第 19話 秀吉の失敗


 ―レリウス歴1589年8月5日朝

  バルバラ王国、メティス川東岸―



 英弘達がエント・モルモンを巡り、ヌーナ帝国と戦った一方、フランケルコ3世秀吉率いるバルバラ方面軍もまた、バルバラへの侵攻を果たさんとしていた。

 パノティア―バルバラ間を流れるメティス川を越えて東へと……。


 「陛下! 全軍のメティス川の渡河が完了しました」

 「……おかしいのう……」

 「と、いいますと?」


 秀吉は顎をさすっていた。近衛総大将へと出世を果たしたアルク・セロにより、パノティア王国陸軍の渡河が完了した報告を受けたのだが、しかし腑に落ちない様であった。

 何を案じているのかと訪ねるアルクに、金と銀をふんだんに使った、派手な鎧を着た秀吉は答える。


 「こうも簡単に渡河できてしもうた……」

 「陛下は、これがバルバラの罠であると、そうお考えで?」

 「うむ。儂なら川という天然の城壁を最大限に活かすが……川幅が8百メル5百メートルも離れた川を、儂らに易々と渡河させるのは不気味ぞ」

 「ええ、ですが、既に渡河が完了しました。後はここを橋頭保にしつつ、敵の直近の城塞を落とせばよいではありませんか」

 「そう簡単にゆけばよいがのう……まあええわい。アンリらと今後についての軍議を開く。呼んで参れ」

 「ハッ!」


 一抹の不安を抱えつつ、しかし秀吉は、今後の計画について考えねばならなかった。まずはアンリマルク元帥・・と協議し、敵の将帥や戦力、配置その他諸々を鑑み、戦術行動を決めねばならない。

 とはいえ、秀吉には既に大まかな行動指針が決まってはいたが。


 というのも、パノティア軍がメティス川を渡河した時でさえ、バルバラ軍はアテネ砦、パラス砦という2つの砦から出撃してこなかったのだ。

 比較的小さなこの2つの砦は、しかしお互いの距離が近く、どちらか一方を攻めればもう一方から後背を突かれる近さである。それがこの2つの砦の厄介な所で、砦の攻略に手間取れば、援軍を待って籠城する敵が有利となるだろう。

 そうさせまいとする秀吉は、この2つの砦を早期に、それも同時に攻略せねばならなかった。


 「そのためには、まずハルゼーに勝って貰わねばならんのう」


 砦攻略のためには、ノトス海を……メティス川の河口をハルゼーが押さえなければならない。敵がメティス川を登り、後背を突かれないためにも……。

 ただ、秀吉にとっては、ハルゼーが負けることなど、露にも思っていなかったが。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「――てーことだ! いいか! ヒデヨシ達が敵のベースをブンどるまでの間、俺様達はバンビバルバラ人ボート・・・を沈め続けなけりゃならねえ!」


 同日、ノトス海海上でハルゼーは今まさに、戦いの最中・・・・・であった。

 そんな中でも彼は、パノティア海軍提督として訓示を怠ることはしない。

 砲弾や魔法が飛び交おうとも、彼は微動だにせず怒声を上げる。


 「もし敵がメティス川を上ろうとしたら通行料をフンだくれ! それが嫌だってゴネるなら命ごと巻き上げちまえ! 通行手形は砲弾と奴らの血肉だ!」

 「キーシュ提督!」

 「なんだ!?」

 「敵が撤退して行きます!」

 「そうか! ……何ぃっ!?」


 機嫌よく、まるで大声で歌うかのように叫ぶハルゼーだったが、それも部下の報告によって呆気なく終焉を迎えた。

 敵が走力に長けたキャラヴェル船を大量に動員し、砲打撃力や練度に長けたパノティア軍を数で突破しようと試みたが、それでもバルバラ軍は手も足も出なかった。

 彼らは潔く敗北を認め、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ったのだ。

 その様子を見たハルゼーは、しばらく唖然としたかと思うと――。


 「おいおい見たかボーイズ部下達! バンビの小舟ちゃん達ビビッて逃げやがったぜ!」

 『おおおおおーーーーー!!』


 実にハルゼーらしい勝鬨の上げ方ウォークライをしたのだった。彼に呼応した水兵達が、勝利したことを理解し、思い思いの言葉を大音量で発する。


 「敵を追撃しますか?」

 「いや、いらねえ。今回の任務はメティス川の河口を押さえることだ。深追いはするなと各艦に伝えろ。それとヒデヨシに、『ケツは守ってやった』と電文送れ」

 「ハッ!」


 必要な伝達事項だけを伝え、ハルゼーは人知れず息を吐く。それは苦労によるものではなく、興が冷めたことによるものであった。

 勝つことには勝ったが、何とも味気ない。歯ごたえのない。

 今回の戦いも、ハルゼーにとっては胸を躍らせるような、そんな戦いではなかったのだ。


 「もっと、太平洋戦争で戦った日本海軍のような――」


 そこまで口を滑らせ、ハルゼーはハッとする。


 「だあー!! 何で俺様がジャップのことなんざ持ち上げてんだ!」


 前世での怨敵を思い出し、ハルゼーは頭を掻きむしる。

 勝利に沸くノトス海に、ハルゼーの叫び声がこだまするのだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 昼食前に行われた軍議において、秀吉はその報せを受け取った。

 勿論それは、ノトス海で行われた海戦の結末であり、その結果は、秀吉がそうなると確信して疑わない内容であった。


 「それで陛下、我が海軍が勝ったのですか?」

 「その通りじゃアンリ。ハルゼーが儂らのを守ってくれたそうじゃ」

 「成程、ですか……フフ」


 愉快そうに電文の内容を聞かせる秀吉に、アンリマルクを含め、軍議に参加していた将軍達が声を漏らして笑った。

 実にハルゼーらしい表現の仕方だ、と。


 「さて、こうなっては軍議で決めた通りじゃ」


 と、秀吉が諸将を見渡す。


 「敵は3万の兵を、それぞれの砦に1万5千づつ配置した。儂は2万5千を率いて、北側のアテネ砦を落とし、敵兵を狩る。アンリは1万5千を率いて南側の敵に凡戦を仕掛けよ」

 「ハッ。パラス砦への本格的な攻囲は、陛下がアテネ砦の脅威を排除してからですね?」

 「その通りじゃ。魔法兵、迫撃砲、銃兵をふんだんに使って素早く落とし、敵兵を無力化する。アンリの隊は、パラス砦の兵が砦から離れないように牽制するのじゃ」

 「心得ました」


 方策は既に決まっていた。諸将にも知らされ、修正される部分はあったが、大方秀吉が描いた戦術がそのまま実行に移される形となったのだ。

 秀吉は連峰の南端にあるアテネ砦の攻略に取り掛かり、アンリマルクは南側のパラス砦への牽制を仕掛ける。

 アテネ砦を陥落させたら、秀吉は返す刀でパラス砦を攻囲殲滅。

 単純ではあるが、少しでも歯車が狂えば惨事になりかねなかった。

 それに関する懸念を、秀吉の傍に控えていたアルクが問う。


 「しかし陛下……敵の両方の砦では、城壁外に簡単な堀やバリケード、土塁などが構築されております。それに敵将は、アルガンティノス10世と、あのジャクラス・ガラゴルドです。場合によっては早期の攻略も難しいかと……」

 「案ずるなアルク。そのための迫撃砲や魔法兵の集中運用よ。ここで時間を使えば敵の援軍が来る恐れもある。メティス川を失った敵は、もうそれに頼るしかないからのう。ここは多少、血を流してでも敵の半分を削り取るのじゃ」

 「ハッ……」


 近衛総大将であるアルクの懸念は、しかし秀吉によって一蹴された。

 確かに、アテネ砦は山中に築かれた砦で、木々や山の斜面が攻略を難しくするだろうし、敵の将軍は、バルバラ国王と猛将、ジャクラス・ガラゴルドだ。

 だが、それを理由に敵に時間を与えれば、一転して不利になるのはこちらであった。メティス川以東、バルバラ国内で敵に包囲されてしまえば、秀吉達が苦境に立たされてしまう。

 だからこそ、メティス川背後の安全を確保した今、秀吉は安心してパワープレイ強硬策に訴え出ることが出来るのだ。


 「儂らは今、背水の陣におるが、少なくともに火を点けてくる輩はおらんようになった」


 秀吉は油断ない表情をもって立ち上がり、諸将の顔を見渡した。

 その目を、いつも以上にギラつかせて。


 「あとは各々が役割を果たし、正面の敵を撃ち滅ぼすまでぞ……では準備に取り掛かれい!」

 『ハッ!!』


 そして、号令が下される。

 各隊の諸将も、秀吉の采配、決断力、そして勝負強さを信頼していた。

 内乱勃発から今に至るまでの秀吉の行動が、彼らを惹きつけたのである。


 そして、誰もが準備に取り掛かる。

 兵士達に指示を与え、準備を促し、戦いに備えさせた。慢心するつもりも無ければ油断するつもりもない。だが、勝つ自信は大いにあった。

 全身全霊をもって戦えば、自分達が勝つのだと誰もが信じ切ってたのだ。


 ただ1人を除いて……。


 「セルク」

 「父上!」


 戦いの準備が行われる最中、アルクは何とか暇を見つけ、嫡子であるセルクの下へとやって来た。セルクは今や、アンリマルク付きの近衛兵である。癖ッ毛の短い茶髪をそよ風に遊ばせながら、キルク英弘の3つ年上の兄は居住まいをただした。


 「もし万が一、この戦いで負けるようなことがあれば――」

 「ち、父上! 滅多なことは仰らないで――」

 「万が一の話だ。その時は、アンリマルク元帥を引っ張ってでも逃げ帰って来い。いいな?」

 「……分かりました」


 セルクは、父アルクの言いつけに表面上では納得の意を示した。だが内心では軽い軽蔑の念が灯っていた。

 それは、外ならぬ父親が、敗北を予感させる発言をしたからだ。

 セルクは20歳とまだ若い。アルクの言う、”万が一”に備えることは正しいことだと認識していても、感情がそれを受け入れられなかったのだ。

 そんな息子の感情を感じ取ったのか、アルクはパノティア軍内に蔓延する楽観的な空気に、ある種の危機感を抱いていた。


 「キルク英弘がいてくれれば……」


 アルクの心の声が、つい口から音となって出でた瞬間であった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「さて、我々はパラス砦へちょっかい・・・・・をかけに行こうか」

 『ハッ!』

 「事前の情報では、こちらのパラス砦には、あのジャクラス・ガラゴルドがいると聞いたが……お手並み拝見といこう」


 時刻は夕暮れ。

 パラス砦に対し、アンリマルクは兵を率いて進軍を開始。

 敵砦からの攻撃を受けない距離で布陣させ、城外の陣地で構える敵兵に散発的な攻撃を仕掛けさせた。


 「弓兵や弩兵に砲兵、それに……なんて言ったかな? セルク」

 「”擲弾兵”です。閣下!」

 「そう。その擲弾兵で敵にちょっかいをかけさせよ」

 「ハッ!」


 肉厚の軟鉄に火薬を詰めた擲弾が、既にパノティア軍では採用されていた。

 勿論、英弘のアイデアによるものであり、戦列歩兵には弱いものの、敵の野戦陣地や低い城壁には有効な兵器であった。

 それらを使い、アンリマルクは敵を牽制し、アテネ砦に向かった秀吉の後背を襲わせないため、ここで釘付けにしたのである。


 「こちらの損害はなるべく少なくせよ。我々は今暫く、辛抱の時だ」


 手に汗握りつつも、アンリマルクはそう訓示するに留めた。

 いずれは、アテネ砦を陥落させた秀吉が合流するだろうと、そう確信して……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「さてさてさて……アンリが上手く敵を押さえてくれているうちに、儂らも砦を落とそうかのう」


 一方で、アテネ砦のすぐ目の前まで進軍した秀吉は、アンリマルクがその任を果たしていることを聞き、自らの任を全うせんとしていた。

 秀吉は律儀にも、ドアをノックしてやろうという心の余裕があった。勿論、ノックは迫撃砲でするのだが。


 「陛下! 迫撃砲の設置が完了いたしました!」

 「うむ。早速撃たせよ」

 「ハッ!」

 「迫撃砲というのはええのう……大筒大砲と違って運びやすい。その上敵に与える畏怖も高いときた……儂の時代・・にもこれがあったらのう……ヒッヒッヒ!」


 迫撃砲が早速砲火を放つ最中、秀吉は口を歪めて笑っていた。

 迫撃砲とう兵器はそれほどまでに、彼の心に心理的な余裕を与えていたのだ。

 マスケット鉄砲や弓矢が届かない所から一方的な攻撃が行えるというのは、戦いにおいて兵士や指揮官に余計なストレスを与えないことと同義であった。

 時たま、敵からの魔法攻撃が飛んできても、それらは全て障壁魔法で防がれる。

 いくら敵が城壁外で陣地を築き、攻撃に備えたとしても、それらを一切合切破壊し尽くす迫撃砲は、まさに無敵だった。

 敵も多少は障壁魔法で防ぐが、しかしその障壁魔法ですらまばらだ。

 そんな敵の状況を見た秀吉は、あとはいつ砦を攻め入るかと、その機会を見極めていた。


 「陛下! 城壁外の兵士が撤退して行きます!」

 「砦の中に引っ込んだか?」

 「はい。恐らくは」

 「ほうほう、ようしよし! では迫撃砲はそのまま敵の城内に打ち込ませよ!」

 「ハッ!」


 秀吉はこの時、勝利を確信した。

 敵は、パノティア軍の苛烈な砲火に耐え兼ね、砦の中で籠城することを選んだ。

 となれば、迫撃砲やマスケットや魔法で敵を牽制しつつ、城門を破れば、混乱した敵の小さな砦などすぐに陥落するだろうと、秀吉は確信していたのだ。


 「敵の大手城門に兵を集中させよ! 大手を突き破って一気に砦を呑み込め!」

 『オオーー!!』


 意気軒高に、パノティア軍の兵士達は城門へ殺到した。

 木製の城門に、丸太で作った即席の衝角を何度も打ちつけていく。

 敵城壁からの反撃は、少量の弓矢や魔法が打ち込まれる以外、ほとんどなかった。

 迫撃砲や魔法攻撃、マスケットによる斉射などの支援で、その一篇の隙さえ与えなかったからだ。

 まさに、完全に封殺した状態だった。


 「敵方はどうやら、既に大手の守りを諦めておるのう」


 秀吉は計算する。次の状況について。

 それは敵の砦内に侵入し、待ち構える敵をどう圧倒するか。

 砦を保持するつもりはない。綺麗さっぱり瓦礫に変えてしまう方が早いだろうか? それとも火を放って蒸し焼きにするか……。


 「いずれにしても、敵の王ごと潰してしまうのはイカンわいな」


 そう言って、秀吉は勝勢のパノティア軍を眺めるにとどめた。

 今はまだ、次の策を選ぶ機ではないだろう、という判断によって。


 「陛下! 城門を破りました! 兵を侵入させます!」

 「うむ! でかした! 思う存分にやれい!」


 そして状況は動く。城壁が破れ、人が通れる隙間にまで広がったその穴から、パノティア軍がすかさず侵入した。

 その間にも敵の城内に支援の攻撃が繰り返されていく。

 スズメバチの大軍がミツバチの巣に侵入するが如く、血気盛んなパノティア軍の兵士達が怒声を上げながら、砦に侵入するのだ。


 「このまま落とせるなら、このままさせるかのう。問題は落ち延びた敵兵とアンリじゃな」


 最早、アテネ砦が陥落するのも時間の問題だった。

 また、そのことを理解していた秀吉は、既に目の前の砦への関心など消え去っていた。精々、敵の王が搦手裏門から逃げただろうか? と考えるに留まるのみ。

 後は、アンリマルクとの合流をいかに迅速に行うかについての思考が、秀吉の中では最優先の課題へと昇華していたのだ。


 だが、それも次にもたらされた報告から一変した。


 「陛下! 敵砦内に人影がありません! もぬけの殻です!」


 その報告に、秀吉は不快な何かを感じ取った。

 彼自身が言葉に表せられないような、そんな何かを。


 「馬鹿を申せ。敵からの反撃がチラホラとあったではないか」

 「確かに、幾人かの死体はありましたが、それも数が少なすぎます!」


 不快な何かの正体が判明した。それは胸騒ぎであり、何かを見落としていないか? と秀吉に自問させるに十分であった。


 「陛下。あれだけ砲弾や魔法攻撃を打ち込んで敵兵の死体が少ないとなりますと、敵の殆どは無傷であの砦を抜け出したのでは?」


 近衛大将たるアルクの忠言により、秀吉は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 もし敵が、ハルゼーに勝たせ、後方を気にせず攻めやすくさせたとしたら?

 もし敵が、兵を二分し、パノティア軍を二手に別れるよう仕向けたとしたら?

 もし敵が、こちらがアテネ砦を早期に落としたいと読んでいたら?


 「しもうた! 全軍、アンリの下へ戻れ!」


 秀吉の得た結論は……それは破滅に繋がる最悪なものであった。

 それだけは絶対に避けなければならない。


 「急いで戻れ! 急いで――いや待て! 元来た道をたどるのじゃ! 山の斜面は使うな!」


 とはいえ、秀吉はあえて、遠回りである元の道を使うよう、指示しなければならなかった。何故なら、この状況が敵の意図するものであったのなら、きっと近道になるところや獣道には――。


 「うがあああああ!!」

 「お、落とし穴だ!」

 「至る所に罠が仕掛けてあるぞ! 気を付けろ!」


 罠という罠が仕掛けられてあったからだ。

 一歩遅かったか……と秀吉は歯噛みした。

 だが、悔しがってばかりではいられない。

 何故なら、秀吉の予想が正しければ、これ以上の悲惨な出来事が待っているかもしれなかったからだ。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「アンリマルク閣下! 敵が左翼側の森から出現しました! 4百メル2百50メートルもありません!」

 「なんだとっ!?」


 日が沈もうとする頃。それは丁度、パラス砦へと8回目のちょっかい・・・・・をしている最中だった。

 ちょっかいを出す傍ら、バリケードや塹壕の構築をしていた所へ、急報が入ったのである。言われたアンリマルクは左へ頭を向ける。それも首が取れそうな勢いで。


 「兄上は……負けたのか?」


 彼が初めに思ったのは、兄王秀吉が敗北したことであった。

 しかし、北側のアテネ砦のある山中からは、未だに迫撃砲やマスケットの音が鳴り響き、秀吉の隊が健在であることが伺えた。


 「いや……出し抜かれたのか!」


 アンリマルクがその答えに行きつくまでの間、左翼側に現れた新たな敵は、迅速な動きで隊列を組み立てていく。

 このままでは側面と正面の敵に半包囲されてしまう!

 「う、あ」と声にならないうめき声を上げる程に、アンリマルクの思考のキャパシティが限界値を越えたのだった。


 「前方の敵、陣地から出てきました!」

 「な、何!?」


 左翼に展開しつつある敵増援に、正面の敵も呼応する動きを見せた。

 そんな敵の動きに、どうして? 何故? とアンリマルクは狼狽える。

 兄、フランケルコ3世秀吉の下で敗北を知らずに生きてきたアンリマルクが、ここに来て初めて窮地に立たされたのだ。彼は、想定外の出来事に非常に脆かったのである。


 「閣下! 撤退の御命令を!」


 狼狽え、自失し掛かっていたアンリマルクに、そう進言する者がいた。


 「せ、セルク!」

 「国王陛下がアテネ砦の敵を打ち損じた今、前提が崩れました! どうか撤退の合図を!」


 セルクは必死になって訴えかけた。何故こんなにもスムーズに言葉が出たのかはセルク自身も不思議であった。しかし、理由を上げるとすれば、それは戦いの前に父から言われた言葉が、セルクの口に潤滑油に役割を果たしたのだろう。


 「……そうだな……セルクの言うとおりだ……撤退する! 合図を出せ! 大砲や資材は置いて行け!」

 「ハッ!」


 セルクの言葉は、まるで頬を打ったかのようにアンリマルクに衝撃を与えた。

 臣下の具申に言や有りと認めたアンリマルクは、すぐにそれを実行に移さんと命ずる。だが、事態は彼らの思っている以上に過酷で悪いものであった。


 「敵騎兵! 吶喊してきます!」

 「銃兵と槍兵に守らせよ!」

 「敵の魔法とマスケットです!」

 「障壁魔法を展開させよ!」

 「大砲などはどうされますか!?」

 「捨て置け! 今は命を優先させよ!」


 バルバラ軍の迅速な行動に、パノティア軍もそれを上回る程の迅速さで対応した。

 左側面から後背部にかけて敵の騎兵が展開し、パノティア軍の脆弱な背後を襲撃しようとしたが、槍衾や銃兵の斉射により一部分は防げた。

 だがそれでもバルバラ軍の騎兵の勢いは止まらず、緊急処置的に対応した槍兵や銃兵の隙間を容赦なく責め立ててくる。

 また、左側面の敵と正面の敵が、混乱するパノティア軍に対し果敢で苛烈な攻撃を仕掛けてきた。

 魔法やマスケット、クロスボウに剣や槍など、様々な武器兵器によって、パノティア軍は鏖殺されようとしていた。


 「退路を確保します! 騎兵隊に付いて来て下さい!」

 「頼む! 皆、我に続いて撤退せよ!」


 セルクに付き添われ、アンリマルクは覚悟する。

 どうにか敵の包囲を掻い潜りつつ、アンリマルクは先導する騎兵隊に続いて戦場から離脱を図った。

 こうすれば、敵の騎兵を引きつけられるだろうし、徒の兵士達も敵騎兵の脅威が半減でもすれば、安心して逃げられるだろうと考え、アンリマルクは騎兵を数騎連れてメティス川方面へと走ったのだ。


 だが、この時アンリマルクは知る由もなかった。

 バルバラ軍の狙いは始めから、アンリマルクの考えも及ばない、陰湿で凄惨なことであると……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 日が沈んだ暗がりの中、パラス砦内にて、1人の老人がパノティア軍が包囲される様子を伺っていた。彼はバルバラ軍の指揮官の1人であり、此度の戦いにおける、バルバラ軍の作戦を立案した人物でもあった。


 「ガラゴルド将軍! 敵の王族、アンリマルク元帥が戦場を離れて行きました」

 「重畳重畳。彼奴等は放っておけ」

 「ハッ!」


 老人の名前は、ジャクラス・ガラゴルド。バルバラの賢者とも呼ばれたこの老獪な将軍は、左足、左腕、左目のない白髪の老人であるが、残った眼差しは今も生気に満ちていた。

 そんな彼が右手をそっと上げ、とどめと言わんばかりに新たな指示を下命する。


 「逃げた敵指揮官は気にせず、丘陵の麓の敵を包囲し、殲滅せよ」

 「ハッ!」


 彼らの狙いは、最初からこれ・・だった。

 パラス砦にちょっかい・・・・・を掛けに来た敵兵を、逆に包囲し、殲滅する。

 アテネ砦に向かわせた敵本隊は、空にした砦を囮にして時間を稼ぎ、アテネ砦の裏側から密かに兵を移動させ、パラス砦に来た敵兵を包囲。

 3万の兵で1万5千の敵を包囲殲滅すれば、残る敵は2万5千。

 数の上では有利になり、また、砲弾や火薬を砦に使った分、敵の戦力は大幅に下がることも見込んでいた。


 そうなれば、後は勢いに乗っている者が勝つ。

 それが彼の考えた作戦であった。


 「空城計……とは少し違うか」

 「おや、陛下」


 ジャクラスの背後には、バルバラ王国の国王たるアルガンティノス10世曹操がいつの間にか立っていた。

 鎧姿の曹操は、アテネ砦の兵が敵側面へと展開した際、ジャクラスの下へと足を運んだのである。自由に歩けないジャクラスへの、曹操なりの配慮であった。


 「しかし、よくもまあ、こうも簡単に引っ掛かってくれたものよ!」


 曹操は茶色い髪の毛を後ろへ撫でつけつつ、敵をあざ笑うかのように言った。


 「海でわざと負けて敵に背後の安全を図らせ、心情的に攻めやすくさせて砦1つ贄にしてやれば……後は御覧の有様か」


 包囲されたパノティア軍は、既に4千程が討ち取られていた。そんな敵軍の様子を眺めつつ、曹操は勝利を確信する。

 だが――。


 「いやいや、そうもいかぬようですぞ。ご覧くだされ」

 「うむ? おお、敵もバカではないというわけか……」


 ジャクラスが指さす方向を見れば、その先にはアテネ砦を攻めていたパノティア軍の本隊が、山の雑木林から姿を現そうとしていた。

 計算していたよりも早かったな、と曹操は内心で感心しつつ、バルバラ軍から友軍を助けようと展開する敵兵に、曹操は次の手を考えながらもジャクラスに問う。


 「ジャクラスよ。一旦兵を後退させて、敵に備えさせようと思うが、お前にはそれ以上の策があるか?」

 「いやいや、それでよろしいかと。あくまで決戦を所望とあれば、陣地まで下がって持久戦。逃げれば追撃戦。どちらにしても、我々が有利でしょうな」

 「うむ。うむ!」


 ジャクラスの答えに、曹操は満足気に何度も頷いた。

 当然、2人の一致した意見はそのまま実行される形となり、包囲を解かせる。

 程なくして、敵本隊が被包囲部隊と合流を果たし、撤退を開始した。


  『撤退か……』


 それを見た2人が声を重ねる。

 しかし気分はまるで、博打に負けたかのような気分だった。どうせなら決戦を挑んで欲しかったのが2人の偽らざる気持ちである。何故なら、陣地に籠って防御に徹すれば、圧倒的に優位なまま敵に出血を強いることが出来るし、援軍が来援するまでの時間稼ぎにもなるからだ。


 「交互に・・・殿を残すか……敵も必死と見える」


 やや面倒臭そうに見つめる曹操が、やはり面倒臭そう言い放つ。

 敵は2つの隊を殿として任じ、それを交互に撤退と足止めを繰り返させたのだ。

 パノティア軍の指揮官……フランケルコ3世は今回、負けを認識したはず。だが、その負け際の始末の付け方は、流石ギフト転生者といったところだろうか。

 称賛こそせずにいたが、迅速で巧妙な撤退術を見せる敵将に、曹操は思わず舌を巻いたのだった。


 「陛下、このまま追撃を?」

 「うむ。俺の旗を掲げさせ、敵をメティス川まで追い込め!」


 曹操は部下に命ずる。

 その命令が前線に伝達された時、バルバラ軍には”曹”の文字が翻った。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「繰り引きじゃ! とにかく繰り引きさせよ!」


 メティス川へと撤退する秀吉は、不機嫌さを隠そうともせずにがなり立てていた。

 アンリマルクの無事が確保出来たのはいい。問題は4千近くの兵士が討ち取られ、撤退を強いられたことによる屈辱と後悔が秀吉を苛んだ。


 「”曹”の字……まさかあの場に曹操がいるとでも言うのか!」


 バルバラ軍に一斉に翻った、漢字の”曹”を目にした時、秀吉は瞬時に悟った。

 三国志に詳しくない秀吉でも、”曹操”という人物くらいは知っていたのだ。

 相手に|ギフト(転生者)がいようとも、勝つ算段と準備をしたつもりが、まんまと罠に嵌められたと、秀吉は自らの慢心を恨んだ。


 「申し訳ありません兄上! 申し訳ありません!」

 「言うなアンリ! とにかく今は、メティス川まで退くのじゃ!」


 ともあれ、秀吉は殿を残し、パノティア軍はメティス川へと撤退する。

 この時点で最早、この戦いは敗北であることを秀吉は理解していた。問題はこの後どうするか? という点である。

 このままバルバラ領内で敵と対峙するか、それともメティス川を渡ってパノティア国内に帰還するか。

 前者を選べば、あっという間に包囲されて多大な出血を強いられる。

 後者を選べば、渡河する間に敵に襲われ、やはり大惨事になる。


 「どうしたもんかのう!」


 秀吉には、いつもの余裕などなかった。いつもはヘラヘラと笑みを浮かべて言っていた台詞が、今では苛立ちと憂慮によってその相貌が歪められていたのだ。


 「見えてきました! メティス川です!」

 「距離は!?」

 「およそ5百メル3百75メートル!」


 そして、決断の時が迫られる。

 すわ、背水の陣か、渡河か。

 その決断を下す為に、秀吉は思考をフル活用した。が、それも次の報告によりどちらの選択肢も消え失せてしまったのである。


 「いや、お待ちください! あれは……ハルゼー提督! 陛下、ハルゼー提督の艦隊が見えました!」

 「なんと!!」


 まさに渡りに船であった。助け船。大海の木片。地獄に仏。色んな言葉が秀吉の脳内を駆け巡る。

 宵口の暗がりの中ではあるが、それは紛れもなく、パノティア王国の国旗と大将旗を掲げたハルゼーの艦隊だった。

 どういう訳かハルゼーは、メティス川を遡って来たようだ。


 「ヒッヒッヒハルゼーめ! 今年の扶持給料を倍にしてやるわい!」


 秀吉にとって、いや、彼らパノティア軍にとって、ハルゼー艦隊の来援は非常に幸いなことであった。

 およそ3万6千の兵士が一斉にハルゼーの艦隊に乗り込めるわけではない。

 だが、パノティア海軍が誇る戦列艦には、強力な艦載砲がある。この支援さえあれば、パノティア国内への撤退も比較的楽になるのだ。

 それを理解している者は安堵の表情を浮かべたし、理解していない者も、味方の艦隊が来援したことによる心理的な余裕を得ることが出来たのだった。


 「なぁーんだか嫌な予感がして来てみたら……よお、ヒデヨシ! そんなに慌ててどうしちまった? クソでも漏らしたか!?」

 「儂を家康と一緒にするな! 早う負傷者と儂を甲板に上げんか!」


 川岸近くに投錨させたハルゼーが、甲板の上から大声でやじる。

 それに負けじと大声で怒鳴り返した秀吉は、直後にやって来たボートに乗せられ、負傷者と共にハルゼーの乗る艦隊旗艦へと乗り込んだ。


 「お主、何故ここまで来よった?」

 「おいおい、挨拶も抜きになんだよその言い草は……ノトス海でバンビの艦隊を蹴散らしたから、1個分艦隊を残してここまで来たんだよ。そっちの補給の問題とか色々あんだろ? 何だ? 文句でも言いやがるってのか?」

 「逆じゃ逆! でかした! お主が来てくれなかったらそれこそ口からも尻からも糞を漏らしておったわい! ヒッヒッヒッヒ!」


 不平を鳴らすハルゼーに、しかし秀吉は快活に笑いながら褒め湛えた。

 しかしハルゼーは、秀吉が述べた言葉の中に気になるものを見出し、的確に突っ込む。ハルゼーは、人の弱みをいじくり倒さなければ気が済まない性分なのだ。


 「なんだ? お前もしかして負けたのか?」

 「負けも負けよ、儂の負けじゃ。儂より敵方の方がちぃーっと、すこーし、僅差の僅差で賢かったようじゃてのう」

 「負けたくせになに偉そうなこと言ってやがんだ!」


 ふてぶてしさもここに極まれり。黒星を付け、損害を出したにもかかわらず、秀吉はあっけらかんとしていた。

 負けて、多少なりとも兵を死なせたことに、本人も罪悪感を感じてはいるものの、最終的政略的に勝ちを得られれば良いと考えるのが、秀吉という男である。


 「とはいえ、取りあえず電信機を借りるぞ」

 「あん? 何処に電文を打つってんだ?」

 「英弘にじゃ」


 英弘を呼びつける必要が生まれた。

 ハルゼー艦隊によりパノティア軍の安全は、ある程度保たれた。撤退の目途も付くだろう。敵の追撃部隊はやり過ごせるはずだ。

 その後、何をすべきか。それを思案した結果、秀吉は相手のギフト曹操を知るであろう人物を呼びつけるべきだと判断したのだ。つまり、英弘である。

 予定外の状況ではあるが、英弘と共に和平に関する話合いをしするのもいいかもしれない、と考えたのだ。


 恐らくは、その和平も纏まることはないだろう。

 だが英弘なら、相手の考えていることや目論みを掴んでくれるかもしれない。

 それを期待して、秀吉は英弘に電文を送らせたのだ。


 『発、フランケルコ3世。宛、キルク・セロ。アテネ・パラス砦ニテ、我ガ軍敗北セリ。英弘、同地二参向サレタシ』

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