(5)真相


 ◇◇◇


「ジャーヴィス副長。で、結局どうなったんです?」

「なんでもない! 艦長室に特別でかいネズミが現れて、アビゲイルに向かって飛びついただけだ」

「な~んだ、そんなことだったのか」

「これだから女ってやつはなぁ」


 水兵たちはめいめい安堵したように笑いながら、ジャーヴィスに怒鳴られつつも当直へ戻った。

 再び静けさを取り戻した大船室を後にして、ジャーヴィスは中央の開口部から外の甲板へと上がった。


 船首のフォアマストの後にある海図室へと迷わず向かう。その中に入ろうとして、ジャーヴィスはロワールがまるで見張りをするかのように立っているのに気付いた。

 間違いない。シャインはここにいる。


「――レイディ」

「だ、だめ。今、中に入っちゃ――」

「……」


 ジャーヴィスはロワールの制止を無視して、海図室の扉を開いた。

 シャインは海図を置く吟味台の上で平然とした顔で報告書を書いている。


「お話があります。グラヴェール艦長」


 シャインがため息をついてペンをペン立てに立てかける。


「――アビゲイル嬢の様子は?」


 ジャーヴィスはこちらを見ようとしないシャインの様子に苛立ちを感じた。


「あなたはあの娘のことで、私が知らない何かをご存知のようですね」

「……俺は何も知らない」


 シャインは頭を振った。その視線は相変わらず報告書へと向けられている。


「グラヴェール艦長」


 さりげなく報告書へ白い手袋をはめた手を置くと、ようやくシャインの頭が動いてジャーヴィスを見上げた。シャインは仕方なくジャーヴィスの顔を一瞥したようだった。すぐにそれを背けてしまったからだ。

 再び俯いたシャインが低い声で話し出した。


「彼女には知っている事を、すべてこの場で話してくれないかと頼んだだけだ。このままではシスリアル号が何故国籍不明の船に襲われたのか、その件で本部の取調べを受けることは免れない。俺は彼女にそう言っただけだ」


 シャインの言うことは至極当然だ。

 シスリアル号はエルシーアの商船で、それが何者かによって沈められた。

 アビゲイルは唯一の生存者で、船長だったオルド・スターマインの娘なのだ。


 シスリアル号の消息を探る任務だった以上、シャインは艦長として可能な限り、船が沈んだ原因を調べなければならない。それができない場合は、彼女の身柄は海軍省に送られ、さらなる取調べを受けることになるだろう。


 シャインの話は筋が通っている。

 だがどうも釈然としない。


「艦長。私は……」


 シャインの顔はいつになく影が落ち生気がなかった。


「俺だって彼女を海軍省へ引き渡したくないんだ。だからジャーヴィス、考えている事があるんだが――」


 シャインの言葉が途中で途切れた。


「……グラヴェール艦長?」

「なんでもない」


 息をずっと詰めていたかのように、シャインが喘ぐ。

 彼の呼吸が浅いことにジャーヴィスは気付いた。


「なんでもなくない!」


 シャインとジャーヴィスの会話に割って入ったのはロワールだった。


「ジャーヴィス副長、あなた、あの素性のわかんない女とシャイン、どっちが大事なの!?」

「え、ええっ……?」


 ロワールの怒りに満ちた形相と、不意に投げつけられた前後がかみ合わないその問いに、ジャーヴィスは暫し表情を硬直させた。


「ロワール。俺とジャーヴィス副長は、大事な話をしているんだ。君こそわけわからない話で邪魔しないでくれ」


 まるでロワールを部屋から追い出すように、シャインが青緑の瞳を細めてつぶやいた。


「邪魔なんていくらでもしてやるわよ! だって、シャインは――」


 ロワールの言動は突飛だが、ジャーヴィスは彼女が何故自分にあんなことを言ったのか理解した。

 シャインが今はジャーヴィスの方を向いているので、彼の左手が不自然に脇腹を押さえている事に気付いたのだ。


「一体どうしたんです!」


 ジャーヴィスはシャインの左手を掴んだ。

 シャインは一瞬だけそれに抵抗する素振りをみせたが、顔をそむけたまま無言だった。

 ジャーヴィスは吟味台の上に置かれたランプを引き寄せ明かりを灯した。


「ちょっと甲板でつまづいて、引っ掛けただけだ」


 ジャーヴィスは呆れながら冷たく言い放った。


「私の目は誤魔化せませんよ。それは刀傷じゃないですか! まさか、アビゲイルに?」

「掠っただけだ。彼女は本気じゃなかった。大した傷じゃないから騒がないでくれ」


 シャインの声は落ち着いていた。彼の言うとおり、脇腹の傷はさほど大きなものではないようだ。航海服の上から圧迫していたせいで出血も治まっている。


「それは私が判断します。兎に角、小さな傷でも消毒しておかなければなりません。ここでは治療ができませんから、私の部屋へ参りましょう」

「シャイン、ジャーヴィス副長の言うとおりよ」


 ロワールの心配そうな声を受けてか、シャインが仕方なさそうに席を立った。

 



 

 シャインの傷は思ったほど深くなかった。ジャーヴィスはそれを神に感謝しつつ、傷口をアルコール度数の高い生のクトル酒で消毒した。

 シャイン自身は掠っただけと言っていたが、シャインだからこそこの程度で済んだのかもしれない。


「避けるタイミングがほんの数秒遅れていたら、今頃あなたは『果ての海』を魂だけで越えてましたよ」

「……」

「傷を縫わなければなりませんね」


 ジャーヴィスの寝台に横になったシャインは、彼が差し出した酒のグラスから顔を背けた。


「いらない。酒は寝覚めが悪いし二日酔いの頭痛の方が嫌なんだ」


 シャインが酒を断るのは最初からわかっている。


「ではこれを」


 ジャーヴィスは半分に割った錠剤を更に砕いて粉末状にすると、水の入ったグラスの中に入れてかき混ぜた。


「これは?」

「<ネスティーユ>です。不眠症に使われる薬ですが、鎮痛効果もありますから、飲んで下さい」

「ネスティーユ、ね。いいのかい。これを俺が飲んでも?」

「クラウスからもらった分量の半分以下ですから、以前のように丸一日中眠りっぱなしにはなりませんよ」


 シャインは薬の入った水を飲んだ。半分ほど飲んだ所でグラスをジャーヴィスに返して再び寝台へと体を横たえる。


「……すまない、ジャーヴィス副長。俺は君にいつも迷惑をかけてばかりだ」


 ジャーヴィスは冷ややかな笑みを浮かべて頭を振った。


「言い訳は後で聞きます。じゃ、暫く痛みますが我慢して下さい」


 ジャーヴィスは傷口の縫合を始めた。応急処置の方法は士官学校時代に習ったし、実技も完璧だった。伊達に首席で卒業していない。それに、船が大嵐に遭ったとき、怪我をする水兵も多く、ジャーヴィスは船医の助手を務めたこともある。


 ジャーヴィスはできるだけ手際よく処置を行った。シャインは一言も声を漏らさなかったが、額にはいくつもの冷汗が浮かび、苦痛を堪え閉じられた瞼の上に流れ落ちていく。


「……」


 縫合は十分とかからなかったが終わる頃には薬が効いてきたのか、シャインの呼吸は落ち着いたものになっていた。彼が眠っているのを確認して、ジャーヴィスは独り言を呟いた。


「全く、あなたって人は……どうして他人の為に、そこまで自分を殺すのですか?」


 この件に関してシャインにききたいことは山ほどあるが、やらなくてはならないことがある。

 ジャーヴィスはシャインの額に浮いた汗を拭いてやると、手当てに使用した器材を片付けた。

 椅子の上に置いていた航海服の上着を手に取り、袖を通して部屋の外に出ると、呼びつけていたクラウスが心配そうに立っていた。


「大丈夫。艦長は薬で眠ってる。まあ、四時間ほど動けないからな。私はちょっとやることがあるから、お前は私の代わりに当直へ立っていてくれ。ただし、艦長の事は他の者には教えるな」

「は、はい」


 クラウスはうなずいて甲板へと上がっていった。

 ジャーヴィスは疲れた中にも鋭い光を宿した瞳を艦長室へと向けた。

 航海服の襟を正し、息を吐いて扉を叩く。


「アビゲイル、私だ。ジャーヴィスだ。中に入ってもいいか?」


 中から小さな声がする。いいわ、と。

 ジャーヴィスが部屋の中に入ると、アビゲイルは書棚から本を取り出して興味深げにそれを眺めていた。

 彼女は本を閉じてそれを棚に戻すとちらりとジャーヴィスを見つめた。


「――怖い顔」

「艦長と何があったんだ?」


 不思議そうにアビゲイルは小首を傾げた。


「何って……? それはもう話したじゃない。彼は私を疑ってるって」


 ジャーヴィスは大きく首を横に振った。


「私はあの人と違って、甘んじて君の短剣を受ける真似などしないからな」


 ジャーヴィスの手はアビゲイルの右手首を掴んでいた。

 しなやかな革帯で手首に留められた小さな銀の短剣がそこにあった。


「こ、これは護身用よ。だって、あの人が私に迫ってきたから」

「アビゲイル。ついに君の尻尾を捕らえたぞ。君は今までそうやって、私に嘘をついてきたな」

「嘘じゃないわ!」

「私と艦長を仲違いさせるつもりだったのだろうが、今の君の言葉で確信を持ったよ」


 ぱっとジャーヴィスから手を振りほどいて、アビゲイルは壁際に後ずさった。


「どうしたのジャーヴィス? 礼儀正しいあなたが、いえ、これが本当のあなたなの?」


「私は本当のことが知りたいだけだ。君は何の目的があってシスリアル号に乗っていたのか。オルド・スターマインは本当に君の父親だったのか。彼は一体何者だったのか――」


 アビゲイルは瞳を細め悲しげに頭を振った。ほつれた黒髪を白い指で払いのける。


「それはもうお話したでしょ? ジャーヴィス? あなたがあの男をどれだけ信じているのかわからないけど、前にも言った通り、私の父は海軍のグラヴェールに殺されたの。彼に訊いてみなさいよ。私が嘘をついていないってわかるから」


「どうして君がそんなことを知っているんだ」

「決まってるでしょ! 父は――父は、リュニスの間者だったんだから!!」

「……」


 急に目の前の霧が晴れた気がした。

 両目に涙をいっぱい溜めたアビゲイルが肩で息をしながら口を開く。


「シスリアル号に乗り込んだ私を、父はどうしても連れて行けないと言った。私も殺されるから。父はエルシーア海軍で特にリュニス方面の内偵をしていたけど、本当はリュニス側の間者だった。だから、シスリアル号の後からやってきたあの船――父は一目見てエルシーア海軍が自分に差し向けた軍艦だと見抜いたわ。国旗も揚げてなかったし、見たことのない型の船だったけど、あの船を見たとたん父は自分の部屋へと駆けていった。


怖くなった私は甲板に出ようとして――その時船に大きな衝撃が走ったわ。他国の船に偽装したあの軍艦がシスリアル号に向かって砲撃してきたの。私は砲撃のせいで崩れた甲板の板が頭に当たって気を失ってしまった。そして、あなたの船に助けられたというわけよ。ジャーヴィス」


 アビゲイルは涙を拳でふるい落とし再び口を開いた。


「でも皮肉なものね。まさか海軍の船に助けられるなんて。アスラトルに戻った途端、私はきっと間者の娘として捕らえられ、誰にも知られることなく殺されるわ。グラヴェールが父を殺したように――」

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