01-01 黄金の万年筆を手に取るものは、老いたる者か?

 喫茶車両、「琥珀亭」も普段通りに営業を開始している。店員の髪の色は青。長く伸ばした髪の間で綻び揺れる、碧色の瞳をした娘の服は白地に赤のストライプ。それに紺色の前掛けをつけていた。あれこれと下ごしらえをする彼女。彼女は誰かと言葉を交わしている。


「ええ、琥珀ちゃん。私は今忙しいの。あなたの相手ばかりはできないわ」

「そんなことないわよ。一緒に遊びましょう?」

「無茶言わないで。運行しているときはもちろんだけれど、停車中もそれはそれで忙しいのよ?」


 そんな彼女に、


「アイ! 何がそんなに忙しいの?」と、呼びかける少女がいる。


 それは弁当売り掃除婦の少女で、伸ばした髪を三つ編みに後ろへ流した、そばかすも可愛い女の子だった。彼女はサンドイッチを琥珀亭に取りに来たのだ。


「あら、マリア」

「アイ、そんな人形とお話しするぐらい暇なのなら、今度の停車駅でもソロツーリングにでも出てみればいいのに」

「ソロツーリング?」


 アイは貨車に押し込んでいる魔導二輪を思い出す。


「あたしはタイタンで外出なんてごめんだけれど、アイならへっちゃらでしょ?」

「言うわね」

「だって、アイってば暇そうなんだもの。その様子だと、とっくにサンドイッチの準備はできてるんでしょ? 紅茶とコーヒーは?」

「準備できているわ。いつでも持って行ってもらってOKよ?」

「もちろん。だって、そのために来たんですもの。少なくない人が地球から、もう一度この銀河鉄道「きぼう号」に乗車してきたわ。地球のあの荒れよう、みんなそれぞれ思うところがあったのね」

「そうかもしれないわね」

「おいしいものでも食べて、飲んでいただいて、少しでも気分転換してもらわなっくちゃ!」


 マリアは、そんな言葉をこぼした。

 アイの視線が傍らの陶器のカップに移った。アイは翡翠亭のことを思い出す。


「アイ?」


 マリアの呼びかけに、アイの返事はない。アイの視線はカップに釘付けとなったままだ。


「アイってば。じゃ、これ、もらっていくよ?」


 マリアが去って、アイはカップの横にあるアンティークドール、「琥珀ちゃん」に目を移す。レースをふんだんに使った衣装に包まれた「琥珀ちゃん」は、そのつぶらな瞳をアイに向けている。


「私、ソロツーリングに行ってみるわね? 良いでしょ、琥珀ちゃん」


 琥珀ちゃんは、何も答えてはくれなかった。


 ◇


 地球光が去って暫く、宙間軌道も安定し、車体の揺れもほぼなくなった。銀河鉄道は人々の思いを乗せて走りゆく。


「次はタイタンだな」


 喫茶には今、和服姿の老人がやってきていた、彼に緑茶を出しつつ、アイは話の相手をする。


「さようでございます、サワムラ様」

「俺が技師としてバリバリやっていた若かりし頃は、メタン井戸の設営やらなにやらで、タイタンも大した賑わいだったんだがな」


 サワムラは言った。


「タイタンはどんな惑星ですか?」

「惑星じゃない。タイタンは土星最大の衛星さ。大地は氷に覆われて、メタンやアンモニアの吹き出る火山がある。海だってあるぞ? ただし、メタンの海だがな」


 アイは大きな輪を持つ土星に思いをはせる。


「どんな人たちが住んでらっしゃるのですか?」

「タイタンには技師しか住まんだろうな。特に、エネルギーが化石燃料や炭化水素燃料から、マナに変わった今となってはね。タイタンの井戸も、昔の地球にとっては生命線でも、今となってはただの文化財だよ」

「文化財……」

「ああ、そういった意味では、地球も文化財になっていたか。つい先日見て来たばかりなのに、もう忘れとる。ボケが始まったかな、カカカ!」


 サワムラはカラカラと笑った。


「そんな、サワムラ様はお元気です。いつまでもお元気れおられますよう」


 サワムラ老人の視線の先に、地球製のクリスタルグラスが照明を反射して、暖かい色をたたえていた。


 ◇


 夜半。


「別に、琥珀ちゃんだけが私のお友達じゃないんだからね!」


 貨車でガチャガチャと音がする。

 見れば、青いツナギを着たアイが、レンチとスパナを取っては替えていた。

 アイは魔導二輪にサイドカーを取り付け、タイヤをすべてスパイクタイヤに付け替えていたのだ。


「これで良し。動くでしょ!」


 タイタンにつく前に準備は終えた。

 あとは、マリアが言っていたソロツーリングとやらを楽しむだけだ。

 そう考えると、鼻歌でも自然と出てくる。

 それは懐かしのあの人、マスターが好いてくれた曲だった。

 今夜もずいぶんと遅くなってしまったが、どうやら今夜は良い夢が見られそうだ。


「マリアには無理。でも、私ならいける」


 太陽の光よりも、星空の方が輝いて見える。

 アイは魔導二輪を貨車の隅に押し込むと、蓄電池をマナで満たすべく車窓に向けて魔導パネルを広げたのであった。


 ◇


「タイタン。タイタン。次の停車駅はタイタンでございます」


 銀河鉄道「きぼう」号の車内に車掌の伸びやかで甲高い声が響いた。


 「きぼう」号はメタンの大気に包まれた、タイタンに滑り込む。氷の大地には炭化水素の雨が降っていた。炭化水素採取技術者らの他は、特に見る者のない駅である。極北にはほぼメタンで満たされた海、クラーケン海が存在し、セントラルステーションはその海岸近くに建っていた。銀河鉄道株式会社、銀鉄の経営するホテルも隣接して建っており、逗留客をもてなしているのである。


「タイタンでの停車時間は銀河標準時で2日間となっております」


 そして、クラーケン海そばには、今では稼働していない、メタン採掘のための井戸が何本も立っていた。


「このたびは超特急、銀河鉄道「きぼう」号へのご乗車、誠にありがとうございました」


 アイは店の片付けに入る。

 クローズド。閉店の札を下げると、火を一つずつ落としてゆく。


「お降りの際は、お手元や網棚のお荷物など、お忘れ物のなきようご注意ください」


 ホテルに向かう乗客の群れ。

 アイは彼らがいなくなる頃、貨車からサイドカー付き魔導二輪を持ち出していた。


「あ、アイ。気分転換する気になったんだ?」

「そうよ、マリア。あなたのおかげ」


 作業着にエプロンを巻いて、ゴミ袋を手にした掃除婦の姿となっているマリアの呼びかけに声を返すアイ。


「ま、今回はあたしも時間があるし、なにか気分転換でもしてみようかな?」

「マリアが?」

「ええ。あたしにだって、いえないこと、つらいことの一つや二つ、あるんだから」


 アイにはそれが、ひどく意外なことのように感じられた。

 目の前のお気楽元気娘が悩み? そんなもの似合わない、と思わなくもない。

 でも。


「そんな時に琥珀亭に来てくれればいいのに」

「思い切り仕事中じゃないの、アイ」

「まあマリア、折を見て」


 アイの言葉はマリアの心の隙間を埋めていた。炭化水素の雨は、いつのまにか止んでいたようである。


「そうね、時間を見て、そんな時間を作ってみるわ、アイ」


 ◇


 薄暗い地表に、空に見えるは輪を持つ土星。

 アイは天を見ることをやめて、旅の友へと目を移した。

 魔導二輪にまたがりキックスタート。二、三回も回せば、尻に原動機の駆動を告げる振動が伝わってくる。

 アイは鉄の塔が何本も立つ氷の大地に魔導サイドカーを繰り出した。

 スパイクタイヤは氷の表層を噛み、思ったよりも滑らない。

 もっとも、もとよりそんなにすビードを出して走行しているわけでもなかったが。

 塔が流れる。

 氷の岩塊が転がっている。

 氷塊と言うべきだろうか。

 そんなものが、路面を流すアイの魔導サイドカーから見えるのだ。


 凍った路面を走るうち、アイは突き立った塔の他に、凍り付いた四角い建物を見つける。

 その建物は、人のいなくなった今でも光を放っていて、薄暗い周囲に明かりを投げかけていた。

 アイはその光に吸い寄せられてゆく。

 火に飛び込む羽虫のように、花に群がる蝶のように、樹液に群がるあまたの虫のように。

 アイは、なぜかその建物が気になった。


 ◇


 魔導二輪を降りて入り込んだ先。

 そこは事務所跡だった。

 メタンは透過膜を通じて電流を生み、この建物の照明を生かしていたようだ。

 ただし、空調は凍っていた。

 冷え冷えとする事務所内をアイは、


「お邪魔します」


 と踏み込んでゆく。

 不法侵入? もし誰かいたときには、アイは「遊びに来ました」とでも言うつもりであった。


 アイは、輝くものを見つける。

 照明を照り返していた、金色の万年筆だ。

 ついに目を引いたのは開かれたままの日誌。

 その万年筆で書かれたのであろう、アナログの日誌である。


『タイタンでの操業も今日が最後だ。エネルギーはメタンからマナに移行しつつある。もうこの氷の星ともお別れだ。さらば、土星、輪を持つ星よ。老いをもたらす者よ。私も老いた。地球で余生を送るとしよう』


 この万年筆の主は、地球に帰られたのであろうか。

 戻られたのであれば、あの地球を見て何を思われたのか。

 まだ、地球にいらっしゃるのであれば、駅から離れた、どこか人気のない田舎で畑に作物を植え、川や海で魚釣りをし、暮らしてあるに違いないのだから。

 アイは思う。

 本当に惜しいことをしたと思った。

 こういった人にこそ出会い、マスターの居所のヒントでも聞けば良かったのではないのかと思ったのだ。


「マスター……アイは、アイは待ちます。マスターの帰りを」


 ややもすれば遠くへ走って行きたくなる自分の気持ちを抑えて、アイは約束を思い出す。

 約束したのだ。自分はマスターの帰りを待つと。


 ──だから。


 アイは待つことにする。

 心に決めて、アイはその場を去る。

 その手には、凍り付いた金の万年筆が握られていた。


 凍り付いた紙になぜか文字が載る。

 アイの右手が踊った。

 日誌の隅に『万年筆、お借りします。銀河鉄道「きぼう」号車内喫茶『琥珀亭』従業員、アイ』


 と、添えて。


 ◇


 タイタンを発った「きぼう」号の車内喫茶に、珍しい顔が客としてあった。

 三つ編みとそばかすの、マリアである。

 マリアは紅茶を口に含み、香りを楽しんでいる。


「マリア、お弁当売りは良いの?」

「休憩よ、休憩。就業規則にも乗っている従業員の権利よ」

「ああ、そんなものもあったわね」

 銀河鉄道株式会社就業規則。ずいぶん前に一度目を通したような気がするテキストだ。


「アイは疲れ知らずね。いつまでも若いままでうらやましいわ」

「え? 私が若い?」

 アイは驚きの声を上げる。

 ちょうどその目は、アンティークドール「琥珀ちゃん」のつぶらな目に似ていた。


「ま、そういう天然ボケなところも含めて憎めないんだけれどね!」

「ま、いっちょまた車内を回りますか! サンドウィッチはできた?」

 マリアは一気に紅茶を飲み干す。


「ええ、作り終えたわ、マリア」

「OK、それじゃ、売ってくる! アイに負けないように、あたしもがんばらなきゃ」

 マリアが立って、荷物を持って客車に消える。


 アイの口元がほころぶ。

 何が面白かったのか。そんなこと、自分でもわからない。

 アンティークドール「琥珀ちゃん」の隣に目をやる。

 そこには、タイタンでのお土産が。

 そう。アイの視線は自然と、タイタンで借り受けた黄金の万年筆に注がれていたのである。

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アイの純喫茶-琥珀亭銀河鉄道浪漫譚 燈夜(燈耶) @Toya_4649

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