27話「新たな夜とふたりの熱」






   27話「新たな夜とふたりの熱」




 夢でも見ているのだろうか。

 翠は、色に抱き締められながら、そんな事を思ってしまう。けれど、色の体温も、着物の感触も、香りも全てがリアルで、そして、本物だった。



 「今日が家庭教師の最終日だろ?だから、これから少し時間をくれないか。」

 「………はい。」



 色の言葉を聞いて、翠は頷くしか出来なかった。

 色に抱き締められていた腕や胸が離れていく。

 彼が会いに来てくれたのは、家庭教師の契約として。最終日だから呼ばれたのだろう。

 そんな事を考えながら、歩いていると右手が彼の手に包まれた。手を繋いで、翠を引くように前を歩いていく。

 最後の最後まで、恋人ように甘く優しく接してくれる色。

 それは翠にとって、幸せであり残酷な行動だった。

 甘い時間の終わりは、すぐそこまで迫っているのだから。




 「おまえの家で待ってたのにいつまでも帰ってこないから、探してたんだ。まぁ、見つかってよかったよ。」

 「……ごめんなさい。」



 目と鼻の先の距離だったが、近くに停めてあった色の車に乗り、彼のマンションに着いた。

 車を降りた後も、彼はまた手を繋いでくれる。それでも、目の前の終わりを感じてしまい、翠は上手く微笑むことができなかった。


 色の部屋に入ると、「リビングのソファに座っていろ。」と言われて、翠は1人で大きなソファに座った。

 前にこの部屋に来たときは病人であったためか、ほとんど緊張はしなかった。

 けれど、夜に男の人に家にいること、しかも、好きな人の家にいるのだ考えると、妙にに体に、力が入ってしまう。今更意識するのはおかしな事かもしれないが、やはりドキドキしてしまう。



 「アイスコーヒー、飲むか?甘めにしといた。」

 「いただきます。」



 色からグラスを受け取り一口飲むと、ほろ苦いけれど甘い味が口の中に広がった。

 色は、ブラックコーヒーを一気に半分ぐらいを飲み、グラスをテーブルの上に置いた。



 「何も連絡しないで家庭教師を休んで悪かったな。」

 「いえ。その、私も前に冷泉様に酷いことを言ってしまい、すみませんでした。」

 「………あれは、おまえの言う通りだ。謝る必要はない。」

 「そんなことっっ!」



 翠が反論しようとすると、色の人差し指が翠の唇に触れた。これ以上、しゃべるなという意味らしく、翠は彼の指の感触を感じながら、口を閉じた。



 「話を聞いてほしい。」


 翠が話すのを止めると、唇から指を離して、今度は、翠の手を包むように掴み、指を絡めながら手を握った。翠もグラスを置いて彼の方を見つめ直した。



 「さっき、ギリシャから帰ってきたところなんだ。」

 「え?……お店のオープン決まったんですか?」

 「いや、まぁ……それもたまたま決まってきたんだけど。行った目的は別だ。」



 色がギリシャへ行く目的は、それしか考えられない。翠が不思議そうに彼を見つめると、色はいつものニヤリとした微笑みではなく、優しい微笑みを浮かべていた。



 「おまえがしていたエメラルドの指輪。どこの指輪か知っているか?」

 「……指輪?どこのブランドかとは知りません。刻印も掠れてましたし……。」

 「……おまえが働いてる店、「one sin」が始めは宝石店だったというのは知っていたか?」

 「………入社の研修の時に、そんな話を聞きましたが………っ、まさか…。」



 翠は色が次に言わんとする事を察知したが、それはとても信じられない事だった。こんな偶然があっていいのだろうか?と、目を大きくさせて驚くしか出来なかった。



 「そうだ。あの指輪は「one sin」のオープン当時に発売された物だったんだ。」



 翠は、その奇跡のような偶然を色の声で知り、目を潤めた。

 自分の働いている店が、大好きだった祖母が大切にし続けていた指輪を、作った店だったのだ。

 祖母は、その指輪を旦那さんである祖父に貰った物だと言っていた。きっと、幸せな恋愛をしていたのだと翠は思っている。そうでなければ、あんな幸せな顔で指輪を愛でる姿を毎日見ることは出来なかっただろう。



 「冷泉様、わざわざそんな事を調べていただいて……本当にありがとうございます。自分で選んだ店に、祖母との繋がりを見つけられて、幸せです…。」



 椅子に座ったまま深々と頭を下げると、色は小さく笑いながら「これで終わりじゃないぞ。」と彼は言った。



 「そのエメラルドは宝石店をオープンした時に記念として発売したらしくて、お店の記念日に、そのエメラルドシリーズを発売しているらしいんだ。まぁ、ギリシャ本店だけらしいけどな。」

 「そんなに続いているぐらいに大切にされてる指輪なんですね。」

 「あぁ。「one sin」本店で写真を見せて貰ったが、翠がつけていたもので間違いなかった。」



 色がわざわざ指輪のためにギリシャに行って調べてくれたのがとても嬉しく、その気持ちが彼の微笑みで伝わってくるのが何よりも翠にとって幸せな事だった。

 祖母との繋がりを知り、偶然とはいえ「one sin」で働くことが出来ているのだから、祖母も喜んでくれるだろう。



 「そうだったんですね。ギリシャにいったらその写真も見てみたいです。また、行きたい理由が増えました。」

 「行けるさ、すぐにな。」

 「………そうですね。」



 色はきっとギリシャに店をオープンするだろう。長年の夢と言っていたので、それを彼は必ず叶えると翠は信じていた。そして、願わくばそのお店にも彼と行きたいと思っている。それが、契約の関係の延長だとしても。



 「俺がいつでもおまえを連れて行ってやる。」

 「………それはどういう事ですか?」

 「……こういう事だ。」



 そう言うと、色はポケットから緑色に光る小さなものを取り出した。



 「冷泉様、それは………。」

 「おまえがなくした物と同じ物はなかったんだ。だから、「one sin」の今回のエメラルドシリーズで似ている物を選んだ。」


 

 冷泉は、翠の右手を優しく取り、その指輪を薬指にゆっくりとはめた。その指輪は翠のために作られたようにピッタリで、指でキラキラと輝いていた。



 「俺はおまえが好きだ。……俺のものになってくれ。」



 彼の声が、静かな部屋に響いたように翠には聞こえた。しかし、それは翠の心の中だったかもしれない。指輪を見つめていた翠の瞳は、驚きながら彼を見つめる。

 彼の表情はとても真剣やもので、翠はその顔をみてドキリとした。



 「きっと俺はおまえを沢山傷つけた。甘い言葉を囁きながら、おまえの言葉を拒絶したんだ。それなのに、おまえが誰かのものになりそうだと知った時に激しく嫉妬した。………あんな言葉を言ったのに、気づくのが遅すぎた。けど、おまえの事が諦められないんだ。」

 「冷泉様……でも、待ってください。冷泉様の憧れていて好きな人は………。」


 

 翠は、信じられないぐらいの幸福に包まれながら、そんな事を言ってしまう。あんなにも、彼が大切にしていた人は、どうしたのだろうと。



 「それはおまえだよ、………エメル。」

 


 その呼び名を聞いた瞬間。

 翠は久しぶりに呼ばれたその呼び名に懐かしさを覚えながらも、とても驚いてしまった。



 「どうして、冷泉様がその呼び名を………!?」

 「それは、話すと長くなる。だけど、俺が探していたのは、たぶんおまえなんだ。」

 「……どういう事ですか?教えてください!」



 翠は、体を色に近づけて、そう問い詰めた。

 けれども、彼は熱をもった瞳で、翠を見つめており答えてはくれない。

 色は大切な壊れやすい宝石に触れるかのように、翠の顔を右手で包み込んだ。そして、愛でるように翠の瞳を見ながら言った。



 「俺はおまえが探していた人だったから、好きになったわけじゃないんだ。おまえを好きになったんだよ。翠……おまえが好きなんだ。だから、翠の答えを教えてくれ。」

 「………冷泉様、初めて私の名前を呼んでくれましたね。」

 「……そうだったか?」

 「はい。」



 翠は、色の右手に片手を乗せながら、溜まっていた涙を一粒溢した。

 しかし、それは今までの悲しい涙ではなく、嬉し涙なのだ。



 「私は、冷泉様に名前を呼んでもらえて感動しちゃうぐらいに、冷泉様が大好きなんです。告白した時から、それは変わる事がなくて。むしろ大きくなるばっかりです。………私を冷泉様のものにしてください。だから、冷泉様も私の………。」

 「あぁ、俺はおまえのものだ。」



 色はそう言うと、翠の目を見つめながら顔を近づけて、唇を堪能するかのように、ゆっくりとキスをした。


 恋人同士になってからのキスは、何もかも違う。今までよりも甘くて、幸福感に満たされ、そして彼の熱で安心し、同時に熱を高めてくれる。


 お互いに唇を味わうように深くキスをすると、翠の口からは吐息と切なげな声が漏れる。

 その声を聞いたからなのか、色は先ほどよりも荒く口づけをすると、そのままソファに優しく押し倒した。



 「れっ、冷泉様っ!?あの、ちょっと待ってくださいっ!!」

 「もう沢山待ったんだ。これ以上は我慢できない。」

 「そんな………ここソファですよ?」

 「ここじゃなきゃいいんだな。」

 「……えっ………きゃぁっっ!」



 色はニヤリとした笑みを浮かべると、翠の腰に腕を入れて、ふわりと抱き上げたのだ。急に色に抱っこをされてしまい、驚きと少しの怖さから、色に抱きついてしまう。



 「そうだ。暴れると落ちるから、しっかり掴まってろ。」

 「冷泉様…………。下ろしてくださいっ。」

 「無理だな。」



 翠の願いはすぐに却下されてしまう。そんな話しをしているうちに、寝室に着きゆっくりとベットに寝かされてしまう。

 翠の体を組敷くようにして、色は翠の顔を見下ろした。



 「なぁ………。翠を俺にくれないか。我慢出来ないんだ。」

 「…………そんな、言い方ずるいです………。」



 潤んで熱を帯びた目と、紅潮した頬、少しはだけた着物から見える肌。そんな色っぽい姿の彼が自分を欲してくれているのだ。

 ずっと好きで片想いだった人にそんな事を言われる日がくるなど思ってもいなかった。


 翠は、その嬉しさと恥ずかしさを、感じながらも自分も色を欲しているのを感じとる。

 彼も、自分の気持ちも、拒む事はもう出来なかった。


 翠は、自分の体を起こして、小さく彼の頬に口づけをする。


 翠の言葉と、行動に少しだけ驚きながらも、了承されたと理解し、翠の体に覆い被さりながらまたキスを唇に落とした。

 それだけではなく、頬や額、耳や首筋などにも水音を響かせながら、口づけを続ける。

 その感覚と動き、彼の荒い呼吸に翻弄されながら翠は彼の与えてくれる熱を感じて幸せに、浸っていた。

 しかし、彼の手が服の中に入り、胸の下に触れた瞬間、翠は体を震わせてから、彼の手を、両手で包んで止めた。



 「あの、そこはあまり見てほしくない場所なんです。………その綺麗ではないというか、醜いところなので………。」



 翠が捲れてしまいそうな服を直しながら、そう言うけれど、色は手を止めずに、さらに翠が着ていたブラウスを傷痕が見えるように捲り上げた。



 「冷泉様っ!やめてくださいっ!!」

 「俺に全部くれるんだろ?だったら、この傷痕も俺のものだ。」

 「……あっ……….。」



 薄くなった傷に、色がキスをすると翠の体がピクンッと跳ねた。舐めるようにキスをした後、その傷を見ながら、「これが俺の憧れの証なんだ。」と小さな声で呟いた。



 「冷泉様、今なんて言ったんですか?」

 「………愛している、翠。」



 真剣な眼差しで伝える言葉を、翠はしっかりと受け止めて、ニッコリと微笑んだ。



 「私も愛しています。だから、冷泉様。名前を沢山呼んでください。今までの分の、すべてを。」



 愛しさを分かち合うように、深く口づけを交わしながら、色と翠は熱に溺れていった。


 翠はその日、何度も色に名前を呼ばれ、甘い熱と彼からの快楽を与えられ、沢山の幸せを感じていた。


 二人きりの夜は、いつまでも続いていた。

 



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