九-3

 閑静だった並木道にけたたましい銃声が鳴り渡る。それと重なるようにして一発の重低音が響いた。エレンが拒絶の力を放ってルキトを真横へ突き飛ばし、自身もジャンプして反対側へ飛び退ったのだ。

 二人のブレシスの間を素通りした弾丸の雨は、今度はエレンの方へ向く。エレンは木陰に隠れて銃撃から身を守り、同じく道を挟んで対面側の木の後ろに逃げおおせたルキトへ叫んだ。

「反応が遅いわよ! 蜂の巣になりたいの!?」

「ごめん、助かった」

 アサルトライフルの発砲音に掻き消されてしまいそうなほど弱々しい声でルキトが答えてくる。

「ったく、しっかりしてよね。このまま両サイドから攻めるわよ。私が先陣を切るから、あなたは隙を見て追撃して」

「了解」

 舞い散る木片の向こうで身を屈めているルキトはあまりに頼りなく見える。エレンは一抹の不安を覚えたが、一度は自分を圧倒した少年の実力を今は信じるしかなかった。

 ちょうどマキが発砲を中断した。その隙を見計らってエレンは両足から衝撃波を放ち、一つ前の木の陰へ向かってジャンプした。足元の土壌を巻き上げながらエレンの体が猛スピードで跳ぶと、そこにマキがまるで動体センサーを備えた固定砲台さながらの正確さで銃を撃ってきた。しかしエレンが木の陰に隠れる方が僅かに早い。

 エレンの足は留まらない。そこから異形の跳躍を用いて連続で木から木へと素早く移動し、悪戯に飛んでくる凶弾を掻い潜りながらマキへと近づいていく。エレンの行く先で無数の弾丸が幹を抉り、木の破片が煙を巻きながら舞い散る様は、土台街角とは思えない戦場のような光景に見えた。

 最大限まで近づいたところで、エレンは木の陰から飛び出して一気にマキへと躍りかかった。衝撃波を利用した高速ジャンプは、マキが銃口をこちらに向けてくるよりも早くエレンの体を敵の許へと運ぶ。

 着地に合わせてエレンは右の拳をマキへと突き出す。ただのパンチではない。そこにはギフトのエネルギーが脈々と宿る。

 拳撃に乗せて撃ち放たれる拒絶の力。誰彼構わず吹っ飛ばす異端の風は、しかし轟音を高鳴らせただけで標的の体には当たらない。軽やかに身を翻してエレンのギフトを回避したマキは、ウェーブのかかった前髪を揺らしながらその奥にある顔を微笑ませる。

「ずっと見てきたって言ったでしょう?」

 言葉通り、マキはエレンの行動パターンを完全に読んでいる。エレンは苦悶の表情を浮かべつつも、攻撃の手は休めない。今度は相手の頭部をふっ飛ばしてやろうという気迫で、マキの横顔めがけてハイキックを繰り出す。

 しかし、衝撃波を纏った蹴りはまたも虚空を空振るだけに終わった。腰を落とす程度でエレンの上段蹴りを頭の上でやり過ごしたマキは、口元を歪ませながら至近距離で銃口を向けてくる。エレンは目を剥き、ありったけの反射神経で真上に高く飛翔した。

 エレンのいた場所を無数の鉛弾が閃光を迸らせて通過する。銃声と薬莢が転がる音を真下に聞きながら、エレンは空中で一回転してマキの反対側へ着地した。だが、エレンが次の攻撃へ移るより早く、マキが振り返りざまに腕を振り薙いでくる。その手にはいつの間にか、ぞっとするほどに大きなナイフが握られていた。

 切っ先がエレンの鼻先を掠めただけに終わったのは、もはや奇跡に近い。エレンはバックステップに続いてマキの眼前へと踏み込み、下から拳を突き上げる。同時に衝撃波を爆発させたが、マキの白衣の裾を靡かせるだけに終わった。

 マキは素早く体を回転させてエレンの視界の外に回り込んでいる。大型ナイフを握り締め、がら空きになっているエレンの脇腹めがけて刃を振り翳す。だがマキは即座に何かを予知して、自分の顔の横にナイフを掲げた。

 直後、ナイフに硬い何かが激突してくる。それは白い靄を纏った氷の剣で、それを右腕に一体化させるように装着した少年もまた、冷たい瞳でマキのことを見つめていた。

「そうよね、女の子ばかりに闘わせてちゃカッコ悪いものねぇ?」

 マキはエレンを蹴り飛ばし、同時にルキトの刃を押し返す。

 エレンがマキと交戦している間に音もなく接近していたルキトだったが、奇襲のつもりで振るった剣は驚異的な反射速度でガードされた。

 ナース――闘うのはもちろん初めてだが、ブレシスを捕縛する者である以上、ブレシスを凌駕する戦闘力を秘めていることは想像に難くない。ルキトはいつもよりも眼差しに力を込め、余裕気な姿勢を保っているマキへ向かって氷の剣を振り薙いだ。背筋の凍るような風切り音が、この時ばかりは雄々しく聴こえる。

 マキは大型ナイフで斬撃を捌く。飛散した氷の粒が消え去るより早くルキトはもう一度マキに斬り掛かる。マキに当たり前のようにナイフで弾き返されたが、ルキトは空いている左腕を咄嗟に振るってマキに冷気を投射した。

 死の温度を宿した冷気だ。少し触れただけで生者を凍えさせる冷たい風は白い細氷を散らしながらマキの体に降りかかる。マキはその攻撃を予測していたかのように強かな笑みを見せると、大きく翻した白衣の裾で死の冷気を振り払った。

「ナースが着ている服だもの。そこらの白衣よりは頑丈よ」

 言い終わる頃には、マキのナイフの先端がルキトの土手っ腹に突進してきている。ルキトはぎりぎりのところでそれを斬り払い、後退を強いられる。そこにマキが更に追撃を仕掛けて来、ルキトは間一髪のところで体を横にずらして刃をかわしたものの、体勢を大きく崩した。

 その隙をナースが見逃すはずがない。マキは肩に下げていたアサルトライフルを持ち上げると、ストックの部分でルキトの胸を突いた。想像以上の衝撃にルキトは呻き声を残して後方に吹っ飛ばされ、あえなく尻餅をつく。

 その動作から繋げるように、マキはくるりと体を反転させて後ろを向いた。ストックを肩に当てて固定し、銃口を斜め上に持ち上げる。マキの狙う先には、衝撃波を利用した跳躍によって飛びかかってくるエレンの姿があった。

「ナースっていうのはね――」

 銃身の下部には、もう一つ別の銃身が装着されていた。その銃口は太く、通常の弾ではないモノを発射するための追加武装に他ならなかった。付け根にある第二のトリガーに人差し指をかけ、マキは引き金を絞った。

「相手取るブレシスの特性を事前に見極めて、最も適した戦術を用意してくるものなのよ」

 口径の大きな銃口から発射されたのは網だった。網は射出と共に蜘蛛の巣状に広がり、頭上から襲いかかってきたエレンの体を包み込む。

 失速したエレンは無残に地面の上に落下した。我武者羅にもがきながらエレンは全身から拒絶の力を連発させたが、いくら強烈な衝撃波といえど四肢に絡まった網を吹き飛ばすことはできない。大砲のような重低音が何度も虚しく響くだけに終わり、そんなエレンに背を向けてマキはアサルトライフルを肩にかける。

「一丁上がり」

 呼吸一つ乱れていない白衣の女。前髪を掻き上げ、次にマキが視線を注いだのは、少し離れたところに片膝をついているルキト――ではなく、地面に付いた彼の手の平から伸びてくる白い霜だった。

 氷結が地面を這ってくる光景は異様そのものだが、マキは尚も焦燥とは無縁の面持ちだ。

「その技も既に見ているわよ」

 マキはポケットの中から太い弾丸を取り出し、第二の銃身に素早くそれを装填する。蛇行しながら足元へと向かってくる霜の絨毯に慌てることなく照準を合わせ、引き金を引いた。

 発射された大きな弾丸は、地面に着弾した瞬間に物凄い勢いで火柱を巻き起こした。顔を背けたくなるほどの熱が周囲に広がり、ルキトが発現させていた死の氷結は道半ばで呆気無く溶けて消滅した。

 見開かれたルキトの黒瞳に、焼夷弾が作り出した火炎が地獄の業火のように映る。火は無駄に燃え続けたりはせず、思いの外すぐに鎮火した。

 入れ替わるように、焦げた道を踏みつけながらマキが歩いてきた。

「どう? まだやる?」

 アサルトライフルを肩に担いでマキが残虐な笑みを見せてくる。恐るべき強さにルキトは息を呑んだ。マキの後方には網に捕まって身動きが取れないでいるエレンが見え、ルキトの戦法もことごとく玉砕させられた。

 これがナース――ブレシスを捕縛する者の実力。一対ニなのに歯が立たない。相手はギフトを持たない人間なのに、ギフトを超える武力を持っている。

 ルキトは右腕に唯一残された氷の剣を掲げる。それでも負ける訳にはいかない理由がある。どうしても負けたくないという意地がある。

「俺たちは、今やっとブレシスとして進んでいける道を見つけられそうになっているんだ。誰かに歩みを阻まれるような地点じゃない。ここからが始まりなんだ」

 ルキトはそう告げ、そう信じ、刃を構えて、駆け出した。

 真っ向からマキに詰め寄り、疾走の勢いのまま氷の剣を頭上高く振り上げる。マキは嘲るように唇を曲げ、素早く腰を落とすのと同時に――スリットの入ったワンピースの裾を大きく捲った。

「なら運が悪かったわねぇ。最初に立ちはだかった壁が私で」

 隠れていた右足が大胆に露出する。その太ももに奇妙な装置が括りつけられているのが目に入ったが、ルキトは構わず全力で剣を振り下ろした。

 マキは鋭利な眼差しで剣の太刀筋を捉えている。切っ先が眼前に落下してくるタイミングを完全に見計らい――驚くほど靭やかな動きで上半身を思い切り仰け反らせ、剥き出しの右膝を高く振り上げた。飛来してきたルキトの剣の側面に、横薙ぎの片膝蹴りを叩き込む。

 剣の冷気がマキの膝に伝わるより速く、太ももに巻きつけられた装置が作動する。勢い良く射出されたのは鋼鉄製の杭だ。膝の横から突き出した太くて尖鋭な杭がルキトの氷の剣を打ち貫く。

 目の前で真っ二つに折られる氷刃。割れたガラスのように細かい氷の欠片が散り、折れた剣の先が無様に回転しながら明後日の方向へ飛んでいった。

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