第3話 『Shout It Out Loud』

「――相澤ァ、おめーはその足りねえ頭でいっぺんしっかり考えろや。重音楽部が存続できる理由を、50文字以内で簡潔に説明しやがれ」


 薄暗く閉塞感に溢れた生徒会室の中で、生徒会副会長の霜山勇樹はそう言って銀縁眼鏡をクイと直した。長机を隔てた向こう側に立つ相澤は、その憎らしいニキビ面に殴りかかりたい気持ちをぐっと抑え、むむむと唸る。


 各部活へ部費を割り振る役目を持つ生徒会副会長は、学校の算盤役として恐れられている。特に、副会長補佐時代からその頭角を現し、凄まじい推進力で事業仕分けを行い、増えすぎた部活動や同好会の処理をして、これから伸びるであろう部活動や同好会へ投資をし、完璧主義な仕事を行う霜山は、「本校創立以来最も完璧な副会長」として評価が高い。

 ただしそれは、重音楽部のような風前の灯火の部活にとって、天敵であるという意味でもあって。


「……存続できる理由は……」

「理由は?」

「……無いっす……」

「おうおう、わかってんじゃねえか」


 ものすごく素直な性格の相澤がものすごい熟考の末にものすごく素直に答えると、霜山はフンと鼻を鳴らし、机の上の帳簿を手に取った。


 相澤と霜山は仲が悪い。それは重音楽部がどうたらという理由から来る不仲ではなく、単純に性格が合わないのだ。下から数えたほうが早いほどに勉強ができない相澤とは対照的に、成績優秀でスポーツ万能、それでいて生徒会の仕事のよくできる霜山のことを慕う生徒は数多い。


 しかし、相澤にとっての霜山は、口が悪くて高圧的で、決まり事にうるさい、損得勘定と商売が好きで情のない嫌な奴でしかないのだ。


 霜山の生徒会役員就任後に、重音楽部は割り当てられる予算が減った。とはいえ活動の規模は全盛期の半分くらいだから減らされることに異存はないが、半額になったどころではなく、前年の1/5にも減らされたものだから、文句のひとつふたつ言いたくもなる。

 もちろん抗議をしたが冷徹な霜山に聞き入れられるわけもなく、それどころか相澤はジャージ登校を校則違反だと咎められた。ムカついたから霜山の下駄箱にバナナの皮を仕込んだが、ものの5秒でバレた。


 それだけではない。体育祭のときは実況放送で名指しで煽られ、テストの後は「学年116位の相澤ァ!」だの「偏差値38の相澤ァ!」だの廊下で叫ばれ、林間学校のときはおやつの上限額をひとりだけ誤って伝えられ。いやその、上限額をわざと少なく教えられる分には、尾津たちから巻き上げればいいのだ。だが霜山は、敢えて規定の3倍額を通達して来た。おかげで相澤は「アホか」と学年主任の富井にこってり絞られた。

 もちろん、それで黙っている相澤ではない。騎馬戦で負けた霜山を放送で煽ったり、テストでの霜山のミスをちくちく責めたり、林間学校の夜には幽霊の格好をして霜山を泣くまで追い回したり、相澤はそういう仕返しに余念が無い。もともとイタズラが好きだから、やり返すのは楽しかった。しかし、そんなことで霜山に対して感じている不愉快な感情が晴れる気配はなかった。



 だが、一方で相澤は、霜山のことを尊敬もしていた。霜山の丁寧な仕事には本当に感動するし、各種行事における彼の細やかな気遣いや、意見に対する対応の早さには毎度毎度目を見張る。書類の出来も、アホの極みみたいな尾津や和田や寺嶋が正確に理解して記入できるのだから凄い。素直な相澤は、霜山のそういうところを素直に評価し、常日頃から「自分もああなりたいな」と思っているのである。霜山が総理大臣になれば、日本の暮らしは確実に良くなるだろう。投票は――しないけど。


 まあ、霜山の優秀さというのは、霜山の試算によって予算が前年比1/5になった重音楽部の活動が、昨年比で一切変わっていないという辺りによく表れていると思う。


 放課後の騒めきの中、生徒会室は世間から隔離されたように静かだ。何も言わない霜山を前に、相澤は気まずく瞳を動かす。小ぶりな黒板に書かれた標語の断片や、カラーペンで予定がびっしりと書き込まれた大きなカレンダー。壁にはたくさんの写真が貼られ、書棚にはアルバムが詰まっている。

 この部屋に入ることなんて、大概イタズラを叱られるときだから、こんなに落ち着いて内装を見たことがなかった。しかしよく見ればここは数多の青春の棺桶のような場所だ。色褪せた写真に写る知らない生徒たち。体育館に似た湿った匂いに、胸がざわざわする。開け放たれた窓の向こうに、高い秋の空が見える。


「……まあ、個人的にはお前らほどいけすかねー部活は無いが……いちばん歴史のある部活、ってワケで、猶予を考えてやらねーこともねえが……」

「……まじっすか?!」


 霜山がため息とともにそんな事を言ったのは、相澤が3度めのあくびをかみ殺した丁度そのときのことだった。猶予。なんだそれ、どういうことだ、身を乗り出す相澤に一瞥し、霜山は再びため息をつく。


「おう。だが、無条件でってワケにはいかねえぞ。今から言う条件を全て達成しろ。さもなくば重音楽部は即刻廃部。わかったな?」


 眼鏡の奥の瞳に睨まれ、相澤は背筋をピンと伸ばす。もちろん、返事は「わかりました」以外に無い。廃部までに猶予がもらえるならば、廃部にならないための努力もできる。今は霜山のケツを舐めてでも媚を売らなければいけない。霜山にそんな性癖がないことを祈りたいが。


「んじゃ、耳の穴でもケツの穴でもかっぽじってよく聞きやがれ。おめーらに猶予を与えるための前提条件は――」


――後から思えば、霜山のその言葉こそが、全ての始まりだった。



***


「――ったく! CV平川大輔みてえな面しやがって! クソッ!」


 わざとらしく激しい音を立て生徒会室の扉を閉め、叫んだ相澤に、たまたま廊下を通りかかった数名の生徒たちが逃げていく。そんなことに構いもせず、相澤は大きなため息をついた。


 霜山との話し合いは、決まって罵詈雑言の披露大会に終わる。当然今日だって例外ではなく、霜山が「条件」を提示した後は、シド・ヴィシャスですら仲裁に入りそうなレベルの罵り合いが始まった。よくもまあ罵詈雑言のボキャブラリーが30分も続くなという話であるが、世の中にある大概の罵詈雑言というのは、インターネットニュースでただ流れてくるギャラガー兄弟のインタビューを読んでいれば身につくものなのだ。


 話し合い――という名の罵り合いは、「やりゃあいいんだろ? やりゃあな!」という相澤の捨て台詞とともに終わった。放課後の賑やかな廊下を部室に向かって歩きながら、相澤は再びため息をつく。


 結論から言えば、ほぼ確実に実現不可能な条件を3つ出された。そして相澤は悩み抜いた末、仕方なしにその条件を呑んだ。それだけの話だ。それだけだが、胸のモヤモヤは一歩を踏み出すごとに膨れ上がっていく。


 人をいちばん効率的に絶望させる手段があるとすれば、希望をもたせた後で、絶望するしかない難しい条件を突きつけることだろう。それは拷問の手段にもあるらしい。そんなことを昔、オカルトマニアの寺嶋が言っていた。相澤は今、身を以てその理論を痛感している。


 結局こんなもの、即死するか、確実に死ぬという前提でじわじわ殺されるか、その違いしか無かったのだ。部活動と趣味のバンドは違う。部活動は学校に鎖をつけられた文化的活動だ。その実態がどうあれ、学校が何かを決定した時には、それに服従するしか無い。これが趣味のバンドならばメンバーを変更したりして何とかなるが、部活動では、学校が廃部を決定したら、それを挽回するのは果てしなく難しい。オアシスがオリジナルメンバーで再結成して完全新作アルバムを出すくらいの難易度の話だ。そりゃもう諦めるしか無い。


――と、わかっているけれど、いざその事実を意識すると、悪足掻きしたくなるのが人間というやつだろう。


「あー、どうすればいいんだろ……」


 オズボーン夫妻も真っ青な罵り合いをしたおかげで、喉が痛かった。ふと廊下の窓から中庭を見下ろせば、中庭ではバレーボール部の女子生徒たちが円陣を作り、賑やかな笑い声を上げてストレッチをしている。その横で空を見上げてぶつぶつ言っている連中はオカルト研究会の連中だろう。なんであんな胡散臭い連中は存続できて、自分たちの部活は廃部決定なのだろうか。噂によれば彼らは「実績」があるらしいが、そもそもオカ研における実績って何だ。ギターの腕前のために悪魔と契約でもしたのか。というかあいつら、天文学同好会とやってること同じなのになぜ存続できるんだ。


 まあとにかく、今は部室に行かねば。そう思って再びため息をつき、相澤はつるりとしたリノリウムの床から顔を上げる。すぐ真横の教室の扉が開き、どこかで見知った背の高い少女が出てきたのは、ちょうどその時のことだった。


「――あっ!」

「げっ!」


 相澤の姿を見つけるなり、真新しい制服を着た瀬戸芽衣子の表情がパァっと輝く。対して相澤は芽衣子の側から飛び退いた。何故ここに芽衣子がいるのだ。いや、芽衣子が校内にいること自体には何の問題も無いし、そもそも芽衣子が出てきたのは自分の教室だから、同じクラスの芽衣子がいるのは当たり前なんだけれど。けど、そういう話じゃない。


「ね、ね、どこ行くの? あたしも一緒に行っていい?」


 大きな瞳を輝かせながら人懐こく迫ってくる芽衣子に、相澤はジリジリと後退し、やがて背中を壁にぶつけた。それでもぐいぐいと顔を近づけてくる芽衣子は、あまり相手の気持ちが読めないタイプなのだろう。またキスでもされたらたまらないから芽衣子の肩を掴んで牽制すると、芽衣子は語尾にハートマークが見えそうなほどの可愛らしい悲鳴を上げた。


「ぶ、部室、部室行くだけだから。埃っぽいし、男臭えし、狭いし、うるさいし、面白い場所じゃねえから」

「でも、つかさちゃんが行くんでしょ?」

「名前教えてないよ?!」

「え、同じクラスじゃん」

「あ……そっか。うん、いや、そうだよな」


 唐突に名前を呼ばれて驚いたが、考えてみれば芽衣子は同じクラスなのだし、相澤の名前を知っているのは至極当たり前のことだ。きょとんとして首を傾げる芽衣子は、綺麗な顔をしているからか余計に扱い辛い。これが尾津ならどんなに楽なことか。掴んだ芽衣子の肩の細さに困惑しながら、相澤は視線を彷徨わせた。


 今日の学校は全体的に、転入してきた芽衣子への興味でざわついていた。片田舎――というよりはごく一般的な田舎町にあるこの高校には、転入生なんて滅多に来ない。その上その転入生が美しい少女で、転入早々クラスメイトにキスをした、なんて、話題にならないわけがないではないか。


 休み時間になると女子生徒たちに囲まれ、華やかな雰囲気でお喋りをしている芽衣子を、相澤や吉良たちは遠巻きに眺めていた。好きな食べ物だの、好きな服のメーカーだの、好きな化粧品だの、好きなAORのバンドだの、延々とそんなつまらないインタビューをされてもにこやかに答える芽衣子は、きっと親切な性格なのだろう。ただ、授業開始のチャイムが鳴って人の輪が捌けていくと、さすがに人疲れしたのか、芽衣子は目を閉じてため息をついていた。相澤はそんな芽衣子を、少し可哀想に思っていた。


 そして悲しいことに、相澤がキスをされたことは、重音楽部の廃部決定よりも大きな噂となっているらしかった。昼休みに遊びに来た尾津と寺嶋と和田は、口元を両手で隠しながら遠巻きに芽衣子を眺めていた。心配しなくてもお前たちにキスをする女子はいない。だが、廊下ですれ違う友人や教師の全員にからかわれるのは、なかなか堪えた。恥ずかしいことこの上ないが、常にクラスメイトの輪の中にいる芽衣子へ話しかけるタイミングも無く。


 そんなこんなであっという間に1日が過ぎ、そして、今である。華奢な芽衣子の肩に触れていると頬が熱くなるような気がして、相澤は芽衣子から手を離す。芽衣子の背後を通り過ぎる柔道部の巨漢たちの視線が痛い。なぜあの角刈りどもは全員揃いも揃って真顔なのだ。クラフトワークのアルバムジャケットか。いっそ笑ってくれ。もじもじする相澤に、芽衣子は可愛らしく小首を傾げ、眉尻を下げて困り顔を作る。


「ついてっちゃダメ? 一緒にいるだけでもだめ?」


――まったく美少女ってのは得だ。そんな顔してお願いされたら、断るわけにはいかないんだから。

 渋々頷くと、芽衣子は嬉しそうに笑って腕に抱きついてきた。そうされると、二の腕のあたりに柔らかい胸の感触がして実に気まずい。気まずいが、振り払うと余計気まずい。黙って廊下を歩き出すと、今度はすれ違う剣道部の連中の視線が痛かった。だから真顔をやめてくれ。そんなに真剣な瞳で見つめられるよりは、いっそクリムゾン・キングの宮殿みたいな顔を向けられたほうがマシだ。


「ね、部活って重音楽部って言うんでしょ? 部室どこ? つかさちゃん部長さんなんだよね。軽音楽部とは何が違うの? つかさちゃんの他に何人いるの?」

「……部室はそこの廊下の奥。部員は自分含めて4人。軽音楽部とは、バンドやるって所は一緒だけど、違いってなると……」

「つかさちゃんはギター弾いてるんだよね」

「誰に聞いたの?」

「うん。前の席の子に。ね、どんなバンド好きなの?」

「……言ってもわかんないと思うよ」

「当ててあげよっか。ブラックサバスでしょ」

「……それも誰かに聞いたの?」

「ううん。そんな顔してるから」


――どんな顔だよ。

 図星を突かれて一瞬ひやりとしたが、どうせそれもクラスメイトから聞いたのだろう。ニコニコ笑う芽衣子の体温を感じながら図書室の角を曲がると、吹奏楽部が練習する賑やかな音楽が、より鮮明に聞こえた。

 よく耳を澄ませると、あの曲は『ボヘミアン・ラプソディ』だ。そういえばずいぶん前、吹奏楽部の部長の栗栖が、「今年の暮れにクイーンの映画が公開するから練習しているのだ」と言っていたっけ。ギターソロを弾いてくれと頼まれて、自分のギターはあの曲に合わないからと断った記憶がある。あのときから、もう何ヶ月経ったのだろう。映画の完成を何年も心待ちにしていたから、その辺りの記憶は曖昧だ。


「……瀬戸さん、あの」

「芽衣子って呼んで。『芽衣子さん』とか『芽衣子ちゃん』じゃダメよ。『芽衣子』って呼ばないと怒る」


 窓からの柔らかい光に目を細め、むうと頬を膨らませる芽衣子に、相澤は戸惑う。この子ってこんな、なんというか、女の子らしく女の子した性格なのか。級友と話しているのを遠目に見ている限りでは、淑やかでほんわりとした雰囲気だったが。面倒臭いと思いつつ、「芽衣子」と呼んでやると、芽衣子は笑顔を輝かせた。


「芽衣子、えっと……その、なんで、キス――」

「あーあ、今日は疲れちゃった。お喋りは好きだけど、あんなにいっぱい質問攻めされたのは初めて。スーパースターにでもなった気分。でもみんな面白いね。楽しかったよ」

「そうじゃなくて、あのさ」

「文化祭、終わっちゃったんだね。いいな、あたしも参加したかったなあ。2年のこの時期から転校なんて、修学旅行も終わってるじゃん。つまんないの。来年こそクラスのみんなと文化祭頑張りたいなあ。うちのクラス、メイド喫茶とかやったんでしょ? いいなあ。やりたいなあ。受験も忙しそうだけど、やっぱ学生の本領って、部活に、行事に、恋に、ってトコでしょ? だからね――」



 相澤の問いかけに、芽衣子は露骨な誤魔化し方をして髪をかき上げる。その頬がわずかに紅くなっているのに気付き、相澤は自分まで頬が熱くなるのを感じた。なぜ芽衣子が恥ずかしがるのだ。自分からキスをしてきたくせに。それからクラスメイトがキスについて訊いても、涼しい顔して聞き流していたくせに。でも、なんだか、そういういじらしいところに――惹かれてしまう自分がいる。


「……でもあたし、つかさちゃんと仲良くなれれば、それだけでいいの」


 多目的室から聞こえる演劇部の発声練習に紛れ、ほとんど掻き消される芽衣子の声。それを右耳に捉えて芽衣子の横顔を見上げると、微かに松葉色のかかった瞳は俯き、静かな憂いの気配を帯びている。唇を開きかけた相澤は、結局言葉を見失って前を向いた。そうすると、右腕を抱く芽衣子の細い指が、ほんの少しだけ強張った。

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