月と猫とよみがえりの丘

松宮かさね

月と猫とよみがえりの丘

 いそげ いそげ よみがえる死者を見たいなら



 作りたての銀貨のような月が白く照らす丘を、三匹の猫たちが小走りで登っていた。

 その中に、ひときわ得意げに胸を張って進む黒猫がいた。これからよみがえりの魔術を行う魔法使いの使い魔だった。

 大柄な茶白猫が息苦しそうにしながら、丘の上を見すえてつぶやいた。

『みんな集まってる気配がするな。もう始まってるのか?』

『君たちが待ち合わせに遅れたからだよ。放っておいて先に行くべきだったよ。弟子のボクが遅れるなんて、とんだ失態だからね』

 不満げに黒猫が返す。この暗闇の子は、魔法使いに使役されるだけの存在ではなく、その愛弟子でもあった。猫も師を深く敬愛していた。


 その主が研究の末に、禁忌であり不可能だともされている「死者をよみがえらせる術」を会得したのだ。

 そして今宵の満月の丘こそが、呪術に必要な条件を満たすのだという。

 誰もなしえなかったことを主がやるのだ。人間界の禁忌なんてどうでもいい。ちいさな弟子にとっては大変誇らしいことであった。

 まだ若い彼は『ボクのお師匠様はすごいんだ』と猫仲間に言いふらさずにはいられなかった。

 かくして猫たちの間で噂はあっという間に広がり、物見高い者たちが、勝手に丘の頂上に集まっていた。ざっと三十匹はいるだろうか。好奇に満ちてらんらんと輝く瞳たち。


 しかし皆が信じていたわけではなかった。死者が生き返るなんて!

『本当かね?』

 頂上で待機しているサバトラ猫が疑わしげに言う。

『わざわざ村から来たんだ。ウソならあの黒いの、ただじゃおかねぇ』

『オレなんか町からだぞ。一日中、街道を走りっぱなしさ。ああ、腹減った。つまんなきゃ、黒の奴を食っちまうかな』

 太った白猫が、半ば冗談めいて、半ば本気の声で言った。


 そんなことを言われているとも知らずに、使い魔とその友たちが到着した。黒猫は頭をもたげて、猫の輪を通り抜けると、当たり前の顔をして主から少しだけ離れたところに控える。

 その鼻高々なご面相が一部の猫のしゃくに障ったようで、彼らは『番犬かよ』とひそひそ罵った。つまり、うらやましいのである。

『ところで誰をよみがえらせるんだろ?』

 白黒猫が首をかしげると、灰色猫がにやにやしながら言った。

『決まってるじゃん。恋人だよ』


 猫の輪の中心には魔法使いがたたずんでいた。本当の年齢は使い魔さえ知らないが、外見はまだ幼さを残した少女に見える。

 重たげな黒いローブから覗く手首はほっそりと儚げで、同色の三角帽子に半ば隠れた顔は青白く輝いていた。

 魔法使いの少女は、猫たちの視線を気に留めるそぶりもなく、粛々とよみがえりの術の準備をしていた。


 地に置いた麻袋の口をほどくと、白い包み紙を取り出した。中には濃緑の粉。それを周囲に、ぐるりと大きく円を描くようにふりまいた。種々のハーブを混ぜたようなにおいが漂い、運悪く風下にいた猫たちは顔をしかめる。

 次に銀の短剣を取り出すと鞘を捨て、ためらいなく己の手の平を切りつけた。流れ出る血が、ぽとりぽとりと地に染みをつくる。

 それから、横たえていた林檎の木の杖を拾い上げると、両手で握って地面をひっかき、簡易な丸だけの魔法陣を作った。


「イア・ローレ・アムサ・ムーナ・ロア……」

 呪文なのだろう。不思議な言葉を唱えながら、少女はくるり、くるりと、優雅に回った。踊っているかのように。

 杖を手に少女は舞いつづけた。途中で帽子が脱げ、銀の長髪がこぼれたのも構わずに。月光を受けた銀髪はやわらかに輝き、その場の明るささえ増したように感じられた。

 黒い雲が月にかかり、つかの間、丘の上を陰らせ、また去ってゆく。

 猫たちは静まり返って、軽やかな足どりを見守っていた。


 やがて少女は立ち止まると杖の先を持ち、その手を伸ばすと、杖の頭を魔法陣の中心に当てた。木の実の形をした瑠璃色の瞳を地に向ける。

 動きを止めた魔法使いを見て、猫たちはざわめき始めた。どうしたんだろう?

 さざ波のように広がってゆく動揺の中で、彼女は身じろぎもせずに、真剣なまなざしで地を見つめつづけていた。動かない。白猫の腹がぐぅと鳴った。

 気の短い者は不満をもらし始めた。おもしろいものはまだか? いつ見られる?

 使い魔の黒猫だけが微動だにせず、信じ切った瞳で主を見つめていた。

 そよ風が吹き抜け、まだ若々しいクローバーの葉と、猫たちのひげとを、やさしくゆすった。


 突如、少女が叫んだ。

「来い!」


 言葉と同時に、地につけていた杖を、まるで釣り人のように振り上げた。

 異変が起きた。魔法陣の内側の土がふるふると動き始めた。まるで無数のモグラでもいるかのように、掘り返されるようにうごめいている。やがてボコボコと泡立つように土塊が飛び始めた。

 その直後。

 杖の軌道に導かれるように、白い大きなものが地中から躍り出た。まるで噴火のように土を吹き上げながら。

 月光を受けて銀の鱗のように煌めく姿を見て、猫たちは一斉に背中の毛を逆立てた。逃げ腰になる者や、逃げてしまった者さえ出た。

 一匹の勇敢な猫が四肢を踏みしめて叫んだ。

『骨だ!』

 それに励まされ他の猫たちも口々に叫ぶ。

『犬だよ! 犬の骨だ!』

『そうだ、犬だ! あの体つき、長い尾!』

『いや、狼だ! 犬にしては大きい。狼だよ!』

 少女はにっこりと笑った。

 地中から姿を現したものは、狼のような生き物の全身骨格だった。その体高は馬車馬ほどもあった。まるで自分に血肉がないことに気づいていないかのように、確と四本の足で地に立っている。

 骨はぶるっと身をふるわせると、体にくっついていた土塊をふり払った。興奮しているのかその場で何度も飛びあがって、馬のように地を蹴りつけた。


 少女はその様子を愛おし気に見つめていた。

 よみがえりの興奮が落ち着いてきたのか、仄白く光る獣の骨格は、飛び跳ねる足を止めた。もの思う様に静かになると、ゆっくりとその場に座った。

 そして、空洞の瞳を頭ごと下に向けて、魔法使いを見つめた。

 少女はそっと歩み出た。

 爪先立ちになると、頭蓋骨の鼻先にキスをした。

 猫たちが、わっと歓声をあげた。

 月は高い空から、清らかな光の祝福を注いでいた。


 それは月と猫たちだけが見ていた禁忌。

 もしくはひと夜の夢だったのだと、私に告げたのは誰だっただろうか。

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