6.「わたし線香花火が大好きなんだ。んふふ」

 国体道路を抜けて高地へ進行するバスの車窓を流れる景色は、次第に木々と青々とした葉に囲まれていく。夏の木漏れ日が景色をチカチカと照らし、空を眺めれば青く遠くに大きな入道雲が見える。よく晴れた夏空の下、僕たち四人は着実に目的地へと向かっている。


「はい浅久野あさくのくん」

「あぁ、ありがと」

「んふふ」


 前席の通路側から顔の半分を出した赤星あかほしが渡してきたのはポッキーの小袋だった。受け取ると、彼女は満足そうに笑って座り直す。

 左隣の巨男に目を向けると、幸四郎こうしろうはすでに居眠りに落ちている。持参したという、よく見るキャラクターの目許が描かれた妙に可愛げあるアイマスクを付け、小さないびきを漏らしていた。仕方ないのでポッキーは独り占めすることにする。


 ポリポリ食べながら、正面の席を見る。座席と壁の隙間から黄色いカーディガンの肩が見える。彼女が起きているのか寝ているのかは分からない。話し声も聞こえないし、赤星がポッキーを渡してくる際に声を潜めていたことを考えると、うたた寝くらいはしていそうだ。

 朝は早かったから仕方ない。べつに寝ていたってどうということでもないのだけれど、如何せん海付うみつきの気持ちは気になるところではある。


 遡ること、午前八時。アーケード街の直ぐ側にあるバスターミナルで僕らは待ち合わせた。

 乗るバスの切符売り場に着いたのが七時五十分。少し早いからかまだ誰の姿もない。夏休み効果でいつもより人が多く、朝から子供が元気にはしゃいでいた。


 クーラーの利いた室内の隅で重いリュックを下ろして待つ。ふと、ガラス越しに向かいのバス停が見えて、昨日の光景がよみがえった。車椅子の男、矢津田やつださんとの会話の内容が思い出されてそわそわした。

 アーケード街の近くのホテルに泊まっているとも言っていたから、偶然にも会わないか不安になった。


 八時五十五分。待ち人たちは正面の角から三人揃って現れた。

 真ん中の赤星は左隣の幸四郎と和気あいあいとしゃべっているのに反し、右隣の海付は口をへの字に曲げていた。無理矢理連れてこられました、と訴えるような顔だった。


 合流してから落ち着いて話をする間もなくチケットを購入し、五分後に到着したバスに乗車した。その五分間で海付と交わした会話はゼロだった。幸四郎の絡みや久しぶりに会った赤星との挨拶に時間を取られたことが原因だが、言い訳に過ぎないことは重々分かっている。不機嫌な海付に話しかけなかったのはただの逃げだった。


 乗客を乗せたバスが発進してから小一時間はそれぞれ会話が弾んでいたが、街を抜けて山間の道に入る頃にはこうして静まった空気に包まれた。詰まらないわけではないけれど、僕は今の空気に何か物足りなさを感じていた。

 無理に誘ったのは良くなかったか。今更ながらに、衝動的な提案を押し付けたことに罪悪感を覚えつつあった。


 バスが山道でカーブを曲がる。遠心力で体が右に傾く。幸四郎のアイマスクをしていても目立つ濃い顔がこちらに近付き、拳でこめかみを押して元の位置に戻す。

流れで正面を見やれば、同様に遠心力に負けた海付の頭がガラス窓にもたれかかっていた。

 体の位置を戻さない辺り、やはり寝ているみたいだった。


 それから三十分進んだところで下車となった。そこから見える目の前のスーパーで本日分の食料や必需品の買い足しをして、別のバスでキャンプ場へ行く算段だ。


「んんー、やっぱ山ん中は少し涼しいな」


 伸びをしながら、半袖半ズボンの幸四郎が言う。後で虫刺されに悩まされても知らないぞと横目に見ながらスマホの天気予報を確認すると、確かに街中に比べれば二、三度ほど気温は低かった。とは言うものの直射日光を浴びれば汗が滲む気温ではあって、それはあくまで比較的な話だ。


「スーパーの買い出しだけど、二手に別れた方が効率いいかな?」


 登山用のハット帽子と薄手の長袖、レギンスに短パンを着合わせた赤星がスーパーへ向かう途中で提案してくる。幸四郎よりも断然アウトドアに適した格好だが、見た目は今どきの山ガールと言った感じで、よくその装備があったものだと感心。意外にも登山とか行くタイプなのかもしれない。


 赤星の提案にそれぞれが耳を傾け、僕も頷く。ならば僕と幸四郎、海付と赤星で別れるのが自然だろう。発言しようとしたが、それよりも先に赤星が続けて口を開いた。


「じゃあ、わたしと緒方おがたくんで飲み物と食器類と、他に役立ちそうな物を探すね。ゆいと浅久野くんはその他の食材を集めて。レジに並ぶ前に合流して確認し合おうね」


 人員配分に異議ありだ。

 おずおずと端の海付を見やると、彼女は否定も肯定も無いような表情で赤星に耳を傾けていた。しかし目頭が吊り上がっているのが見て取れ、顔色を窺う限りではあまり前向きな反応ではないように思える。かぶっているキャップ帽子のせいで余計に目許が暗く見えた。

 当然だ。朝から不機嫌で、その原因が僕にあるのなら二人でスーパーの買い物なんて気まずいに決まっている。やはり赤星の配分は間違っている。


「別にそれでいいけどよ、女子同士の方が良かったりしねえの?」


 ナイス幸四郎。お前の馬鹿正直さが人類に役立ったのはこれが初めてだ。


「お買い物けっこうあるよ? 男子がいた方が荷物も持ちやすいかなって思って」

「なるほど、そういうことなら俺に任せろ」


 オーノー、筋肉バカめ。妙に張り切った顔しやがって。


「この中でわたしが一番力無いから、緒方くんいた方がバランスいいかなって」

「頼りにされちゃ、男たるもの断れねえよな。この俺が力の限り荷物持ちをやってやるぜ」


 格好つけたつもりだが、使いパシリにされているだけのように見えてまったく恰好ついていない。上腕二頭筋を膨らませるポーズを取っているが、案の定赤星はそれに目もくれず海付に視線を向けている。


「あ、でも結の方に緒方くん連れて行ってもいいよ? どっちがいい?」

「べつに、私は誰とでもいいわ」


 あ、意外にも断らないのか。

 いや赤星の手前、我慢しているだけかもしれない。

 嫌なら嫌と言えば良いのに、無理して二人きりになったって居心地が悪いだけだろう。


「じゃあ、決まりね。緒方くんよろしく、えへへ」

「ふふん、小学生の頃はランドセルマンと称された俺の力を見せてやる」


 それ、単に十人から無理矢理ランドセルを持たせられてただけだから。パシリだから。自慢できることじゃないから。

 なんてことには気にも留めず、スーパーに到着するや幸四郎と赤星は買い物かごとカートを持ってさっさと二人で行ってしまう。

 ああ、カート使うのね。じゃあ筋肉バカの存在あまり意味ないね。


 さて……。


「僕らも、行こうか」

「ええ」


 やっぱり昨日とは違って見える反応に、僕はすでに挫けそうになった。


 幸四郎たちと同様にカートを引いてスーパー内を二人で巡る。お昼と晩ご飯、明日の朝食。二日目の昼夜の材料はクーラーボックスの容量の関係上、当日にまた買い足す算段になっている。必要なのは今日使うものだ。

 昼は焼きそば、夜はカレー。ベターだがこれが一番美味いし簡単だった。


 海付が先導する形で買い物はスムーズに進んだ。食材を目利きしカートの中に入れていく海付の行動は慣れたもので、僕が口を挟む暇も与えない。淡々とした行動に僕は余計に肩身を狭くし、自分の存在意義を否定しそうになった。食材選びをする人とカートをけん引するだけの人では仕事量が比例しない。


 くるぶし辺りをロールアップしたデニムパンツに、薄手の黄色いカーディガンを羽織った海付の姿を、ふと一歩引いて眺める。

 牛肉の細切れパックを眺める目つきは真剣そのものだ。てきとうな物は作りたくない。そんな気持ちが伝わる気がする。気乗りしていないはずなのに、集中して食材探しをしているなんて彼女はよっぽど料理が好きなのかもしれない。


 そんな横顔を見詰めていると、真面目で堅実な海付の素顔を思い出す。彼女の抱える問題を再認識する。恋愛をしたいのにできない体になったおかげで、あまり素直になれなくなった不幸を考える。


 海付と交わした約束。梅雨のあの日、外階段で言った僕の言葉は嘘なんかではない。海付を救いたい。その為に僕は今、ここにいるのだ。

 だったら、気まずいなんて言ってられない。彼女に睨まれようが嫌われようが、救えるのならそんな些細な犠牲は問わない。元カレに会わせてはいけない。その直感を信じようと思った。


「よお、お二人さん。買い物の調子はどうだ?」


 海付を挟んだ向かいから、幸四郎たちが現れる。

 僕は視線を変える。得意げな笑みを浮かべる幸四郎の引くカートに目を向けた。

 その膨大な量に、目を丸くした。


「……それ、何買ったのさ」

「ふふん、俺たちで色々と機転利かせて集めたんだ。キャンプと言えば、ってな感じでよ」

「面白かったね、マジカルバナナなんて何年ぶりにやったかな」

「赤星弱っちかったな。すぐ引っかかるからな」

「違うよー、緒方くんが強すぎなだけだもん」


 高揚感を携えた二人の会話に思わず目尻が引きつる。海付がパックを持ったまま二人を眺め、僕を一瞥する。え、どうして僕を睨んだの? 無関係だよ?


「蚊取り線香、虫よけスプレー、懐中電灯、ウェットティッシュとか盲点だっただろ?」

「それは分かる。気になるのはそっちだよ」


 人差し指を、山盛りに積まれたに向ける。


「水鉄砲、フリスビー、バドミントンのラケットとシャトルだろ。それとトランプ、ウノ、花札にモノポリー、花火各種! どうだ、遊び放題だぞ!」

「わたし線香花火が大好きなんだ。んふふ」


 んふふ、じゃないよ赤星さん。止めろよ、天然かよ。


「それ、誰がお金出すの」

「割り勘じゃね?」

「ああ、幸四郎のポケットマネーですか。ありがとうございます」

「おい、何勝手に話進めてんだよ」

「それと」


 ここは強調して、言う。


「どうやってキャンプ場まで運ぶのさ、そんな大量の道具を」

「……」


 黙り込む二人。

 幸四郎は顎に手を置き方法を模索している模様。赤星は、何かに気付いたように目を左右に泳がせている。しばらくして、口を開く。


「緒方くん、わたしはこんなにいらないと思ったよ」

「突然の裏切り!?」

「ごめんね浅久野くん。これ全部戻してくるから」

「待てよ赤星! お前だってノリノリだったじゃねえか! 一緒にしりとりバドミントンしようって言ったじゃねえかー!」


 幸四郎の言葉になど耳も貸さず、後ろめたさから逃げるようにカートを引いて去っていく赤星に、僕も海付もあえて言葉をかけずそっとしてあげることにした。人間、人に流されて恥をかくこともあるだろう。


 その後戻った二人のカートの中身はずいぶんスッキリしていた。幸四郎の粘りにより、トランプと花火だけは残してあった。このくらいなら負担も軽いと思い僕は渋々了承した。


 買い忘れがないか確認をしてからレジで精算、袋に詰めてスーパーを出る。下車したバス停の時刻表を眺めながら、スマホでルートを検索する。十五分後に来るバスに乗れば有名な温泉地を通過し、キャンプ場付近の停留所で降りられそうだった。

 時刻は十一時前。スムーズに行けば入場開始時間ちょうどに到着できそうだ。


 スーパーで買った氷菓をそれぞれ食べながらバスを待つ。僕はクーラーボックスに氷と要冷蔵の食材を詰める作業に没頭した。暑い暑いばかりが口をついた。

 そんな中でも幸四郎と赤星は二人で会話を弾ませ、買った味違いのパピコを半分ずつ交換していた。なんだかそこだけ青春の匂いがした。


 僕らも話すべきだろうか。詰め終えたクーラーボックスの蓋を閉めて立ち上がりながら、横目に海付を眺める。バス停の重石に腰かける彼女は溶けかけたチョコアイスをゆっくり舐めている。脱力感のある眼差しを向けるのは、バスが走ってくる道路の先だ。


「バス、早く来てほしいね」


 何気ない会話を心掛けて、話しかける。

 海付は薄目で僕を一瞥し、表情を変えないまままた道路の先を見る。


「ええ」


 返事はそれだけ。それ以上の会話は続けられなかった。僕の意気地なしめ。


 ようやく来たバスに乗り込むと、クーラーに身を清める勢いで各々がため息をついた。ガラン、と開いた座席の中、座った場所はさっきのバスを同じ位置。正面を覗き込めば海付の姿が見える。

 乗車して十分と絶たない内に、彼女の体が脱力したのが分かる。寝ている。窓によりかかりそうになっている、キャップ帽子を脱いだ後頭部を眺めながら、あれ? と思った。


 今朝からのあの姿勢。あの表情。あの目つき。

 もしかして。


「赤星さん」


 小声で斜め前に声をかける。帽子を脱いだ彼女がこちらに気付いて振り返り、首を傾げる。いつもは頭のてっぺんで結われたお団子は、帽子を被る理由でか今日は解かれていた。


「もしかして、海付さんって寝不足?」

「あ、しーっ」


 赤星の行動に、僕は首を傾げた。


「それ、結には絶対に言わないでね」


 苦笑気味に言われて、戸惑いながら頷く。訊かずとも理由は赤星から話してくれる。


「結、今日すっごく楽しみにしてたんだって」

「え、それって……」

「遠足日前夜の小学生みたいだな」


 歯を見せ笑う幸四郎の横顔と赤星を交互に見渡しながら、ストン、と腑に落ちた。

 今朝からの行動言動の理由が一貫してただの寝不足だったことに、僕も思わず苦笑する。

 素直じゃないなぁ、と心の中で吐き出す。万が一にも聞かれていたらそれこそ不機嫌の原因になりかねないし。


 拍子抜けして、椅子に深く座り直す。隙間から海付の背中を眺める。

 気持ちよく寝やがって。現地に着くまでには、その眠気を消化しておいてくれよ。


 下車したら、やることは盛沢山なんだから。

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死ぬけど君と恋したい 一 雅 @itiiti

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