第24話

 しばらく行くと薬の匂いが強くなってきて、私達はまたハンカチを口元にあてる。ニトイ博士は訝し気に首を傾げた。

「この薬がこんなに揮発しているはずはないんだけれど――」

「何の薬なんです?」

「その」

 ティラ達を見上げてニトイは言い辛そうにそれでも重い口を開く。

「戦場に兵士を投入する際に使う、精神高揚剤」

「アッパー? ダウナー?」

「この刺激臭はアッパー系だと思うわ」

 アッパーで襲われたら不味い。

 思い出したことを口にする前に、『それ』は私達に向かった来た。

 上半身は裸で、クスリをがぶ飲みしたのか口元は濡れていた。ひゃはっと笑いながら飛んだ彼は、まず一番防御力が薄いだろうプッテちゃんに襲い掛かる。リズムダンスレイブは一定以上の時間相手に見せないと機能しないから、これは効果的だった。畳んであった羽にダークネス・ソーサラー、その先端についているクローを立てる。黒い血がぴしゃあッと飛び散って、プッテちゃんは倒れた。プッテちゃん、と誰より先にその倒れる姿に駆け寄ろうとしたパラが今度は腹を刺し貫かれた。やっぱり黒い血を吐いて二人は倒れる。すぐにナノマシンで再生するかと思ったけれど、それは鈍いようだった。プロトにも効くようにしていたのか、ナノマシン抑制剤。それをクローから分泌できるようにして。

「アルケミストミスト!」

 とっさに左手を出したアロの手にも、ダークネス・ソーサラーが向けられる。それを阻止したのはティラのエレメント・ソーサラーだった。がきんっと金属同士がぶつかり合う音が響く。

「邪魔だプロト!」

 振り払われながらも二人の治療にアロを集中させるため、ティラはエレメント・ソーサラーを振り回す。

「あ……」

 取り残された私達は、なるべく動かないようにしていた。『それ』――レックスは、動くものすべてを対象にしているようだったからだ。ティラも苦戦している。やはり薬の効果が強いんだろう。殺戮人形と化した彼に、ニトイが震えて口を押さえる。さっさと戦線を離脱しているのはメガだ。オルちゃんの保護、と言えば聞こえはいいけれど、面倒くさいんだろう。

「――ランフォ!」

 ぎゅっとお守り袋を握り締めて、ステちゃんが叫ぶ。その声にこちらを振り向いたレックスは、全身に鎌鼬の傷を負う。だけどそんなものは関係ないように、こっちに突進して来た。

「アーケロン!」

 呼んで私は胸の前で手を握る。氷の壁が出現して、一瞬レックスの動きが止まる。

「――エレメント・ソーサラー、分解せよ!」

 ダークネス・ソーサラーに向けられたその言葉に、だけどレックスは跳ね飛ばすように叫んだ。

「ダークネス・ソーサラー、反転せよ!」

 エレメント・ソーサラーが腐食されていき――だけど一カ所でそれは、止まった。

「ブラックボックス……!」

 ニトイが呆然と呟く。

「ニトイ、ブラックボックスって何が入ってるの?」

「魔導石と呼ばれるエナジー・ストーン……その欠片が。エレメント・ソーサラーは四つ、ダークネス・ソーサラーには一つあるわ。欠片を摘出する際の事故で三つは行方不明になって、残ったのはディプロン――土を司る、それだけ」

「その事故は」

 私は確信的に言う。

「月で、起きましたね?」

「テミスちゃん……?」

「テミス? なんで解るの?」

「それは、」

「先生と馴れ馴れしく話すなああああ!」

 向かってきたのは氷の壁をぶち抜いたダークネス・ソーサラーだった。まずい、と思った端で、腕を掴まれる。そして引っ張られた。私の代わりに攻撃を受けた人。

 腹を貫かれたその人の身体からは、赤い血がぼとぼとと零れた。

 レックスはあ、あ、と戸惑ったような声を出す。

 私達を庇ったのは、ニトイだった。

「先生、せんせい、ニトイ先生っ」

「げはっ」

 何か言おうとしてもそれは血を吐くだけの行為に終わる。

 そして。

 それは、現れた。


 ぱああああっと地下に光を振りまきながら、魔導石――エナジー・ストーンが現れる。恐らくはこの基地に保管されていたディプロンだろう。と言う事は。

「ニトイ、あなた月生まれね?」

 戸惑いながらこくんっと頷く。

 こんな奇跡はない。

 私もステちゃんもニトイも。

 みんな『月の仔』だったなんて。

「ディプロン! お願い、力を貸して! ニトイの傷を治して!」

 応えるようにまばゆく輝いたそれは、一瞬でニトイの傷を癒す。

 そして私は叫んだ。

「統治せよ、アーケロン!」

 私の胸から出て来たエナジー・ストーンとステちゃんのお守り袋から出て来たエナジー・ストーン、そしてディプロンが入ったエナジー・ストーンが重なり合う。私はその名前を知っている。かつての月の色をしたそれは。

「シルバスター、この基地を壊して!」

 十五メートル程の銀色のロボットのようになったそれに、私は頼む。レックスはぎっと一言呟いた後で、ニトイとティラを交互に見た。それから決心するように、ティラに向かっていく。

 寸前、アルケミストミストが霧状になってその前を防いだ。

「なんっ、だ、これ、わああああああ」

「ナノマシンを増やすことで治療ができる。――だが、増やすことでそれを肉塊に変えることだって、出来るんだぜ?」

 二人の治療を終えたアロは、アルケミストミストを分泌していたらしい。ダークネス・ソーサラーを付けた右手がぶくぶくと太って、垂れさがっていく。その間にティラのエレメント・ソーサラーを治して行けば、そこにはプロトメサイアが揃っていた。一人変態居るけど。

「やめて!」

 ステちゃんに肩を貸されて身体を起こしたニトイが、お腹に穴の開いた服のままで叫ぶ。

「その子は何も悪くない! TITの上層部さえ潰してしまえば、薬の効果も切れて、普通の子になれるの! お願い、その子を傷付けないで!」

「せんせい、せんせい――おかぁ、さん」

 その言葉に、彼の中のニトイの位置が解る。産まれた時から一緒にいた。彼の精神緩和ケアはニトイの仕事だったという。だったらそれは、生まれてもおかしくない感情だ。お母さん。父親になるべき人がいなかったのなら、尚更に。

「ぎゃあ、うわああああ!」

 上から落ちてくるのはシルバスターの開けた穴から落ちて来た黒いスーツを着た男達だ。恐らくはTITの上層部。TIT……ティターン、大地の神々から取っているんだろうか。十二人の男達は、それぞれに怯えたり打った個所をさすったりしていた。その上から、シルバスターの足が下りて行く。

「やっちゃえシルバスター!」

 叫んだのはステちゃんだった。

 そうして男達は肉塊になる。

「エレメント・ソーサラー、分解せよ」

 その声に氷の壁の向こうを見れば、アロによってナノマシンが暴走していたレックスの右腕は肉がボロボロ落ちて、むしろほっそりした物になった。ほうっと息を吐いたニトイは、そのまま気を失う。失血量が多かったんだろう、一時的な貧血だ。と、それよりも。

 私は自分の心配をしなければ、ならないような。

 エナジー・ストーンに戻ったシルバスターが更に分裂して私達の手元に戻ってくると、ティラはキッと私を睨んだ。

 ……デスヨネー。

「何故隠していた。テミス」

「……言いどころがなかった」

「あっただろう。宇宙ステーションで」

 ううう。

 怖いよティラ。怒ってるのが全身からしみだしてるし、エレメント・ソーサラーはかきょかきょ言ってるし。オイルを差そう、な! って場合でもない。

「月にいた頃……選ばれて、入り込まれちゃって。取り出しようもないから、黙ってた……ごめんなさい」

「シルバスターとか言うのは?」

「月の守り神の名前だよ。なんとなく浮かんできて、それで叫んだ」

「私も同じー。なんとなくその名前だなって思った」

 ステちゃんの助け舟がありがたい。はあっと溜息を吐いたティラは、エレメント・ソーサラーをきょりきょり言わせるのを止めてくれた。

 その間にふらふらとやって来たレックスが、ニトイの手を掴んで自分の頬にあてる。先生、先生とぽろぽろ泣き崩れながら。その感触に意識を取り戻したニトイは、ふっと笑って、レックスの頭を撫でる。良い子、良い子とするように。

 本当の彼は良い子なのかもしれないけれど、こっちにはばっちり悪い子だった。プッテちゃんの羽を気遣うパラと、パラの腹を気遣うプッテちゃん。終わったよ、とまだくったりしているオルちゃんの額に口唇を落とすへんた……メガ。流石に力の使い過ぎで疲れた様子のアロ。ティラの顔色は伺えない。ただ、どこかすっきりしたような顔になっていた。TIT潰しがなんとか成功した所為だろう。動機は私だと言っていた、プッテちゃんが。私はそう思わないけれど、とりあえず地上から聞こえる救急車やパトカーのサイレンの音に、みんなが気付いて来ている。

 逃げなきゃやばいな。流石に、これ以上は。

「ほら、行くよレックス!」

 ニトイを負ぶわせてステちゃんが一喝すると、レックスは頷きながら私達の入ってきた入口の方にに向かって行った。私達もそれに続く。出来ればこの事件が公になって人体実験なんて阿呆なことする組織が消える事を祈りながら。

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