Poetry work 『吟遊詩人』

乙音 メイ

『吟遊詩人』


 『吟遊詩人』乙音メイ





彼はいつもひとりだった。

ひと言も言葉を発さなかった。


ふらりと来て 用意した食事をおいしそうに食べ

またふらりと帰って行った。


何回か うちで食事をしたあと 

ゆったりと長居するようになった。


けれどやはりひと言も声を発さない。

何があったのか? わたしは そっと静かに見守った。


見かけはダンディ いつも暗いグレーを纏っている。

でも ちらりと見える靴下は 鮮やかなオレンジ色。


食後 彼は外の景色に見入っている。

その横顔は 吟遊詩人を思わせる。


厳しい表情の中に すべてを許しているような 

永遠性を感じさせる何かがあった。


遠い目で 自分がここに今存在していることを

悟っているようだった。




ある日 彼は食事のあとで とつぜん口を開いた。

「СпосибоMerciKiitos

СпасибоTeschecuredelimMerciMerci」


初めて聞く美しい音の数々

キラキラ輝く透きとおったたくさんのジュエリーがその口から零れ落ちてきた。


わたしの手だけでは受けとめきれないほどだった。

このたくさんの美しいものをわたしは全身で受けとめ胸にしまった大切に。


彼はやはり吟遊詩人だった。

歌を忘れた吟遊詩人が 歌うことを思い出したのだ。


それからの彼は違った 彼が胸に押し込めていたたくさんの思いを

ほとばしり出るハートの愛の歌を 毎日歌い上げた。


その歌は わたしも風に乗ってどこかに行けると思えるほどの軽やかさをあたえてくれる。

聞くものを魅了する。


しばらくすると 彼は 仲間を連れてきた。

ふたりでうちの食事を食べ しばらくくつろいでいた。


彼のエスコートは完璧だった。

わたしに 花嫁を見せにきてくれたのだ。


次の日、彼と彼女は ハネムーンに旅立った。

そうして 秋になった。




次の春、彼らの息子が うちに来た。

彼の子供だけあって やはり無口だった。


無言で食事をし ふらりと帰っていく。

まるで彼の生き写しだった。


そしてある日 彼は食事のあとで とつぜん口を開いた。

「СпосибоMerciKiitos

спасибоTesche curedelimMerciMerci」


彼の息子もまた 美しい言語の語り手だった。

わたしは今度はその美しい輝く言葉を紙に書きとめ、彼が旅立つことがあっても彼の歌を忘れずにいようと思った。


「СпосибоMerciKiitos

спасибоTesche curedelimMerciMerci」

「スパシーバメルスィキートス

スパシーバテシェキュレデリムメルスィメルスィ」


あとからあとから 彼の口をついて出てくるのは たくさんの「ありがとう」の言葉だった。

彼の中には こんなにもたくさんの輝く「ありがとう」の気持ちが詰まっていたのだ。




あとになり 彼は 遠く緑深い山原から海を渡って来たのだと知った。

人は彼を ジプシー「ヤンバル・クイナ」と呼ぶ。








12,FEB,2019屋久島にて




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