五章 律動のカルディアー 2

 最初に、体中の凝りを感じた。冷たく硬い金属製の床に寝かされたのだ、全身が凝り固まるのも当然だろう。そこは、民家の屋根裏くらいの高さの作業用の足場だった。

 相人はハルパーに連れ去られ、町外れにある廃工場にいた。然程荒廃していないところを見ると、稼働しなくなったのはあまり昔の話ではなさそうだ。ハルパーというのは刃のアルコーンの名前だ。妙な名で呼ぶなと言って向こうから名乗ってきた。


 現在時刻は確認できない。携帯電話は助けを呼べないようにハルパーに取り上げられた。そもそも、手足をロープで縛られていては携帯電話を持っていても取り出せないだろう。だが、近くにある窓から差し込む日の明るさからどうやら早朝らしいということは分かった。

 ハルパーは相人から携帯を奪ったが、壊すことはしなかった。まだ確認できていないが、電源も切っていなければ、きっとハーミーズがGPSで見付けてくれる筈だ。


「まだ起きなくていい。ほら、飯だ」


 ハルパーがやってきて、持っていた缶か乾パンを取り出し、それを相人の顔の前に置いた。まだ起きなくていいというのは、つまりこのまま手を使わずに食べろということだろうか。


「お前……これ、どうやって手に入れたんだ」


 ハルパーが買い物などしようものなら、店員も周囲の客も正気ではいられない。


「ここは前々から用意していた俺の隠れ家だ。目立たないよう前から人間どもから奪ってたんだよ。お前も、俺がそうしていたことは知っていただろう」

「お前……!」


 あの廃屋での邂逅は、その現場に居合わせたということか。


「俺達は本来食事など要らんのだがな、全部お前の為にやったことだ。涯島相人」


 ハルパーの言葉に、相人はもう何度目になるか分からない衝撃を受ける。まただ。また、相人の為だ。アルコーン達にとって、一体相人に何の価値があるというのか。


「お前を手に入れた時、飢えさせない為に負ったリスクだ。撒き餌としてあえて噂が流れるようにも動いた。まさか、あの時本命が来るとは思っていなかったがな」

「あの時、お前のせいで伊織は……!」


 喜色を露わにして語るハルパーに、相人は怒りを隠せなかった。あの廃屋でハルパーを目撃してしまった故に伊織は倒れた。今も、まだ自らの口で言葉を発することすらできない。


「ああ、あの時死んだ奴か。お前を誘い出す餌にしようと思ったが、その必要もなかったな」

「伊織はまだ死んでない」

「死んだも同然だろうが。反応現象を受けたらもう戻らん」


 呆れたようにハルパーは言った。


「それに俺のせいにされてもな。俺はそこにいただけだ。そいつが勝手に俺を見ただけだ。更に言えば、俺を見ようが見まいが、遅かれ早かれ死んでいたさ」


 ハルパーの言葉は、相変わらず相人の感情を刺激したが、言葉自体は間違っていない。

 学校の惨劇を考えると、伊織が反応現象を起こすのは避けられなかっただろう。その際、本当に死んでいたかもしれない。無論、それでハルパーに感謝することなどありえないが。


 学校での襲撃を思い出し、相人は連鎖するように一つ思い出した。もし敵に問い質せることがあるのなら、前から聞こうと思っていたことだ。


「そもそも、お前達の目的は何なんだ」


 それが分からない。アルコーンが人間を襲うことに何の利点があるのか。西園愛は相人の為だと答えていたが、人々を殺し、恐怖に陥れることなど、相人は望んでいない。


「俺達の目的は全人類の殲滅だ。たった一人、お前を除いてな」

「はあ――?」


 思わず頓狂な声を上げる。そうせざるを得ない程にハルパーの答えは常軌を逸している。


 人類の殲滅――理由は分からないが、これくらいのことは相人も覚悟していた。アルコーンは人間の天敵だ。人間を滅ぼすことも不可能ではないだろう。

 だが、相人ただ一人が例外となると意味が分からない。相人の体にアルコーンがあるからか? いや、そもそも相人の心臓にアルコーンを植え付けたのは西園愛だ。ならば、理由はそれではない。一体、相人だけを生き残らせることに何の意味があるというのか。


「馬鹿げてるだろう。あいつは大真面目にそれをやろうとしている」

「あいつ……?」

「お前の前にも現れたんだろう? 西園愛だよ」


 ハルパーの口からこの名前が出たのは、これが初めてだ。これで分かった。やはり、アルコーン達の中心にいるのは西園愛だ。ハルパーの口振りから、西園愛は少なくとも人類を殲滅させる作戦を最も積極的に行っている。


「何の為に、そんなことを……」

「俺が知るか。あいつは自分とお前以外、必要ないからとか言っていたがな」


 必要ない……似たような言葉を相人は西園愛の口から聞いている。


 ――あなたと私以外に価値のある人間なんていないでしょう?


 価値がないから、必要がないから殺す。まるで不要になったごみを処分するかのような口ぶりだ。仲間である筈のハルパーにすら理解されない異常性。相人には、どうしても西園愛という女が理解できなかった。怒りが生まれる余地すらない程に、分からなかった。


 何故か機嫌を悪くしたハルパーは、相人から目を逸らして窓の外を見た。


「お前は、西園愛に不満があるのか……?」


 ハルパーの態度からはそうとしか受け取れない。今までアルコーンは一つの敵としか見ていなかったが、この様子では一枚岩ではないのかもしれない。そういえば、西園愛が伊織の病室に現れた時、廃屋のことを話した途端、目の色を変えていた。あれは、ハルパーの独断行動を知った故だったのだろうか。そう考えると、今のハルパーの行動も西園愛の思惑とは外れたところにあるのかもしれない。


「当たり前だ。奴にとって必要ないのは、俺達も同じだからな」


 ハルパーの横顔がたちまち歪んでいく。この表情は、怒りか、屈辱か、相人には正確には判断できなかったが、明らかに負の感情の表出だった。


「人間がどうなろうと構わんが、奴は俺達を、人間を殺し尽す為の道具としか思っていない。結局始末されると分かっていて、どうして受け入れられる」


 嫌悪感を剥き出しにしたハルパーの声は、その言葉に嘘がないことを相人に思い知らせた。


「だったら、どうしてお前は西園愛に従っているんだ?」


 相人はハルパーの脅威を二度も目にしている。一度目は或子と凛が、二度目は遥が、それぞれ全く敵わなかった。そして、恐らく或子を殺害したのもハルパーだ。

 それに、アルコーンはハルパーだけではない。タラリアもいる。病院で由羽と交戦したアルコーンもいる筈だ。他にもいるかもしれない。


 西園愛は、そんな力を持つアルコーン達すら従わせる程に強大な存在だというのか。


「……ふん、人間はお気楽に考えられて羨ましいな」


 そう言って相人の方に向き直ったハルパーの声音は、皮肉のように聞こえたが、僅かに本物の羨望が混じっているように感じられた。


「単純に戦闘における強さという視点だけなら、俺とあの女にそう違いはない。他の奴と組めば確実に俺達の方が強いだろうよ。だがな、強弱と勝敗は別だ。俺達がアルコーンである限り、西園愛には絶対に勝つことはできない」

「西園愛の能力は、アルコーンを殺すことに特化している……」


 これは重要な情報だ。人間を反応現象で無力化し、アルコーンに対して強力な力を持っている西園愛は、確かに全てを滅ぼすことができる程の存在なのかもしれない。しかし、対アルコーンの能力なら、イペアンスロポスでなら勝機はある筈だ。


「勘違いしているようだが、そんなもん奴の力の一部に過ぎない」


 相人の思考を希望的観測だと切り捨てるようにハルパーは言った。


「奴は俺達を作り出した。だから消すことも簡単にできるってだけの話だ」

「作り出した……?」


 今まで、アルコーンとは一体何なのかはっきりとは分かっていなかった。そのルーツは全くの不明だった。だが、ハルパーの言葉を信じるのなら、アルコーンは西園愛が作り出した人工生命ということになる。

 しかし、だとしたら、西園愛自身がアルコーンとなっているのは、一体どういうことなのだろう。相人の脳裏にそんな疑問が浮かんだ。


「奴の力は分離、増殖だ。奴は自分のパトス粒子からアルコーンを生み出す。不要になれば自分の体に戻せるってだけで、奴の本領はアルコーンを生み出すことにある」


 ハルパーから放たれた言葉は、相人の思考を遮るには十分な力を持っていた。

 アルコーンを生み出す力。もしそれが、ハルパー達他のアルコーンと同じように自在に使えるとしたら、その脅威は決して安心できるものではない。たった一人で人類の天敵になり得る程の力だ。いや、事実天敵として存在しているではないか。


「パトス粒子は時間が経てば回復するから、実質的に無尽蔵に兵を生み出せる。不要になった兵を取り込めばその分回復もできる。まあ、俺達のような上級種はそう易々と生み出せる訳ではないようだが」


 ハルパーは絶望的な情報と、僅かな希望を同時に語った。無限に湧いてくる敵は決して楽観できることではない。ただ、ハルパーのような特異能力を持った個体の量産はできないのは、せめてもの救いだった。


「上級種を生み出すには、必要なパトス粒子も多いが、それ以上に重要なのは奴自身の感情を切り取る必要があることだ。例えば、タラリアなら友愛。タラリアを作る為に友愛を『使った』以上、奴は友愛の感情を永遠に失った。故に西園愛は友情を感じない。これは、もしタラリアを取り込んでも二度と戻ることはない」


 相人は衝撃を受けるとともに、どこか納得している自分に気付いた。

 西園愛を見た時の感覚は、これが原因だったのだ。重要な感情が幾つも欠落しているかのような不気味さ。当然だ。西園愛は、本当に感情を失っていたのだから。


 そして、今一度西園愛に対して畏怖を抱かざるを得ない。自らの感情を切り取ってまで、人類を滅ぼそうなど、まともな執着では実行することはできない。


「キビシスなら平常心。故に西園愛は感情を抑えない。アイギスなら服従心。故に西園愛は誰にも従わない。俺達はそれぞれ奴から切り離された奴の一部だ。触れられただけで取り込まれる不安定な存在に過ぎない」


 ハルパーは相人の知らない二体のアルコーンの名前を挙げたが、自らを形成した感情には触れなかった。これまで情報を話したのは、それが西園愛の不利には繋がっても自分の不利には繋がらないからだろう。つまり、ハルパーの核となった感情はハルパーにとって知られるとまずいものだということと考えられる。


 そこで、相人はまだ話に上がっていないアルコーンがいることに気が付いた。


「僕の心臓のアルコーンはどうなんだ? 人間と融合するなんて、普通のアルコーンにできることとは思えないんだが……」

「何だ、もうそいつに気付いていたのか」


 ハルパーは相人の質問に、さして驚いた様子もなく反応した。


「そいつも俺達と同じ上級種だ。能力が融合なんだよ。まあ、自分で思考することもできない極小の、ただお前に融合させる為だけに生み出された存在に過ぎないがな。確か、あの女はキュエネーとか呼んでいたか」


 あまり興味なさげにハルパーは語る。ハルパーにとって重要なのは西園愛にどう対抗するかであって、相人自身のことはどうでもいいのかもしれない。


「何にせよ、このままじゃ俺達はただ使い潰されるだけの道具だ。だから、奴が重要視しているお前を交渉材料に……」


 饒舌に話していたハルパーの口が、不意に止まった。


「ハルパー?」

「……何だ。何故ここが分かった……?」


 ハルパーは相人の声には答えず、舌打ちをして踵を返して歩き出した。


「お前はここを動くな。まあ、その状態じゃ動けないだろうがな」


 両手両足を縛られた相人に、そう言い残してハルパーはその場を去った。

 残されたのは身動きの取れない相人と、無造作に放られた乾パンだけだった。

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