Ep.6 花が咲く――。

「それで、これからどうするの」


 あれから数分。未だに3人は屋敷の扉の前に居座っていた。


 石畳みの階段に腰を下ろしながら、妖精を手のひらに乗せたまま座るハボックに向かってリリーがなげやりに問いかける。


「えっとそれは……この家の人の帰りを待つとか?」


「冗談でしょ。どんな人物かも分からないのに、会う気はないわ」


 そう言うと、リリーは不機嫌そうにそっぽを向いた。


 妖精に連れて来られて期待していた自分が馬鹿だった。やはり妖精もそうだがこの森の中の存在に油断をしてはいけない。さっきのような妖精たちの仕打ちを受けかねないのなら当然、この屋敷の主に会うことも妥当ではないだろう。今まで森の中を歩いて危険な生物の一匹にも会わなかった事も、初めて出会った妖精という特異な存在が思いのほか呆気のない弱さだった事も幸いだ。


 だが今度はどうだろうか。それこそ屋敷の主人に会ったとして、いきなり家に訪ねてきた異世界の人間という存在に対して、その主人が妖精よりも熾烈な反応を見せてきたら?


 最悪、今度こそ殺されてしまう結末だってあるかもしれない。だがしかし、当てがないのも確かだ。


「そういえば妖精さん。森の中を歩いているときに思ってたんだけど、妖精さんたち以外にその……動物とかはいないの? ここに来る間に生き物がいなかったから……」


 今さっき考えていたことの一つを偶然にもハボックが妖精に問いかけた。リリーも静かに耳を傾ける。


「動物……? いないよ最近は。昔は人食いの魔物とか、一角獣だったり色々いたんだけどさ。この屋敷のアイツが越してきたぐらいからちょうど、みんなぱったりいなくなったんだよ。おかげで楽しみが少なくなっちゃったんだよな……あ~あ」


 ハボックの手のひらで寝っ転がって、あくびをしながらスペンシーが言う。


 なるほど。それで森の中をあれだけ歩いていたのにも関わらず他の生物の姿を見なかったのも、鳴き声の一つも聞かなかった訳もそういう事か。


(今はいないとはいえ、過去に妖精が言った通りに人食いの魔物がいたのだとすれば、昔森に入った者が呪われたのだの食われたのだのと村で語られても仕方がないわね)


 妖精たちに絡まれてから不快なイラ立ちが胸の内をかすめていたが、わだかまっていたそれが少しだけほぐれるような気がした。フッと息が吐く。


「ねぇ、妖精さん。君の名前はなんていうの?」


 妖精に顔を近づけて、ハボックはまた問いかけている。あれだけ驚いたり怯えていた様子を見せていたというのに、今ではその時の表情かおの一つも見せてはいない。

 肝がすわっているというよりは単純に、慣れてきているだけか、もしくは置かれている状況の事を忘れているのだろう。


「んぁ? 名前? いや……人間にそんな簡単に教えられ……」


「“スペンシー”だったかしら? あんたが近づいてった妖精が高い声で叫んでた気がするけど。そうじゃないの」


「ぐ……っ!?」


 こいつ聞こえてたのかよ、とでも言いたげな顔でスペンシーはリリーの顔を見つめた。


「スペンシーかぁ! なんだかかわいい響きだね!」


「…………君、それ褒めて言ってるのか……」


「良かったわね。“スペンシー”」


 へそが曲がったような顔のスペンシーと笑顔を見せるハボックの隣でリリーはこぶしを作る。


(……隙があったらまた握り潰してやる。)


 さっきの妖精騒動がそうではなくても、この妖精は何かを企んでいる気がする。侮ってはいけない。早いうちにケリをつけておかなければ。



――――妖精をいじめちゃダメだよ。



 その時突然、リリーの耳に”何か”が囁いた。心に語り掛けるように優しく響いたそれはまるで、知らない女性の”声”のように聞こえた。


「!?」


「リリー? どうしたの立ち上がって?」


 今は自分たち以外に人影や生物らしきものはこの場所にいないはず。妖精たちの姿もあれから見てはいないので、彼らでもないだろう。だとしたら、今聞こえたものは一体。いや、気の所為なのだろうか。それにしてははっきりと聞こえたような気がするが。


「リリー? お~い」


「ほっとけよ。自分で勝手に色々考えてんのさ。誰かの思惑を潰す事とかな」


 二人が話している横で、リリーは辺りを忙しなく見回してみた。だがやはり、自分たち以外に屋敷周辺に見当たる影はいない。


(気のせいか……)


 もしかしたら森に入ってからずっと歩いて来た所為で、疲れて幻聴の一つでも聞いたのかもしれない。

 そう思って、もう一度腰を下ろそうとすると。



――――おいで。中に入れてあげる。 



「!!?」


「リリー……大丈夫? なんかさっきから立ったり座ったりしてるけど……」


「今……なんか聞こえなかった?」


「え?」



 ギィィーー………………ィ……ィィ…………。



 ハボックとリリーが顔を合わせていると、突然、背後から木の軋む音が響き渡った。二人が音に連られてゆっくり後ろを振り向くと、さっきは頑丈に開く気配のなかったはずの屋敷の扉が小さな隙間を見せて開いていた。


「扉が……!」


「開いた……」


「え、うそ」


 スペンシーも寝返っていた体を起こす。誰が見ても紛うことなく、扉は確かに開いていた。突然に起きた現象に、三人は呆気に扉を凝視する。



――――おいで。こっち。



 また、”声”がリリーの耳元を囁く。さっきはどこからこの”声”が発生しているのか分からなかったが、今度は屋敷の奥から聞こえて来ているようにはっきりと感じた。横目でちらりとハボックたちの様子を伺ってみるが、この声が聞こえているようには見えない。


(亡霊みたいなものかしら……)



――――おいで。こっち。この奥に。おいで。おいで。



 まるで呪文のように、”声”が同じ言葉を繰り返し出す。何かの栓が抜けたように、ひっきりなしに屋敷の中から聞こえてきた。


 どうしようか。屋敷の中に入れば、いずれここの主人が帰ってきて見つかる羽目になるやもしれない。そのリスクを冒してまで屋敷の中に入る価値はあるのだろうか?



 


「……行きましょ」


「えっ!?」


 取っ手に手を掛けて、重たく軋む扉を力いっぱいに引っ張り、リリーは一歩、足を踏み入れた。後ろからハボックの呼び止める声が聞こえてくるが、そのまま屋敷の中へと進む。

 中に入るとそこは真っ暗だった。けれども、後ろの開いた入口から洩れる蒼白い光のおかげで、周囲の物が多少は伺える。


(ここは……ロビー?)


 大きな建物にはこういった大広間ロビーがあるものだと聞いたことがある。こんな広い場所にそもそも来たことが無いので、少し自信がないけれど。



――――2階。その奥に。おいで。そこで待ってる。



 不意にあの”声”がまた響いた。聞こえた方向に首を向けると、前方に掛かった大きな階段が目につく。


「……最後まで案内しなさいよ。気まぐれね……」


「リリー!」


「おいお前! 勝手に行くんじゃないよ!」


 後になってスペンシーを抱えたハボックが扉の外から慌てて駆けてきた。


「リリー、屋敷の人には会わないんじゃなかったの? どうして中に……」


「屋敷の主人には会わないわ。帰ってくるまでに事を済ませるの」


「事ってなんだよ。何するつもりだよお前……」


「あんたに言うつもりはない」


「ぐっ……このっ……」


 悔しそうに歯をむき出す妖精を無視して、リリーはハボックを連れて2階への階段を上がっていく。いくつもに並んだ堅い段を登り切ると、左右に分かれた廊下の入口が視界に現れた。

 あの”声”はさっきを最後に響いてはこない。とりあえずあてずっぽうだが、おそらく声がしてきたであろうと、左の通路のへと足を進めた。


 薄暗い廊下に、スペンシーの放つ光が周囲を照らす。古い木製の香りを嗅ぎながら、厳かな模様の絨毯が敷かれた道をリリーが先導して、ハボックが後を付けた。


 この廊下は掃除がされていないのだろうか。木の匂いと混じってとても埃臭い。咳が出そうなほどに。思って、リリーは咳をする。

 だが、そんな廊下を進んでしばらくするとどこからか芳醇な果実のような匂いと、嗅いだことのない独特な何かの臭いが混ざった不思議なが香りが漂ってくる。


「この匂いは……奥から?」


「不思議なにおい……でも良いかおりだ」


「そうか……? ボクにはちょっときついけどな…………」


 そのまま廊下を突き進むに連れて、香りも濃くなっていく。どうやらこの廊下の奥に香りの出元があるようだ。


「……! 突き当りになりそうよ」


「本当だ! 扉が見える……」


 先に見えてきたのは黒っぽく濃い色をした古い木の扉。さっきから漂っている香りもさらに強くなってきている。


 扉の前に着いて、リリーが取っ手を捻ろうと腕を伸ばす。だがその手が触れる前に、閉じられていた扉がひとりでに開かれた。


「……ねぇここ。何かいるの……? さっきもドアが勝手に開いてたし、まさかゆうれいでもいるんじゃ……」


 心配した様子でハボックはリリーを見つめる。スペンシーの明かりで照らされている彼の足が小刻みに揺れているのが分かる。


「心配しなくても幽霊はこの森にはいないよ。見たことないもん」


「この屋敷は例外だったら? いるかもしれないじゃない」


「確かに屋敷のこんなところまで入ったことはないけどさ……それでも、アイツの目を盗んで屋敷に入った時には霊魂の類の気配はしなかった。多分いないと思う」


「ふーん、まぁあんたの話だから信じられないわね」


「……チッ」


「スペンシー……」



 けれども、一つ気になる事がある。先ほどと同様、扉が勝手に開いたという事は声の仕業だと思うのだが、目的の場所までたどり着いたというのに聞こえていたはずの声が何の音沙汰もない。


 不意に不審な気が過ったが、リリーはかまわず開いた扉の奥へと入っていく。後ろをつけるハボックの手の中から、スペンシーの明かりが真っ暗な部屋の中を照らしだしていくと、見えてきた部屋の中は見たこともない光景が広がっていた。


「何これ……標本?」


「なんだろう……いっぱい入ってるけど、気持ちの悪いものではなさそう……」


「どっちかっていうと、漢方みたいなものかしら。ほら、何かの植物を乾燥させたものみたいよ」


 部屋の棚に置かれた瓶の一つを手に取り、リリーが見えるように二人の前に突き出す。


 香りの正体はおそらくこれだ。見るからに、この大量に置かれた瓶の中のものの匂いが混ざり合った結果、あんな複雑な匂いが漂っていたのだろう。それにしても数が多い。自然と目が回りそうだ。


「ここの主人は随分こじゃれた趣味・・をお持ちのようね。匂いの一つは好みだけど、得体が知れないわ」


「すごいね……! なんの植物なのかな?」


「知るかよ…………うぇぇ……気持ちわるぅ。そろそろここを出ないか? 匂いがきついよぉ…………」


 スペンシーが鼻をつまんで、手の中でぐったりと寝転びながら言う。


 それにしても、部屋の中にまで入ったというのに未だに声が聞こえてくる気配がない。なぜ聞こえてこないのだろうか。屋敷の外では、あんなにも聞こえていたというのに。このままでいては屋敷の主人の帰りも心配になる。声の正体が見つけられてもいないのに、これではまだ部屋から出るわけにもいかない。


「まだよ。見つかってない。もう少しこの部屋を探さないと……」


「見つける? リリー、何を探しているの?」



 ハボックがリリーに問いかけた時だった。

 スペンシーの光で照らされていなかった部屋の奥、暗闇からいきなりまばゆい光が放たれる。


「何っ!?」


「!?」


「まぶしっ!!?」


 目を抑える程に眩しい光が部屋の中を照り付けた。かと思われた刹那、奥から光る物体がリリーの頭めがけて飛び出してくる。


「リリー危ないっ!?」


「えっ」


「うぉあっ!? ちょっといきなり投げなっ……」


 ハボックがスペンシーを投げ出しリリーを庇おうと腕を伸ばす。しかし、その腕がリリーに触れるよりも早く、何かが破裂するような音と共に部屋の中が白い噴煙で満たされた。


「けほっ! けほっ……!! リ、リリーっ!?」


「なんだっ……!? 何が起こった!?」


 突然発生した白い煙。すぐ近くに見えていたはずの壁の棚も見えない。手で仰いでみもも、煙は仰がれるだけで視界は一向に戻ってくる気配はない。

 それでもなんとか煙が晴れないかとハボックが腕を振っていると、いつのまにか明かりがついた部屋の中の様子が徐々に見えてきた。


 すると、うっすらと晴れた視界の真ん中にリリーの立ち尽くす姿があった。


「リリー! よかった無事でっ……………………」


 リリーを見つけてハボックは駆け寄ろうとしたが、すぐにその動きを止める。


「たくっ! なんなんだよ一体……ん?」


 折れた羽で何とかその場に留まっていたスペンシーも、リリーの姿に気が付くとなぜかハボックと同じようにリリーを見つめる。


「え……何あんたたち、どうしたの固まって」


 リリーも気が付いて二人に声を掛けるが、二人はじっと見つめてくるだけで返事をしない。おかしい。いや、おかしいを通り越して少し不気味だ。

 それからハボックとスペンシーが何か反応を返してきてくれるかとリリーも待ってみたが、状況は変わらず、時間だけが過ぎていく。


「……おい。何とか言いなさいよ」


 苛立って、とうとうリリーは踵を返した。すると、肩をびくりと動かして、ハボックが小さく口を開く。だが、なぜだろう。ハボックの体が震えだしている。


「はな…………」


「はな?」


 リリーが聞き返す。ハボックも言葉を続ける。


「はなが頭に…………」


 かたかたと震える手をゆっくりと動かすと、ハボックはリリーの頭の横をそっと指さした。


「花が頭から生えてる…………っ!!!」


「…………は?」



To be continued.

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