ホロスコープ

しらす

ホロスコープ

 星が降ってきた。藍色の空を切り裂く一筋の光となって、星が降ってきた。それはとても美しいもので、夢を見ているかのような心地だった。時の流れを忘れただ茫然と、もしかすると畏怖のようなものすら抱いてその光景に見入っていた。



 なんていうのは少しロマンチズムに満ちた詩的表現が過ぎるだろうか。そんなことを一人考えながらも、ぼくの視線は天蓋を貫き消えていく無数の儚い星々に釘付けだ。誰もいない学校の屋上ということも相まって、言葉にはできない感慨深い感情だ。屋上への立ち入り許可が出ている天文部に感謝だな、と独り言ちる。夏休みも終わりに近い今天文好きとして絶対に外せないイベント、ペルセウス座流星群を見に来たのだが、学校の屋上がこんなにも観察向きだとは思わなかった。流星群の極大を狙ってきただけあって、空からは無数の星が零れ落ちていた。


 どれくらい空を見上げていただろうか、気が付くと時刻は深夜二時をまわろうとしていた。このまま朝まで見ていたいのだが、そろそろ帰らないと両親に心配されてしまう、そう思って立ち上がった時だった。ふわっと、今まで感じなかった甘い香りが鼻についた。柔軟剤のようなきつい匂いでは決してなく、自然の花のような優しくて甘い香りだった。香りのもとを探して屋上を見渡すと、丁度北側にあるフェンスの足元に白く華奢な花が揺れていた。と、思った時だった。


 いつからそこにいたのだろう。夜風に長い髪をたなびかせながら佇む一人の女の子がいた。月明かりは殆ど無いというのに、まるでそれ自体が光を放っているかのような白い肌。長いまつ毛に縁取られた瞳は閉じられている。身に着けているのは同じ高校の女子生徒の制服だろうか。人間離れした凄絶なまでの美しさにぼくは声を発することもできなかった。


 永遠にも感じられた一瞬の後、「彼女」の瞼が震え、ゆっくりと瞳を開いた。深い、どこまでも深い夜の色をした瞳だった。きれいな目だと思った。その時突然、今までほぼ無風だったのに突風が吹いた。思わず後ずさり、顔を手で覆う。風が吹き止みゆっくりと手を下すと…そこに彼女の姿はなかった。慌ててあたりを見渡すも、彼女がいた痕跡さえ見つからない。ただそこには真っ白なリコリスが揺れているだけだった。


 「疲れてるのかな…」


 無意識にそんなことを口にするも、夜に紛れて消えていった。




 終業のチャイムと共に目が覚める。九月になっても残暑の勢いは衰えることを知らないといった様子で、毎日真夏日が続いていた。暑さでぼんやりとした視界の中教室を見渡してみるも、そこに彼女の姿はない。夏休みが明けてここ何日か、ぼくは暇な時間を見つけては学校中を歩き回っていた。流星群を見た日に出会った彼女は同じ学校の制服を着てたから、きっとこの学校の生徒だろうと思ったのだ。あの日見たどんな流星よりも美しかった彼女にもう一度会いたい、ぼくの頭の中はそれでいっぱいだった。


 ふと気が付くと、いつの間にか屋上の入り口にまで来ていた。そういえばあれから屋上には来ていなかったなと思い足を踏み入れる。何もないだだっ広い屋上には、同じように真っ白なリコリスが一輪。よく見るとそれは生えているわけでもなければ植えられているわけでもなく、まるで手向けられた花だった。


 「なあ高崎、ちょっといいか?」


 教室に戻ったぼくはクラスで一番ゴシップ好きな高崎に声をかけてみる。どういった風に聞こうかしばし悩んだが、結局ストレートに屋上の花について何か知ってるか聞いた。


「実はだな、昔お前みたいに星が大好きな女の子がいたらしい。その子がな、夜一人で星を見てた時に誤って落っこちたんだってよ。それ以来誰かわからないけどいつもあそこに新しい花が手向けられているんだとさ。」


 嘘か誠かは神のみぞ知る、ってな。そう言ってにやっと笑った高崎の顔が、しばらく脳裏に焼き付いていた。



 高崎の言っていた女の子と彼女は同じ人物なのだろうか。ふとした瞬間に視界の端を女子が横切るだけでドキッとしてしまう。


 彼女は死んでしまっているのだろうか。気が付くと彼女の姿を求めて学校の中をさまよっている。


 ぼくが会ったのは幽霊?


 ぼくも屋上から飛び降りたら彼女に会えるのだろうか?


 ぼくも…


 ………………



 夜の空で一番光り輝くシリウス。その明かりを頼りに目線をずらすと、オリオンの三連星。冬の大三角をなすプロキオンとは反対方向を見ると、牡牛のアルデバラン。どれもきれいだが、彼女のことを忘れさせてくれるものでもない。夜空をふらふらとさまよう視線が牡牛の肩で止まる。肉眼ではぼんやりとしか見えないが、ぼくの一番好きな天体、プレアデス星団だ。日本名は「昴」


 ぼくと同じ名前だなぁと一人つぶやく。そういえば彼女は何て名前だったのかな。きっと美しい名前に違いない。


 全天で一番明るい恒星シリウスよりも、夜空で最も明るい月よりも、ぼくの中で彼女の存在は大きくなっていた。


 「君は、どんな星が好きで、どんな星に憧れてたのかな…。」


 夜空に向かって手を伸ばす。


 そこにあるのに、ぼくのちっぽけな手では決して届かない存在がとても歯痒い。


 「だからこそ、人は星に魅せられるんだろうな。」


 そういって瞳を閉じる。瞼の裏には目の前の夜空が鮮明に焼き付いていた。そのうちに、段々と星々が近づいてくる。浮遊感にも似た感覚を覚えながらぼくは思いっきり手を伸ばし、そのうちの一つを握りしめた。




 満開の桜並木を抜け校舎へと向かう。今日はいよいよ部活動解禁の日だ。この一週間ですっかり慣れた学校生活を無難にやり過ごし、終礼で担任の、新入生はまだ云々という話を聞き流すと待ちに待った放課後だ。私は高校に入ったら絶対に天文部に入部すると決めていた。先生に怒られないぎりぎりの早歩きでスカートの裾をなびかせながら天文部部室へ向かう。


 「失礼しまーす…」


 いらっしゃいと出迎えてくれた初老の顧問に一通り話を聞いた後、はいと言って鍵を渡される。


「なんですかこれは?」


突然のことに困惑する。


「あぁ、これは屋上の鍵だよ。天文部は立ち入りが許可されてるからね、君も一度明るいうちに覗いてみるといい。」


 その言葉を聞いて思わず顔が綻ぶ。その日のうちにさっそく屋上に行ってみることにした。


 屋上は特に何もなく、だだっ広い空間だった。星を見るにはいい場所だと思った。




 北側のフェンスの足元に、二輪のアネモネが手向けられていた。




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ホロスコープ しらす @shirasu0901

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