君の人生

タッチャン

君の人生

 君がまだ小さいとき、それは本当に小さいときに、

口煩い母親にオモチャを片付けなさいとか、もう夜も遅いから眠りなさいとか、好き嫌いしないで全部食べなさいなど…

そう言われていたときから君の人生は電車のように決まったレールの上を走りだす事になる。

 君が25歳という若さでこの世を去る事も決まっているのだ。

 君は小学校では特に目立った成績を残さず、友達も片手で数えられる程度の人数で過ごすだろう。

中学校では新しい友達もでき、家の近所だけでなく、隣町まで出掛けるようになる。世界が少しずつ広がって行くのを確かに感じるのだ。

君はこの頃から将来、どのような職業に就くか妄想したり、大人になった自分を、成功を納めた自分を頭の中で思い描くだろう。毎日が楽しくて仕方がないのだ。

 だけどそれは止めておけと言いたい。無意味な事なのだ。君は25歳の誕生日に死ぬのだから。

だが君はそんなこと知るよしもない。

 君は高校を卒業して直ぐに働き始める。

早く大人になりたくて駆け足で社会人になるのだ。

学校という簡易的な檻を抜け出して、社会という強固な檻に自ら飛び込むのだ。

 毎日決まった時間に起きて朝食を取り、決まった時間に電車に乗り、決まった時間を働いて、決まった時間に昼食を取り、また決まった時間まで働く。

帰りの電車の中で1日の疲れを取るため倒れこむ様に座席に腰を下ろす。

長い年月をそうやって過ごすのだ。

 そして、今日が君の25歳の誕生日。最後の誕生日。だが君は自分の誕生日も忘れてしまうほど疲弊しきっているのだ。

 駅のホームで電車を待つ君は子供のころに思い浮かべていた理想を目の前の現実と比較してみる。そして何度も頭の中でこう言うだろう。

理想と現実は違う、と。

君は大人の世界に決して有りはしない幻想を抱いていたのだ。

君は初めて大きな絶望を、何かに裏切られたと感じるだろう。

とても暗く深い深い穴の中へ堕ちて行く感覚を味わいながら。

理想と現実は違うと空っぽの心で何度も呟きながら。

 君が例え様がない絶望感に浸っていると電車はもうすぐ君の元へ止まるだろう。

まぐれでもなく、奇跡的でもなく必ずそこに止まるのだ。君の人生という電車はそこが最終駅なのだ。そして君はホームから身を投げ出し、命を絶つだろう。今日が君の25回目の誕生日。最後の誕生日。

名も知らぬ若者よ、誕生日おめでとう。


 「いや、暗いよ!暗すぎるよ!東出さん、どうしたのよ!?」

突然の大声に体をビクッとさせて東出さんは虚ろな目を僕に向けて、ボソボソと喋り出す。

「なんだ…北村さん、まだ居たのか?」

その声に生気は宿っていなかった。

「いますよ!それよりこれは何ですか?」と僕は声のトーンを抑えて聞いた。

「…何のことかね?」またボソボソと喋る東出さんに苛立ちを感じながら僕は説得を試みる。

「これの事です。新作の小説が書けたから読みに来てほしいって言われて来てみればこれですよ。1枚目でこれですよ?後の7枚もこんな感じで進むんですか?勘弁して下さいよ、暗すぎるよ!」

「ダメか、ならそこのゴミ箱に捨ててくれ。編集者の君が言うんだ、間違いないんだろう。わざわざ来てくれて有り難う。突然だが北村さん、私は今日限りで小説家を辞めるよ。今まで有り難う」

 突然の引退宣言をした東出さんの両目から涙が溢れ、頬を伝って流れていく。僕は理解出来なかった。日本で1番有名な小説家がなんてひどい有り様なんだ。

2カ月前までは綺麗で、手入れが行き届いていた、映画で見る“書斎”そのものだったこの広い書斎は今や脱ぎ捨てられた服や、食べ終えたコンビニ弁当のゴミが散らかり、挙げ句の果てには命の次に大事だと豪語していた何千冊の本たちが床を転げまわっていた。この状態を僕以外の人が見たらただのゴミ屋敷と思うだろう。

 「そんな事言わないで下さいよ。いったいどうしたんですか?東出さんのその状態もだし、この部屋の事も話して下さいよ。奥さんに怒られますよ?あれ、奥さん見てませんけど出掛けてるんですか?」

椅子に深く腰かける東出さんは手を伸ばして、目の前に置いてある、ぐしゃぐしゃになった原稿用紙を取り、それで涙を拭いた。

「正直な所、私がこんな状態になった訳を話すのは気が進まないが、まぁ長い付き合いになる北村さんには話さないといけないな。ん?北村さん、私の担当になって何年になる?」

「今年で7年になります」

「そうか…時が過ぎるのは早すぎるな。まぁなんだ、長い話になるけどそれでも聞きたいのか?」

「話して下さいよ」と僕は言った。少しだけ沈黙があった後、東出さんは口を開いた。

 「忘れもしないよ、先月の第1週の火曜日だ。私は気分転換に出掛けたんだ。ここ1年ろくに売れる様な小説を書けなかったし、この書斎から出ていなかったからね。外の世界に行けば何かが変わったり、アイディアが浮かんだりするんじゃないかと思ってね」

話を区切って、手に持っていた涙を拭いた原稿用紙で鼻をかんだ後、ゴミ箱めがけて投げたがそれはゴミ箱のずっと手前で落ちて、床に転がる。

 「いつもなら自分の車か、タクシーを呼んで出掛けるんだが、その日は何故か無性に電車に乗りたくなってな。駅までゆっくり歩いて向かったんだ。電車に乗るのは20年ぶりだった私はウキウキしていて、学生の頃を思い出していたもんだ。昔の事を懐かしく思っていたら電車がやって来て、それに乗ったんだ。その車両はとても混んでいてな。人がぎゅうぎゅう詰めだったんだ。朝の8時前だったからそれもそうだろう。通勤ラッシュだ。昔の学生時代に浸っていた私は後ろから押される事も気にせず、ぎゅうぎゅうの状態で電車は走り出したんだ」

東出さんは遠くを見た後、目を閉じてその日を鮮明に思い出す様な仕草をした。

 「それが間違いだったんだ。その電車に乗った事が私の人生を狂わす原因だったんだ。ひとつ目の駅に着いた時、私の前にいた娘と変わらん年齢の子が私の目を見て叫んだんだ。「この人痴漢です!」って。私は訳が分からなかった。その子に手首を捕まれて電車から引きずられる様に降りた。駅のホームで私に喚き散らすその子の声を聞き付けて駅員がやって来て、私とその女の子は狭い部屋に連れて行かれたんだ。君にだけ言うが、それまでの私は口をバカみたいに開けて、ただただキョロキョロしてたんだ。私じゃないと大声で怒鳴りたかったがそれも出来なかったんだ。情けないだろ?」

 「あっ、だからさっきの作品は電車が出てきたんだ。東出さんの深層心理に電車っていうキーワードが埋め込まれていたんですね。いやいや、そうじゃなくて!東出さん、痴漢してませんよね!?」

彼は椅子から立ちあがり、怒鳴る。

 「するわけないだろ!娘となんら変わらん年の子にそんな事!いや、他の女性でもそんな事するか!」

「ならちゃんとその女の子と駅員に話したんですよね?自分はやってないって。その後はどうしたんですか?」また深く椅子に腰かけて語りだす。

「勿論話したさ。でも不思議な事に駅員のアホは女の子に味方して私の話はこれっぽっちも聞いちゃいない。しまいには警察を呼びだしたんだ。北村さん、ここまで話せばその後は理解出来るだろ?」

 たしかに僕は理解出来た。有名な小説家が痴漢、それを世間が知ったら東出さんの評判は文字通り地に落ちる勢いだ。今のご時世、ネットの情報を鵜呑みにする人間はごまんといる。僕も知らなかったこの出来事を解決するにはお金の力に頼る他ないと思った。きっと東出さんもそうしただろう。

 「お金で解決、ですか?」僕がそう言うと、東出さんは顔を強ばらせて言った。

 「そうだ。それしか方法は無かった。だが北村さん、お金なんてどうでもいいんだ。それよりも重要な事はその事が妻と娘に知られた事だ。警察のアホがわざわざ妻に連絡して、妻が娘に事情を話して、授業中だった娘は学校を抜け出して私の所に来たんだ!忘れもしないよ、私の前に来た彼女達の目は靴の裏に付いたガムを見る目だったんだ!その後の日々は地獄の様だった。妻と娘に無実だと何度も、何度も何度も何度も何度も話したさ!だが彼女達は信じてくれなかった。そして先々週だ、妻と娘はこの家を出ていったんだ。私に何も言わず、連絡も取れず!……北村さん、察してくれ、これが私の今の状態だよ…」

 気付けば僕は涙を流していた。なんとも哀れな、そして救いようが無い話なんだ。小説家として名声や富を手に入れた男がたったひとつの冤罪でここまで堕ちてしまうなんて、そりゃあんな暗い作品を書きたくもなるよ。

 東出さんの現状に同情していた僕は、机の上に置いてあったスマホがマナーモードで震えているのに気づいた。

「東出さん、グスッ、携帯鳴ってますよ。グスッ」

彼は手に取ることなく、応答ボタンを押した後、スピーカーボタンも押した。

「もしもし?」と東出さんは言った。

「もしもし、ちゃんとご飯食べてる?」電話の相手は僕も聞き慣れた声の持ち主だった。東出さんの奥さんだ。東出さんは黙ったままだった。奥さんは構わず喋りだした。

 「ごめんなさい、突然家を出て行って。私達は実家に帰っていたの。頭を冷やしたくて。あれから私達、色々話し合ったんだけど、やっぱりあなたを信じようと思ったの…明日の朝一で帰ります。自分勝手な事をして本当にごめんなさい」

別のくしゃくしゃになった原稿用紙を取り、目元を押さえる東出さんの肩は震えていた。

「…待ってるよ」東出さんはその一言だけ言って電話を切った。目元を拭いた原稿用紙を両手で丸めて、また投げた。それはゴミ箱に綺麗に収まった。

 「良かったですね!万事解決じゃないですか!」僕がそう言うと、目を赤くして東出さんは言った。

「そうだな、良かった。本当に良かった」

「それじゃ、引退もしませんよね?」

「ああ、勿論。前言撤回するよ。それに、次の作品は家族愛がテーマの話を書くよ!北村さん、期待しててくれ」

 僕はふぅと、安堵のため息をもらした。すると東出さんが言った。

「早速だが北村さん、妻達が帰って来る前にこの部屋を綺麗にしたいんだか、片付けるのを手伝ってくれるかね?」

僕は腕時計を見てから言った。

 「それはお断りします。もうすぐ定時ですから。それではまた新作が書けたら連絡して下さい」僕は足早に書斎を出て、ドアを閉めるとドアの向こうから声が聞こえた。

「おお、いきなり突き放すパターンか、一人で片付けるにはこれは大変だぞ」と。

 何はともあれ、一件落着だなと僕は思い、1階へ降りて、この無駄に広い豪邸の玄関を開けて外に出た。陽の光が心地良くて僕の表情は自然と笑顔になった。

さて、次の新作が楽しみだ。

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