壱 前奏曲

第1話 幕が上がる

「で、どうかな。個人的にはそれなりにできたと思うんだけど」

「自分でそれなりだという自覚があるなら、もう少し変わるかもね」

 柿原は本をパタンと閉じ、いつもの如く毒を吐いた。たしかに、彼の言っていることは正しい。いつもストーリーの概要はしっかりしていて、矛盾なんてどこにもない。そんなそれなりな出来だからこそ、読む人は退屈に思うであろうことは僕自身よくわかっていた。でも彼はいつも、批判しかしない。そこからどう改善すべきかを言わず、これは良いこれは悪いと、第三者の目線で物事を見る。それは小説に限ったことではなかった。以前修学旅行で部屋でニュースを見ていたときに、初めて見るニュースに映る人について、専門家が語る前にズバズバと物を言った。その彼の口から発せられる、というか飛び出てくる言葉たちに、何故か妙な信頼感を抱いてしまう。だから、僕は新しい作品を作り上げたときに最初に持っていく宛は彼だと決めていた。

「でもな、これ書き終えてから丸一日、授業の間も改善策を考えていたのに全く思いつかなかったんだよ。なあ、柿原。これには何が足りないんだ?」

 そう尋ねても、いつもどおりの答えが返ってくるとそのときは思っていた。

「じゃあさ、一回うちの部、来てみる? 今日活動日だから」

「え?」

 その答えは予測しなかったもので、特に聞こうともしていなかったが、本能的に驚愕すべき言葉だった。

「でも、お前の部活、軽音部だよな? なんで小説を持っていくんだ?」

「まあ、それは放課後のお楽しみ、ということで、予鈴鳴るよ」

「そうだな。席戻るから、また掃除時間聞く」

「……は? お前今日あと一時間授業受けたら終了だぜ? だから余裕があってお前を呼んだんだよ。普段だったら授業六時間受けて掃除して、お前は宿題とか小説とかで放課後開いていないだろ」 と、柿原が席に戻りたそうに、でも、もう少し要件を伝えたそうにそわそわしていた。

「わかった、また話はあとにしよう」

 柿原は僕の言葉を聞くや否や颯爽と自分の席に戻った。ちょうど柿原が座った瞬間に先生がドアを開けて入ってきた。そして、今日の最後の授業が始まった。

 

     *** 


「今日はお疲れ様。授業疲れたな」

「って、今日の授業は四コマしか受けてなかったじゃん」

「いや、体育の体力テストのシャトルラン。あれは絶対に春にやったらだめだ。マラソンは冬にやるのに、この時期にもなると、ちょっと走っただけで汗だくになる」

「僕は汗はかかないけど、疲れちゃうな。持久力も、足の筋肉ももたない」

 僕は柿原と一緒に軽音楽部、通称軽音部の部室に向かっていた。

 僕はてっきり、軽音部に連れて行かれて、普段教室のみんなの輪から外れて小説を書いたり本を呼んだりしていた僕とは正反対の性格の『イケてる』人たちに小説を見せて、笑われるのがオチだと思っていた。もしくは、軽音部の作詞担当の人に見てもらうとか、その程度だと思っていた。しかし、そこに待っていたのは、僕の高校生活を一変させるきっかけだった。

「なあ柿原。僕はなんで軽音部に行かなくちゃならないんだ? 小説はまた構想練り直すことにしたから、また別の機会に見せるとかでいいんだけど」

「ああ、そのこととはまだ別件だ。会ってもらいたい人がいるんだが」

「会ってもらいたい人?」

「そうそう。ほら、着いた。ここが軽音部の部室だ」

 軽音部、改め軽音楽部の部室は、普段は視聴覚教室として使われている。しかし、視聴覚教室と言っても、映像資料を用いる授業はあまりなく、高校三年生が補習で使う程度の用途しか、僕を含め、一般の生徒は知らない。だから、一部の生徒はそんな軽音部の生徒を羨んでいる。正直、教室なんて入ろうとしたらいくらでも入れるわけで、卒業生が自分の学んだ教室を懐かしむわけでもないのに羨む理由はよくわからない。

「ほうほう、久しぶりに入ったな。で、会わせたい人というのは?」

「それが、まだ来てないみたいだ。おかしいな。今日は全学年二時解散のはずなのに」

「で、僕は結局どうしたらいいんだ?」

「ああ、それはだな……」

 

 その時、後ろから声がした。

「柿原先輩! おまたせしてすみません」

「いや、俺たちもいま来たところだから大丈夫」

「ちょっと終礼が長引いちゃって、そちらの方が先輩の言っていた人ですか?」

「ああ、そうだ。彼が秋叢晴太こと、秋村皐月さつき。小説を書いている。ついでに鳥好き」

「その情報いる?」

「秋村先輩。私、水無月舞って言います。よろしくお願いします! 名前は自由に呼んで下さい。みんなは一応、まいちゃんって呼んでるんでそれでもいいですが、まあ慣れない間は普通に上の名前とかでもいいですよ」

 はきはきと喋り、こちらに笑いかけてきた顔に一瞬戸惑ったが、明るそうな子だった。まともに後輩と、それも女子と話すことなんて最近なかったものだから、女子の気持ちを読み取ることについては感覚が鈍っていたが、彼女が今の生活に満足して、楽しんでいることだけはわかった。

 水無月さんは、クラスの男子が話している今流行のアイドルのような可愛らしさがあり、僕のように好きな女優やアイドルがいない人でもわかる、いわば学校のマドンナのような子だ。笑い方は上品だがどこか幼さがあり、自然に切りそろえられた少し短めの髪が、よりあどけなさを強調していた。

「え、ああ、よろしく。で、柿原さ~ん。これはどういうことでしょうか〜」

「おっ、そうだな。突然だが秋村、暫くの間こいつと、まいちゃんとペアを組んでほしいんだ」

「ま、まいちゃんって…え…………は?」

「あ、ペアというのは、フォークダンスの相手でも、恋人でもないぞ?まあ、恋人はなってもいいと思うが」

「なっ……」

 僕は顔を赤らめた。それを見て、水無月さんはクスッと笑った。僕はわざとらしく咳払いをして、「で、ペアとはなんだ」と話題を戻した。

「ペアというのは、何か文字による作品を作る時のペアだ。実は、今年軽音部に入部してきた一年生の中で、全く音楽に触れてきたことのなかったのがまいちゃんだけなんだ。他の奴らはみんな、ギターのコードや弾き方、ドラムの叩き方、中にはミュージックビデオの作り方まで熟知しているやつもいた。初めてギターを持ったときは、危なっかしくて目が離せないレベルだ。素人よりひどいっていうのは、まさにまいちゃんのことだと思う」

「そうなのか。でもお前、そこまで後輩の女子のことをめちゃくちゃに言ったら……」

 そう言って水無月さんの方を向くと、彼女は変わらずのんきな顔で「言い過ぎですよ〜」と笑うだけだった。

「でも、僕も持ち方とか弾き方とか知らないけど、何をすればいいんだ」

「そのあたりは俺たちが教えこんだから。お前には曲作り、特に作詞について相談に乗ってやってほしいんだ」

「でも、僕曲なんか作ったことないし、そもそもそれもお前らがやればいい話じゃ……」

「でもでもでもでもうるせぇなぁ。俺はお前に合ってるからってこの話を頼んでるんだ。それに、これはお前のためでもあるんだぞ」

「それはどういうことだ?」

「それぐらいは、自分で考えな。とにかく、二人で何とか頑張ってもらうからよろしくな」

 そう言って、柿原はかっかと笑った。

「まあ、序盤は俺もサポートするから。気にすんな」

「いや、気にする。まずな、お前。僕は極度のコミュ障なんだ。だからこうして小説を書いているんだよ。わざわざ教室の中で気配を消しながら」

「俺からすると、むしろオーラがすごいけどな。だから誰も近寄れなくて、実は……」

「だったら結構。目的に合ってるならいい。で、僕は別にそんなに文を書くのがうまいわけじゃない。それに……」

「先輩、早速聞きたいことがあるんで、こっちに来てくれませんか?」

「えっ、ちょっと」

 水無月さんはそう言うや否や僕の手を引いて歩き始めた。そこそこ力はあるようで、ひ弱な僕は簡単に連れて行かれた。後ろを振り返ると、柿原が満面の笑みでこちらを見ていた。後で必ず仕返しすることを心に誓って、僕は諦めて水無月さんに連れて行かれた。柿原は相変わらず、得意げな顔でついてきていた。


「え、ここは壁だけど、ここでするの?」

「先輩、見ててくださいね」

 これを……こう!と水無月さんが声を出して壁に何らかの細工を施すと、壁はガランと回転して、薄暗く、とても広い空間が出てきた。そう、連れて行かれた場所は視聴覚教室の隣にある隠し部屋だったのだ。

「柿原、これは……」

「特別だ。本当なら部員以外をここに入れるのはご法度なんだが。なあ、秋村。そこそこ部員のいる軽音部が、あんな狭い視聴覚教室で練習できると思うか?第一、あそこには最低限の防音設備しかない。それでも周りから苦情が来ないのは、俺達がいい賞を取りまくっているって理由だけじゃない。俺達はいつも、この秘密の場所で練習している。ほら、この学校のホールが校舎と変な壁でつながっているだろう? それはこの回転用のスペースを隠すためなんだ。もしこんなのを部外の生徒が知ったら、好き勝手遊んで壊すかも知れないからな。もちろん、このことは他言無用だ。いいな」

「わかったけど……こんな場所にわざわざ部外者の僕を入れたっていうことは……」

 その時、後ろでパタンという音がして、扉だったはずのものが壁に溶け込んでいた。

「そうだ。出るのにも部員の助けがないと、帰ることはできない」

「この悪魔! 人でなし!」

「っははは。言うがいいさ」

 こんなにテンションの高い柿原を見るのは珍しい。今の柿原は、まさに軽音部の人だった。要するに、なるべく関わりたくないテンションだった。それでも、柿原が自分に対してここまで素を見せていることに対して、少し嬉しい気持ちはあった。その顔を見ていると、昔の自分にすらなかった無邪気ささえ感じられた。

 僕はその先へ案内された。雰囲気は大きなホールの舞台裏といった感じだったけど、普段学校集会などが行われるとき、話す人の待機場所としてそれとはまた違ったスペースらしかった。日本人の好む昔ながらの木材の匂いが心を落ち着かせ、体力が回復していくかのように感じられた。

「じゃあ、ここに座ってください。ちょっと待っててくださいね」と、水無月さんはどこかに行ってしまった。


「おじゃましまーす」と水無月さんが僕の座っているところの近くに座った。

「どうぞ、ってか、本当は邪魔しているのは僕の方なんだけどね」

「みんな自由にやっているんだね」

「ここでは、部員たちは来たときに空いている席に座るんだ。で、その時々に居合わせた人でおしゃべりしながら交友を深める。ああでも、雑談ばかりじゃない。この歌詞はこれで人の心に響くか、ここのコードはこれとこれのどっちがいいか。ちょっとここ弾いてみてくれませんか? ここ一回合わせない? みたいな具合でね。今の時代の会社は実際に、こんな感じでやってる。フリーアドレスっていうやつだ。そして、どんどん業績を上げている。例えば、ニコニコ動画作ってるドワンゴとか、かの有名ネットサービス会社のグーグルとか。これが現代風部活、軽音楽部だ」

「ふーん」

 僕は周りを見渡してみた。あるテーブルではギター片手にパソコンを見ている三人組、またあるテーブルではお菓子を頬張りながら話している四人組など様々だったが、僕の目にはそれらは楽しそうに見えた。たまに目があった人は、好奇心半分疑問半分の笑顔で返してくれるから、思わず愛想笑いをしてしまう。そういえば、ここにいる柿原と水無月さん以外の軽音部の人は、突然入ってきた部外者に対して、不思議な気持ちは抱かないのだろうか。すでに僕が来ることが伝えられているからなのか、あるいはよほど柿原の権威が強いのか。

 柿原弥生やよい、彼はこの学校の中でずば抜けて歌がうまく、ギターのテクニックもすごい。軽音楽、つまりギターとかベースとかの弦楽器を全く触らずにこの年まで生きてきた人間にとって、言い表せる言葉はそのぐらいである。それでも、ダントツに上手いことはなんとなくわかった。去年入学して迎えた初めての文化祭。見に来いと言われて行った会場では、驚きの声や、感嘆する声が多く見られた。それほど人の心を惹きつける彼だが、普段の生活では何かしてもらったとき、「ん? おお、ありがとう」といってスマホで音楽を聞き続けると言った風に、それほどきらきらしたキャラではない。そのギャップに惹かれる人もまた、そこそこいるらしいのだが。

「お待たせしました。じゃあ、今日は軽い感じでお願いします」

「軽い感じって言っても、やることは僕が決めるわけじゃないよね」

 そう柿原の方に助けを求める眼差しを送ったけど、「決めたきゃ決めれば?」という目で返してきたので、仕方なく話を持ち出してみることにした。

「こういうときは自己紹介とか?」

「あ、いいですね!」

 僕は小さく机の下でガッツポーズをした。後輩の女子との会話での言葉のチョイスは、初めてでここまでうまくいくものなんだな。

「じゃあ言い出しっぺの僕から、ちなみにどこまで聞いてる? さっきのことぐらい?」

「えーと、それとあとは、クラスではあんまり話さないことぐらいですかね。だからさっき話し始めたときはびっくりしました。まさかこんなに喋る人だったとは」

「ああ、じゃあ追加で。僕がクラスであまりしゃべらないのは、クラスの中に気の合う人がいないからで、そういうキャラを演じているだけなんだ。僕に関わってくるような人は、ワルぐらいしかいないからね。一応話そうと思ったらこれぐらいなら」

「そうなんですか。またそんな感じになってますね」

「逆に聞きたいことは何かある?」

「えーと、じゃあ担当していた楽器はなんですか?」

「……柿原さん? 僕はギタリストかドラマーとして通っているのでしょうか」

「そんな覚えはないけど。まいちゃん天然だから、たまにこんなこと言うんだよ」

「確かにそんなことは、たまに言いますけど……でもこれは違うんです」

 照れていながらも、水無月さんの目は真剣だった。

「秋村先輩。本当は全く音楽に関わってこなかったド素人……なんて、とんだ嘘っぱちですよね」

 なぜだろう。こんなタイミングでバレるとは思わなかった。バラす気もなかった。でもどうして、今日初めて会ったばっかりの後輩に、高校生になってから誰にも話さなかった、思い出すことすら拒んでいた、自分の素性を見抜かれたのは......なぜだ......ろ......。

「……むら、秋村、秋村!」

 はっと気がつくと、柿原が俺の肩を思い切り揺すって、名前を呼びかけていた。隣では水無月さんが、心配そうな目でこちらを見ていた。僕はなぜか叫びそうになっていた本能を抑えて、冷静になるよう努めた。

「お、俺は一体何を……。すまぬ、柿原。ちょっと、座らせてくれ」

「わ、わかったけど。お前、オレオレキャラだったか?」

「え、えーと……そうだ、老いぼれだ。ぼけーってしている俺……僕が老いぼれすぎて、いやあ、高校生ともなると一気に年取るもんだなあって、あははは」

 おそらくごまかそうとしていたのだが、自分が何を言っているのか、自分でもよくわからなかった。

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