第17話 第三皇子・三龍


 再び戻った第四庭の屋敷。荒事もなく無事に済んだとあって、月天丸は呑気にヘラヘラとしている。


「なかなかどうして寛大な姉君だったではないか。あれは長所になるのではないか?」

「いや……普段はもっと短気のはずなんだけどな。不気味だ」

「終わったことを気にしてもしょうがないだろう。さあ、それより次に行くぞ。三人目が終われば私も自由の身なのだろう?」


 上機嫌になっている理由は、いよいよ終わりが見えてきたからというのもあるらしい。ロクな長所は未だ見つかっていないが、とりあえず三人の視察が終われば月天丸を自由にする約束だ。


 残すは三龍サウランただ一人。

 居間での休憩を終えて、第三庭へと歩み出す。その道すがらで、月天丸はやや悩むように顎に手を添えた。


「ふと考えてみたのだが、次の三龍という男はいまいち掴みどころがない気がするな。今までは『堂々とした変態』に『頭のいい馬鹿』という感じで一目瞭然に分かりやすかったのだが、今度はパッと印象が浮かばん」

「そういう表現の仕方をすると、龍兄は『卑劣な助平』だろうな」

「ひれつなすけべ」


 未熟な鸚鵡(おうむ)のような発音で月天丸が復唱した。


「その……響きだけでいえば今までの二人よりも格段に酷くないか? まがりながりにも前二人は『堂々』とか『頭のいい』とか付いたのに、今度は『卑劣』な上に『助平』では何一つ救いがないではないか」

「そうだ。だからある意味で一番の難敵ともいえる」


 第三庭への柵が見える。他二人の兄姉に比べて、三龍の庭への柵は牧柵のように隙間だらけである。わざわざ飛び越えるまでもなく、普通に跨ぐことすらできる。

 これは声掛けした女官が夜忍びしやすいように――という彼なりの配慮らしいが、未だそれが効果を示した事例は報告されていない。


「ただな月天丸。少しだけ擁護するなら、卑劣っていうのは何も悪いことばかりじゃない」

「そうか?」

「ああ。たとえば俺たち兄弟が、それぞれ皇帝と一騎打ちしたとする。まあせいぜい、もって数分で倒されるだろうが――三龍だけはたぶん十分以上は余裕で粘れる」


 皇帝の強さを目の当たりにしたことのある月天丸は、その凄さがよく分かったのだろう。その場で少し跳ねて目を見開いた。


「それは大層なことではないか! では、貴様らの中であの者が最も強いということか?」

「それは断じて違う。あいつの戦い方が卑劣なだけだ」


 俺は三龍の基本戦術を月天丸に解説する。


 ――少しでも強い敵に当たったら、とにかくまずは一歩引く。躱して逃げる。一騎打ちの場となれば決め手を相手の体力切れに求める。攻め手に出るのは確実な格下相手のみ。


「それは確かに、あまり気持ちのいい戦術とはいえんな……」


 げんなりとした声色になって月天丸が目を細めた。

 だが、俺はこの戦法を全否定するつもりはない。ある意味で理に適っているのは事実だからだ。絶対に真似をするつもりはないが。


「あとは道具もよく使う。状況が許せば罠だって仕掛ける。お前の脱走防止に仕掛けた鈴の警報も、三龍が作ったものだ」

「ロクでもない技能ばかりあるな貴様らは」

「器用なんだあいつは。仮病のために本物そっくりの血糊まで仕上げるし……」


 そこで「む?」と月天丸が首を傾げた。


「どうした?」

「待て。そこを素直に褒め所とすればよいのではないか? それだけ器用に物を作れるということは、まんざらただの馬鹿ではあるまい。戦い方も裏を返せば慎重ということだし、見の目が優れているとも取れる」


 ああ、と俺は嘆息した。


「そうなんだよな……そういう風に褒められるはずなんだよな……」

「どういうことだ。何か褒められん事情でもあるのか?」

「行けば分かる」


 そして往く手に見えてきた三龍の屋敷は、月天丸の表情を凍らせるにふさわしいものだった。


 一面の金ピカである。


 塀から屋根やら柱まで、すべてが眩いほどの金色。二朱の庭園のように風情があればそれも一種の美として扱えたのだろうが、これは単に金色というだけで造形に一切の趣がない。

 ただの成金の悪趣味な屋敷としか映らない。


「もちろん、こんな量の黄金を皇子一人の家に使うことはできない。これは三龍が自分で作り出した『金っぽい感じ』の金属箔で飾っているだけだ」

「……何のためにだ?」

「そりゃあ、お付きの女官に自分の金満っぷりを誇示するためだろう」


 月天丸の頬が引き攣った。

 さらに、気配を殺しながら屋敷の正面にまで回る。するとそこには、まるで花街の酒家のような大看板が灯籠添えで掲げられていた。


『第三皇子・三龍邸へようこそ。心より貴女を歓迎いたします。どうか願わくば貴女が運命の相手でありますように』


 無駄に達筆なのが腹立たしい。


「……あの看板は何だ?」

「新しい女官を迎えるたびに掲げるんだ。そうか、そろそろ後任が来る時期か……」

「さっきのより、この屋敷こそ燃やすべきだ」


 月天丸の正論に俺は大きく頷く。

 待ち伏せられているような気配はないので、さらに大胆な接近を試みる。歓迎の意を示すかのように開け放たれた戸口に近寄ると、中から声が漏れ聞こえてくる。


 明らかに三龍の声だ。


「『お待ちしておりました』――これは違いますね。『貴女が来ることは夢に見ておりました』こちらが第一声に相応しい。初心な乙女が頬を染めるのが目に見えるようです。『武芸優秀にして眉目秀麗。百般に長けし最高の皇子。この三龍の元に導かれた貴女こそ、この安都でもっとも幸運な女性といえるでしょう』――我ながら最高です。この殺し文句で落ちぬ女性はいないでしょうね……ふっ。楽しみです」


 戸口から覗く玄関先の居間で、文机に座った三龍がブツブツと独り言を吐きながら怪文書をしたためていた。


 当然、演説の台本ではない。おそらくは新たな女官が着任すると聞き、演説争いを放棄して歓迎の台本を作成にかかったのだろう。


 いいや、それより肝心なのは独り言の内容である。自己をよりよく見せるために、彼が自認する長所のことごとくが列挙されている。この演説戦――長所探しにおいては、致命傷とでもいうべき隙といえる。


 だというのに。


「すごいな、あんなに長所を露呈しているのに、まったく心に響かんぞ……」

「そうなんだ。龍兄はこういうときに死ぬほど自分を大きく見せようとするんだが、驚くくらいに説得力がない。だから、長所は見えているのに褒める気になれない」


 あの言葉をそのまま引用して演説の台本に使えば話は早いのだが、皇位回避に手段を選ばないこの俺ですらかなりの拒否感がある。そのくらいに生理的嫌悪を漂わせる男なのである。


「どうする月天丸。何かいいところは見い出せそうか?」

「無理だ。こんな負け戦をどう戦えというのだ」

「やっぱりそうか……じゃあ、帰るか」

「待て。とりあえず女官が来るまで様子を見る。万が一、あの男の毒牙にかかりそうになったら止めねばならん」


 月天丸の義賊癖が出た。

 実際のところ三龍は口だけ達者で手を出せたことはないから、そこまで心配する必要もないと思う。しかしまあ、いよいよ追い詰められて凶行に走る可能性も無視できない。


 独り言の内容からして、そう長く待たずともやって来るということは分かったので、戸口のそばでしばし待った。

そう気合を入れて隠れずとも、三龍の気は散り放題だったので勘付かれる恐れはない。


 そして日が暮れかけ、灯籠によって気持ちの悪い大看板が明々と照らされ始めた頃、宮廷の方から人影が向かってきた。


 ――妙にでかい人影が。


「おお、四玄様ではないですか」


 そして、そのでかい人影は見知った顔だった。

 宮廷の警備を担う番兵たちの中で、とりわけ訓練熱心な若手の坊主頭である。日頃の鍛錬のおかげか、元からの大柄な体躯が筋肉に覆われて凄まじい巨漢に仕上がっている。


 名前は知らないが、印象的な見た目だったので内心では筋肉坊主と呼んでいた。


「どうされたのですか? 三龍殿下にご用事が?」

「いや。散歩してたら第三庭に迷い込んでしまっただけだ。すぐに自分の屋敷に戻るから、俺がここにいたことは龍兄には内緒にしてくれ」

「左様ですか。承知いたしました」


 この筋肉坊主の接近を察知して、正体を知られるわけにはいかない月天丸は物陰に素早く隠れている。

 もちろん俺とて同じように隠れることはできた。だが、敢えてそうしなかった。


 ふと、ある予感がして残ったのだ。


「あー……ところで、そちらこそこんな時間に龍兄に何の用事が?」

「私ですか。いや実はですな――」


 筋肉坊主の話を要約すると、こうだった。


 とうとう三龍の担当になりたがる女官候補がいなくなった。

 宮中の手配師が誰でもいいから適任を探していた。

 そこで「皇子たちの強さの秘訣を間近に見たい」と手を挙げたのが筋肉坊主。


 以上。


「そうか。頑張ってくれよ。きっと龍兄も喜ぶだろう。どうか精進してくれ」

「有り難いお言葉、恐縮です。精一杯やらせていただく所存です」


 ずしずしと巨人のような足音を響かせ、肩で風を切りながら筋肉坊主が三龍の屋敷に乗り込んでいく。




 俺と月天丸は、ただ静かにその場を去るのみだった。

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