25話「枯れない涙」






   25話「枯れない涙」





 次の日。

 翠は熱をぶり返してしまい、その日は1日ベットから出ることが出来なかった。

 


 「冷泉様……すみません。いつまでも家に居座ってしまって。」

 


 昼間に病院に行き、点滴をしてもらったので、体調も大分よくなっていたが、色は「今日は家にいろ。」と言い、また泊めてくれたのだ。



 「別にいい。汗かいたから着替えるだろ。着替え貸してやる。」

 「ありがとうございます。」



 初日に借りたTシャツを渡されて、翠は思わずニヤけてしまう。色の香りがする服を抱きしめて嬉しそうにする。



 「早く着替えろ。寝るぞ。」

 「はい。…………でも、冷泉様、あの恥ずかしいので出来れば外に………。」

 「………そういえば、そうだな。まぁ、倒れた時に着替えさせたのは俺だけどな。」

 「…………っ!!!?冷泉様ー!?」



 よくよく考えてみれば、自分はずぶ濡れの浴衣で倒れてしまったことを翠は思い出す。その時、倒れたのを助けて、家まで運んでくれたのはまぎれもなく色なのだ。そうなれば、翠を着替えさせたのは彼しかいない。


 体調が悪かったとはいえ、寝ているときに着替えをしてもらうなど、女として恥ずかしい失態に、翠は一瞬で赤面した。

 そんな様子を見て、色は勝ち誇った笑みで楽しそうに翠を見ていた。



 「……その時はその時ですー!今はだめですよー!!」



 翠は、恥ずかしさのあまり泣き出しそうになった目で必死に色を睨むと「はいはい。」と、仕方がなさそうに部屋を出ていった。


 翠は部屋を出ていき、しっかりとドアが閉まったのを確認し、急いでパジャマを脱いで色のTシャツを着た。

 その時に、左胸の下にある大きな長い痣に目がいく。裸になるとどうしても気になってしまうのだ。


 小さな頃に怪我をした場所らしいが、翠には全く記憶がなかった。祖母と離ればなれになってしまった原因の傷は、翠にとってとても嫌な痕だ。

 それに、女としてはこんな傷が体にあるのは、とても気になることで、それは翠も同じだった。



 「冷泉様、これを見たりしてないよね……。こんな醜い傷、見られたくない。」



 彼に聞くことも出来るはずがなく。少し不安になりながらも、翠はめくっていた服を元に戻して、ベットに横になった。



 戻ってきた色は、明日は早く起きると言って、翠と同じ時間に寝ることにしたようだった。何も言わなくても、同じベットで休んでくれる色を間近で見ると、恋人同士になったのでは、と錯覚してしまいそうになる。

 けれど、隣にいる色はキスをしたり、裸の肌を触れ合わせたり、恋人がするような事はしてこない。

 しかし、今日は翠の手を握ってくれていた。体調を崩して弱ってるのがわかっているからか、甘えたい気持ちが伝わっているようだった。


 昨日は、翠が先に寝てしまったけれど、今日は色がすでに静かな寝息を立てて寝ている。

 前に料亭で見た時と同じように、幼い寝顔だ。隣に恋人でもない、そして色に好意を持っている女がいるのに、安心しきった顔をしている。

 翠にとってそれは嬉しいことだけれど、少しだけ切なくもある。



 「私が襲っちゃうかもしれないんですよ……?冷泉様…。」



 翠は彼を起こさないように、そっと体を起こして彼の頬にキスを落とした。一瞬の事だけれど、唇に彼の熱を感じてしまう。隠れていけない事をしてしまったようで、ドキドキしてしまいながらも、久しぶりの彼とのキスに、翠は嬉しさを感じながら眠りについた。








 夏の朝日は早い。

 5時前にはもう空が明るくなり、2人が寝ている寝室も明るくなる。しかもここは高層ビルなので朝日を遮るものはない。カーテンをしていても、朝が来たことがわかった。


 朝日を感じたのか、寝ている人を起こさないようにと、彼はゆっくりと起きてベットを抜けようとしていた。



 「冷泉様。………おはようございます。」

 「…………、おまえ起きたのか。まだ朝早いから寝てろ。今日まで仕事休みだろ?」

 


 色は、起きたのがバレてしまった事に驚いた様子だったが、また翠を寝せようと頭をポンポンと優しく叩いた。

 だが、翠は起き上がって色の手を掴んだ。



 「冷泉様。今から、指輪を探しに行くんですよね?」

 「………なんの事だ。朝は走ることにしているだけだ。」

 「そんなの嘘です!昨日の朝は走るような格好で、出掛けていませんでした。」

 「…………。」

 「それに、花火大会の次の日、スーツのズボンに泥がついていました。わざわざ河川敷に行ってくれたんですよね?雨が降った後だからきっと泥がついちゃったんですよね。」



 翠は色が指輪を探しているのに気づいていた。


 スーツに泥がついていたのに気づいたのは、きっかけに過ぎなかった。昨日、色が帰ってきた時には少しだけ草の香りがしたし、昨日の朝も早くに起きたら、色はもうベットにいなかった。帰ってきた頃に丁度リビングにいると、「おまえ、起きてたのか。」と、気まずそうな顔をしたのを見て、翠は違和感を感じたのだ。



 「………おまえの大切なものなんだろ。散歩がてらに見てるだけだ。」

 「こんなに早起きしてですか?冷泉様はお忙しいのに……。」

 「いいからおまえは寝てろ。探すのは俺の勝手だ。」



 色は翠の手を優しくほどき、ベットを戻そうと肩を押そうとするが、翠はそれをやんわりと避けた。

 


 「冷泉様、もういいです。」

 「…………もういいって何だよ。」

 「指輪はもう諦めようと思います。」



 翠は自分が言った言葉で、泣きそうになってしまう。けれども、昨日からずっと思っていた事だ。


 指輪は自分の不注意で無くしたものだ。もともとサイズが合わなくゆるかったのだが、最近体重が落ちたせいで、さらに合わなくなっていた。それでも身に付けたくて無理にしていたのだ。

 それなのに、初めての色とのデートのようなに、2人きりでお祭りに行って、翠は浮かれてしまっているうちに、指輪をなくした。


 あんなにも広い場所で見つかるのは困難だと翠もわかっていた。もし誰かに拾われたとしても、大きなエメラルドがついている指輪だ。持っていかれてしまう事も考えられた。


 それを色はよくわかっているはずなのに。

 忙しく疲れている体に無理をして、早く起きたり仕事終わりに探しているのだ。

 本人は、体調を崩して寝ているだけなのにだ。


 それがとても申し訳ないし、翠はまた色が自分のために無理をしているのが嫌だった。

 色の気持ちはとても嬉しいけれど……こういう事をされてしまうと、また勘違いをしてしまう。

 もしかしたら、色は自分の事を……と。


 指輪をなくして悲しんでいるはずなのに、色の気持ちばかり考えてしまう自分の浅はかさにも、うんざりしてしまうのだ。



 「きっと、おばあちゃんが指輪を持っていったんです。そう思えば、私も寂しくないかなって。」

 


 泣きそうになるのを堪えて必死に笑おうとする。

 きっと、上手に笑えてるはずだ。そう思ったのに、色はすぐに目をつり上げて怒りの表情に変わっていた。



 「おまえ、ふざけるなよ。……大切なものなんだろ?泣いて、倒れるぐらいに必死になって探してたんだろ……。なんでそんなに簡単に諦めるとか言うんだ!?」

 


 色は、今までで1番の怒鳴り声をあげて翠を睨み付けた。その口調は、強くて怖いものだったけれど、それは全て翠を思っての言葉だった。

 不器用な彼の優しさだと、翠はわかっていた。



 「もういいんです。冷泉様が、頑張る必要はない事なんですよ。だから、もう探しにいかないでください。」

 「おまえ………嘘つくなよ。本当は戻ってきてほしいんだろ。1番大切なものなんだろ?だから………っ……。」

 「もういいですってっっ!冷泉様には関係ない事なんです!」

 「関係ない、だと………?」



 翠の言葉を聞いて、色はぴたりと体が固まった。顔には驚きと「信じられない。」という表情のまま止まっていた。

 翠は、その悲しげな表情を見ていられなくて、視線を逸らした。けれど、ここで止めてしまってダメなのもわかっていた。

 彼はきっと、諦めないだろう。

 とても優しい人だから。



 「そうです。冷泉様は私の事、好きじゃないんですよ。ただ恋愛ごっこの相手をしてただけなんです。契約の関係でしたよね。しっかり思い出してください。」

 「おまえ、それ本気で………。」

 「告白を断ったのは、冷泉様じゃないですか!もう、優しくするの止めてください。私が辛いだけなんです。だから、私のために何かするのやめてください。指輪も探さないでください。」

 「………。」



 てっきりまた怒鳴られると思ったが、色の返事はなかった。

 おそるおそる彼の顔を見ると、そこにはもう鋭い表情はなく、何故か泣きそうな目をしていた。それは、怒られて悲しむ子どものようで、何故色が怒らずにそんな顔をするのか、翠にはわからなかった。


 けれど、大好きな人が自分の言葉で傷つく姿を見ていられるはずもない。翠は逃げるようにベットから体を下ろした。



 「助けていただいて、そして、看病までしていただき、ありがとうございました。もう大分楽になったので、帰ります。」



 ドアの前で色の顔を見ないようにそう言うと、足早に寝室から飛び出した。




 ダイニングにあった自分の持ち物を持って行こうとすると、テーブルにあるたくさんの物に気がついた。沢山の種類の薬、果物、スポーツ飲料、ゼリーや缶詰もあった。そして、その横にはギリシャの本も置いてあった。全て翠のために買ってきた物だとわかり、翠は瞳にじんわりと涙が溜まるのがわかった。


 それらから逃れるように玄関に行く。

 そこには、懐中電灯と少し汚れタオル、泥がついている色のシューズがあった。

 それに気づくと我慢していた涙が、ポツポツと流れ落ち、床を濡らした。乱暴に目を擦り、色から貰った下駄を履くとすぐに家を飛び出した。



 ダボダボのシャツと、ズボンに下駄。そして、ポーチや財布、スマホを抱き締めるように抱えている。

 エントランスに出ると、マンションコンシェルジュが少し驚いた顔で翠を見たが、すぐに「おはようございます。」と挨拶をしてきた。

 翠はタクシーをお願いし、それに乗って久しぶりの自宅へ戻った。





 

 部屋に着くと、すぐにベットに飛び込み、そのまま大声を出して泣いた。



 「っっ………冷泉様、ごめんなさいっ………私、嘘ばっかり言って…………。冷泉さまぁ…………大好きです。……冷泉様が、好きなんです………。」


 

 嗚咽をこぼし、涙を流し、色の名前を呼び続けた。けれど、翠の言葉には誰も答えてはくれない。

 

 体や服に残る白檀の香りを抱き締めるように、翠は体を丸めた。彼の最後の顔を思い出しては、涙を溢して泣き続けた。





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