五章 律動のカルディアー 3

 ただでさえ人気の少ない早朝に、町の中心から離れて本格的に人目がなくなってきた。一目見た限りだと、民家どころか建造物も目的の一つを除いては見付けられない。不揃いに伸びた雑草達を踏破すると、足元は砂利になった。


 相人の携帯電話の反応があった廃工場。シャッターの前で凛は一度立ち止まる。

 直後、凄まじい音を立ててシャッターがひしゃげて、内側に向けて吹き飛んだ。根元から引き千切られたシャッターが床を幾度か跳ねる。

 凛の眼前を塞いでいたものが取り除かれ、視界が一気に開けた。凛を迎えたのは工業用の機械類が撤去され、伽藍堂となった広い空間だった。その奥に、鉄骨が複雑に組み合わさった巨大なジャングルジムのような区画が確認できる。


 手前の広い空間に人影は認識できない。相人や刃のアルコーンがいるとすれば、奥の区画。そう判断した凛は歩を進めることにした。既に工員達のいない、浮世から忘れ去られた廃工場の静謐の中、硬い床を歩む凛の足音だけが鮮明に響いていた。


 カツン、カツン、と十歩分程度の足音を鳴らした頃だろうか。それは姿を見せた。

 四本の凶刃。凛の前方、鉄骨の区画から、白刃が凛の身を引き裂かんと飛び出した。それぞれが異なる形態を取っていたが、それを操る根本はただ一つ。


「やっと――」


 この時をどれ程待ちわびたことか。或子を失ったあの日から、この瞬間を夢想しなかったことなど、寸刻足りとも存在しなかった。


 刃のアルコーン。友の仇。或子を殺した憎き宿敵。


「――見付けた……ッ!」


 敵を視界に捉えてから刹那も待たず、凛の髪が膨大なパトス粒子の漏出によって逆立った。それは正に、怒髪天と呼ぶに相応しい。

 凛は能力を行使し、目に見えた四つの刃を即座に弾き飛ばす。しかし、相手もそれで手を緩める程に温くはない。続けて、先程の倍の八本の刃を差し向けてくる。

 それも弾き飛ばす。その次も、次も。刃は悉く凛の不可視の砲撃によって吹き飛ばされる。

 凛の能力は、実際のところ連射能力はあまり優れていない。一発撃つごとに一秒近く隙ができる。それでもこれ程の刃を弾き飛ばせるのは、偏に一撃の攻撃範囲が広く、複数の刃を面制圧している点に理由があった。


 仇を見付け、興奮していた凛だったが、攻防が続くうちに頭が冷えてきた。こちらだけが姿を晒している現状は間違いなく不利だ。このままこうしていてもいずれ追い詰められる。

 砲撃を使って、奥の区画を丸ごと吹き飛ばすか? 相人がどこにいるか分かっていない状態ではそれもできないだろう。


 ならば、と凛は前方へ走り出す。このまま広い空間に身を晒す意味はない。奥に進めば鉄骨が凛の姿を隠してくれる。自らの走力と砲撃を駆使してハルパーの攻撃を潜り抜ける。

 目の前を抜ける刃や、身を掠める刃を越え、見通しの利かない空間に滑り込む。その後も暫くは追撃があったが、更に奥に進むと、ハルパーも見失ったのか刃は追ってこなくなった。


 考えなしに突入してしまった為に不利な状況から始まってしまったが、こちらの襲撃は予想外だった筈。ならば、罠がしかけられている可能性は低い。――凛は状況を分析する。

 今、戦況は五分と五分。互いに相手の位置は把握できず、状況は硬直している。ともすれば、単なる不利より始末が悪い。最悪、凛が釘付けにされている隙に相人を連れて逃げられる恐れもある。次もGPSで追えるとは限らない。この状況を打破しなくてはならない。


「涯島君! 助けに来たよ! どこにいるの? 返事をして――!」


 凛はリスクとリターンを天秤にかけ、あえて状況を自らの不利に傾ける方策を選んだ。自らの位置を相手に教えることで、刃のアルコーンをおびき出す。敵の目的は相人である以上、相人の確保に向かえば無視できない筈だ。相人の口が塞がれて返答できない可能性もあるが、その場合は敵に有利を与えることで逃亡の選択肢を捨てさせる。


「ここだ! 天王寺さん! ここにいるよ!」


 凛の賭けはよりよい方向に転んだ。入り組んだ鉄骨や作業用の足場などに反響して位置の特定はすぐにはできないが、相人もその辺りは分かっているらしく、叫び続けている。


 凛が上げた声も反響が位置を隠してくれたかもしれないが、いつ刃が迫るか分からない。できる限り早く相人を見付ける必要があるだろう。凛は自らの耳と感覚を駆使してこの空間に響く声の源に向かった。途中、何度か硬い物同士がぶつかる音が聞こえたが、恐らく刃のアルコーンが凛がいる場所に辺りを付けて攻撃した際のものだろう。

 敵からは見付かっていない。今攻撃しているということは待ち伏せの可能性は低い。


 音源を求めて鉄骨を潜り抜けていくうちに、凛はその目に漸く目的の人物を捉えた。大体民家より少し低いくらいの高さの足場に、四肢を縛られた相人が寝かされていた。


「天王寺さん!」


 向こうも凛に気付いて声をかけてきたが、凛は返事をせずに素早く相人の近くに駆け寄って、耳打ちをした。


「……叫び続けて。まだ私が涯島君を見付けられていないと相手に思わせるの」


 相人は頷いて凛に対して大声で呼びかけ続けた。


「今、解くから」


 まず自分で歩けるようにすべきだ。凛は相人の足を縛るロープに手を伸ばした。




 一見無秩序に見える程に張り巡らされた鋼鉄の狭間で、ハルパーは刃を伸ばしていた。


 この戦いは自分の境遇と同じだ。ハルパーの頭にそんな考えが浮かぶ。刃を直線的に伸ばしても入り組んだ鉄骨に阻まれる。正面から立ち向かっても未来のないハルパーと同じだ。

 だが、刃を曲げ、鉄骨と鉄骨の隙間を潜り抜け、たとえ遠回りになろうと、確実に標的の命を絶つ。西園愛も必ず、どんな手段を用いても倒さなければならない。

 その為に必要なのは慎重さと狡猾さだ。自らを形作る原型である感情を嫌悪していたハルパーであったが、その感情があったからこそ、アルコーンの中で随一の狡猾さを手に入れることができた。


 ハルパーの狡猾さは、既に敵を罠に嵌めていた。


 敵のイペアンスロポスは涯島相人に呼びかけた。涯島相人を救出してから戦うつもりだろう。恐らく、あえて自分の位置を知らせることでハルパーをおびき寄せる狙いもある筈だ。

 浅はかだ。実に浅はかな考えだ。


 涯島相人の元に来ると分かっているのなら、待ち伏せればいい。それだけのことだ。

 敵が涯島相人に接触しようとすることは予想できた。故に、あえて涯島相人の口を塞がず、敵が辿り着けるように即席の罠を張った。無論、敵も待ち伏せの可能性は考えるだろうが、それもあえて見当違いの方向を攻撃し、音を立てることで、ハルパーが愚直に攻撃を続けていると錯覚させる。錯覚させてしまえば、敵の頭から待ち伏せは排除される。


 鉄骨の陰から涯島相人とその周辺に注意を払う。ダミーの攻撃をしつつ待機していると、標的が現れた。イペアンスロポスはそのまま涯島相人に近付く。

 イペアンスロポスがしゃがみ込んで、涯島相人の足のロープを解きにかかった。――今だ。


 ハルパーは偽装攻撃を続けつつ、一本の槍を伸ばし、イペアンスロポスに差し向けた。鉄骨と鉄骨の間をすり抜けて、足場の下から敵の背後に忍ばせる。警戒した相手を殺すのは手間がかかるが、一瞬でも安心を与えてしまえば、警戒はすぐに弛緩する。

 ロープを解く為にしゃがんだ故に視界は狭まり、涯島相人の視界をも塞ぐ。そうして、背後という死角が、更なる盲点となり、そこに警戒の緩みが加わり、絶対の隙となる。

 ハルパーの伸ばした槍が蛇のように敵に忍び寄る。このまま心の臓を貫く。

 完全な死角から、ハルパーの槍がイペアンスロポスを突き刺す。


 ――その寸前に、見えない何かに弾き飛ばされた。


「何……ッ!?」


 イペアンスロポスは未だ槍に背を向けたままだ。確実に不意を打った筈だ。しかし、弾き飛ばされた時の感触は、間違いなくあのイペアンスロポスの能力によるものだ。もし、攻撃が来ることを予想できていたとしても、攻撃のタイミングまでは分からない筈だ。

 ハルパーは槍に変えていた腕を元に戻し、注意深くイペアンスロポスに目を向ける。イペアンスロポスは涯島相人を縛っていたロープを解くと、足元から何かを拾って立ち上がった。


 先程まではハルパーからは角度の問題で見えていなかったそれは、携帯電話だった。


 しかし、ハルパーにはその意味が分からなかった。ハルパー達アルコーンはどうあっても人間とは相容れない。それ故、人間の文明については非常に疎かった。

 もしも、ハルパーに携帯電話にはカメラ機能があるという、現代では常識とされる知識があれば、自分の背後を映して攻撃を警戒していたのだと理解できた筈だが、如何せん知識が足りなかった。たとえ攻撃するよりも前に携帯電話の存在に気付いていても、ハルパーは気にすることはなかっただろう。


 偶然と片付けられる程ハルパーは楽観的ではなかったが、この件にいつまでも拘泥していられる程状況は待ってはくれない。

 ハルパーが一方的に敵の位置を把握している有利に変化はないが、涯島相人が敵の手に渡ってしまった。仲間の安全を確保したあのイペアンスロポスは周囲を無差別に攻撃してくるかもしれない。涯島相人は絶対に手に入れなければならない以上、撤退はあり得ない。敵の攻撃が始まる前に、こちらからしかける必要がある。


 ハルパーが自らの腕を再び幾振りもの刃へと形態を変えたのとほぼ同時、イペアンスロポスが呼びかけるように声を上げた。


「あのタイミングで背中を攻撃したってことは、こっちが見える位置にいるのよね」


 ハルパーは刃の動きを止める。敵の動向を窺うべきか、呼びかけを何らかの陽動と断じて攻撃をしかけるべきか見定めようとした。


「私の声もちゃんと聞こえる場所にいるのよね? 伯難大学病院でお前が殺したプロドティスを憶えているかしら」


 病院でハルパーが殺したとなると……ハーミーズ・マーキュリーを逃がす為にハルパー達を引き付けたあの女か。だが、その女がどうしたというのか。


「その子は、あるちゃんは私の親友だった。アルコーンは全て殺さなきゃいけないのは元からだけれど、お前だけは他の誰にも渡しはしない。――私の手で、塵に還してやる」


 ぞくり、と。周囲の温度で体調が左右されない筈のハルパーに寒気が走った。


 この感覚、この声に込められた感情は、この感情の深さ、暗さは、西園愛を思い起こさせた。

 愛と憎悪。種類は異なるが、似ている。狂気的な激情が、狂気に身を落とさなければ耐え難い程の情動が。


 ――否。否だ。否定しなければならない。ハルパーは己の中で顔を上げた感情を否定した。


 あの程度では西園愛にはまだ届かない。一瞬、ほんの一瞬近しいものを感じたが、あの狂気には、あの■■には到底及ばない。この程度でハルパーは■■を感じない。


「もう一度、確認するわ。お前は、近くにいるのよね」


 やはり陽動だ。こんな言葉に意味などない。このまま手をこまねいて見ている必要はない。始末する。ハルパーは、両手を十ずつの刃に変え、敵に差し向ける。


 ……ハルパーは、二つ過ちを犯していた。

 一つは敵の真意を測る為とはいえ、攻撃を躊躇してしまったこと。二つ目は自らの感情に囚われ、攻撃のタイミングが遅れたこと。この二つのどちらかがなければ、もしかしたら間に合ったかもしれない。


 つまるところ、ハルパーは出遅れた。


「――それなら、ちゃんと受け止めなさい」


 破壊があった。砲撃が放たれたのだ。ただし、それはハルパーが予想していたような無作為の攻撃ではない。かといって、ハルパーの位置を正確に攻撃したということでもない。


 下。イペアンスロポスは、自らの足下に向けて砲撃したのだ。


 その結果、イペアンスロポスと涯島相人を乗せた足場、そしてそれを支えていた鉄骨が、上からがらがらと音を立てて崩れていく。自らが立つ地を失った二人は、重力に従って落下する。およそ、家屋の三階程の高さから。


「天王寺さん……!?」

「あの、女……!」


 ハルパーは、敵の目論見を看破した。というよりは、看破させられたと言った方が正確か。

 あの高度から、崩れた鉄骨の上に落ちれば、大怪我では済まない。イペアンスロポスならば能力を駆使して無事に着地もできよう。だが、涯島相人はそうはいかない。涯島相人は、心臓にアルコーンを宿しているといっても即死級の傷を塞ぐ程の回復力はない。


 あのイペアンスロポスはハルパーに涯島相人を助けさせようとしている。刃を伸ばしても涯島相人を傷付けるだけだ。無事に受け止めようと思うなら、ハルパーは自らの姿を敵前に晒さねばならない。ハルパーにとって涯島相人が重要な存在だと見越して、ハルパーをおびき寄せる為に、仲間である涯島相人の命を囮にしようというのだ。


 はったりだ。このまま放置しても、落下の寸前に自ら助けに入るに決まっている。仲間を殺されて怒るような人間が、そんなことができる訳がない。ハルパーは己にそう言い聞かせるが、先程のイペアンスロポスの言葉に込められた闇が頭から離れない。


「ちぃっ……!」


 この場で自らの身を危険に晒すとしても、涯島相人という交渉材料の喪失という、最悪の可能性を振り払うことはできなかった。

 ハルパーは敵の用意した罠の中へ足を踏み出した。今までハルパーの身を隠していた鉄骨から飛び出し、落下する涯島相人の真下に待機する。


 長髪の少女と、視線が交差する。

 敵の攻撃は廃屋で一度受けている。その威力も知っている。侮れない攻撃だ。その真価は目に見えず、攻撃の範囲が広いところにある。要するに、回避が非常に難しいのだ。タラリア並みの速度がなければどうしようもないだろう。

 だが、対処法は回避だけではない。来ると分かっていれば、防御することはできる。

 ハルパーは両腕を根本から何本もの刃に枝分かれさせ、体の前に層を形作るように展開した。更に、足から生やした刃を地面に突き刺す。折り重なった刃で衝撃を殺し、足の刃でその場に留まる。これで、ダメージを最小限に留めて涯島相人を受け止めることができる。


 ――そんなハルパーの目論見は、次の瞬間、文字通り砕け散った。


 幾重にも重ね合わせた刃の装甲が、一瞬と保たず貫かれた。目に見えぬ衝撃が、ハルパーの体に降りかかる。


「この、威力は……!?」


 前面の刃を犠牲に勢いを殺し、足元の刃で体を固定していたというのに、ハルパーの体は一度地面に直撃した後、地を離れ、後方に投げ出された。そして、数度鉄骨と激突し、数本を折り砕くまでその勢いは消えることはなかった。

 少女は、涯島相人を空中で抱え、能力を駆使して落下の衝撃を抑え、着地する。


「――こんにちは。また会えたわね」


 想定外――経験以上だ。以前の威力とはまるで違う。

 イペアンスロポスは感情によって能力が上下する。あのイペアンスロポスは狂気に達する程の激情を備えている。無論、それを考慮した上での防御だった。それを、易々と超えてきた。


「嬉しいわ、刃のアルコーン……!」


 この女は、危険だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る