第4話 消えたわるいおんなの夫

第4話

   消えたわるいおんなの夫   乙音メイ  


 2018年8月末、犯罪とはこんなにも巧妙なやり口があるものなのか、とあきれ返ることばかりの連続だった。

 この2か月の間に屋○島警察署で、もうあとお顔を拝見していないのは30人くらいくらい? 10人くらいの警官が2~3人で我が家に訪れた後、上の階の夫は、建設現場で使われる足場を、毎日2本ずつ、1階の集合ポスト下に降ろし始めた。


 捕まる前に証拠を撤収しておこうと思ったのか、それとも、こんな馬鹿げたことはもう終わりにするのだ、と犯人グループへの1週間かけての無言の宣言だったのか。


   *


「天井裏でガタン! と音がしていたのはこの足場板をあちこちの梁に移動させていた音なのね」

と、初めて目にした時に納得した。


 日替わりで、長短様々な足場板が1階ポストの下に降ろされるようになった。足場板は、一つの部屋に3本づつあったのではないかと思われる。


 その10本目までを写真に収めた後、足の裏に滑り止め用らしい絨毯の切れ端の付いた、11本目と12本目の足場板が下され、それも写真に収めた。

 永年にわたる犯罪行為のために見慣れ過ぎていて、これが証拠物であることに犯人グループは気づかないのかもしれない。その足場板は、新年を迎えた2月の今も、同じ場所に放置されたままだ。


 足場板は、まだ402号室の床下のどこかにあるのかもしれないが、12本目が下されて、この夫の姿が団地から、というよりも多分、島から消えた。


 夫が10本の足場板をどこかに運び去ったのは、(愚かなことはもうやめなさい)という、妻へのメッセージだったかもしれない。11本目と12本目を残したままなのは、(パパはこのようなことが我慢できなくなったんだよ。ママやおばあちゃんたちがやっていることをよく考えてごらん。妹を頼んだよ)という、妻の連れ子だったけれど、自分を慕ってくれたかわいい息子への最後のメッセージだったのかもしれない。



 上階の夫とは外で三回遭遇している。

 一度目は、五月の末頃だったか、家から数キロ離れたドラッグストアでだった。店の中で待伏せをしていたのだろう、通路を食品売り場に向かって歩いていた時に、野球帽の下から覗いている目が物語っていたのだ。


 買い物を終えてレジに並ぶと、私の向かい側のレジにその男も並んだ。薄いピンクの少し透けるコットンワンピースの中にタンクトップ、ブーツカットのジーンズを組み合わせ、マニッシュなストローハットを被った私を見て、

「本当にこの人か? 俺たち、ターゲットを間違えてはいやしないだろうか?」

と言いたいような顔をしていた。カウンターでも、再び私のすぐ隣に来て、買った品物をバッグに詰めている。


「私に何か伝えたいのだろうか? 私はあなたたちが何をしているのかが分かっている。こんなに接近していていいの? ずいぶん呑気にしているのね」

と思った。時間をおいて推測してみると、人身売買のことを伝えたかったのかもしれない、と思った。

「若い息子さんと早くお逃げなさい!」

と。それが自然豊かな屋久島を愛して転居までしてきた私たち家族への、無言のメッセージだったのかもしれない。同じ屋久島を愛する山岳ガイドとして、それはごく自然な魂レベルの反応だったのかもしれない。けれどその時の私は、始めて暮らす屋久島の初体験の団地暮しで、訳がわからないことだらけだった。日々の毒物から逃れることで精いっぱいだった。


 屋内ストーキングの終着点は、戸籍一つ(人間一人)100000000円なのだ。別室で答え合わせ付きの試験に通って、役場や警察などの国家公務員になってしまえば、権力をかたに密入国仲間を祖国から誘致して、ますます安泰だし、退職後の余禄も祖国より何倍も付いているのだ。


   *


 上階の夫が、布製のショッピングバッグを肩からかけている姿は、なかなかさまになっていて、慣れた様子に見える。詰め込む手際がいいのか、品数が少なかったのか、あれこれとバッグの中を整理整頓している私よりも先に店を出て行った。大柄な妻のことを思い出し、

「もしかしたら、家では尻に敷かれている?」

何故かそう思った。


 二度目は8月だったろうか、団地近くの交差点だ。今度は買物帰りの通り道を待ち伏せていた、そんな感じだった。

 彼は黒の野球帽を目深にかぶり、半袖Tシャツ、痩せた足にジーンズを穿いていた。ガソリンスタンド側へと、青になった横断歩道を渡って行った。私を見て戦意を喪失したのか、特有の咳払いや何かはなかった。

 鳥のプリントのレモンイエローの布バッグを肩にかけ、水色のスカート姿の私を確認したかっただけなのか、何かを伝えたかったのか。そうだ、何かを伝えたかったのかもしれない、と後で思った。


 考えてみれば、朝から晩まで騒音のする階上の家にも、ごくたまに静かな時があった。そんな日には、足音はまったくしない。聞こえてくる音といえばギターの音色だけだった。小柄で痩せた夫が弾いているのだろう。妻と子供たちが出かけて、束の間の平安を享受しているのかもしれない、と感じた。ギターの腕前は、まだ初心者かもしれないが、今の私よりは上手だと思った。


 三度目は、夏の終り頃だった。E‐3棟の専用の駐車場で、車に何かを、もしかしたら自分の着替えなどの荷物を積んでいたのかもしれない。

 あと15メートルという距離に接近するまで、相手に気が付かなかった。引き返すにも、すでにお互いが分かっている。こちらは逃げも隠れもするつもりがなかったので、気が付いているけれど、そちらを向かずそのまま静かに階段を上って、自分の家に入った。暗い影と共に、その夫の心にある物を感じた。それはこうだ、(やりたくてやったわけじゃない。強制されていた。個人的に恨みはない)。これが最後だった。


 上階の夫は、こんなことは本当は嫌だったのかもしれない。ギターと共にどこかに行った。妻と義理の母にそそのかされて悪に手を染めてしまった自分に見切りをつけたのだろう。下の子供を慰藉料代わりにし、また、その子供たちがいずれは妻に悪事を働くことを戒めてくれるかもしれない、とわずかな希望を託し、自分は自分の本質に近いスナフキンのような暮らしを選んだのだろうか? 本当は芯は優しい人だったのだ。




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