Ⅱ 妹を亡くした少年

 妹が死んで以来、お母さんは壊れてしまった。ずっと病院のベッドで寝ながら、妹が写っている写真を見てばかりいる。

 ぼくは妹が事故死したことももちろん悲しいけれど、お母さんがぼくを見てくれなくなったことも、悲しくて、寂しくて、たまらなかった。


 ある時、ぼくの夢の中に、見知らぬお兄さんが出てきた。


「悲しいなら、その悲しみ、食べてあげようか」


 お兄さんはとても優しそうだし、助けてくれるのなら頼りたいと思った。

 でも、ぼくは思い直した。ぼくより、ずっとお母さんの方が悲しんでいる。助けるのなら、ぼくなんかよりお母さんが先だと思った。


 お兄さんにお母さんを助けてほしいと頼むと、お兄さんはぼくの願いを聞き入れてくれた。

 ぼくが夢から覚めてすぐ、家の電話がなった。お父さんが電話に出る。


「……回復した!? すぐ向かいます!」


 お父さんは会社と、ぼくが通っている小学校に休みますと連絡をした。

 お母さんは元気になった。


「今まで寂しい思いをさせてごめんね。お母さん、長い間悪い夢を見ていたみたい」


 お母さんはぼくをぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてくれた。

 ぼくは嬉しくてたまらなくて、お兄さんにお礼を言わなきゃと思った。

 お父さんも嬉しそうだ。


 でも、


「これで、天国の沙織もほっとするだろう」

「あら、さおりって誰のこと?」


 お母さんは、妹のことを……沙織のことを全く思い出せなくなっていた。


「お母さん、ほら、沙織のアルバムだよ」

「何を言っているの? そこには、何もないじゃない」


 写真を見せても、動画を見せても、お母さんは沙織を見ることができない。お墓参りに行っても、意味がわからないようだった。

 沙織の記憶を思い出せないどころか、沙織の記録そのものを認識できないなんて、普通じゃない。

 ぼくは、とてつもなく悪いことをしてしまったのかもしれない。

 沙織は、ぼくの妹は、確かに存在していたのに。お母さんにとっても、心を壊してしまうくらい大切な娘だったのに。


「そうだ、お母さんね、夢の中で誰かにお願いをしたの。雅俊が進学するのに充分なお金をくださいって。本当は他にお願いがあったのだけれど、それは叶えられないからって……何だったかしら? とにかくね、お母さん、雅俊のことが本当に大切なの。お父さんのお給料が急に増えたのも、きっと夢の中で会った誰かのおかげかもしれないわね」


 お母さんは過保護なくらいぼくを可愛がってくれる。

 でも、ぼくだけを愛してもらえても、嬉しくなんてない。

 ぼくは確かにお母さんにぼくを見てほしかった。でも、沙織のことを忘れてほしいなんて、沙織よりも大切にしてほしいなんて、思ってなかった。こんなのぼくが望んだ結果じゃない。


「お母さんね、お父さんと、雅俊と一緒に暮らせて、すっごく幸せよ」


 お母さんは、ぼくの知っているお母さんとは変わってしまった。

 

 誰か、ぼくのお母さんを元に戻して。

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悲哀を食らう悪魔 楠ノ葉みどろ @kusunohacherry

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