葉月の清涼

シゲ

葉月の清涼

「あつい」

そう口にしたところで体感温度が変わるわけでもないが、言わずにはいられない夏の常套句である。頭上では太陽が休むことなく核融合を起こしながら熱波を惜しげもなく地球に送り続けている。たまにはさぼってもいいんじゃないか。毎日働かなくたって今の世論なら許してくれるだろう。

「何回目よ、それ」

うんざりしたような声が横から聞こえる。その発生源を向くと、不快指数と比例するかのように強く刻んだ眉間のしわが見える。流石のハルヒも今日の気温では多少こたえる様だ。

「ほぼ反射的に出てくるんだ。仕方ないだろう」

今すぐにでも服を脱ぎ捨てたいくらいだ。北風に勝算がないのも今なら分かるぜ。

「暑いなんて言ってたら余計暑くなるのよ。暑さを忘れるくらい集中すればいいでしょ」

今はSOS団の不思議探索で外に出ている。昨日の部室での活動中に急遽決まったことだが何もこの炎天下が続く時期にやることはないだろうという俺の反対も虚しくブラック企業なんのその、ワンマン社長の如く強引さで押し切られたというわけだ。平の意見は得てしてそんなものである。朝からいつもの場所に集まり、これまたいつものように俺の財布にある持ち分が他の団員達の胃袋に自動でスライドしていった。どうあがいても俺が最後に来ることはテンプレに成りつつあり、ビリが奢るというのはつまり俺の役目であることが半ば形骸化している。決して良い傾向ではないが、かといって不平不満を直訴したところでお上に処分を命じられる百姓と同じ運命である。最初のくじ引きで俺と朝比奈さんと古泉、そしてハルヒと長門の組み合わせで回っていたのだが、日が高くになるつれ上昇していく気温と湿度に朝比奈さんがやられてしまい彼女の安全を考慮した結果、家まで送り届けることになった。電話でハルヒに連絡をした際に、やましい気持ちなどは無論ニュートリノ程もなく、その役目を買って出たのだが団長の指示により古泉が付き添うことになった。やる気のある団員の誠意を無視するとは実に腑に落ちん。そして「有希はか弱いんだから」と長門の身を案じたハルヒにより、肌に差す日差しとは対照的に涼しい顔をしたアンドロイド娘にも帰宅命令が下された。長門が暑さで倒れるところなんぞは谷口がテストで満点を取るくらい想像できんがな。結局残った俺とハルヒだけが探索を続けている。集中しすぎて俺たちまで体調を崩したら話にならんぞ。

「不思議を見つける前に道半ばで倒れたみくるちゃんや離脱した二人の分も合わせて頑張らなきゃいけないのよ。SOS団として当たり前でしょ!」

朝比奈さんを亡き者にするな。そしてなぜそこに俺が含まれるのかと疑問を抱いたところでそこに解などは存在せず、ブルボン朝のような絶対王政的決断に盲目的に従うしかない。

「でもあんたの言うことも一理あるわ。あたし達まで動けなくなったら元も子もないものね。ちょっと休むわよ」

そう告げ立ち上がったハルヒに続き俺もベンチを後にした。少しでもこのねっとりとまとわりつく熱気を避ける為に木陰を求めながら川沿いの道を南に進んで行くと、古臭い駄菓子屋が手前に見えてきた。小学生の時分に来たことがあるような気もするが、如何せんこの暑さだ。頭のCPUが熱でうまく働いていないのでどうにも思い出せない。デフラグでもできれば多少はましになるだろうか。

「キョン、お店よ。丁度いいわ。何か買いましょ」

そう言ったハルヒだが、とてもじゃないが今は数十円で買えるようなジャンク的食品を口にする気にはなれない。下手したら余計具合が悪くなりそうだ。そう思いながら近付いて横目で見ると、店の中に所狭しと並んだ駄菓子とは別に入り口の傍に冷凍ショーケースが置いてあることに気が付いた。中には大小様々なアイスキャンディーが入っている。自然のサウナで茹で上がった今の体にはおあつらえ向きだ。同じくそれを見つけたハルヒの目にも生気が戻ってきたように見える。

「好きなの選んでいいわよ。一緒に買うから」

壊れたレコードのようにモノトーンでリピートし続けるセミの大合唱を聞きすぎて耳がお釈迦になったのではないかと疑った。一体全体どういう風の吹き回しか。季節が真逆にでもなりそうだと瞬時身構えたが体から噴き出す汗は止まらないのでどうやらそんなことはないらしい。

「あんたは私を何だと思ってるのよ。ま、一応探索に付き合わせてるし、これくらいは買ってあげるわ。別に高いもんでもないし」

その優しさを普段から分け与えてくれればどれほどありがたいか。不必要な苦労は必ずしも美学に非ずという信条を持っている身としてはそう願わずにはいられない。そもそもこれを優しさと認識してしまう時点で、普段から押し付けられている無理難題に慣れてしまっている自分に気が付き少しばかし嘆息した。

「私はこれね。あんたもちゃっちゃと決めちゃってよ」

急かすハルヒの機嫌を損ねないようぱっと目についたものを手渡した。店の奥には優しそうな雰囲気のお婆さんが座っており、ハルヒが精算をしに向かうと笑顔で迎えた。

「仲良しさんねえ」

そうハルヒに話しかけているのが聞こえてきた。戻ってきたハルヒの手元を見ると、形状や風味こそ違えど二人で分け合うタイプの商品が二種類乗っかっていることに気が付いた。片方はもちろん俺が選んだものだが、意外や意外ハルヒも似たような物を買ったようだ。そこで初めてお婆さんから発せられた言葉の真意を知った。シェアするアイスキャンディーを見つけたことに特段他意はない、と思いたい。懐かしさもあったが果たして理由はそれだけか。暑いと判断が鈍くなるのだろう。

駄菓子屋のわきに置いてあった長椅子が、丁度日が当たらないのでそこに座ることにした。ハルヒが選んだのはチューブ型のプラスチック容器に入ったシャーベット状のアイスを吸い出す物だ。半分に割ったそれを無言で俺の目の前に出してきた。食えという事だろう。ありがたく拝領した。口に含んだ氷菓子が身体に染みる。生き返る気分だ。

自分が選んだものを取り出した。棒が二本刺さっていて真ん中に割りやすそうな線が刻まれているやつだ。ハルヒがしたのと同じように、片割れを差し出した。そうするのが自然だと感じたのだ。

先にこっちを開けるべきだったな。溶けかけていて気を付けないと服に垂れそうだ。

「どう?多少はマシになったでしょ。食べ終わったら探索再開するわよ」

おいおいまだやるのか。ただでさえ一度休憩を挟んだせいで動き出すのが億劫になっているっていうのに。今日はここでお開きにしたほうが賢明だ。また別の機会に付き合ってやる。

「団員としての自覚が足りないわよ!この程度で音を上げてたら、」

俺の手元から半分以上残っているアイスキャンディーがドロップアウトしかけたその刹那、言葉を止めたハルヒは口を開いたまま俺の手を引き溶けかけのそれを迎えに行った。

「危なかったわ。あと少しで土に還るところだったわよ、感謝しなさい」

確かに無駄にはならなかったが俺の胃袋に入るはずだったものは代わりにハルヒの中だ。感謝する必要性がどうしても見つからなかった。

「器が小さい。ほらあたしの少し残ってるからこれあげるわ」

やり返すつもりで俺に渡そうとしたハルヒの手の棒にそのまま齧りついた。勢いあまって少し指を舐めてしまった。予想していなかったようでハルヒは猫がテレビに映る他の猫を見つけた時のような顔をした。そしてそのまま立ち上がると歩きだしてしまった。

「おい待てよハルヒ」

「うるさいバカキョン」

先に進むハルヒの顔は横からしか見えなかった。手に残った木の棒には、はずれとしか書いていなかったが今のハルヒの表情は当たりだったかもしれない。

セミの合唱はまだ続くようだ。

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葉月の清涼 シゲ @Shige-Nagato

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