最終章 ドゥーガの火床<6>
ユーリク聖堂は本来、聖誕記念堂という名前で呼ばれたはずの、白亜の聖堂である。先代ザヴィツァ王が治世末期、世継ぎの誕生を記念して建てようとしていたものだ。
ここでいう世継ぎとは、エルスラン王子のことではなかった。例の愛人が身ごもっていた子供のことだ。しかし彼らの”食中毒死“とともに記念堂も不必要となった。「滅相もない代物だ」と取り壊そうとする臣下を、当のエルスラン新王が制し、完成させた。基礎工事まで終わっており、工人の労と資材が勿体ないというのが理由だった。
修行僧たちは動揺していた。聖堂始まって以来の事態が次々と起こったのだ。何やら湖の方角が騒がしくなった矢先、ほとんど素裸の、魔性さながらに白い偉丈夫が火傷と煤だらけの半妖人の若者と人間の娘、そして、数十人に上る半妖人たちを引き連れてきたのだ。人間との一切の交流を拒んでいたはずの民である。
偉丈夫は、あっけに取られている修行僧たちを前に堂々とのたまった。
「余はこの聖堂を“建てた”者である。信じろといっても無理であろうが、聖職者ならば沙汰あるまで憐れみの心ぐらいは発揮できるだろう。余に着物と、連れには手当てを、そして、暖かな広間を」、と。
※
翌朝、ユーリク聖堂の真っ只中で、エルリフは思いがけない渦中に立たされていた。
「どういうことです、俺が……俺が……族長って?!」
「エリン様を救ったゴルダの、一人息子だと貴方はいう。そして今は貴方はドゥーガの火床に火を入れた、妖精鍛冶師だ」
詰めかけた半妖人たちは、正面のエルリフに向かって膝をおり、頭まで垂れて言った。
「お待ち申し上げておりました、貴方様の再来を」
エルリフはみた。ちょうど、人々の頭が低くなったために、後部の角で立ち尽くしてこちらを見つめているイズーの目を。
ヴァルーシの民族衣装を貸し与えられた彼女は、はっとするほど美しさを増していた。
けれども、その目は今、おそれと不安に激しく揺れている。
エルリフの正面で、フェヤーンたちの代表者が憔悴した頬をあげた。
「して、お返事は?」
「それは……もうお断りしたことです」
「は? だ、誰にです?!」
ちらりと聖堂の祭壇を振り向きそうになって押し留まる。
「聖ユーリク様に、です」
「さ、されども貴方はセヴェルグラドの”白銀(しろがね)王”をも救ったというではないか……」
その王は聖堂の上座の角、腕組みをし、修道僧の用意した高座を無視して立っている。
月界の王もかくやというほど見事な白銀(しろがね)の長髪。
王衣の代わりにゆったりと、金糸の縫い取りのある長い白衣(しらごろも)をまとい、羅紗の腰帯を締め、くるぶしまである下穿きと木靴を履いている。このような僻地にある清貧の聖堂ではそれが精一杯だったとみえる。
ただ一つ、エルリフは確信する。エルスランはもう“黒いカローリ”と呼ばれはしない。
“白いカローリ”。そう民衆は歓呼と畏敬の念を抱いて末代まで称えることだろう、と。
王がようやく口を開いたが、それはエルリフの期待した取りなしではなかった。
「確かに。お前の母の血筋を思えば、ドゥーガ公を任じるもやぶさかではない」
「そ、そんな……陛下まで!」
「公、だと! いや、もう”ヴァルーシのくびき”はこりごりだ! 我々には、我々だけの国が必要……」
王の大笑が、わき起こりかけた反発の叫びを打ち消して響く。
「言ってやるがよい! エルリフ。我が父祖や、そなたの父ゴルダが、武勲(いさおし)に謳われるべき我が義弟ダニーラが、幾たびの戦を重ね、血を流し、大森林(セリガ)と草原をいまの形に護り抜いてきたかを、そこな森番たちに」
「森番だと! ザヴィツァのせがれが……!」
「そんな言い方は、俺が許さないぞ!」
エルリフは王と同胞の間に立ちはだかった。半妖人たちは従順そうに見えたエルリフの変化にも目を見張った。
「妖精鍛冶師よ、血迷っているのか。我らの巫女を……お前の母を奪ったのは、その男の父親なのだぞ!」
「……俺は鍛冶屋で、鉄のことしか知りません」
エルリフはそっと、胸元に隠してあるものを押さえた。
ダニーラの血の海からイズーが見出した“鏡”の破片は、大切に持っている。
「父は俺が”呪縛”からも自由で居られるように出来るだけドゥーガから遠ざけ、育ち盛りの時に肉も食わせてくれて、おかげで俺はとても丈夫に育ちました。俺は確かにドゥーガの一族だ。貴方たちがこの湖のほとりで、何年も何年も、つらい日々を堪え忍んでいたこともわかる。でもそれは、俺が偉そうな貴族になって指示するようになるのは、違うと思う。俺は、王都に工房を開くつもりだ。ならば幾人か、俺と一緒に来てくれないか。新しい技でこそ、人間たちをあっといわせてみたくはないか!」
「だがそのドゥーガの技を王が戦争に悪用したせいでゴルダは滅んだのだろうが?! 血は争えん。そこの王とて、いつ王家の狂気にとりつかれるか……」
違う、とエルリフは笑った。
自分でもこんな笑い方が出来るとは驚くほどまっすぐに。
「どんなに上等な道具だって時々は直してあげなければ。俺はエルスラン様の魂を”鋳直し”に来ただけなんだ。ああそうとも、それこそがこの俺の、一世一代の大仕事でドゥーガの火床が蘇った理由だ! 俺の仕事にケチをつけるのか。王を侮辱することは、この俺の腕をも侮辱することなんだぞ!」
叫んだエルリフの肩に、そっと、力強い手が置かれた。エルスランはエルリフに加勢する友のように並び立ち、戦の情勢を眺め渡すかのように冷笑する。
「半妖人とはさすがは気骨あるものと見える。我ら、王認鍛冶師と東方大帝(ドゥル・ワン・ハン)の血を引くヴァルーシ王にかみつくとは。青血人や人狼人どもとも馬が合うようになったのではないか」
ここにきて、ようやく半妖人たちも王の皮肉の真意を呑み込んだ。
東西から人間たちの強国に挟まれながらもその地に溶け込み、ヴァルーシの王との共存を選んだことで非力な自分たちの存在を守った祖先のことを、はからずも思い起こされて。
協調か、あるいは敵対か。これからレグロナ帝国の皇位継承者をも”食らおう”という王を前に、なにを選びとればいいのか。
「誇り高き半妖の一族の者共よ、人の世に、ひび割れがあることは悪しきことではない。それを放置し、割れるがままにすることこそが悪と心得よ」
すっと、エルスランは全てを超越したような目を細めた。
彼は“星人”たちの歴史を見たという。彼はそれをいずれはエルリフにも伝えるだろう。
覚悟を王は突きつけていた。半妖人たちに。そして、エルリフ自身に。
「エルリフ。もしも“余”がドゥーガの火床に再び火を入れよ、鉄獣の軍団を鍛造せよと命じたら、お前はどうするか」
「……従うと、思います、俺が信じた貴方様の望みなら、喜んで。ただまた壊してくれっていうのは、もうこりごりですけど」
臆せずに言い切ったエルリフに、エルスランは不敵な笑みで応じた。
「まこと、そなたは王国にとって諸刃の剣。しかしてかけがえのなき余の鍛冶師でもある。職人の血、か……余が羨むは、そなたらの方だ。支配者の血筋などそなたらの直感どおり、しょせん人界の決め事なれば絶対ではない。神に連なる系譜は真実によって描かれたものか? 写本師が描いたのだ。天にも届く壮麗な王墓は王が建てたのか? 一つずつ、工人たちが計算して積み上げた賜物よ。玉座とは空(カラ)の杯に同じ……それ自体は何も生み出しはせぬ。西方には王のない国もあるそうだ。古代帝国の共和制を真似て、商人たちが交易と政治という杯に大金を投じ、国と民を動かす」
エルスランは、エルリフ以外、圧倒されて声を失っている修道僧や半妖人らを前に何でもないことのように言ってのけた。
「欲っするのならば玉座など清貧の物乞いにでもくれてやろう。おのおの好きな酒を容れて酔い痴れればよい。この森でも平原でも、いますぐこの聖堂から出て身一つで生きていける気がするのだ……おれは」
森のしじまが、自由を憧憬する王の心、東の騎馬民の王の血を引く男を呼ぶのか。
超然たる気配は、すでに彼を人界から隔たった存在のように見せていた。
立ち去ろうとする獣を呼び止めるすべはない。
あわてふためいたのは壁際の傍観者に徹し、王都からの迎えをジリジリと待ち続け、ただ速やかに”無事お引き取り願う”のを待つばかりだった修道僧たちだった。
「へ、陛下?! 滅相もないことを、滅相もないことを! この半妖の粗忽者たちのために御身がいなくなられるなど……ヴァルーシの神々に誓って、あってはなりません!」
「神など知ったことか。余の勝手であろう」
数時間後にでも臣下たちが駆けつければ、また自由でなくなるのだ。
逃れるのならば今しかない。
エルリフは思う。もしも王が今、逃げるというのなら、商売道具一式とイズーをつれて、同行も辞さないだろうと。けれども。
「でも、陛下。それではミーチャが、ひとりで泣いてしまいます」
「………!」
閉ざされたはずの室内に、王都からの風が吹いた。
エルスランは目線を息を詰めて見守っていたエルリフへと戻した。
王の心を繋ぎとめたのは、金銀財宝でも信仰でも、権力でもなかったようだ。
「あれも驚くであろうな、このおれの変わり様は。年寄りのようだとか、嫌われはしないだろうか」
「とんでもない、月輪の化身のようにお美しいです。本当に、ミーリュカが心配です……サンドールがよく看病してくれているはずですけれど」
「サンドール、か。あれも昔と変わらぬようで、変わった男よ」
「ご、ご承知、だったんですか?」
「若い頃出会った屍鬼始末人の顔に相違ない。向こうが黙っているのでおれも黙っている」
で、そなたはどうするエルリフ? とエルスランは再度、問うた。
「俺は、やっぱり王国一の、いや、世界一の鍛冶屋になりたいです。今年のユーリクの日までにもっと素晴らしいユーリク様を造って御覧にいれたいんです! セヴェルグラドにイズーと一緒に住める家と、工房を開きます。そこが俺のさしあたっての”王国”になる予定で……そこの炉にはもしかしたらドゥーガの火床よりも熱い炎が燃えさかるかもしれません。なにせイズーは燃料の専門家だし……なあ、イズー? どこにいる、イズー?」
ずっと男たちの成り行きを黙って見守っていたイズーが人垣を割りきってエルリフの首っ玉に抱きついた。
それを見て、エルスランもとうとう破顔した。
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