第六章 血と鋼<5>

「何考えてるのよ! あれ、釣り餌のつもり? 親玉に追いかけられたいわけ?!」

「その間にきっと親衛隊や市民も盛り返して王宮も王都も掌握してくれるはずだ」

「烏合の衆が、王に怯えなくなった貴族たちに対抗出来るはずないわよ!」

「大丈夫、ヴァルーシの民が望むのはダニーラ王じゃない、エルスラン王のお戻りだよ」

 それを聞いてイズーが走りながらも考え込んだ。短い間のあとに彼女が言った。

「毛帽子、だったら街中でこう叫びなさいよ、みんなで陛下を出迎えにいくんだ、って」

 どういうことだ? と問うエルリフに、イズーは策士めいた笑みを浮かべる。

「民衆が動けば、エルスラン王を支持する新興貴族や士族たちも勢いづくでしょ。逆に、王都で早々に“ダニーラ王”擁立に動いていた大貴族たちも本当にエルスラン王が帰還した時の保身を考えて日和見を決め込むはずよ。あの冷血漢(ダニーラ)が本当に王位を奪取しようとするなら、ただ都で待ち受けているわけにはいかなくなる。民と王が出会う前に“始末”しようとして少数の手勢を率いて追いかけてくるはずよ……あたしたちを」

「君は……どうしてそんなことまで思いつくんだ! 本当に凄いや」

「べっ、別に、あんたがぼんやりして何も考えてなさそうだから、仕方なくよ! 釣り餌だけ投げてもだめよ。追い込むための網も張らなきゃ」

 石階段を駆け下りている途中で王城の鐘が鳴り響きはじめた。

非常事態を告げる鐘だ。

 振り返ったイズーが悲鳴をあげた。

「ほら、第一陣が来たわよ、あんた何も考えてないくせに度胸だけは妙にあるんだから!」

 やはりダニーラは諦めてはくれなかった。もう御終いだ、どうやって逃げようか。

 聖堂広場にも展開しつつある近衛隊の姿にエルリフが生唾をのみこんだ、その時。

 広場の入り口から、突如、見事なアルハーン馬に乗った完全武装の騎士が現れた、後背を突かれ、戦く近衛兵らを鉤矛(メイス)で叩きはじめる。鎖かたびらの上から革の胴鎧を着、総面の鉄兜は勇ましく、風雅な緑色のマントが炎のようにひらめいている。すかさず、雄たけびが後続してきた。黒い軍団は、親衛隊だ。

 路を開き、石畳を軽快なほどの馬脚で打ちつけながら異教の騎士は思わず壁際で立ち尽くしていたエルリフらに向かって乗り付けた。腰の黄金ベルトに下げている剣を見て、ようやく正体が分かった。それは武器庫にあったヴァルーシ王国秘伝の片刃剣……エルスラン王が手ずからヴァルーシ騎士の称号と共に賜ったのだ、“彼女”に。

 騎士は、鎖じころつきの鉄兜をじゃらりと脱いだ。黄金色の髪が溢れ、煌めく。

 シャティ! とエルリフが歓声を上げると、彼女は凛々しい笑みを返してくれた。

「何とか間に合ったようね。お次はどちらへ? お嬢さま?」

「それが……シャティ。状況が変わったの。その、都を出るには出るけど、その……」

 手短に説明を受けたシャティは、時折襲いくる近衛兵らに反撃しながら、理解した。

「二人で、行けますか?」

 シャティはイズーに、というより、エルリフに尋ねていた。慌てて頷き返す。

「では、食い止めましょう。今は……ご無事で。エルリフ殿。貴方を見込んでよかったわ」

 女騎士は微笑みを消し、下馬した。抜刀し、威嚇の声を張り上げながら近衛兵らを凄まじい剣技で圧倒していく。

「行け! 行くんじゃ、ワレ!」 

 突然エルリフは背後から突き飛ばされ、イズーが悲鳴をあげた。見やれば戦斧を下げた隻眼のヴォルコフが、関節が外れそうなほどの強力でエルリフの肩を掴み寄せている。

「お、お父さん! いつの間に……ミーチャの容態は、どうです?!」

「せがれも健気に戦っておるわ。頼んだぞ、陛下を連れ戻すことが何よりの薬よ! そちがおなごだったらのう、我が拳に賭けてせがれの嫁にしてやったものを。残念だわい……」

「はい?」

「ちょっ……ちょっと! じゃこれで、失礼しますわ将軍、ご武運を! ……似てないくせに親子揃って油断も隙もないわね、まったく!」

 イズーがエルリフの首根っこを掴み強引に引き離した瞬間、王城の正面門が開け放たれ、精鋭を引き連れたダニーラの姿が騒乱の広場を威圧するように現れた。

 仲間が命がけで稼いでくれている時間を無駄には出来ない。イズーは騎馬の手綱を掴み、鐙(あぶみ)に足をかけて身軽に騎乗した。見とれていたエルリフは緊張してきた。

「あの、イズー。俺……鐙作りや蹄鉄打ちは出来るけど」

「乗れないんでしょ! とっくに折込済みよ。早く、あたしの後ろに乗りなさいよ」

 情けないと思い悩む間もなく、エルリフはイズーの手を借りて後ろによじ登る。

「す……凄い馬だな、高い! 遠く前まで見える!」

「シルヴェンっていう名前なの。アルハーン馬の純血種よ。世界一の馬なんだから」

 イズーの掛け声と共に馬は駆け出した。馬には糧食やテントまでが積まれている。

「イズー、すべてが終わったら、君に言いたいことがあるんだ」

「こ、こんな時に何言ってるのよ、なんなら今、言っちゃえばいいじゃない……」

「だめだ。必ず言うよ……言えるように、頑張るよ、俺。君の問題は、もう君だけの悩みの種じゃない。もしもの時は、俺も一緒に悩むから。俺の父さんの遺言なんだ、”いつまでも自由でいろ”って。俺にとって大事な君の心が、自由でないなんて、耐えられない」

 城門を抜け、街を通りぬけながらイズーが黙り込む。やがて洟をすすった。

 エルリフは胸を塗りつぶされたような気分になって、彼女の腰に廻した腕に少し力を篭めた。

「ごめん……変なこと、言った。泣かせるつもりじゃ……」

 ばかね! とイズーがエルリフに向かって叫び返しながら、目元を空いた片手の甲で乱暴に拭い、今度は笑い始めた。初めて聞く様な無邪気な少女のような笑い声だった。

「本当に、バカね。嬉しいからに、決まってるでしょ! 不覚にも感動しちゃったわ……良かった、貴方の側にいて……いたいって思ったの、間違いじゃなかったわ」

 目を瞠るような名馬に跨った美女、そしてその後ろに乗っているヘタレ男の図は、いやがうえにも人目を引いた。

 緊張で上ずりつつも、打ち合わせ通りに方々に向かって叫ぶ。

「みんな! 俺はカローリの鍛冶屋のゴルダロスだ! 街中の皆にも伝えてくれ! 俺は、陛下を救いにいく。皆も北の巡礼地へ行き、お迎えするんだ! ユーリク様の御加護を得て、エルスラン王は必ず、お戻りになる!」

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