5.作戦開始

 次の日も、そのまた次の日も、車の中で虎視眈々と待った。

 一度だけ担当地域内である板橋区で《光の柱》が確認された。しかしその日、優人は杉並区で待機していて、間に練馬区を挟むため見送ることとなった。

 運転技術がいくら優れていてもでは、間に合わないだろう。

 その後も、次の機会を待ち続ける。

 東京には四つの管理部隊がある。自分達の部隊でなくても他の三つの管理部隊が作戦を成功させれば目的は果たされて、事件解決までかなり進展する。

 しかしそれだけでは困るのだ。

 担当区域外で再び《光の柱》が確認されて、他の部隊が対応できずに見送ったという報告を聞く度に安堵するが、同時に不謹慎な自分を嫌悪する。

 それでもチャンスは自分の下にやってきて欲しいと、テスラの中から夜の虚空を見上げつつ願い続けた。

 そして作戦開始から二週間が経ち、いつも通り車内で待機していると――チャンスは訪れた。

『杉並区にて、実行犯らしき車両を確認』

 ヘッドギアのスピーカー越しに聞こえるマコトの声で、沈んでいた意識が瞬時に覚醒する。

 助手席にある装備一式を全身に取り付ける。

 続いてテスラのイグニッションを回すと軽快なシステム起動音が鳴り、センターコンソールのドライブボタンを押してからサイドブレーキを下ろす。

『位置は……少し遠い、またハズレか。もどかしいけど今回も見送りね』

 陽香は舌打ちして、潔く諦めようとする。

 優人が今日待機していたのは、隣の練馬区だからだ。

 アタッカーの待機場所に対し隣の区であったとしても見送るのが、全管理部隊で共有している方針。確実な成功が求められるからだ。もし失敗した場合、背後組織の特定が難しくなる。

『優人、戻っておいで。コーヒー淹れるわ』

「こちらアタッカー。これから待機場所を離れます」

 嘘は言っていない。

 ここからは打ち合わせ通り。マコトから受け取った犯行現場のポイントがナビに表示されると、すぐにテスラのアクセルを踏み込んだ。

 絶大なトルクによる暴力的な加速フィールが、優人の身を揺さぶる。

 アクセル開度に連動して高鳴る乱れのないモーターの回転音。

 トランスミッションが無く低速からシームレスな加速。

 爆音を撒き散らす大排気量ガソリン車には到底実現できないスマートなパフォーマンスで、人気のない闇夜の都道を引き裂き、ミッドナイトブルーのボディは疾走する。

 青信号のままアクセルは全開で環八通りを抜ける。

 スピードメーターは150km/hを超えた値を示す。

 昼間なら目抜き通りにあたる一般道でこんなことは非常に危険だが、今に限っては常識を無視できる。

 優人の進路周辺にある信号機の制御を現在マコトが行っているため、常に前方は青信号。

 さらに車道へ歩行者の侵入がある場合、信号機内蔵の動体センサーが危険度を知らせてくれる。一般道での高速走行が危険なのは承知だが、安全への配慮もある程度はしている。

 ただそれは、組織の承認を得ずに独断で公的機関への干渉したことになる。当然問題にはなるが、今の優人はそんな理性的な判断を思考の外に追いやっていた。

 目的地に近付いてきたところで、優人はアクセルを緩める。

 すると中規模の建設現場から通常の設備では考えられない、青白い光が溢れ出てきた。

 それは巨大な共鳴音と共に膨れ上がり、司令室で見た映像よりも鮮明な光の帯が天へと上っていくところだった。

 しかし優人は圧倒されず、逆に好期と判断してワルサーppkの安全装置を外してからスライドを引き、テスラのコクピットから飛び出した。

 中の様子が伺えないほど保安用フェンスは高かったが、入口の開閉する箇所だけはよじ登りやすく、片手と足を引っ掛けて軽く飛び越える。

《光の柱》を目指し、各部材やショベルカーの物陰に隠れつつ迂回して近づいていく。

 やがて実行犯達らしき集団と、光源が見えてきた。

 移動しながら微かに伺える男達は六人。

 服装こそバラバラだが周囲への警戒を怠ってはいない。動きに隙がない者もいて、警備関係の職業経験者の可能性もある。しかし普段伺えないスペクタクルな科学現象のせいで、緊張感に欠けている者もいる。全員が手練というわけではないようだ。

 近付くほど《光の柱》が鳴らす共鳴音が強くなり、足音を消してくれるのが僥倖だった。

 その発生装置は彼らが持ち込んだ大型トレーラーの中。

 開いた貨物部の屋根から光が出力されているため、装置自体を把握するにはまだ遠い。

 今も天を打つ青白い光へ「まだ続いてくれ」と念じつつ移動する。

 男達から程良い位置にある小型貨物車に身を潜めた頃には《光の柱》はかなり収束していて、装置自体の発光も減衰し始めていた。

 一度ワルサーを大腿部のホルスターに戻す。

 腰のポーチからフラッシュバンを取り出し、口でピンを引き男達の中心目掛けて転がすように投げ、ヘッドギアの対閃光バイザーを下ろす。

 ワルサーを握り直しトリガーに指を掛けて数秒後、これまで周囲を染めていた青白さとは異なる色の閃光と轟音が発生して――踏み込んだ。

 六人のうち四人は一時的に視覚と聴覚を奪われ、呻き声を上げたり蹲ったりしている。

 立ち直る前に無力化するため、至近距離にいる錯乱状態の二人へ銃口を向け7.65ミリ弾を二連射ずつ打ち込む。

 一人目は弾丸が貫通した脚からバランスを失い転倒、そのままのたうち回る。

 手元と肘に二発被弾し絶叫を上げる二人目には、鳩尾に一撃を当てる。すると手元から拳銃をこぼしたため、容赦なく遠くへ蹴り飛ばす。

 残る弾丸は三つとカウント。

 さらに残りの男より比較的近い位置で、目を瞑って耳を両手で押さえてよろめいている大男の顎を目掛けて掌底を深く当てると、後ろのめりに倒れた。

 数秒間で三人を無力化に成功。

 しかしまだ半分、あと三人残っている。

 そのうち一人は今も錯乱状態であるが、視覚が徐々に回復しつつある。

 二人目は状況に驚いているが、閃光に対して離れた位置にいたせいか動ける様子。但し息を荒くして冷静さを失ったまま優人を凝視し、ヤクザの如くナイフを両手で腰だめに構える。

「くらえやっ!」

 優人に比べ頭一つ大きい背丈とは裏腹に、自らの恐れを誤魔化すための叫びだった。

 そのナイフを握った男に注意しつつ、最も遠い場所にいる最後の一人を一瞥する。他の実行犯と《光の柱》発生装置を置き去りにして逃げ出すようだった。その行動からあれがリーダー格かもしれないと、仮説を立てたところで――

『優人、あんた勝手に何やってんのよ!』

 ヘッドギアのスピーカーから耳をつんざく《光の柱》に劣らずの大音量、陽香の声だった。

 但し、ナイフを構えて襲ってくる男への注意はそのまま。まだ間合いが離れている内にワルサーの銃口を男へ向けると、突進の勢いがやや鈍る。

 その隙に男の手元をブーツで蹴り上げると、ナイフは作業灯の光をエッジで照り返しながら回転し宙を舞う。

 そのまま男の突進を蹴りの反動と軸足の捻りで去なし、首の側頭部へ肘打ちを当てる。

 一瞬の呻き声と共に男が倒れ、ナイフが地面に落ちたのはほぼ同時だった。

 すぐさま周囲を警戒するが、視覚が戻りつつある別の男が拳銃を握り優人に向けていた。

 こちらは崩れた姿勢ゆえに不利だと瞬時に悟り、ヘッドスライディングの要領で飛んでから、遅れて二連射。

 先に相手のマズルフラッシュが起きるが狙いは逸れて地面を跳弾、しかしワルサーの弾丸は男の脇腹を射抜いていた。男はゆらゆらと上体を揺らし、拳銃を手から落として蹲る。

 再び拳銃を蹴り飛ばすしながら、やがて調査班が来て救護されるため、当たり所が良ければ死なないと見積もる。

 残弾は薬室に残った一発のみのためマガジンを交換しながら、リーダー格らしき人間が逃げた方向へ振り返ったところで、

『こらあっ! さっさと返事しなさい! 何やってんのよ!』

 再びいきり立つ陽香の声、この緊急時にやかましい。

「仕事です!」

 そう愚直に答えると、左手首にあるブレスレット型の簡易コントローラでヘッドギアの通信状態をカットする。

 するとリーダー格らしき男が逃げていった方向でエンジンが回る音が聞こえて、さらに車のテールランプが灯る。

 まずい。

 車で逃げられてはもう追いつけない。

 全力疾走するが距離が詰まるのは最初だけで、加速していく車にはやがて放される。

 そうなる前に、走りながら手元がブレる不安定な状況で、テールランプの下、タイヤを狙うが、二発は大きく外れ一発はトランクを打つ。そんな芸当が成功する可能性は万に一つ、無謀だとわかっているがこれ以外に止める方法がない。

 二週間前までの、由梨に触れて優しく母性的に微笑む姿。

 逆に最近の、絶望に打ちひしがれ壊れてしまいそうな悲愴感に満ちた姿。

 二つの景の姿が交互に脳裏を去来する。

 何の罪もない友人二人の日常が崩壊したままにはできない。景と由梨の平和で穏やかな笑顔を取り戻したい。そのためにあの男には用がある。

 だから絶対にここで逃すわけにはいかない。

 神に請うようにワルサーのトリガーを引く。再び二連射するが、無慈悲にも弾丸はかすりもしない。やがて距離を引き離されていく。

 焦燥感が心臓の早鐘を打つ中、残り三発の弾丸に奇跡を祈りつつ二発連射の後、最後の一発を打った――そのときだった。

 気のせいだろうか?

 作戦行動中、しかも銃弾が飛び交う場所で緊張状態が続いた故の錯覚かもしれない。

 本当に一瞬の光景。

 それは、翡翠色のオーロラ。

 ワルサーの銃身から一筋の緑色に輝く光の帯のようなものが飛び出していったように見えた。それはまるで最後の弾丸に追いつき、軌道を変えさせて導くかのようだった。

 すると狙っていた後輪に着弾、タイヤがバーストしたことで逃走車が制御不能に陥り、派手に数回のスピンをしてから近くの軽トラックにぶつかり止まる。

 今の現象は不可思議としか言えない、一体なんなのだろうか。

 手持ちの装備でそんな芸当が可能なものは……陽香に渡された謎の腕輪型装置くらいか。

 しかしそんな疑問を続けていても意味はない。

 素早くマガジンを交換してスライドを引き、やがて止まった車の運転席に回り込みハンドルに伏せている男へ銃口を向ける。

 スピンのときの衝撃に呻いているが、まだ意識はあるようだった。

 歳はおそらく三十半ばだろう、他の男とは違いスーツ姿。

「出ろ」と一言告げると、男はおぼつかない歩きで這い出ていく。

 腰のポーチにある発信機を素早く取り出し、電源を入れる。容赦なく乱暴にスーツの襟を掴んで男を地面にひざまずかせ、その際に悟られないよう襟の裏側に発信機を仕込む。

 これで果たすべき任務としてはこの男を逃がすのみ。

 だが、優人はそれだけで済ますつもりはなかった。

「手短に言う。お前達の組織が拘束している少女を解放しろ。二週間前に、行方不明になったあの少女を開放すれば、今後手荒な対応は控える。あの装置はこの後、我々が回収する。ならお前達が続けている妙な行いも打ち切りだ。この期に及んであの少女を確保しておく理由もない。いいな!」

 ダメ押しに、最後の言葉と同時に男の体を揺さぶる。

 公私混同も甚だしい。衝動的だと自覚はある。しかも由梨が戻ってくる確証はない。ただこれが唯一思いついた、景と由梨の平穏を取り戻せるかもしれない方策だった。

 優人が離れると、衣服を乱したまま男は睨みつけてくる。

 その血走った双眸に宿るのは、並々ならぬ怨嗟の眼光。

「偽政者どもめ! 真実を隠すのが正しいのか!」

 形振り構わない掠れ声での必死な主張。

 そんな言葉を聞く想定は今まで何度もしてきた。

 まともに取り合わず、右手のワルサーを振ることで「さっさと行け」と促す。

 それでも男の眼は変わらない。ただ何かを諦めたかのように満身創痍で歩き、仲間達が使っていたもう一台の車に乗り込み、工事現場の敷鉄板を踏み鳴らし去っていく。

 今は発光現象も完全に収まり、周囲を作業灯の僅かな光が照らすのみ。

 これで成すべき事は全てやった――そう、一抹の達成感を味わった瞬間だった。

 何の前触れもなく、轟く爆音、続けて熱風が背中から通り過ぎていく。

 規模はさほど大きくない、重要なのはその場所。

 実行犯達の大型トレーラーに積まれたコンテナの内部、数分前まで巨大な光を放射していた発生装置が、連鎖的な小爆発と共に煙を上げて炎上している。

 荷台の中を覗くと、計器類のメーターガラスも全て割れ、発光現象を起こすユニットのフレームはひしゃげ、心臓部らしき箇所は原型を止めないほどに砕け散っていた。

 やられた。

 リーダー格の男が去っていった方角を睨み、苦虫を噛み潰す。

 明らかな隠蔽工作。

 何かしらの自爆機能を、事前に用意していたのだろう。

 ここまで用意周到な計画で行動していたとは、侮っていたと認めずにはいられない。

 その後は、まだ意識が残っている者をスタンナックルで麻痺させて完全に無力化する。

 時々スパークを飛ばす電子部品や異臭を発する鉄屑を眺めながら、ヘッドギアの通信機能を復帰させた。

「こちらアタッカー。実行犯のリーダーらしき中年男性が現在車両にて逃走中、発信機を付けることに成功。予定通り追跡可能です。但し、《光の柱》発生装置は遠隔式の自爆装置らしきもので破壊されました」

『了解。現場で調査班に状況を引き渡し撤収せよ。こちらは次の工程に入る』

 陽香から心なしか冷たい声で端的な指示が聞こえて、それ以降は何の言葉もなかった。

 約十分後に調査班が数台のワンボックスと共にやってきた。

 名前は知らないが何度か顔を合わせた班長に、優人は状況を淡々と説明していく。

 班長は、髭を生やしやる気の無さそうな表情の中年男性だが、交わす言葉は無駄がなくロジカルで中身は聡明なのが印象的だ。

 その間、残された男達の拘束および救護や、すでに残骸となった《光の柱》発生装置の回収を、班員達が迅速に行っていく。全ての作業が十分も掛からず終わり調査班は去っていく。

 その後、優人はここ二週間ずっと夜を共に過ごしたテスラの元に戻った。

 頭を覆う鬱陶しいヘッドギアを外し、胸の緊張を解くように「ふー」と重たい息を吐く。

 やれるだけのことはした。

 何もしないよりは良かったと、実行したあとでも迷いなく思う。

 もし逃がした男が警告を鵜呑みすれば、あるいは一般の女子校生を巻き込んだ事に罪悪感を抱いていれば、賭けは当たるかもしれない。

 しかしあれだけでは、低く見積もれば神頼みの域を出ない程度のこと。それに、由梨はすでに何をしても戻らない状態な可能性もある。

 希望的観測と最悪の想定。

 真逆の二つが混ざった重たい思考のまま、テスラの低速域で駆動するモーター音をシート越しに受けつつ、優人は静かなる深夜の都道を進み新宿のプラザホテルへ戻った。

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