ハンガー

 メルーが甲板に降着すると、さすがに空母も小さく動揺した。ランディングギアのサスペンションが前後にきしむ。メルーの長い翼が弦のように撓むのが後ろに見えた。

 大型機のスポットはランウェイ上にあって、そこを塞いでしまうと他の機は発着艦できない。横か前から滑り込むのは不可能ではないが気流が乱れているから危ないだろう。

「この空母には人間がいるのか? 人の気配がしないが、どうやって補給する?」

「空母がやってくれるんだよ」

 ネフがそう言うとその腹下の甲板に何か波紋のようなものが広がった。水? いや、甲板は確かに硬かった。液体のはずがない。

 しかし波紋の中心から泡のような丸みが立ち上がり、鍾乳石のように突起状に伸びて胴体下面に触れた。給油口の位置か。

 つまり、それが給油ホースというわけだ。

「こいつは生き物なのか」

「いや、違うと思う。表面温度は大気と同じくらいだし、脈もない」とイトナ。

「でも、無害だよ。飛行機の世話をしてくれるだけ」

「普通の燃料なのか」

「普通の燃料、普通のミサイル、普通の部品よ。さっきジュラが飲んだ燃料も空母のものだもの」とメルー。


 私は足の力を抜いてブレーキを解いた。機体は動かない。車止めに足を固定されている。

 スロットルを引いてエンジンを停止。回転数回転数が下がっていく。が、残り10%で下げ止まった。ラム・エアでタービンが回っているのだ。コンピュータを動かしていてもバッテリーが減らないレベルだった。対気速度計も200km/h程度で安定していた。完全に風圧で測定しているので地面に止まっていても風があれば針が回る。

 つまり、外に出たいが、キャノピーを開けたら風圧でヒンジが折れかねないスピードだ。たとえキャノピーが持っても私が甲板にしがみついていられるかわからない。

「修理はどうする?」

「無線で言ってみな」

「無線?」

「タワー、なんとか、って」

「飛行場と同じように?」

「そう」

「タワー、リクエスト・リペアリング」私は言った。自分のコールサインをなんと言えばいいかわからなかった。

「あれ、開かないね」

「タワー、ジュラ、リクエスト・リペアリング」ジュラが見かねたように言った。

 するとどうだろう、甲板の前縁がぐぐぐっと下がり、胴体上面との間に隙間が開いた。それはなんだかジンベイザメやマンタの口を思わせる形だった。

 呆気にとられている間に機体が動き出した。甲板上の車止めが足を引っ張っているらしい。機体はみるみるうちにマンタの口に吸い込まれた。

 中は明るく、思ったほど奥行きはなく、クリーム色の丸い壁に囲まれていた。

 速度計、回転計ともにゼロ。しかしバッテリーの消費はない。すでに外部電源の供給を受けているようだ。


 バックミラーに何かが映った。振り返ってみた驚いた。クリーム色の天井から例の鍾乳石状の突起が垂れ下がってきていたのだ。その突起は機体の左側の垂直尾翼に触れ、そのまままるで練乳のように広がってテールコーンや胴体後部まで覆った。

 そうか、これが修理なのだ。それらしい設備も見当たらなかったが、もはや超常現象なのだ。クリーム色の練乳の中で何が起こっているのかは知りようがなかった。練乳は不透明だし、天井から部品か何かがその内部を伝って下りてくる様子もなかった。

 どれくらい時間がかかるのだろう?

 とにかく外に出たい、と思った。

 私は酸素マスクをつけたままキャノピーを開いた。

 まず飛び込んできたのは音だった。何か巨大な真空管のような「ブゥゥゥン」という振動音が響いていた。ヘルメットをしていても鼓膜が震える。とても会話ができそうなレベルではなかったし、生身で長時間晒されているだけでも体調を崩しそうだった。

 私は次にマスクを少しずらして、口に含む程度に外気を吸い込んだ。オゾンの消毒臭に似た匂いが鼻に抜けた。しかし呼吸はできる。しばらくその状態で呼吸をして意識が淀んでこないか、一酸化炭素中毒などの症状が出ないか確認した。


 私はマスクを外した。オゾン臭がかなりキツイが、息はできる。苦しくもない。タラップ伝いに機外に出た。床に降りる前に機体の車輪を確かめた。きちんと接地している。

 私は恐る恐る足を下ろした。爪先に柔らかい感触。陶器のような硬さを予想していたが、妙に弾力があった。両足を下ろす。なんだかブカブカして歩きにくい。しゃがみこんで床の匂いを嗅いだが、特に匂いという匂いはなかった。

 天井から垂れ下がった部分は相変わらず垂直尾翼にまとわりついている。まだかかりそうだ。機体の後方に出てスロープを上がり、飛行甲板に顔を出す。だんだん風圧が強まってきて、耐えられなくなる手前で足を止めた。背中側から乱流が吹きつけている。メルーのだいたいと2機のミグの垂直尾翼がかろうじて見えた。


 背後で何か気配が動いた。

 振り向くと天井の垂れ下がりが引きつつあった。私は床のブカブカに足を取られながら機体の横に駆け戻った。垂直尾翼の損傷はきれいさっぱりなくなっていて、どれだけよく見ても修復の痕跡を見つけることはできなかった。パッチの類もなく、塗装までまるっきり元通りだった。

 すると今度は前方の内壁から突起が伸びてきて主翼の下にくっついた。その突起の動きはかなり素早くて、まるで私に向かって突き刺さってくるみたいな感じだった。私は思わず身をかがめてしまった。

 突起は翼下のパイロンに食いつき、まるでウミガメの産卵みたいにミサイルを吐き出した。R-27だ。レーダー誘導式のR-27ERと赤外線誘導式のR-27ETがそれぞれ4発。

 確かめると、しっかりパイロンに固定されているのがわかった。いささかグロテスクな装填手段だが、触っても湿っぽいところはまるでなかった。1発200kgは下らない。それを軽々持ち上げるのだから、あの突起は軟らかそうに見えてその実かなりの強度があるのだろう。あの突起に意思があるのかないのかはわからなかったが、とにかく突かれたり薙ぎ払われたりするのはゴメンだ、と思えた。

 突起は最後に翼端のパイロンに短距離用のR-73を2つ取りつけて引っ込んだ。


 突起が機首の両側からいなくなったところで私は逃げ込むようにコクピットに戻ってキャノピーを閉めた。

 何より騒音が耐え難くなってきていたし、オゾン臭も尋常ではなかった。ものの数分間の滞在だろうが、空母の中が人間の居座るべき場所でないことはよくわかった。ここは地面ではない・・・・・・・・・のだ。

「空母の中に入れる場所ってのはここだけなのか?」私は思わず訊いた。

「もう探検終わり?」とネフが返す。

「ああ」

「たぶんね。確かに空母の図体に対してそのハンガーは小さすぎると思うけど、私たちも他の空間は見たことがないよ」イトナが答えた。

「空母に留まろうって飛行機はいないのか?」

「いないことはないだろうけど、他の飛行機の邪魔になっていざこざを起こすかもしれないからね、飛んでる方が気が楽だ」とイトナ。

「なるほど。――ジュラ、R-27は自分でえらんだのか?

「うん。最初はR-77を頼んだんだけど、ないみたい」

「空母は誰かが現物を持ち込まないと作れないんだよ。この空母にはまだR-77を持ち込んだ飛行機がいないってことだね」とネフ。

 こんなことならドモジェドヴォを離陸する前に装備してもらうべきだった、と私は思った。だがもし持っていたらミグの姉妹かスロストに対して使ってしまっていただろう。所詮ムダな後悔だ。

「まあ、いい。ないものはないんだ。こっちは補給終わったけど」

「ごめん、まだ給油中」とメルー。

「たっぷり補給して、長く飛ぼう」とネフ。

「メルーの補給が住んだら離陸だ」とイトナ。

「ジュラ、チェックイン。レディ・トゥ・テイクオフ」

 ジュラがそう言うと、車止めが機体を押し戻し始めた。ランウェイに上ったところで開口部は徐々に薄くなり、最後は継ぎ目も見えない平面に戻った。

 誰も空母には留まれない。ここは空の世界。飛び続けられない者はきっと死んでいくしかないのだろう。

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フランカーちゃんと行く空の異世界 前河涼介 @R-Maekawa

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