平行移動していく。

 作戦に使う備品の保管室へ着き、ロックボルトが締まるとコクピットから降りる。

 そこで各装備を外して軽い服装になる。最後にメガネを再び掛けてから部屋を出て、天井に剥き出しの配管類がある薄暗い廊下を進む。

 しかし情報作戦室に行くが入れず、扉はロックされていて液晶パネルは赤く灯っていた。

 室内では、マコトが工事現場でリーダー格の男に付けた発信機と国土交通省の交通管制システムを利用して、逃走車両を追っている最中だろう。

 デリケートな作戦中に不要なメンバーの入室は邪魔だが、それとは関係なく作戦室は優人を拒絶しているかのようだった。

 仕方なく長い地下通路を抜けてホテル方面まで行き、エレベーターで二十五階の司令室に行くが、当然今は誰もいない。なんとなくソファに座る気にはなれず、大型ディスプレイの隣の壁に寄り掛かって、マコトが担当する作戦が終わるまで待つこととした。

 しかし、じっとしていても脳裏に浮かぶのは景と由梨のこと。

 気を紛らわすこともできず目が冴えて眠気もしない、悶々とした時間を過ごす。

 やがて陽香のデスク側にある窓から、微かな夜明けの暁が差し込んできたときだった。

 ICカードの認証音が鳴り、誰かが待合室を抜けて部屋に入ってくる。振り向くとそこにいたのは、いつもと同じ赤いジャージ姿の陽香だった。

「追跡はどうでした?」

「得られた情報は良好。逃走した実行犯は、単純に目的地を目指すわけじゃなく何ヶ所も経由していたけど、その因果関係から身元を絞り込めると思う。調査班の方でも回収できた物品に有益なものがあるらしいし、これで予定通り背後組織へアプローチできそうよ。《光の柱》もしばらくは見なくなるだろうし、作戦自体そこそこ成功じゃないかしら」

 ポケットに手を突っ込み、陽香はゆっくりと自分のデスクへ向かう。

「実行犯は顔を隠しながら移動していた。でも優人のヘッドギアから中継されてたライブ映像に顔は映ってるから隠しても意味はない。ただね、途中で逃走車両を変えたり着替えたりもして、素人とは思えない冷静な逃げ方だったわ。だから――」

 しかし優人と擦れ違い様、裏拳の要領で素早くその喉元を右腕で捉えて、壁に押さえつける。

 その衝撃で一瞬だけ視界が飛ぶ。

 すぐに回復するが目の前には、やや低い位置から睨んでくる陽香の表情。

 見開いた瞼の先にある瞳は熱く、さらに息が詰まるほどの鋭さと圧迫感があり、命令を無視した部下を全くブレずに捉えている。

「発生装置を爆破されたのは仕方ないかもしれない。隠蔽工作にあそこまでする覚悟、あたし達のような組織の介入を想定しての警戒……あれほどとは考えてなかったわ」

 首を締め上げる腕は細い。

 しかしジャージ越しには、無駄な脂肪がなく引き締まった硬い筋肉の感触があった。

 リーダーになる以前の陽香はアタッカーの役割を担っていたと聞いたことがある。その経験を感じさせる動作だった。

 それでも優人には避けることができた。しかし反発はしないと、作戦前から決めていた。

「マコトは今、オーダーとの接続時間が想定以上だったせいで軽い離人症になってる。今日は休ませるから、時期を見て説教する」

 普段の「マコちゃん」という緩い呼び名を今使わない。

「リスクの高い完全な独断専行。しくじったらどうするつもりだった? もし実行犯に発信機も付けられず取り逃がしたらどうするつもりだった?」

 追求されても見苦しい釈明はしない。

「すいませんでした」

「言葉じゃ本心はわからない、でも本心は態度に出るものよ」

「はい、だから言い訳はしません」

 全て受け入れようと、堂々とした優人の真っ直ぐ過ぎる姿勢。

 それを見てから、陽香は引くように怒気を抜いて、見透かすような冷たい視線を送る。

「誘拐された子って、あんたのクラスメイトだったわね」

 彼女がすでに把握しているとは察していた。

「優人。あんたは今、自分の非を認めても反省はしていない……そういう態度をしてる。今回みたいな状況になったら、またあたし達を出し抜くでしょ? 己が志した大義のためには処分を覚悟で何でもやる、そういう目をしてるわ。罰を受ければ済むという、甘えた考え」

 たったそれだけの指摘。

「それは視野が狭くて、若さを盾にした姑息なやり方よ」

 だというのに、己の意志を守っていた心の盾、その数々が的確に壊された気がした。

「安い自己満足や義侠が悪いとまでは言わない」

 首を絞めていた腕が解かれても、陽香の冷たい視線は優人を縛り付ける。

「ただ、割り切らないといつか痛い目に合うわよ」

 それだけを捨て台詞のように残して、陽香は司令室を去っていった。

 しかし優人はしばらく動けずにいた。

 聞いた言葉一つ一つがいつまでも頭の中に残留している。

 それは陽香の指摘が正しいと、自分自身が認めていることの証明でもあった。


********************


 その後、早朝で肌寒く人も疎らな新宿の街を歩いてセーフハウスに戻る。

 しかし優人は陽香の言葉にいつまでも翻弄されていた。

 気晴らしに学校へ行こうとしたが、土曜日であったことに気づく。連日の任務のおかげで、曜日感覚はすっかり無くなっていた。

 何もせずにいるのはよくないため、掃除や料理を普段より丁寧にしたり、迷路のような新宿駅構内を散歩したり、自分に隙を与えないようにする。しかし人ゴミの中にいても気が紛れることはなかった。

 赤が基調の服やゲームセンサーを見掛けたりといった小さな拍子に、陽香のことを思い出してしまい、司令室での言葉が脳裏を過ぎる。彼女から何も処分が下りないことが釈然とせず、却って虚しく思える。さらに由梨のこともずっと変わらず心配なままだった。

 そんな悶々とした週末を過ごして月曜日になり、いつも通り登校する。

 しかし休日の鈍い意識を引きずったまま教室の扉を開けると、微かな願望でしかなく予想すらしていなかった声が聞こえた。

「もう景ちゃん、そろそろ離れてよ」

「そんなの無理よ」

 教室には小さな人集りがあった。

 その中心には、久々に見る以前と変わらぬ元気な由梨を、安らぎと喜びに満ちた表情で包容する景の姿があった。

「あ、優人くんおひさー。見ての通りだから助けてよー」

 周囲の目を全く気にせず、景は小柄な由梨を背中から覆うように抱き締めて、髪の毛に顔を埋めている。

 まるで失っていた己の半身、その存在を確かめるかのように。

 事件前から見慣れていたクールな印象が強い普段の景からは、考えられない穏やかな姿。

「ああ……ホントに良かった」

「優人くん、政明くん、景ちゃんを止めてよー、さすがに恥ずかしくなってきたよ」

 由梨は頬を赤く染めつつそう頼みこむ。

 しかし照れ隠しで景の両腕に触れるが、それ以上の抵抗は無い。されるがままに受け入れて愛でられている。

 優人は二人の姿を見て、数日前の決意とその後に懊悩としていた自分が報われた気がした。

「止めてやらないのか?」

 政明が優人の傍に来て耳打ちしてくる。

「できるわけないだろ」

 こんなに幸せそうな二人を止めるのは野暮だと、政明も他のクラスメイトもわかっている。

 ただ優人にはこの光景を見続けていたい別の理由があった。

 二人を救えた。

 その事実が、教室に入るまで沈んでいた心を癒してくれた。

――割り切らないといつか痛い目に合うわよ

 それでもいい。

 司令室での陽香の言葉は忘れてないし、身勝手な選択を正当化もしない。ただこの事に限っては、自分が間違っていたとしても構わない。景と由梨の日常を取り戻せたことに変わりはないから。それだけで満足だ。

「なんだ、やけに嬉しそうだな……もしやあんな女同士のやつが趣味なのか?」

「そうでなくても、あんな笑顔を見せられたら、誰でも嬉しくなるもんさ」

 政明はからかうように聞いてくるが「違いない」とあっさり肯定する。

 それからホームルーム開始まで、絆を確かめ合う景と由梨の姿を、優人は眺め続けていた。

 しかしそれは、一連の《光の柱》に纏わる事件のほんの始まり。

 その一ヶ月後――己の中途半端な覚悟と偽善ゆえに、優人は苦悩することになる。

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