雨夜月

森沢真美

雨夜月

「綺麗・・」

晩秋の午後九時、私は彼と天保山の観覧車に乗っている。

まだ乗ったばかりだけど、徐々に見え始める夜景に思わず呟いた。


二人とも軽くお酒、入ってる。

そう、軽く・・・ね。

本当は酒気帯びの人は乗れないんだけど・・


私は席には座らずドア越しに立ったまま夜景を見ている。

少しずつ地上から離れて夜景が広がっていく。

私たちの乗ったゴンドラが1/4ほど回った時、


「あのね・・」


顔は外を向いたまま。

だって、彼の顔を見たら何も言えなくなるから。


「なんでしょう?」


彼は何時も私に対して敬語を使う。

私が年上だし、彼は口下手で不器用な人だから仕方ないかな。

でも、もう少し馴れ馴れしくしてくれても良いのになと時々思ってしまう。


私が何も言えないでいると、

「どないかしたんですか?気分悪くなったんですか?」

心配そうに聞いてきた。


「・・・あのね・・・、隣に・・座ってもええかな?」


意を決して言ったつもりだけど、声は小さいし震えてるのが自分でも分かる。

こんな事をお願いするのは恥ずかしくて顔から火が出そう。

手すりを持つ手も汗が滲んでる。


「ああ、良いですよ。どうぞ。」


軽く即答されてしまった。

かなりの勇気を振り絞って言った私の言葉は呆気なく了承されてしまった。

そう、彼はこう言う事に関しては疎い性格だったのを忘れていた。

でも、それはそれ。

私は勇気を出して発言したのは事実だし。



「ありがとう。」


彼の右隣に座った。


「ほんまに夜景、綺麗やね・・」


街の灯り、船の灯り、そして星の川の様な高速道路を走る車のヘッドライト。

空には星が瞬いている。

360度、星に包まれているよう。


「夜景見て“綺麗”しか言うてないですね。」


言いながら笑う彼。


「そんな事言うたかて、ほんまに綺麗なんやもん・・」


そう言いながら、彼の右腕にそっとしがみついてしまった。


「え・・・?」

さすがに疎い彼も少し戸惑ってるみたい。


「まだ酔うてるでしょ。」


彼が苦笑いしながら言った。

はぐらかそうとしてるのかな。

でも拒否しないでそのままでいてくれてる。。

もしそうなら嬉しい。


「うん、酔ってる。だから、ちょっとだけ・・。ちょっとだけの間・・観覧車が回りきるまでの間だけ甘えさせて・・・。」


そう言いながら彼の顔を見ると、彼と目が合ってしまった。

あ・・気まずい・・恥ずかしい・・・


彼も恥ずかしがりながら、

「ちょっとだけですよぉ。」

と言ってくれた。

いつも優しい彼。

その優しさにいつも甘えてしまう私。


私は、彼の体に体重を預け、頭も彼の肩に預けた。


それから無言で夜景を見ている二人。

でも重苦しい雰囲気ではなく、ゆったり温かい。

少なくとも私はもう、夜景を見る余裕も無く“綺麗”の言葉も出ないほど体と心はふわふわしている。


観覧車は一番上まで来ていた。

ふわふわしてるのに、残された時間を考えると胸が苦しくなる。

観覧車が降りていくのに連れ、私の気持ちも現実に戻されつつあった。

『あと数分・・このまま時間が止まれば・・』

と思ったが、口から出た言葉は


「観覧車、故障して止まったらええのに。そしたら、ずっとこのまま甘えてられるのに。」

我ながら馬鹿な事を言ってしまった。


すると、彼は笑いながら、

「それは困りますよぉ。故障なんかしたら新聞記者やらテレビ局のカメラとか来ますよ。下手するとインタビューされたりするかもしれませ

んよ。」


「あ、それは私も困るかも。」


二人でクスクス笑ってしまった。

そして、また無言になる二人。


今、CHICKEN SHACKの甘いナンバーが流れたら、絶対に落ちてしまうだろうな、私。

このまま落ちたい、落として欲しい。

でも、彼はそんな事するような人じゃ無い事は分かってる。

だから好きになったんだし。


そんな事を思ってる内に観覧車は一番下まで戻ってきた、そして私を現実に戻してしまった。

ゴンドラから下りると少し冷えた空気が私を包む。


「寒くないですか?ブーツ履いてはるけど、ミニスカートですし。」

何時もはそんな事に気を回す事の無い彼が聞いてきた。


「ううん。酔い覚ましには丁度良いくらい。」


もう少し二人の時間を過ごしたくて

「酔い覚ましにちょっとだけ海、見ていけへん?」

と言いかけたが飲み込んだ。


『これで満足しないと・・』


そう自分に言い聞かせて

「今日はありがとうね。風邪ひいたら大変やし、もう帰ろ。」


本心とは逆の言葉を何とか口にした。

本当はもっと一緒にいたい・・・

もっと甘えていたい・・・

でも、我慢しないと。


「そうですね、もう帰りましょう。本当は寒いんやないですか。」

心配してくれる彼。


「ちょっとね・・・だから・・」

その言葉にまた甘えたくなってしまった。

そして、私は彼の腕にしがみついた。


「駅に着くまで、このまま・・ね。もうちょっとだけ甘えさせて。。」


駅に着いたらお互い別の電車に乗らないといけない。

彼に甘えられるのは、本当にこれが最期。


私の言葉には何も答えず、穏やかな表情で、

「じゃあ、行きましょうか。」


私のわがままを優しく受け止めてくれる彼。

そして二人は駅に向かって歩き出した。


駅に着くまで二人とも何も話さなかった。

でも、私の心は温かさで満たされていた。

それも後、数分だけど。


そして、その数分後がやってきてしまった。


「今日は本当にありがとうね。」

これが今の私に言える精一杯のお礼。


「いえいえ、気をつけて帰って下さいね。」

いつも通りの彼。



彼の乗る電車が先にホームに入ってきた。

「じゃあ、お先です。」


「うん、バイバイ。」

軽く手を振り、彼が電車に乗るのを見送った。


すぐに私の乗る電車もやってきた。

一人で電車に乗ると、寂しさがこみ上げてきたが、まだ体と心がふわふわしている。


何時もなら電車内では音楽を聞くのだが、今はそんな気分にはならなかった。

私は、いつの間にか目を閉じ、余韻に浸っていた。



でも、今日が最初で最後のデート。


そう、今日のデートは私のわがままなお願いを聞いて貰っただけ。

最初で最後のデート。

これ以上彼の優しさに甘えるのも、彼に迷惑を掛ける事もしてはいけないし、したくない。


明日からはまたいつも通りに戻らなくては。

そして、彼に対する私の気持ちも心の奥底に大事にしまって置く事にしよう。


私はMtF。

好きな彼を・・カミングアウトした私を変わらず友達として受け入れてくれた彼を巻き込んじゃいけない。


今日は“自認性の装いで外出したい”と言う私の我が儘を聞いてくれただけ。

だから、彼にとっては単なるデートの真似事。

私の気持ちは知らない。

知らない方が良い。


ただ・・今夜、眠りにつくまで余韻に浸るくらいは許して欲しいな。。



-----------終---------------

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雨夜月 森沢真美 @Mami-Morisawa

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