朝起きたら金髪になっていた

西秋 進穂

朝起きたら金髪になっていた

そんなわけがない。


俺は思い出す。

確か昨夜の行動はこうだったはずだ。


二十一時頃まで会社でパソコンと睨めっこ。

プログラムの不具合を直していたら他のところがバグったのでマウスを投げ捨て退社。


最寄り駅を降りるとコンビニに寄り、冷やし中華とアイスコーヒーを買った。

そしてアパートの一室に帰宅して、それらを一人寂しく食べる。


そのあとは確か――そう。


迷った末にパソコンを立ち上げ、誰に読んでもらえるかもわからない小説を書き始めた。


途中で投稿サイトの自作閲覧数を見るも、画面に表示された数字は一桁。

評価コメントにいたってはゼロ。

サイト全体のアカウント登録者数は――数十万人。


こうして仕事で摩耗した心がさらにすり減らせ、深夜二時ごろ眠りについたはず。


入社三年目そして小説投稿歴も三年の、いつも通りの平日だった。


だから次の日――今日にあたるのだが――鏡を見て、俺は愕然とした。






――どうして金髪になっているんだ?











朝起きたら金髪になっていた。

目をこすりもう一度だけ鏡を見てみる。

現実は変わらない。


「えー……」

なんで? どうして。


慌てて身体を見渡してみる。

ほかに変なところはない。


昨日の出来事を振り返ってみた。

もちろん髪なんて染めていない。


一人暮らしだし金髪になる理由がどこにもない。


まさか寝ているところを不法侵入されたか?

リビングに行き周囲を見渡すが、そんな形跡はない。


考えれば考えるほどわからないことだらけだ。


とりあえず病院か?

ドラッグストアで黒染めを買ってくるか。


と、迷っていると壁掛け時計が目に入った。

七時三〇分。


まあとりあえず――

「会社に電話だな……」











風邪をひきましたと連絡を入れると、すんなりと認められた。


とりあえず病院にいこう。

俺は最低限の荷物を持つと玄関に向かう。

すると、

「雨、降ってんじゃんか……」

そういえば天気予報を見る余裕なんてなかった。

ついてねーな、と使い古しのビニール傘を手に取った。






――結論から言おう。

病院に行っても原因不明と診断され、帰宅してたったいま試した黒染めは効果がこれっぽっちもなかった。


……どうすんだよ、これ。

時刻は十三時。

事態はなにも進展していない。


ぐぅぅぅ、と腹の虫が鳴った。

「……そういえば起きてから何も食べていないな」


窓の外を見る。

雨は止んでいた。

せっかく休みになったんだしな。

と外でメシを食うことにした。










メシを食い終わると、俺は公園のベンチでぼけっーとしていた。

雨粒が光る木々に寂れた遊具と無機質な自動販売機。

お母さんが子どもたちを遊ばせている。


いや、こんなことをしている場合ではない。

と考えつつ、どうせ大学病院なんていまから行けないし……とか思ったり。

要するに、なす術なんかない。


ここは執筆中の気分転換とかにたまにくる場所で、そのせいで今日もなんとなく足を運んでしまった。


先ほどまでの雨が嘘のように、太陽は照りつける。

平日真っ昼間、金髪、二十五歳、独身。

よく考えたら通報されそうだな……

とそこまで考えて、


「ねえ、キミ」

一瞬、俺に話しかけているとはわからなかった。


「ねえってば」

二回目でようやく気がつく。


「なんですか?」


見上げるとそこには――目鼻立ちがこれでもかというくらい整い、自信ありげな眉毛とそこにぶら下がる大きく真っ黒な瞳、空に向かって生えている長いまつ毛が異常に目立つ――

つまりかなりの美人が立っていた。

腰まである目立つ黒髪と、その両手には――カメラ? それも高そうなやつ。


とりあえず警官ではなさそうだ。


「そこ、どいてくれないかな」

「え?」

「写真を撮りたいんだ」

「写真? なんの?」

ベンチしかないんですけど。

「ベンチじゃないよ。雨上がりのベンチ、ね」


その意思の強そうな瞳がまっすぐに俺を見つめる。

――どうやら本気で言っているらしい。

変わった人もいたもんだ。

わざわざこんな錆びたベンチを撮るなんて。


はいどうぞ、とその場をどくと、

「ありがとう。ここの写真を撮りたくてきたんだ」


そのために?

何の変哲もない公園のベンチの写真を?

撮る価値なんてなさそうに見えるけどな。


彼女はそうして様々な角度から数枚パシャパシャとやった。


俺はその様子を観察していた。

たぶん三十歳ちょうどくらいだ。

年上なのは間違いないだろう。


――ふうん。楽しそうに撮るんだな。

なんだかこの非日常的な出会い方に、俺はちょっとだけ興味が湧いてきていた。


「あの、プロのカメラマンさんですか」

気がつくと俺は質問していた。


「ん? 専業のことをプロというなら違うな。ほかに本業があるよ」


彼女はカメラを降ろし、首にぶら下げると、内ポケットから何かを取り出した。

「こういうものです」

「あ、ご丁寧にどうも。すみませんがいま名刺を切らしておりまして」


彼女はクスッと笑う。

「キミ、名刺なんか持っているの?」


なにをこの、と思ったがそりゃそうか。俺はいま金髪でとても会社勤めには見えない。


渡された名刺に目を落とす。





――その『価値』を四角く切り取ります

風景カメラマン

先島さきじま 愛依めい

住所、電話番号、URLエトセトラ。





ちょっと、いやかなり胡散臭い感じだった。


にしても風景カメラマン?

でもってプロではない?


「風景しか撮らないんですか?」

「いや、そんなことないよ。それはなんというか、肩書があったほうが仕事をもらえるかな、と思ってね」

そういうものなのだろうか。


「キミ、名前は?」


そういえば名乗っていなかった。

江本晋也えもとしんやです」


「江本くんね……一応聞くけど、こんな真っ昼間からなにやっているの?」


「えーと、なんていうか」

「なに、人には言えないこと?」


その笑顔がとても人懐っこく魅力的だったので、俺はつい話してしまう。


「信じてもらえるかわからないけど――」











「――ってわけです」

まあ十中八九変なヤツだと思われただろうな。


先島さんは顎に手をあて一瞬だけ考えると、

「まあそういうこともあるか」


いやないだろ。普通。大丈夫か。この人。


「信じるんですか?」

「江本くんがウソをつく理由はないからね」

「先島さんの気を引くためとか」

「私はそんな手に乗らないから大丈夫」

「……そうですか」


それはとても残念。


それはそうと。

「なんで先島さんはほかに仕事があるのに写真を撮っているんですか?」

名刺まで作るなんて、趣味の範囲で収まっているようには見えない。





言ってから思う。

――じゃあお前はどうなんだよ、と。

その答えはわからない。

実際のところ、どうなんだろう。

でもまあ一つ言えるのは。

俺の小説は先島さんの写真と同列に扱うべきものではない、ということだ。





「写真を撮る理由?」

「はい、なんだか気になっちゃって」


先島さんは、うーん、と困ったように笑った。

そりゃ見ず知らずの人にこんな質問されたらな。


まあ強いて言うなら、と前置きして、

「写真はね、切り取ることなんだ。その一瞬を。その空間を。切り取るってどういうことか、わかる?」


俺は首を横に振った。


「切り取る、ということは区別するということだよ」

「区別する?」

「そう。区別する。ほかのものと分ける」

「どういうことですか?」


「つまりね、切り取るということは区別する。区別したものは他のものとは違う価値があるってことだよ。区別しているんだからね。それが私の撮る理由、だと思う」

そんなこといつも意識しているわけじゃないけど、と加えた。


切り取る? 価値を? よくわからない。


「価値をつけるじゃなく?」


先島さんは失礼、と断って煙草に火を点けた。

ふう、と大きく煙を上に向かって吐く。


「言ってるでしょ。切り取るんだってば。つけるんじゃなくて」


そんなの、ただの言葉遊びじゃないか。


「江本くんはなにか勘違いをしているね」

「勘違い、ですか」

「そう、勘違い。価値はつけるものじゃない。もともとそこにあるものだ」





――俺は正直がっかりした。

得てしてクリエイターと呼ばれる人はそんなことを言う。

そして大抵の場合、それは見栄や自己満足のセリフだ。

売れたヤツが後からつけるセリフだ。





「じゃあ俺らは、自ら価値をつけなくてもいいってことですか?」

そんなわけがない。


「俺ら? 江本くんも写真を撮るの?」

しまった、と思った。


「まあそれはどっちでもいいよ。――価値がそこにある、というのはね、例えば」


先島さんは空を見上げた。

俺もつられて見上げる。

さっきと打って変わって雲一つない空には、くっきりと綺麗な虹が掛かっていた。


「虹は何色かわかる?」

「何の質問ですかそれ」


「いいから答えて」

「……七色です」


見なくても知っている。虹は七色だ。


「よし、じゃあ虹をじっくり見てみよう」


俺は意図がわからないまま虹を見た。

虹を見るのは久しぶりだ。


「やっぱり七色です。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」


「海外ではね、」


先島さんは自動販売機で缶コーヒーを二つ買う。

一つを俺にポイっと投げた。

……加糖は苦手なんだけど。


「五色や六色としている国が多い。極端な例では二色なんてところもある」


「二色? どうしてですか? その国では二色の虹が架かるんですか」

「虹はどこで架かっても同じだよ」

「じゃあなぜです?」

「二色という国の人にはね、細かく色を区別する文化がないんだ。赤と橙は同じ色。区別しないから一色とカウントする」


俺は納得がいかなかった。


「でも、そもそも実際に違う色じゃないですか」

「私たちは藍色という言葉を知っている。だから藍色と青色の区別がつく。藍色を認識していない人はその区別がつかない。価値を知らない。私はね、江本くん。物事にはいろんな価値が内在していると思っているの。それを認識するかどうか、切り取ることが出来るかどうかの問題ってわけ」


俺は眉根を曲げた。

先島さんの言うことはちょっと難しい。


「じゃあ例えばこういうのはどう? 日本語では姉と妹。英語では?」

「……シスター、一つの単語です」


ここでようやく、先島さんが何を言いたいか少しだけわかったような気がしてきた。



「そう、日本では目上や敬語という考えが重視されるから――価値があるから――明確に言葉が分かれているね。ほかにも例えば、フランスでは蝶と蛾はパピヨンだし、逆に英語ではラビット、ヘアー、コニーのように区別されるウサギも日本ではウサギのみ。ほかにもあるよ。群れは英語でグループと言うけれど、草食動物にはハード、オオカミにはパック、鳥にはフローク、魚にはスクールを使うんだ」



……この人は何者だ?

学者か何かなのか?



「要するにどこに価値を置くかによって、物事の切り取り方が違うわけだ。人間は切り取ることによって、区別することによって物事を認識する。それぞれが見ていてる世界は異なるんだね。価値は必ずそこにある。そしてそれは連続的なわけ。人が勝手にそれを分断しているんだよ」



先島さんは、カメラで世界を切り取ることによって、区別することによって、彼女の世界の価値を示したいんだろうか。


価値はそこら中に転がっている。あとは切り取れるかどうか、認識できるかどうか。

でも、本当にそうだとしたら。


「つまらなくて読まれない物語と、面白くて人気の物語はあります。この違いはなんでしょうか」


先島さんはもう一本、煙草に火を点けた。

「カメラじゃなくて小説だったか」


俺は先島さんの大きくて澄んでいる綺麗な目を、じっと見つめた。


「まあカメラでも小説でもどっちでもいいよ。名作とはなにか、か。たしかに名作と呼ばれるものはあるね。何億円で取引される名画もある。単に受けての文化やアンテナの高低で片付けられないなにかがある。それは例えば価値の切り取り方が今までにないだとか、時代を経て洗練され普遍性を得た、とか言えば人は納得するのかもしれない」


かもしれない、か。

「……では名作と呼ばれるためにはどうしたらいいんでしょうか」



缶コーヒーをぐい、と流し込んで言う。

「答えはないよ。創作に明確なハウ・トゥーなんか存在しない。存在したら創作じゃない。創作はもっと自由なものだよ。きっとね。型なんかない」


このとき俺はどんな顔をしていただろう。

自分ではちょっとわからない。


「そもそもさ、江本くんはどうして小説を書いているの? 名作を生み出したいから?」





雨上がりの地面を見ながら俺は考えた。

――小説を書く理由。

なんだったっけな。

もう忘れかけている。

名作と呼ばれたいから?

違う。

人に褒められたいから?

それも違うと思う。





「でもひとつだけ言えるとすれば」


俺は顔を上げる。


「止まらずに書くことだよ。辞めるのはいつでもできる。だから続ければいい。続けることはいましかできない。やりたいことをやってみればいいじゃない。社会的に成功する作品なんて数は知れている。そのなかに、埋もれた作品は数万どこじゃないよ。作品の数が増えるほど、きっと誰かに見てもらえる。誰かと価値を共有できるチャンスは増える」


そうか。

俺が書く理由。

いまならわかる。

それは――


先島さんは最後にこう言った。

「結局のところ、書かなければ誰にも読まれない。書けばそれは未来まで残る。いつか誰かに読まれるかもしれない。そういうことだよ」


偉そうにごめんね、とそのきれいな眉をゆがめて苦笑した。


そして虹に向かってカメラを構えた。


彼女が撮る虹は何色なのだろう。

きっと俺が知っている七色ではないのだろうな、と思った。










「――コーヒー、ご馳走様でした」

先島さんは、はいよと答えると、再びカメラを構えた。

この人はずっと撮り続けるのだろう。

そして価値を切り取り続けていくのだろう。



俺は別れを告げると分け目もふらず家に帰り、ただひたすら書き続けた。

技法なんてしったこっちゃない。

読まれない? そんなのもっともっと書いてから言え。

流行りのジャンルとかヒットの法則なんてくそくらえだ。



俺はそれからずっと、連続しているありふれたこの世界を、自分の視点で切り取った。切り取り続けた。

それは深夜まで続いた。

疲れ果てたところで勢いに身を任せて書いたそれを投稿サイトにアップした。

そしていつの間にか俺は眠っていた。











次の日。

起きると元の黒髪に戻っていた。


「えー……」

なんで? どうして。


――あれはなんだったんだろう。

夢だったのだろうか。

パソコンを立ち上げる。

昨夜書き続けた小説が投稿サイトにアップされていた。

夢じゃない。


あれは――金髪は。

『俺に気がついてくれ』と知らずにメッセージを送っていたのだろうか?

そんなことはだれもわかるはずがない。


考えすぎだ。

俺はまるで小説染みた理由をあとづけする自分に笑った。




さて、会社に行くか。




こんな感じで、月並みかつ鬱屈したモラトリアムにも似ている不安定さが、どうしようもなく中途半端に、でもある程度の確かさをもって、ぐらぐらと揺れながら崩れていく。




スマホが振動する。

俺はその通知を、初めて見た。

読者からの感想だ。

短い文章。でも。



――なんだよ、ちゃんと伝わっているじゃないか。



それは俺の中で消化され、それがもっともっといろんな価値との出会いに繋がっていくだろう。

きっとそうに違いない。

俺はなんとなく、そう思った。

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朝起きたら金髪になっていた 西秋 進穂 @nishiaki_simho

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