第 18話 密約


 ―レリウス歴1589年8月6日朝

  パノティア王国、エント・モルモン―



 エント・モルモンを巡る一連の戦いから1日と少し。

 奇妙な静寂が両軍を支配していた。

 山の中腹に陣取ったパノティア軍は、敵の動向をつぶさに監視し、敵の増援を警戒、更には塹壕の延伸工事を行っていた。

 対するヌーナ軍は、山の麓で野戦陣地の構築と強化に勤しみ、パノティア軍の襲撃に対応できる構えを見せている。


 「たいちょー、敵は援軍を待っているんですかい?」

 「まあ、だろうな」

 「あーあ、やですねえ……」


 英弘はそんなヌーナ軍の偵察に、自ら馬を駆って赴いていた。

 シロッコという部下と他3名を引きつれ、ヌーナ軍から2百メートル所まで近づき、状況を確認していたのだ。

 それも、木の無い見晴らしのいい平地のど真ん中まで。何の抵抗もなく。


 「しかし、こんな目立つようなところにいて、何で敵は俺達を追っ払おうとしねぇんですかね?」

 「敵が無抵抗だからついついここまで来たけれど……何かの罠かもな?」

 「もしそうなら……ゾッとしねえですね……」


 シロッコがさも面白くなさそうに肩を竦めた。

 もし敵が英弘達を追い払うつもりなら、マスケットや弓、魔法などで追い払おうとするはず。だがヌーナ軍はそういったことを一切せず、ただ単に歩哨の兵士が英弘達を睨んでいるだけであった。それ以外は全くの無視である。


 「連中、一体何を企んで……んん?」


 敵が何もしないことをいいことに、英弘は望遠鏡越しに敵の陣地の様子を伺っていた、その時だった。ヌーナ軍の陣地の後方に1台の馬車が現れたのだ。

 十数の騎兵に守られながら、2頭立ての幌付き馬車が敵陣地の中を進んで行き、やがて中心部で停止した。

 物資の輸送にしては随分と御熱心な警戒の仕方だな、と英弘は不審さを覚えた程である。


 「補給物資ですかい?」

 「にしても、1台だけ、ってのもな……」


 大量の物資が必要であろう敵に、1台だけというのは状況にそぐわない。

 何かしらの兵器だろうか? と考察する英弘は、このことを忠道へと報告させようか悩んだ。だが、すぐにその考えも消え失せてしまった。馬車の荷台から荷物と共に、フード付きのローブを着た2人の人物が降りたのだ。

 それも、周囲との身長差から考えるに、1人は女性だろう。


 「まさか女? なんでこんな戦場に?」


 ますます分からなくなった。そう混乱する英弘が次に目にしたのは、例の黒鎧が件のフード姿の2人組を出迎えるといった光景である。

 そこから推測できることは、敵将たる黒鎧がわざわざ出迎える程の人物が、フード姿の2人のどちらか……或いは両方にいるということ。

 そして更に、その3人は何やら言葉を交わすと、あろうことか英弘達の目前までやって来たのだ。それも、英弘達を逆に観察するかのようにバリケードの傍まで。

 咄嗟に英弘は、フード姿の2人……とりわけ女の方を観察した。


 「……デカいな、Eカップ、釣鐘型か……」


 至極、大真面目に、英弘は観察・・する。

 その熱心な観察振りを見た彼の部下達が、「うわぁ……」と声を漏らしたほどだった。

 英弘達が観察する一方、フード姿の2人と黒鎧も、陣地のバリケード越しに立ったまま何やら話をしている様子であった。

 一体何を話し込んでいるんだ? と、疑問を抱く英弘を余所に、フード姿の女性が徐に手を挙げたのである。


 「……手え振ってやがりますぜ」

 「何なんだ一体……?」


 英弘の混乱は極まったのである。手を振るといいう得体の知れない相手の行動に、薄まりつつあった警戒感のメーターが一気に上昇したのだ。

 思い過ごしだといいが、もし、あれが何かの攻撃合図だったら?

 そう考えた時、英弘はすぐさま決断した。


 「回避運動しつつ撤収! 本隊に戻るぞ!」

 『ハッ!』


 十分に任務は果たした。敵に何かしらの人員が派遣されて来たことを忠道に報告すればいい。今回はそれで十分だろう。という判断と、その得体の知れなさからくる警戒感により、撤収を決断したのだ。

 不規則にジグザグな運動をしつつ、英弘達はパノティア軍陣地へと馬を走らせ、パノティア軍の陣地へと帰着する。


 「忠道さん、敵に変な2人組がやってきました」


 陣地に戻り、急ぎ足で忠道とカトリーヌの下へやってきた英弘は、開口一番にそう述べた。


 「変な2人組?」

 「どんな2人なんだ?」


 当然、英弘にしては珍しく要領の得ない報告に、忠道とカトリーヌは首を傾げた。


 「フード付のマントを着た2人で、身長差から1人は女だと思う」

 「その2人がどうしたんだい?」

 「スッゲエおっぱ……女の方がこっちに向かって手を振ってました」

 「お前今、オッパイって言いかけただろ」

 「いや、そんなことより、敵が何を考えてるかさっぱり分からん。黒鎧の反応から見ても、ただの補充要員ではなさそうだった」


 英弘のもたらした情報を受け、忠道とカトリーヌは怪訝な表情で顔を見合わせる。

 およそ、戦場において偵察に来た敵兵に手を振るという行為は、普通ならあり得ない行為だ。それをあえてやったということは、何かしらの意図があるのだろうか?

 報告を聞いた2人は、特に忠道はあらゆる可能性を考察した。

 戦場の視察、我が軍パノティアとの接触、或いは亡命……と様々な可能性を。


 「とにかく、敵に何かしらの変化が起きようとしているのは間違いないだろう。警戒を強化するべきだ」

 「カトリーヌ君の言うとおりだ。ここは偵察の数を――」

 「将軍! 敵の使者がやってきました! それも敵の将軍が自ら!」

 『はあ?』


 英弘も忠道もカトリーヌも、見張りの兵士からもたらされた新たな報告に、間の抜けた声を上げた。

 慌てて塹壕からちらりと頭を出す3人。見張りの兵士が指を向ける方向を見れば、そこには確かに、黒鎧と件のフード姿の2人がいた。

 彼らは馬に乗り、とことこのんびりとした様子で、無造作に近づいて来る。


 「……ヒデヒロ。今、彼らを捕えよう……捕えるべきじゃないか?」

 「やめた方がいい。敵が死に物狂いで取り返しに来たらこっちが持たん」

 「それもそうか……」

 「使者……というのなら、とりあえず用件だけでも聞いてみようか……英弘君、頼めるかい?」

 「はい。行ってきます」


 忠道の指示に英弘は従った。部下のクロードやシロッコを引き連れて塹壕を出ると、すでに陣地から30メートル付近まで来ていた3人と対峙する。その間にもパノティアの銃兵は、いつでも射撃のできる体制をとっていた。

 やがて英弘が姿を見せた途端、ヌーナ側の3人は英弘を見上げる。その様子を確認した英弘が誰何しようと口を開いたが、しかし会話の先を取ったのは、相手の黒鎧であった。


 「我が名はレパート・ファン・ジョンスン伯爵である! 貴軍のギフトと話し合いがしたい!」

 「だったらもう話してる!」


 流暢なパノティア語を駆使する黒鎧に対して、英弘は咄嗟にそう返答する。

 黒鎧は以外そうな顔でフードの男と顔を見合わせた。ところが、女の方は英弘へと顔を向けたままで、英弘にいささか不気味な印象を与えた。

 目元はフードの陰でよく確認できない。しかし、その口元が笑っているように見えたことが、その不気味さを助長していた。


 「では卿がここの指揮官か?! 先ほど挨拶・・に来てくれた御仁と見受けるが?」


 再度、黒鎧に問われ、英弘は女のことを意識の外へと追いやった。

 案外ユーモラスな性格なんだな、と英弘は黒鎧に対し雑感を覚えつつ、返答する。


 「いいや、俺じゃない!」

 「ならばそちらの指揮官殿を交えて話を――」

 「その前に! アンタの言う話ってのは何の用だ?! そっちの|恥ずかしがり屋なお友達・・・・・・・・・・・が関係しているのか?!」


 話の主導権を握られるのも癪だと思った英弘が、黒鎧の話を折り、やや徴発的な言い回しを持って用件を問う。

 その問い掛けに、今度はフード姿の2人が顔を見合わせた。そしてそのまま2人で幾つかの言葉を交わし始める。

 そっちのけにされた英弘は、若干の苛立ちを覚えた。高い位置からその表情に苛立ちを滲ませつつ、辛抱強く待つ。

 すると、女の方がフードを脱ぎ、軽く頭を下げたのだ。


 「突然の訪問と無礼の数々、誠に申し訳ありません」


 女性は、英弘を含め、周囲の兵士達がハッと息を飲む程の美女だった。

 腰まで伸びた亜麻色の髪が、まるで絹糸のように虹彩を放ち、黄色い瞳の目は優し気なようで意志の強さを感じさせる。

 整った顔の輪郭や鼻、口が絶妙なバランスで配置され、さながら天使を思わせるようだ。

 恐らく、年の頃は英弘とそれ程変わらない。16~8歳程度だろう。

 そんな気品あふれる美女が、やはり美しい声色をもってその正体を明かした。


 「私の名前はシルヴィリーア・ザリア・グローヴィア・ランザーラント……前世では、マリア・テレジアと呼ばれた、ギフト転生者です」

 「マリ……ッ!?」


 英弘は2つの事実を知り、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 1つは、目の前の女性が、ヌーナ帝国内でも高位の貴族として有名な、ランザーラント公爵家の令嬢だということ。

 そして2つ目は、その彼女が、オーストリア、ハプスブルグ家に生まれた稀代の女帝、マリア・テレジアだということ。

 偉人マニアの英弘にとっては、特に2つ目の事実に大きな衝撃を受けたのだ。


 「そしてこちらの2人も、私と貴方同様、ギフトです」


 驚きの余り、言葉を詰まらせる英弘に対し、マリア・テレジアは更なる事実を告げたのだった。

 ニヒルに笑う黒鎧はまだいい。英弘もそんなことだろうと考えていた。

 だがフード姿の男がギフトだとは思いもしなかったのだ。

 そして、男がフードを脱ぎ、その容貌をさらす。


 「我々は、君達と争いに来た訳ではない」


 その男は、これまた容姿の整った色男だった。

 オールバックにした金髪に碧眼、色白で物憂い気な……しかし芯の強さを感じさせる相貌に、貴公子然とした佇まいの男だ。恐らく貴族だろう。だが、その男の一番の特徴として言えることは、左目に黒のアイパッチをしていることだろうか。


 「じゃ、じゃあ何しに来たんだ!」


 突然、ギフトが3人も現れたことに動揺した英弘は、そう返すので精一杯だった。


 「詳しい用件をここで大声で話すとでも?」


 アイパッチの男は、大声で話していないにも関わらず、よく響く声だった。

 そんな相手の男の言い草に、しかし英弘は心に冷静さを取り戻し、思考する。

 相手は3人……それも高貴な身分の3人が護衛も付けずにやって来た。

 一見、無謀な行動のように思えるそれは、彼女らにとって退くに退けない何かを秘めていると、英弘はそう解釈した。

 わざわざランザーラント公爵令嬢がやって来て、大声では言えないこと……。

 例えば、ヌーナ皇帝と仲の悪いと噂の、ランザーランド家主導による、密約。

 英弘がそうあたり・・・を付けた、その時だった。


 「いいよ。それじゃあ、話をしようか」

 「忠道さん!」


 考えあぐねる英弘の隣に、忠道が現れたのだ。指揮官たる、忠道が。

 後ろを向けば、塹壕内で「すまない」と小さく謝るカトリーヌの姿があった。

 恐らく彼女は、指揮官忠道自らが敵の前にその身をさらすのを止めようとしたのだろう。それを、忠道は強引に出てきたようだ。


 「折角名乗ってくれたのに、こちらの彼が名乗り返さなくてすまない。僕がここの指揮官で、ケペク氏族のポーラット。ネーム前世の名は栗林忠道だ。こんななりだが、一応成人だよ」


 まるで友人でも迎えるかのように朗らかな笑みで、忠道は言った。小人族の特徴である幼い姿であっても、忠道は指揮官として堂々たる風格を醸し出す。

 そんな忠道の言った通り、英弘は名乗らせるばかりで、名乗り返すのを忘れていたことを今更反省させられたのだ。


 「恐れ入ります、タダミチ殿。では、私達の話を聞いて頂けると?」


 忠道の容姿や英弘の悔恨の相貌を、マリア・テレジアは微塵も気に留めなかった。

 彼女は彼女で、余裕ある仕草、表情をもって言葉を紡ぐのだ。


 「うん。あのオーストリアの女帝陛下が来たんだ。話くらい聞いておかないと、レディーに失礼だからね」

 「まあ、お気遣いありがとうございます」

 「あはは」

 「うふふ」


 もしかして、俺は今別の惑星にワープでもしてきたんだろうか……?

 英弘がそう雑感を抱く程に、忠道とマリア・テレジアの間に流れる空気は、およそ戦場に似つかわしくないものであった。

 思わずカトリーヌと顔を見合わせた英弘が、彼女が同じことを思っているだろうことに、不思議な安心感を抱いた程である。


 その後、パノティア側近くにて急遽、パノティア王国とヌーナ帝国の代表による、非公式の会談が執り行われることとなった。

 エント・モルモンの中腹、パノティア軍の陣地から約2百メートル離れた場所でそれは始まった。急ごしらえのテントと机、椅子を用意し、そこでそれぞれのギフトによる、6人だけの会談が始まったのだ。


 「では改めて……僕は栗林忠道。元日本陸軍大将だ」

 「申し遅れました。私はキルク・セロ。ネーム前世の名は、坂本英弘。元日本の政治経済学者の端くれ」

 「私はカトリーヌ。元フランスの農民だ」


 手始めにパノティア側からの自己紹介から始まった。

 忠道が上座に着き、その右隣に英弘、更に右にカトリーヌが座り、順に自己紹介を済ませる。

 忠道の正面には、あのマリア・テレジアが席に着いた。


 「ではこちらも……私はマリア・テレジア。元オーストリア帝国の皇后です」

 「私のネーム前世の名はエドワードだ。エドワード・オブ・ウッドストックとも呼ばれていた。元イングランド皇太子だ」

 「マジかよ……プリンス・オブ・ウェールズ! ブラック・プリンス黒太子! エドワード黒太子か! まさか百年戦争の英雄だったとは……」


 まさか、英弘達を苦しめた黒鎧の正体が、まさかのエドワード黒太子だったことに、英弘は驚愕と興奮をもって受け止めた。

 彼の目の前に座る美丈夫が、自身と気品を見事に融合させた表情で英弘の驚愕と崇敬の眼差しを受け入れる。その様はまさに、元皇太子と呼ぶに相応しいだろう。

 だが、そんな黒太子の正体を知って、英弘以上に興奮した者がいたのだ。


 「イングランド……イングランドの皇太子だと!?」

 「カトリーヌ?」


 それはカトリーヌであり、彼女は絹のような金髪を揺らしながら立ち上がると、黒太子を睨み付けた。

 心配そうに見つめる英弘を余所に、彼女は強く拳を握りしめる。

 だが、睨まれた当の黒太子は、どこ吹く風といった様子で笑みを浮かべると――。


 「イングランド人は人気者だな! そうは思わんか? 大佐」

 「はっはっは」


 隣のアイパッチの男に話を振ったのである。それも余裕と自虐的な皮肉を込めて。

 黒太子が思い当たる恨みと言えば、彼がフランスで行ったシュヴォシェ騎行と言う名の戦略的略奪だろうか。

 それを知ってか知らずか、テールコートにスマートを履いたアイパッチの男は愛想笑いを浮かべるだけであった。


 「カトリーヌ。お前が何を思っているのか大体想像がつくが、とりあえず、今は黙って座っとけ」

 「……すまない」


 カトリーヌと黒太子の共通項といえば、百年戦争だろう。それを英弘は知っていたが、今話せばややこしいことになるだろうと思い、黙ることにした。


 「……それで……」


 英弘とカトリーヌのやり取りを視界の端で見守りつつ、忠道が口を開く。


 「大佐とやらの君は、一体誰なんだい?」

 「ああ、申し遅れました。私はミヒャルト・エルスト・ファン・グレーデル子爵。ネーム前世の名に関しては……申し訳ありませんが、”大佐”で通していただきたい。クリバヤシ大将閣下殿」


 誰何した忠道に対し、自称”大佐”はやや慇懃無礼な態度で応えた。それに対し、英弘は噛みつくように口を挟む。


 「こっちは皆、赤裸々にネーム前世の名を明かしたんだ。自分一人だけ名無しの権兵衛・・・・・・・ってのは不公平じゃないのか?」

 「『嘲うがいいさ、私の密かな悩みなど。でもいつかは白状しなければ』……いずれ君達に知れること、今はこの秘密を守らせてほしいのだが?」

 「キザったらしい奴だな……」


 「うへぇ」と、英弘はわざとらしく顔を顰めた。自身のネーム前世の名を明かさない言い訳に、何かしらの詩を引用した大佐を英弘は辟易して睨んだ。

 ただ、英弘のその脳内では、今しがた引用された詩が、誰の、どの詩であるかをニューロンに必死に働きかけて検索していた。誰の詩を引用したかで、大佐の正体を暴こうという試みである。

 そんな英弘に、しかし大佐は、悪びれた様子も無く肩を竦めるだけだった。


 「……日本の方がお2人に、フランスの方がお1人とは……私としては、是非ともゆっくりお話がしたい所ですが……」


 微笑を湛えたまま、マリア・テレジアは言う。

 彼女がオーストリアの女帝であったことを知る英弘としては、腹の奥底で何を考えているのか分からない彼女に、少なからず警戒心を抱いていた。


 「我々がここに来たのは親睦を深めるためではありません。折り入って、相談に参りました」

 「伺いましょう。女帝陛下」


 忠道の相槌に、マリア・テレジアは本題に移った。


 「相談……というよりは、密約と言った方が正しいのですが……大佐」

 「はい」


 マリア・テレジアは、ゆったりと優雅に、洗練された動作で大佐へ視線を向けると、それを受けた大佐が話を引き継いだ。


 「率直に言わせていただきますが、我々ヌーナ帝国とパノティア王国で、不戦の密約を交わして頂きたい」


 その発言に、パノティア側の3人の驚きは少なかった。そういうコンタクトはあるかも……くらいには想定していたのだ。


 「不戦の密約か……」

 「はい、クリバヤシ閣下。我が帝国とパノティア王国は、およそ60年にも渡る不毛な争いが続いてきました。それを終わらせる下地を、今回築こうと――」

 「建前だな」


 やはり大佐が優雅な仕草で――マリア・テレジアには負けるが――説明するも、英弘はまたも口を挟む。


 「まどろっこしいのはやめてくれ。ヌーナ皇帝と犬猿の仲って噂のランザーランド家の令嬢マリア・テレジアがフードを被って、コソコソ隠れるようにやって来たんだ……皇帝に知られたくない何かを企んでいるんだろ?」


 英弘が鋭く切り込む。そんな彼の推測に、ヌーナ側の3人は、よくヌーナの内情を把握しているな、と内心で感心していたのだ。

 その中でも、特に反応の大きかった黒太子が肩を竦めながら言う。


 「その詳しい内容について、卿らに話すと思うかね?」


 と、英弘の推測を暗に肯定しつつ、これ以上の詮索を回避しようとしたが……。


 「話してくれた方が、こっちとしては信頼できると思うが?」


 と、英弘は牽制の一撃を加える。座ったまま、静かに闘気を滾らせる英弘と黒太子を、忠道やカトリーヌは事の成り行きを見守っていた。


 「こちらにも……」


 次に言の葉を響かせたのは大佐であった。


 「言えない事情がある。無理は承知の上で、そこを聞かずに密約を交わして欲しいのだが?」

 「アンタらの都合に、こっちが付き合う義理はないだろ?」

 「だが、お互いにWin―Winなはずだ。我々は背後を気にしなくてもいいし、君達は我が帝国に攻められない……それでは駄目かな?」

 「いやそもそも、アンタらランザーランド派がその密約を守る保証はあるのか? アンタらが言ってんのは、無担保で金貸してくれっていうのと同じだぞ。それに、アンタらが密約を守ってても、皇帝派が攻めてこないとも限らない」

 「それについてはお互い様だ。我々は密約に基づき、この地域一帯から完全に手を引く。そこから君達が侵略してこないという保証もないのだからね。さらに言えば、ここで密約が交わされても、君達の国王がこれを反故にしないとも限らない」


 議論は平行線を辿った。密約に関する具体的な意見の応酬を交わすも、英弘と大佐の問答からは答えが出ない。

 そもそも、この密約に何の意味がある? とさえ、英弘は思っていたのだ。


 「私もこの密約には反対だ」


 そう発言したのは、カトリーヌであった。

 彼女は他の5人から視線を注がれた中、自身が導き出した意見の続きを述べる。


 「仮に貴方達がこの地域から撤退して行ったとしても、確かに攻め込めはしないが、我々はこの地に留まると思う。私がタダミチの立場ならそうするはずだ」

 「それは、我々が密約を守っても守らなくてもかな?」

 「ああ、そうだ。大佐」


 カトリーヌの意見に、英弘は「その通りだ」と言わんばかりに腕を組んだ。忠道はどっちつかずの態度で瞑目し、指揮官としての意思を相手側に伝えまいとした。


 「交渉は決裂ですか……困りましたね」


 不戦の密約に関し、否定的な気配を漂わせるパノティア側に、しかしマリア・テレジアは、言葉と裏腹に薄く笑みを浮かべたのである。

 まるで、こうなることが決まっていたかのように……。


 「では大佐。国境に居座る敵の脅威英弘達に対して、我々が講ずるべき軍事上の対策とは何かしら?」

 「はい。我々もこの地域に拠点を築き、援軍を呼んで敵と対峙します」

 「では、その指揮を黒太子殿にお任せしても良いですね?」

 「はい!お任せあれ! 公爵令嬢殿」


 ヌーナ側の一連の会話に、カトリーヌは酷い違和感を覚えた。

 何故、不戦の密約を交わしに来た彼女らが、対立を助長するような発言を聞かせてくるのか、まるで分らなかったのだ。

 だが、忠道と英弘は、その意図に気付いたようであった。


 「君達、もしかしてここに逗留する理由を作るために、わざとこの席を設けさせたな?」

 「アンタらの本当の目的は、ここに空白地帯を作ることじゃなくて、ここに両軍が睨み合う切っ掛けを作りたかったんだろ?」

 「きっと皇帝派が入り込む余地のないくらい、君達はこの地に人員を集結させるつもりだね」

 「そうやって俺達と睨み合う振りをして戦力を整えてから、アンタらの目的を果たすつもりだろ? 例えば……クーデターとか」


 忠道と英弘による怒涛の追及に、カトリーヌはハッとなった。パノティアと対峙するという名目で、彼女らは戦力を集中させたいのだと。

 そしてヌーナは、西へ東へ北へと戦線を拡大させ、中央の戦力が乏しい状態だ。

 そこへ、ランザーランド派が大挙して皇帝を討ち取る……それが本当の狙いなのかと、カトリーヌも遅まきながら気付いたのだった。


 「クッ……フフフフ!」


 だが、そんな英弘達の追求に、マリア・テレジアはさも愉快気に笑い声をあげた。

 彼女だけではない。大佐も黒太子も、クツクツと笑い声を漏らしていたのだ。


 「正解……とも不正解とも言えません。当たらずとも遠からじ。と言ったところでしょうか」


 ただ、マリア・テレジアはそういうだけに止まった。

 腹に一物抱えたその笑みと言葉は、英弘達に払拭し得ぬほどの不安を植え付けたのだ。


 「……アンタらまだ何か――」


 そして、それを追求しようと英弘が口を開いたその時だった。


 「失礼します!」

 「セバスチャン! まだ話し合いの途中だぞ!」


 テントに英弘の部下が入ってきたのだ。英弘はやや咎めるように言うが、しかし彼の部下、セバスチャンは、それもお構いなしに英弘と忠道の下へ歩み寄る。

 彼の右手には1枚の用紙が握られていた。


 「申し訳ありません。ですがこれを……」

 「うん? 電文?」


 英弘が受け取ったその用紙には、電信機から受け取ったであろう電文の内容が書かれていた。

 それを、忠道と共に確認する。


 「…………っ!」


 その内容に、英弘は思わず声を上げそうになった。それもすんでのところで呑み込み、同じように驚愕した忠道と顔を見合わせると、マリア・テレジア達の手前、すぐに取り繕った。

 今はまだ、ヌーナ側との会談中という状況が、彼らにストレスの発散を許さなかったのだ。


 「お、おいヒデヒロ。一体何が書かれて――」

 「申し訳ない。僕達は一旦退席させていただくが、よろしいかな?」

 「ええ。構いません」

 「行くぞ、カトリーヌ」

 「ひ、ヒデヒロ?」


 用紙に書かれた内容を気にするカトリーヌを遮り、忠道は立ち上がって努めて冷静に断りを入れた。

 マリア・テレジアから許可を貰い、英弘はカトリーヌの腕を掴んで立ち上がると、足早にテントの外へと向かう。

 一連のこの態度で、ヌーナ側にはきっと何かを察せられたかもしれないが、今の英弘達にそれを心配する心の余裕など皆無であった。


 「ヒデヒロ、一体何が起きたんだ?」

 「これを読め。声は出すな」

 「あ、ああ……」


 テントの外、約20メートル離れた所で4人は立ち止まり、その内容をカトリーヌに読ませた。


 「…………まさか、そんな……」


 声を出すなと言われたカトリーヌだが、しかし、その内容は、むしろ彼女から言葉を失わせるのに十分であっただろう。

 セバスチャンが持ってきたその用紙の内容は、以下の通りであった。


 『発、フランケルコ3世。宛、キルク・セロ。アテネ・パラス砦ニテ、我ガ軍敗北セリ。英弘、同地二参向サレタシ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る