第四話

「おはよう、リリィさん」

 リリィが外に出ると、白い馬車の窓から早速エリーゼが顔を出した。

「早くお乗りなさいな、外は寒いわ」

「はい。おはようございます、エリーゼさん」

 リリィは礼儀正しく挨拶すると、御者に助けてもらいながら馬車のエリーゼの隣に乗り込んだ。

 エリーゼは以前ダベンポートの家に来たときと同じ、純白の毛皮のコートを身にまとっていた。白い帽子も同じ。

 こうやって並んで座っていると、白と黒色違いで姉妹みたいに見えてしまいそう。旦那様に買ってもらった帽子を被ってきたのは失敗だったかも知れない。

 早速、リリィの心配の虫が騒ぎ出す。

 エリーゼはそんなリリィの様子を微笑みながら見つめると、ふいにリリィの頭から帽子を手に取った。

「あら、素敵な帽子ね」

 帽子を撫でながらリリィに優しい声をかけてくれる。

「いい手触り。これは、うさぎね」

「はい。旦那様が買ってくださったんです」

 リリィはおどおどと答えた。

「まあ、よかったじゃない。とっても似合ってるわ」

「ありがとうございます」

「本当にいい帽子。ねえリリィさん、私の帽子と取り替えない?」

 冗談を言いながら再びエリーゼが頭の上に帽子を乗せてくれる。

 リリィは急速に緊張がほぐれていくのを感じていた。

 なんかエリーゼさんとだと緊張しない。

 とっても不思議。


 セントラルに向かう馬車の中でエリーゼはよく喋った。嫌な貴族の話、バレエ団の中での軋轢や恋愛沙汰、その他他愛のない話……。

「基本的にね、貴族連中ってのはエロジジイなのよ」

 たおやかに、だが生々しくエリーゼがバレリーナの生活の裏側を暴露する。

「エ、エロジジイ……」

 上品なエリーゼの口からそんな言葉が出てくるとびっくりする。

「そう、とってもいやらしいの。あの人たちはね、バレリーナを娼婦と勘違いしているのだと思うわ。お金を出すからおめかけさんにならないかとかすぐに言い出すの。失礼な人たちなのよ」

「お、お妾……」

 舞台の上のエリーゼとはまるで別人のようだ。

「ね、リリィちゃん」

 『リリィさん』はいつの間にかに『リリィちゃん』に変わっていた。

「はい」

「ところでダベンポート様とはどんな関係なの?」

 は?

「いえ、わたしがハウスメイドってだけ、だと思います」

 そう、旦那様は多分わたしの事は何も気にかけてない。

 それでも、少し俯いて赤くなってしまう。

「あら、そうなの? 今回のお出かけでね、私、ダベンポート様から本当にたくさんテレグラムをもらったわ。十通は超えてると思う。本当にリリィちゃんの事を気にかけているんだってちょっと妬けちゃったわ」

「旦那様はそんなにテレグラムを打ったんですか?!」

 びっくりしてリリィはエリーゼに訊き返した。

 裏でダベンポートがそんな事をしていたとは知らなかった。

「そうよ、もう大変だったんだから」

 エリーゼが笑う。

「今日の晩御飯の予定もそうだし、移動の仕方から何から何まで。リリィちゃんは怖がりだから怖がらせないようにって脅迫まで頂いたわ。流石にお昼のお店は私が選ぶようにしたけど、油断したらついて来ちゃうんじゃないかって思ったわよ」

「そうだったんですか」

 ますます顔が赤くなる。

「羨ましいわ。私の脚を診てくれた時、事務的に検査するから冷たい人なのかと思っていたけど、そうでもないみたいね」


 エリーゼがブランチに選んだ店は、いつぞやリリィが一人でセントラルに遊びに来た時にお昼を食べようとしたお店と同じだった。

「あ……わたし、このお店来た事あります」

「あら。それは目が高いわ」

 そう言ってエリーゼは微笑んだ。

「このお店はね、芸術院御用達なのよ。この辺りのレストランの評判ってね、団員同士で広まるの。その中でもここは人気のお店よ」

 二人で向かい合わせにテラス席に座り、ギャルソンが来るのを待つ。

 黒く、長いエプロンをつけたギャルソンはすぐに扉を開けて二人の前に立った。

「ボンジュール、お美しいご姉妹」

 ニッコリと微笑む。

「いえ、あの、わたし達姉妹ではないんです」

 リリィは慌てて訂正した。

 エリーゼさんと姉妹なんて、そんな!

 わたわたしているリリィをエリーゼは優しく見つめた。

「いいじゃない、姉妹でも。光栄だわ、そう見えるのなら」

 慌てるリリィをエリーゼが柔らかく落ち着かせる。

「お美しいメドモワゼル(マドモワゼルの複数形)、今日はブランチですか? お二人ともワンピースが素敵です。とてもお綺麗に見えます」

 今度は赤面。

 本当に隣国の男の人たちは臆面もなく女性を褒めるなあ。

 ドキドキしすぎて疲れちゃいそう。

「そう。食べたいの」

 エリーゼは優雅に、だがやんわりとギャルソンを窘めた。

「もちろんそうでしょうとも、マドモワゼル・レシュリスカヤ」

「あら、私の事をご存知?」

「この界隈でマドモワゼルを知らない者などおりません」

 ギャルソンが澄まして答える。

 エリーゼはギャルソンから開いたメニューを受け取ると、二人の前に置いた。

「リリィちゃん、このお店はね、キッシュが有名なのよ。ガレットも美味しいけど、お勧めはやっぱりキッシュかしらね」

 メニューを指で示しながら教えてくれる。

「キッシュならこのチーズの入ったキッシュが美味しいわ。サーモンのキッシュも美味しいわよ」

「じゃあ、わたしはこのホウレンソウとサーモンのキッシュにします」

 とリリィはメニューを指差した。

「私は四種類のチーズのキッシュにするわ」

 うわ、太りそう。エリーゼさん、体重のこと気にしないのかな。流石に訊けないけど。

「ワインは如何しましょうか、マドモワゼル・レシュリスカヤ、お美しい妹さん」

 ギャルソンは二人の注文を書きつけると飲み物を訊ねた。

「あなたの所には『レフ・ゴリツィン』のスパークリングワインはあるの?」

「はい、ございます。いつマドモワゼル・レシュリスカヤがいらっしゃっても良いように、北の皇国のワインは各種取り揃えてございます」

「では、私は『レフ・ゴリツィン』のスパークリングワイン、ロゼを頂くわ。リリィちゃんはどうする?」

「わたしは、炭酸水で」

「後、ワインと一緒に何かフルーツを頂けます?」

「今ですと、イチゴがございます」

「では、イチゴで」

「メルシー、メドモワゼル」

 慇懃に頭を下げ、ギャルソンが帰っていく。

「はあ」

 どっと疲れてつい椅子に背中を預けてしまう。

「ふふふ」 

 そんなリリィを見ながらエリーゼは含み笑いを漏らした。

「本当にダベンポート様のおっしゃった通り。リリィちゃんはすぐ緊張しちゃうのね」

「はい。頑張ってるんですけど、緊張しちゃうんです」

 リリィは正直に申告した。

「いいのよ、リリィちゃん。緊張しちゃうんだったら緊張しちゃっても構わないと思うわよ。自然になさいな。普段通りにね」

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