亡霊の集う場所

 こけこけと鶏たちが私の持つ欠けた茶碗を覗いてくる。翠色の水色をした薬湯は、陽を浴びて白い漣をたてていた。

 今日、ここで行われる精霊戻しの儀式のために必要な薬湯だという。西洋の魔女たちが使う魔法の薬には幻覚作用があるというが、その類だろうか。

 くんと匂いを嗅いでみる。刺激臭はなく、甘い花のような香りが鼻腔をくすぐる。口をつけてみると、花の香りが口いっぱいに広がった。

私たちは95式戦車の車体の上によじ登り、昔話に花を咲かせていた。といっても、話すのはもっぱら岩岸のおじいちゃんだ。目黒の孫なら俺の孫も同然と、私に言ってくれたから、岸部のおじいちゃんと心の中で呼ぶことにした。

「今は隠蔽されて見る影もないが、ここには昔っから原住民が住んでた。ヒマリはその末裔だ。ここはもともと英国の領地だったが、彼らは凄い追害を受けていてな。日本兵がここへ来たときにはもう、それはすごい有様だった」

 なんでも、おじいちゃんたちが上陸したころ、ここには英国の基地があったらしい。それを建てることに反対した原住民たちが、司令官の独断であらかた殺されたというから驚きだ。

 それが戦後、なぜか日本のせいになった。日本軍がきたあとも彼らは部外者である日本人を恐れ、何度か基地をおそったことがあるらしい。敵の攻撃だけでなく、おじいちゃんたちは現地の人たちとの対立にも悩まされたわけだ。

「その中でも目黒は妙なやつでな。現地人の村に行っては果実だの、連中が信奉してる動物の像なんかを持ってきては、けたけた笑ってやがった。そのことで上官たちに何度も殴られたが、なんと目黒と仲の良くなった原住民たちが基地の建設を手伝ってくれるようになったんだ。男は力仕事。女は飯の支度。敵襲がないときには、みんなして基地で宴会を開いたこともあった。そこで目黒はヒマリとできちまったんだ。こっそりと付き合ってたからわからなかったがな、引き上げるときに目黒がヒマリを連れていくと言ってきかない。ヒマリを連れていけないならここに残るなんていいやがって。引き上げの護衛艦に先にヒマリを乗せて見送った後にな……」

「敵がこの島を占領したんですね……」

 岩岸のじいちゃんの言葉が途切れて、その先を私が補う。

 持っていた椀はすっかり空になって、夕陽が白い椀の底を黄色く照らしていた。そっと岩岸のじいちゃんは顔をあげ、沈んでいく太陽を眺める。顔を川岸に向けると、船の市場はしんと静まり返って、凪いだ川面がそこにあるだけだ。

「そろそろ始まるか……」

 腰を上げて、岩岸のじいちゃんが戦車からゆっくりと降りる。その間にも空の光は闇に食われていき、あたりは薄紫色に染まっていた。

「真っ暗になるまでまだしばらくかかるな……」

「まだ、祖父には会えませんか?」

「茫漠とした闇が広がんと、みんな出てきてくれん……」

「茫漠とした闇」

「そう、どこまでも続く闇だ。あの頃の戦争みたいに、どこまでもどこまでも戦禍が広がって、果てしなく終わらない闇が降りてくるまで……」

 そっと口元に人差し指を持っていき、岩岸のじいちゃんは声を潜める。そうして彼は、嬉しそうに眼を光らせ言ったのだ。

「そこにな、亡霊の魂は集うんだよ」

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