第16話 第二皇子・二朱


「次は姉上だ」

「まだ懲りてないのか貴様?」


 辛くも一虎からは逃げ切ったが、さすがに無傷では済まなかった。全身に掠り傷と、顔面に拳の青あざを作られてしまった。

 第四庭の自宅まで退避すると、月天丸が茶を啜りながら待っていた。この隙に城下に脱走している可能性も考慮したが、意外とその辺は律儀らしい。

 それに免じて、先ほどの裏切りは許してやることにする。


「しかしな、あの二朱リャウシャという姉はよく考えたら簡単に長所が見つかるのではないか? 見目は麗しいことだし、貴様らに比べたらずいぶんと頭も回るし」

「ああ、正直いうと俺も最近まではそう思っていた」

「最近?」


 おう、と俺は頷く。


「ほら、前に姉上がふざけてお前に化粧をしただろう?」

「そんなこともあったな」

「あのときのお前もなかなか美人に見えたからな。あれは姉上が元から美人というより、単に化粧上手と見た方がいい。素顔は十人並みのはずだ。現にお前も化粧なしでは単なる子供としか――どうした?」

「貴様な、女人に対する礼儀というのを少しは弁えろ。粉を叩いただけで美人になるなら、それは元がいいということだ」


 みるみるうちに眉根に皺を寄せた月天丸は、少し乱暴に椀を卓に置いた。


「だとしても、見た目の良い悪いは皇帝としての資質に関係ない。長所にしても皇位継承に関連していなければ挙げても意味がないんだ」

「こういうときだけ正論を吐くな貴様……しかし、さっきの一虎はどうなる。服を着るなど当然のことすぎて皇帝としての長所にはならんだろう?」

「いいや。美醜に関わらず皇帝は務まるが、服を着ていなければ皇帝は務まらん」

「反論できんのが腹立つ」


 月天丸は唇を尖らせてそっぽを向いた。思い通りにならないと不貞腐れるところはやはりまだ外見通りの子供である。


「あとは……姉上の頭が回ると言ったな?」

「ああそうだった。それは皇帝としても有益な能力だろう」

「惑わされるな。あれも本質的なところでは馬鹿の一員だ。真の天才である俺には全く及ばない」


 それを聞くと、月天丸は哀れな者を見るような顔になった。妹に案じられるとは、二朱も不憫なものである。


「というわけで、次は姉上の『第二庭』だ。まあ、多少の知恵が回るのは事実だし、家探しをすれば長所の一つくらいは見つかるだろう。少なくとも虎兄よりはずっと楽なはずだ」

「貴様……今度こそどうなっても知らんからな」


 そう言いつつも月天丸は律儀についてくる。一度交わした約束に忠実なところは美徳だ。残念ながら、今回の演説で月天丸は対象外だから長所を見つけたところで意味はないが。


 月天丸とともに宮廷の敷地をしばし駆ける。

 第二庭は宮廷内でもっとも隅に位置する代わり、一番広い土地となっている。境界の柵を乗り越えた先に広がっているのは、風光明媚を体現する実に見事な庭園である。

 四季によって咲く花を違える木々の植栽。小川を模して引かれた水路のせせらぎ。一虎の『庭』とは対照的に、貴人らしい粋に満ちている。


「これはすごいな……」


 月天丸も感心している。盗みを生業にするだけあって、目利きもできるのだろう。庭飾りの石一つでも、それなりの価値が付くのを見取っている。


「だけど月天丸。まだ驚くのは早いぞ。姉上の屋敷はもっと凄いからな。なんせ通に疎い俺ですら、始めて見たときは鳥肌が立ったくらいだ。本人も『住める芸術』と豪語していたくらいだし。お、そろそろ見える頃だぞ」

「盗みに入れんのが残念だな。まあいい、そこまで言うならとくと拝んで――」


 前方に視線を向ける俺と月天丸の会話が止まった。

 なぜなら、行く手にあるのは豪華な屋敷などではなく、白煙を上げる巨大な火柱だったからである。


 ――二朱の屋敷が炎上していた。


「やっと来たわね……あなたたちがこうして敵情視察に来るのは読めてたわ」


 と、棒立ちになっていた俺たちの背後から、手を叩きながら二朱が声をかけてきた。近くの木の陰に隠れていたらしい。


「悪いけれど、先に証拠隠滅を図らせてもらったわ。もはやあたしの家を漁っても炭屑か灰しか出てこない。長所の痕跡なんて欠片も見つからないはずよ……ふふ、目論見が外れてご愁傷様といったところかしら?」

「おい、自分ちが目の前で炎上してる奴に『ご愁傷様』などと言われて私はどういう顔をすればよいのだ?」


 月天丸がこちらの袖を引っ張って尋ねてくる。俺は「神妙な顔をしていろ」と返す。月天丸は神妙な顔になった。


「そう、その顔が見たかったのよ! 先手を打たれて悔しがって苦悶にあえぐその表情……! ああ、最高の気分だわ!」


 一方、二朱は高笑いして一人で盛り上がっている。

 俺はこっそり月天丸に耳打ちする。


「これが姉上の致命的に駄目なところだ。人を策で陥れることが好き過ぎて、その策で自分が負う痛手を度外視してしまう癖がある」

「すごいな。一瞬にして奴の評価がお前らと同水準の馬鹿に落ちたぞ」

「せっかくだからもう少し面白いものを見せてやる」


 実際のところ自宅ごと燃やすというのは、証拠隠滅として完璧だった。これで二朱の長所を探すのは失敗したといえる。

 せめてその憂さ晴らしをさせてもらう。


 俺は演技がかった口調になって、


「なんてこった……! これで姉上の長所はもう、皇位とほぼ関係のない美貌くらいしか残っていない! いや待てよ。しかし姉上ほどの美貌なら臣民の心も掴みうる可能性が……?」

「ふふっ、甘いわね。その希望すら消させてもらうわ!」


 二朱が指を弾くと、どこからともなく世話役の老婆が滑り出てきた。


「お嬢様。いかな何の御用でしょう?」

「婆や。至急、甘い菓子と脂っこい料理を目一杯用意しなさい。演説の日までは武術の稽古も中止よ。この美貌が見る影もなくなるくらい肥え太ってやるわ!」

「承知いたしました」


 恭しく頷く老婆の横で、二朱は勝ち誇った笑みを見せる。

 負けじと俺も次の一手を打つ。


「待てよ。いかに肥え太っても、姉上の美しい長髪だけでも万人を魅了して余りあるかもしれん……」

「婆や。追加でカミソリも持って来なさい。丸坊主になってやるわ」

「承知いたしました」


 こうなると二朱はもう止まらない。自ら破滅の道を進んで――


 げしっ、と。

 背中に跳び蹴りを浴びせられて俺は顔から地面に突っ込んだ。


「冷静にならんか! この馬鹿は貴様を陥れようとしているだけだぞ!」


 月天丸が二朱に向けて警告を叫んだ。二朱はしばし首を傾げていたが、ややあって「はっ」と正気に戻る。


「危ないところだったわ……よくもこのあたしを担いでくれたわね、四玄」

「担ぐというほど器用なものではなかったがな」


 月天丸の言うとおりである。あんな雑な演技に乗せられる二朱の方が全面的に悪い。

 だが、そんな正論は俺たち姉弟の間では通用しない。

 俺は素早く体勢を立て直して、いつでも逃げられる構えを取る。今度は一虎のときのような不覚は取らない。自衛用の小太刀も懐に忍ばせている。


 来るなら来い。じりじりと後退しつつ二朱の攻撃に備える俺だったが――次の瞬間に二朱が見せたのは、意外にも穏やかな笑みだった。


「……姉上? 怒っていないのか?」

「あら、この程度でいちいち斬りかかるほど物騒な人間じゃないわよ。半分以上はあたしの自業自得でもあるしね」


 こちらが言及していない『斬りかかる』という発想に至っている時点で、十分すぎるほど物騒な人間だと思う。


「止めてくれてありがとうね、月天丸ちゃん。四玄みたいな阿呆のお守りをしてくれて本当に嬉しいわ」

「私はこいつのお守り役になった覚えはない。単に引き回されているだけだ」

「いやいや、謙遜はいいのよ。よかったわ、うふふ」


 穏やかな態度がかえって不気味である。絶対に何か企んでいる。

 妙な策略に巻き込まれないうちの撤退を決意。俺は月天丸の手を引き、その場から踵を返す。


「あんたたちの仲がとっても良さそうだってこと、ちゃんとお父様にも伝えておくわ。きっとすごく喜ぶはずよ」


 なぜだろうか。

 こちらの去り際に二朱が放った何気ないこの言葉は、異様に不吉なものと感じられた。

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